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下替地町(したのかちちょう)
京都府綾部市下替地町


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京都府綾部市下替地町

京都府何鹿郡山家村上原

下替地町の概要




《下替地町の概要》
綾部市の一番南部。由良川南岸の台地上にある。台地というのか、川に山がせまり、対岸の戸奈瀬と似ていて、平らな所は少なく、山腹の急な斜面にある。南は船井郡和知町、北は上原町に隣接。府道広野綾部線(450号)とJR山陰本線が走る、駅は和知町の立木駅が近い。
下替地町は、昭和28年~現在の綾部市の町名。もとは綾部市上原の一部。


《下替地町の人口・世帯数》 48・18


《下替地町の主な社寺など》

斎神社


斎神社 四級社 祭神武甕槌命 夏祭七月九日に近い日曜日・十月十日 下替地町大迫 境内五三三平方米
天明五年(一七八五)九月神子屋建替、明治二十六年建替、昭和二十五年十月三日鳥居建立 昭和三十二年本殿改築 明治大正時代には湯立神楽が巫女によって奉納され賑やかだったが、子供神輿が出来てからは廃止となった。
・境内杜 備州霊社 祭神内藤備前守か
(『山家史誌』)


その他の神社
〇不動尊社 祭神不動明王 祭日七月二十八日  下替地町梅木谷
祭日の午前中に滝替をして浄め、読経、直会があった。境内の入口にある灯籠附近に小池があり、岩山よりの湧水をたたえる。これを「お神水」と云って、疣の特効薬として知られている。
○稲荷神社 祭神樋口佐渡守  下替地町下地
平家の落武者樋口佐渡守がこの地に逃がれ、村人の暖かい情によってかくまわれ、子供達に読み書きを教えながらこの世を去った。村人はその徳を請え「稲荷大明神」としてお祀りしたと云う。祭礼三月初午。昔、野間家を訪れた旅人急死し、所持していた尊い厨子をこの宮に祀ると云う。
(『山家史誌』)
山家の神社は、
◇神職 藩政時代御山寺法院別当が兼務していたが、維新後安達左門、広瀬村の御山寺別当が還俗して神官となり、以後福田正秀、松本周応、荒木嘉吉、四方嘉一郎、後林田清が昭和四十二年より現在に至り各社を兼務する。
◇各神社に氏子総代があり各町区夫々に神社の護持発展につとめたが、昭和三十年から山家地区氏子総代会が組織され、横の連携を固め、市・府・全国と神社総代会の縦の連携を持つようになった。祭日については十月十日(体育の日を村一斉にする事とし、宮司一名のため歳且祭と共に三日間の配分で各社の祭典を行う。祈年祭(四月)大祓焼納式(十二月)は郷社(二級社)八幡宮で山家地区合同で行う。
(『山家史誌』)


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


下替地町の主な歴史記録




下替地町の伝説


お稲荷さんと初午
下替地町の正一位下地稲荷大明神は平家の落武者樋口佐渡守を祀るという、その昔、源平の合戦に破れて、この地に逃れきて、村人の庇護のもとに子供達に「読み書き」を教えながらこの地で一生を終えた。村人はその徳を讃え「稲荷大明神」として祭り今日に至っていると伝えられている。
祭例は三月初午の日で、子供達は学校から急いで帰り、つとを持って参り、お供えをした後一緒に食べて夕方まで楽しく遊んだ。現在は赤いのぼりを立て、寿司やおにぎりを供えた後で、当番の家で会食するようになった。このお祭りがすむと、ようやく春の息吹が感じられるようになる。
註 「つと」わらで編んだ入れ物で、中に赤飯のおにぎり三つと、菜葉のあえ物(油揚げを細かく切って混ぜる)が入っている。
(『山家史誌』)




下替地町の小字一覧


下替地町
胡麻迫 境尾 梨ノ木田 林中 宮ノ前 多倉瀬 蔦ケ迫 一反田 山口 井根ノ下 大迫 打抗 梅ノ木谷 火打岩 北野 迫田 塚畑 鳥屋畑 下針ノ木迫 上針ノ木迫 山根 川迫 岡畑 深谷 境尾 山根 細谷 火打岩 柳木迫

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『何鹿郡誌』
『綾部市史』各巻
その他たくさん



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