丹後の地名プラス

丹波の

宮代町(みやしろ)
京都府綾部市宮代町



附:綾部八幡宮のお田植式

お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。


京都府綾部市宮代町

京都府何鹿郡綾部町

宮代町の概要




《宮代町の概要》
四ッ尾山の北西麓の警察やJAや綾部中学校のあるあたりで、もとは綾部村や井倉村の一部であった。
宮代町は、昭和28年~現在の綾部市の町名。


《宮代町の人口・世帯数》 244・126


《主な社寺など》

明智遺跡
綾部中学校のある高台(明智平)の弥生~古墳時代の遺跡。
河岸段丘なのか以久田野台地のようなものか、20メートルばかり高くなっているが、明智光秀がここで休憩をとったのでこの名があるとか、同じ高台の近くには伽迫古墳群や西神宮寺遺跡がある。


八幡宮(綾部八幡宮・井倉八幡宮)

お田植神事が奉納されることで知られる。御田植祭とよび、4月3日の祭礼(近くの日曜)には綾部郷の惣社として綾部7社の禰宜が奉仕する慣例であった(丹波志)という。この神事は戦時中一時途絶えたが、今は復活している。

八幡宮    綾部市宮代町
八幡宮は綾部郷の惣社、井倉八幡宮という。当社縁起書には石清水八幡宮の別宮で治承年中(一一七七-八一)平重盛が勧請したというと綾部藩々記にのべている。
二月四日奉射講の弓初、四月三日御田植のまねびの行事があったが、戦時中中断した。平成六年、寛政八年(一七九六)の古記録をもとにお田植を復活し毎年実施している。
御田植祭は綾部郷内七社の関係者が寄合い、翁の面をつけた八幡宮の神職が、暦見、田おこし、水当、田すき、種まき、鳥追い、苗取、田植を進め、苗取、田植は笛、太鼓、鉦の拍子と音頭にあわせて全奉仕者が行ない、最後に傘鉾のねり込みで終了する。
綾部郷の稲作が演技の進行の通り豊穣である事を神を祭って願う民間行事である。半左衛門と兵衛の掛け合い問答と半左衛門の所作の演技は、古式をよく伝え、一郷の年中行事の始めとして、後世に長く継承されるものである。
平成十一年一月  綾部の文化財を守る会


八幡宮     綾部井倉村
祭ル神       祭礼 八月十五日
社一間一尺五寸正面四間三尺五寸五社作り 舞堂 鳥居 社地凡五十間ニ四町斗 鳥居外麓ニ祭礼馬場有
当社小松重盛建立ト云 今ノ宮カンナ無ノ時割木作 今ニ四方造作斗ノ古キ社ナリ 往古ヨリ四月三日八幡ノ神前ニテ田植ノ祭礼 植田十二通 スキクワマクワ牛神主巫女装束有 苗代ヨリ植付迄ノ諸礼言バノ諸礼多シ 正面神主半左ヱ門二ノ宮伝左ヱ門神主 田植畢テ鳥居外石塔ヨリ囃シ八幡ノ宝前ニ参ル
  但シ其囃シウタハ此所ノ沙門福カ出来夕リ ケニモソウヨノマヨケニモメデタイナ トウタヒ囃シ立納ムト云

神宮寺村ニ神主四方半左ヱ門 綾部地頭始ヨリ代々六代目 株内三軒百姓也 巫女ハ井倉ノ内宮社(ミヤシロ)ニ有 元ハ若州ヨリ呼テ置 二株四軒アリ井倉巫女ト云 八幡宮宮本 井倉村 新町 神宮寺三村ナリ 供田一ヶ所黒印ト云除地 八月十五日井倉ノ八略ヨリ輿二社 坪内ヨリ若宮輿 青野村二 三ノ宮一躰 味方村斎明神笠原明神一躰 都合五社立合祭礼 流鏑馬二疋 此後花角力アリ 綾部郷惣社ナリ
(『丹波志』)

八幡宮 綾部町字井倉小字明智にあり。郷社にして応神天皇を祭神とし、他に仲哀天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の四柱を加へ祭る。現在氏子三百戸、井倉、井倉新町、西新町、天神町、広小路、中町、神宮寺之に属す。古伝に「此所は小松三位中将重盛卿の領地なり。依つて考ふるに治承中に重盛卿の勧請」とあり。九鬼領時代、御供田として上田七畝の除地あり。陰暦二月四日奉射講と称して弓初の式あり。祭礼旧暦八月十五日なりしを明治の世十月十五日と改む。
(『何鹿郡誌』)

八幡宮(井倉)
祭神 応神天皇
  藩記に
一、社  五間に八間
一、境内 百弐十間に五十間
一、拝殿 七間に二間
一、祭礼 八月十五日
一、二月四日奉射講と申弓初有
一、四月三日御田植綾部七社之禰宜共寄合、田植まねび有り
一、社領 上田七畝歩 卸供田として古来より除地也
一、新開畑 一反 為上茸料隆常公御代御寄附
一、縁起 二通有之内一遍ハ中頃より有之
  山城国八幡山之縁起なり、一通ハ近年何某寄進也
一、古来より縁起一巻中頃焼失すと云 近年之縁起之内に云
古伝に此所は小松三位中将重盛卿之領知たり 依之考るに治承年中に重盛卿之勧請かと有之
 天正年中神庫火災にかゝり、宝物記録を悉く失ったが、額扁「八幡別宮社大菩薩」の書は平重盛の筆と伝へて神殿に秘蔵している。綾部藩主九鬼隆都はこの顆にませて次のような軸を寄進している。
  八幡別宮社大菩薩
 温良恭倹譲 当所八幡宮平重盛
       常被指向手沢存
    額字最為温
    恭君子如何小
    人
    得似焉
  安政五年戌午
    九月廿五日
謹奉納
  九鬼式部少輔
      藤原隆都
       敬白
(『綾部町誌』)


御田植祭
2018年度のお田植式の様子
 (4月3日に近い日曜日に催される)
戦中に途絶えたが、平成6年に、寛政8(1796)年に書かれた当式の古文書にのっとり再興されている、50年以上の空白ののちに今回は再興25周年に当たるという。
-式次第-
10:00 式典
11:00 お田植式奉納
(駐車場はありません。ムリに駐めれば別)。
あつかましければ、最後にお餅がもらえます。
よそで聞いたハナシだが、高い所から「餅まき」をすれば人が集まるのだそう、それだけが目当てだそうで、その時だけはどこからか人がワンサカワンサカ集まるという、カンジンの奉納神事は知らん顔らしい。多くは宝物を間違っているよう。当社は餅はまかない。餅手渡し→


実際の農作業に先立って催される予祝の神事、かく滞りなく進み五穀豊穣となりますようにと神様に願ったものか。翁面を付け囃子と歌があり、田楽芸能一歩手前と言うのか中世風流までにさかのぼる古式を残すものであろうか。

太鼓奉納


御田植式




囃子、謡方は大人数。巫女姿になっているが、この場にいるということは早乙女が植えていた名残りの痕跡であろうか、男はいくらいてもダメで、彼女らがいないことには、彼女らか植えないことには本来は田植え神事は成り立たない、女の霊力なくしては豊穣はない。それは今は当地の中学生たちがなっている。



式最後の傘鉾の練込み

サンヤレと呼んでいる。幸在祭と書いたり各地に同名のものが残されているが、当社のものも古式だと思われる。傘鉾の下にいるのは神様で(サの神様、見えないが)、田の神・豊饒の神が山から降りてくる日なのではなかろうか。サノボリの反対で、サオリの方か、サは稲の神様、サアレかも知れない。


境内でもらった案内リーフ


お田植式に見る 昔の米つくり
綾部八幡宮では春季大祭に毎年「お田植式」を奉納しています。
農耕を国づくりの基本としていた日本民族にとって最大の願いは五穀豊穣でありました。「お田植式」とは古来より綾部郷全域の氏神、つまり綾部旧町区の神社が合同で行う神事です。
その内容は暦を見て農耕開始の時期を確かめ、田おこし、牛を引き廻しての田すき、草まき(施肥)、田ならし、種まき、鳥迫い、水あて、苗とり、田植え等と順にその所作を演じます。
「苗代」とは苗き育てる田のことです。現代ではほとんどの農家が農協に育苗を生産委託していますので、苗取りまでの風景はあまり見られませんし、田植えも手で植えるのではなく機械を使って植えています。
 「米」という字から八十八の手間がかかると言われた昔の米つくりの苦労を偲び、二百年の時空を越えて、一年の平安と五穀豊穣を願った貴重な伝統神事をご覧下さい。     綾部八幡宮敬白




《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


宮代町の主な歴史記録




伝説







宮代町の小字一覧


宮代町
宮代 宮ノ下 前田 門ノ前 宮坂 土代 明智

関連情報





資料編のトップへ
丹後の地名へ


資料編の索引

50音順

丹後・丹波
市町別
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市
京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市

若狭・越前
市町別
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市







【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『何鹿郡誌』
『綾部市史』各巻
その他たくさん



Link Free
Copyright © 2017-2018 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com
All Rights Reserved