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安井(やすい)
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安井の概要《安井の概要》 塩田の谷の一番奥の集落、東南端の櫃ケ嶽(582m)を境に兵庫県の丹波篠山市。当地を源とする曽根川が北流し、沿岸に耕地が開け、集落が立地する。江戸期の郷帳類は塩田を冠称して塩田安井村と記している。当村と谷村、森村は上三箇とよばれた。 安井村は、江戸期~明治22年の村。亀山藩領。明治4年亀岡県を経て京都府に所属。同22年須知村の大字となる。 安井は、明治22年~現在の大字。はじめ須知村、明治34年に須知町、昭和30年から丹波町の大字、平成17年からは京丹波町の大字。 《安井の人口・世帯数》 149・61 《安井の主な社寺など》 ![]() ![]() 境内の立派な夫婦銀杏、ギンナンの実が落ちている。 延長2年創建と伝わる、出鹿神社の神宮寺。 『丹波町誌』 朝日山 浄光寺 一、所在地 安井小字光久 二、宗 派 古義真言宗 三、本 尊 聖観世音菩薩 四、沿 革 約一一〇〇年前(平安朝初期)創建と伝えられるが、二度の火災にあい、確かな資料は現存しない。当寺はもと大覚寺の末寺であったともいわれているが、現在は高野山派に属している。昭和五四年四月観音堂を新築する。 観音堂には平安時代の作と推定される立派な観音像が安置されている。 住 職 新発田辰男 所家信徒 六〇戸 年中行事 … 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 安井の主な歴史記録![]() 『丹波町誌』 光久保と長曽根 山内荘に隣接して光久保(みつひさのほ)があった。これは現在の丹波町安井の一集落光久のことであろう。ここで「保」というのは、もとは中国の制度にならい律令時代にしかれた隣保組織であって、隣接する五戸で構成し、納税・防犯などの連帯責任を負わされていたものであった。それが平安時代以降は国衛領の小集落をさすようになった。この光久保は観応二年(一三五一)足利義詮が桑田郡の篠村八幡宮造営所として。三宝院僧正坊(賢俊)に充て行なっている。 長曽根とは、現在の丹波町曽根および院内のことである。建武三年(一三二六)に光厳上皇が長曽根その他七荘を近衛家に安堵した記録がある。山内荘がしだいに新勢力に犯されていき、この地だけが近衛家の領地として残されていたものであろう。 安井の伝説![]() 安井の小字一覧安井(やすい) ブドウ 光久 佃 ヒノキ田 ヒノクチ 奥田 三反田 三本木 安井東 安井南 スグ谷 前田 安井西 観音寺 クロツチ 北ノツラ 小坪 丸尾 南 寺西 中山 栢ノ木 ナバタ 梅カ坂 八条 関連情報![]() |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『船井郡誌』 『丹波町誌』 その他たくさん |
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