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丹波の

中山(なかやま)
京都府綾部市中山町


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京都府綾部市中山町

京都府何鹿郡東八田村中山

中山の概要




《中山の概要》

国道27号やJR舞鶴線沿いのオムロン(立石電機)の工場があるあたり。JR舞鶴線「淵垣駅」よりも北側で、国道が長い直線になる一帯、村は線路の西側にある。元は中村と称して安国寺の枝村であった。「仁平二年八月十一日 丹波国何鹿郡矢田郷東中村」が村名の初見(東光院大般若写経)。はじめ山家藩領、寛永5年から旗本梅迫谷氏知行地。当初安国寺村の枝村で、幕末に分村独立したと見られる。
中山村は、明治15~22年の村名。もとは中村と称したが、同15年中山村と改称。同22年東八田村の大字となる。
中山は、明治22年~昭和28年の大字。はじめ東八田村、昭和25年からは綾部市の大字。同28年中山町となる。
中山町は、昭和28年~現在の綾部市の町名。


《中山の人口・世帯数》 75・37


《主な社寺など》


《交通》


《産業》


《姓氏》


中山の主な歴史記録


中村(中山町)
中村は八田上村の安国寺村枝村として存在し、八田上村の南端に位し、南は山家藩領八田下村淵垣を経て綾部村・九鬼藩領と堺する。家数三十七軒であった。
口伝によれば中村には古くから寺院があったと言われるが位置は判明しない。桜という地名がありその付近ではなかろうかと伝えられている、村のおこりは向かい中村で、中村の北部に京道に通ずる茶店峠があって、安国寺と裏表の型で中村に接している。上八田島間村まで半道、志賀物部まで二里である。丹後田辺より丹波何鹿部を経て京道が通じている。京街道筋をのべれば梅迫より横尾峠を横に走り中村より山家上原村に出て、船井郡和知の立杭広野村、草尾峠を通り、水呑村、粟野、保井谷、へ出て檜山より薗部、亀山、大江坂から山城へ出るのが京道である。
(『郷土誌 東八田』)


伝説





中山の小字一覧


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『何鹿郡誌』
『綾部市史』各巻
その他たくさん



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