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丹波の

蒲生(こもう)
京都府船井郡京丹波町蒲生


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京都府船井郡京丹波町蒲生

京都府船井郡丹波町蒲生

京都府船井郡須知町蒲生




蒲生の概要




《蒲生の概要》
須知盆地の真ん中あたり、国道9号と国道27号の合流点の交通の要衝で道路沿いにドライブインがある、周辺あちこちの産物が並んでいる。町役場がある。美女山の西麓を北流する須知川西岸の村。川沿いに水田が広がるが、村の西部は広大な高原をなしている。平坦な土地だが黒味がかった酸性土壌(黒ぼく)におおわれているため農業用地に適さず、原野のまま残存していたという、村の西半は蒲生野と称される。原野には小沼が散在するそうで、その菰や蒲の生い茂る原野という意味かという。

9号と27号の分岐点↑向う側は蒲生野中学校で、その左に京丹波町役場がある。

蒲生村は、江戸期~明治22年の村。亀山藩領。明治4年亀岡県を経て京都府に所属。戸数は同5年上蒲生村18・下蒲生村51。のち両村は合して旧に復し、同21年の戸数77。同22年須知村の大字となる。
蒲生は、明治22年~現在の大字名。はじめ須知村、明治34年須知町、昭和30年から丹波町の大字、平成17年からは京丹波町の大字。


《蒲生の人口・世帯数》 (蒲生野を含む) 1091・465


《蒲生の主な社寺など》

蒲生遺跡
『丹波町誌』に、
蒲生遺跡
 昭和五八年に発掘された蒲生遺跡(須知高等学校敷地内)からは、一棟の竪穴式住居跡と、土壙墓五基・土器・石器などが出土した。
 竪穴式住居跡は小型の円形をしていて、中央に炉跡とみられる焼土の堆積があり、周壁溝や柱穴がはっきり認められる。住居南側に貯蔵穴があり、住居跡から、石器削片・土器片・石器類片が出土した。また、凸基有径式の石鏃も発見された。
 住居は、平たんな台地から北東方面に半島状に尾根が張り出したそのつけ根の部分にあり、その南側一帯に集落が広がっている可能性が大きい。住居の北側に共同墓地があるとみられる。
 こうしたことから、この遺跡は弥生時代中期後半から後期にかけてのものと推定されている。この遺跡は丹波町の古代の生活や文化を考えることができるばかりでなく、丹波町周辺地域の古代を考える上で重要である。


小字蒲生野の台地上には蒲生野1-7号墳がある。いずれも円墳、最大規模の1号墳は狐塚ともよばれ、高さ3メートル、径26メートルと近辺の円墳では最も大型である。墳頂部分に凹みがみられる。ほかは径10数メートルのもので一部削平されたものもあるが、横穴式と思われる内部構造部分は割合よく保存されているという。

蒲生野(紅野)
『船井郡誌』
紅野 大字須知を距る北方十二町に在り、今蒲生野といふ。小丘所々に起伏せるを以て一望十里の眺なしと雖、面積五十八町に亘る平原の全部躑躅花を以て掩はれたれば、初夏満開の期に至れば、紅花緑草の間を點綴して恰も花氈を敷きたるが如し。紅野の名亦宜なりといふべし。貝原益軒の西北紀行に「園部より二里に須知村あり、民家多し、曾根村、印内村、此西に紅新田とて民家少々あり、其邊に廣野ゐり、紅野といひ方一里あり」とあり。

曹洞宗青龍山福満寺


『丹波町誌』に
青龍山 福満寺
一、所在地 蒲生小字清水元
二、宗 派 曹洞宗
三、本 尊 十一面観世音菩薩
四、沿 革
 亨保元年(一七一六)玉雲寺四一世真巌如実禅師を開山として創立する。当時は本堂・庫裡・阿弥陀堂等の伽藍を完備していたが、嘉永三年(一八五〇)二月失火により全焼したので志和賀村より草庵を移し仮本堂とする。大正二年本堂増築、引続き年を追い庫裡を改修、石門・石塀の完成、鐘楼堂・閑居等を建立し、昭和五二年には檀中宿願の位牌堂を建て伽藍を完備した。
住  職 福沢昭信
檀家信徒 七二戸
年中行事 …

木喰明満上人
 丹波地方で「木喰さん」といえば、この明満を指すほど有名である。
 明満は享保三年(一七一八)甲州八代郡古関村丸畑の伊籐家に生まれ、二一歳の時発心して仏門に入った。四五歳の時、木喰観海に従って「木喰戒」を受け、安永二年に「日本国巡礼」と「千体仏彫刻」を発願し、諸国を巡礼の途中諸所に仏像を刻んで安置した。
 木喰明満が丹波国船井郡八木町諸畑の清源寺を訪れた時はすでに九〇歳に近く、異様な姿で寺門に立った。
 清源寺の「十六羅漢由来記」に「実に僧に似て僧にあらず、俗に似て俗にあらず、変化の人かと思い、狂者の惑うかと疑う」と書いてある。明満は破れ笠をかぶり、一本の金剛杖をついて、箱の中に仏像・のみ・彫刻刀を入れて背負い、野に眠り山に伏して歩いた。
 長年、たった一枚の法衣ですごし、三度の食事も五穀を絶ち、塩味もとらず、ひげも髪も伸びるにまかせた。
 丹波国に巡礼した木喰明満は、文化二年二月、清源寺を訪れて十六羅漢像をはじめ、釈迦如来・阿難尊者・迦葉尊者の像や自刻像を刻んだ。次いで船井郡丹波町字富田の龍泉寺に至りしばらく滞在して四体仏を刻んだ。その後は故郷に向かい、文化七年(一八一〇)に入寂した。幕末最大の彫刻家とたたえられる木喰明満の作品には、仏に対する信仰の安らぎとほほえみを忘れないあたたかさがこもっている。(四体仏は現在蒲生福満寺にあり.






《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


蒲生の主な歴史記録




蒲生の伝説








蒲生の小字一覧


蒲生(こもう)
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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『船井郡誌』
『丹波町誌』
その他たくさん



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