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丹波の

安掛(あがけ)
京都府南丹市美山町安掛


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京都府南丹市美山町安掛

京都府北桑田郡美山町安掛

京都府北桑田郡平屋村安掛




安掛の概要




《安掛の概要》
上平屋の先、国道162号(若狭街道・周山街道)から府道38号(京都広河原美山線、芦生街道)が分岐する三叉路のあたり、この街道は当地から京都市の堀川五条まで続いている。平屋小学校や美山診療所、道の駅がある。
古代は弓削郷、中世は野々村庄。
安掛村は、江戸期~明治22年の村。平屋10ヵ村の1。慶長7年(1602)幕府領、元和5年(1619)より園部藩領。明治4年園部県を経て京都府桑田郡、同12年北桑田郡に所属。同22年平屋村の大字となる。
安掛は、明治22年~現在の大字名。はじめ平屋村、昭和30年からは美山町の大字、平成18年からは南丹市の大字。


《安掛の人口・世帯数》 113・52


《安掛の主な社寺など》

岩吹の絶景

平屋大橋(赤橋)の一つ上側の安掛橋から上流側の由良川。この先が岩吹の絶景らしい。右手の山中に毘沙門堂があるよう、今の平屋神社のある所という。けもの除けのネットが張ってあって行けなかった。
岩吹(いわぶき)の絶景 安掛より荒倉に通ずる間小濱街道の傍にあり。上由良川の清流を挟んで両山相迫り、水勢箭の如く激湍奔瀬泡を飛ばし霧を散らす、トウ鞳の聲山谷を搖がし數十仭の岩壁を洗へる状眞に筆舌の及ぶ所にあらず。明治四年の頃領主小出氏民煙を賑驗せんと欲して安掛平屋両村の民を督しこゝに溝渠を穿たしめたるも、遂に功を成さず、同十一年路を山腹に穿ちて漸く人馬の通行を便ならしむ。試に秋気酣なる頃對岸よりこれを望まんか、紅葉縁苔を黙綴して錦繍の一大幅を展べたるの感あるべし。 (『北桑田郡誌』)

毘沙門堂
地内堂山の毘沙門堂付近には、往時七堂伽藍の巨刹北方寺があったと伝えるが、現在は方1間ばかりの毘沙門堂を残すのみ。同堂内には木彫毘沙門天立像1基と脇士木像2基が安置されているという。
毘沙門堂 安掛地内堂山にあり、上由良川大橋を距る約二町の東南丘山に位す。後は緑樹蓊鬱として茂生し、前は由良川の清流を隔てヽ正覺寺の鐘棲に對す。吹山(ふきざん)上に月を待ちて杜鵑を聽くに宜しく、安野橋上に涼風を迎へて河蛙を賞するに適す。實に本村第一の勝區といふべし。曩昔七堂伽藍を具備せし巨刹ありしと傳ふるも、今は僅に一小堂宇 方一間ばかり を存して毘沙門天の立像一基と脇士木像二基とを存するのみ。大正六年四月忠魂碑をこの附近に建て丶丁丑日清日露の三役に殉ぜし勇士の靈をまつる。 (『北桑田郡誌』)

村域内に神社はなく、宮脇の道相神社の氏子。下平屋村の三社明神の氏子。

真宗大雄山正覚寺

府道沿いにある。文禄5年(1596)了善の創建と伝える。
正覺寺 安掛にあり、文禄五年借了善の創建にか丶る。沿革詳ならず。
    (『北桑田郡誌』)


《交通》


《産業》
古来、黄蓮の産地で、「延喜式」に貢物として見える黄蓮は当地方のものという(丹波誌)。
平屋大橋たもとに、美山漁業水産センターがあり、由良川筋淡水産魚類全般について、鑑札・保護・養殖・漁獲などを総括している。当地は由良川の鮎漁が盛んで、琵琶湖産の稚魚を放流し、品質のよさで名声を得ていた。しかし、大正14年京都電灯会社築造の堰堤により鮎の溯上が阻まれたため、漁業組合が結成され、昭和5年には堰堤より上流の鮎放流費は会社が補償することになったという。



《姓氏・人物》


安掛の主な歴史記録




安掛の伝説






安掛の小字一覧


安掛(あがけ)
岩吹(いわぶき) 前ノ元(まえのもと) 森ノ下(もりのした) 縄手(なわて) 寺ノ上(てらのかみ) 墓ノ元(はかのもと) 寺ノ下(てらのした) 風呂ノ元(ふろのもと) 下野(しもの) 上ノ滝(うえのたき) 上ノ山(うえのやま)

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『北桑田郡誌』
『美山町誌』各巻
その他たくさん



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