丹後の地名 若狭版

若狭

和田(わだ)
福井県三方郡美浜町和田


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福井県三方郡美浜町和田

福井県三方郡耳村和田

和田の概要




《和田の概要》
天王山北麓。耳川川口の海辺の集落。

中世の和田浦は、戦国期に見える浦名。応長元年(1311)9月山西郷内に和田寺・和田本神田が見え(園林寺文書)、地名も成立していたかと思われるが確認されない。浦名としては弘治2年(1556)6月の明通寺鐘鋳勧進に57文を奉加した「わた浦」を初見とする。永禄6年(1563)に佐柿国吉城に籠城した武士のうちに、和田の和田治郎兵衛があったと伝える。
近世の和田村は、江戸期~明治22年の村。和田浦ともいった。小浜藩領。「雲浜鑑」によれば戸数30・人口154。耳ノ庄組に属していた。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年耳村の大字となる。
近代の和田は、明治22年~現在の大字名。はじめ耳村、昭和29年からは美浜町の大字。明治24年の幅員は東西1町・南北3町、戸数30、人口は男76 ・ 女69、大船1・小船24。


《和田の人口・世帯数》 102・33


《和田の主な社寺など》

宗像神社
宗像神社は、弁財天を祀り、集落の北端の奇岩の上に小祠がある。

常神社(子安神社)

集落のなかほど、ふるさと交流センター前の山腹、石段を登った所。
常神社に合祀の「大明神」は、「若州管内社寺由緒記」には「袴かけずの大明神 神躰不動 此神昔海上よりこの浦へ御寄被成候、浦人袴にてすくひ上氏神に崇申候故袴にて参詣仕事御嫌ひ被成候,依之御神号とす」とある。

『美浜町誌』
常神社
鎮座地…和田一〇-二。現祭神…神功皇后。別称子安神社。例祭日…十一月三日。旧社格…無格社。元旦神事で、氏子中より選ばれた年男二人が、耳川で禊をして、強飯を神饌として供し、拝礼する。当社の創祀は不明であるが、社号祭神より見て、敦賀市常宮神社の勧請社であろうか。神功皇后は各地で安産の神・子安神として信仰されているが、年男が、元旦に奉仕するのは、常神社の性格が出産の禊・祓に深く関係するからであろう。



曹洞宗霊照山宝寿院

常神社の隣。「若州管内社寺由緒記」に、「禅宗 宝珠庵 本尊観音 由緒不知」


宗像神社
弁財天を祀り、集落の北端の奇岩の上に小祠があるというが、通行止めにっている。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


和田の主な歴史記録




和田の伝説

『越前若狭の伝説』
はかまかけず (和田)
 はかまかけずの大明神の神体は不動である。むかしこの神がこの浦にお寄りのとき、浦の人がはかまにてすくい上げ、氏神としてあがめた。その故によりはかまをはいて参けいすることをきらわれる。   (社寺由緒記)

 当時の仏具が今も土中より出ることがある。寛永年間(一六三〇ごろ)国吉の奉行佐藤某が再建した。水生山長保寺と号す。 (三方郡誌)





和田の小字一覧


和田  大平 小坂 ジャラ 小袖 上ケ浜 塩越 浜畑 上野 堂ノ上 森中 宮下 梨ケ谷 村中 村下 川渕 開キ 向浜 向川原 下川原 岩渕 駒ケ谷 中川原 欠田 犬坊塚 間ケ瀬 水生 水生前 升ノ鼻 村上 深谷 柳ケ谷 大谷 戸谷 赤水 長谷

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『三方郡誌』
『美浜町誌』(各巻)
その他たくさん



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