丹後の地名 若狭版

若狭

堀屋敷(ほりやしき)
福井県小浜市堀屋敷


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福井県小浜市堀屋敷

福井県遠敷郡小浜町堀屋敷

堀屋敷の概要




《堀屋敷の概要》
北側の北岸、小浜湾に面する。小浜水産高校がある。今は福井県立若狭高等学校海洋キャンパスと呼ぶ。江戸期の小浜藩の西津侍屋敷跡に位置する。
堀屋敷は、小浜藩主京極氏の屋敷があったことによるとされる。
元和年間成立の小浜城下之図(酒井家文庫)に記載があり、かつて堀があったが近年砂で埋まったと注する。古い小字名に海手・西堀・中堀・南堀・北堀・東堀・三ッ合・藤松があった。

近世の堀屋敷村は、江戸期~明治22年の村。小浜藩領。幕府へ届け出た郷帳類では当村名が見えず西津村のうちに含まれているが、藩領内では独立村として扱われていた。明治7年西津村が公式に3町8か村に分村した際に当村も公式に独立村となった。農村だが江戸期には小浜城下に隣接していたため、村内の一部は板屋町のうちに含まれていた。また湊村に飛地の新堀屋敷があった。元禄3年の下中郡村控によれば、村高38石余、家数84(うち御公儀屋敷1・寺1)・人数444。,氏神は湊村の釣姫神社。「雲浜鑑」では、村高38石余ですべて畑方、ほかに外高・一ッ高合わせて13石余があり、家数75 ・ 人数324。寺院は浄土真宗円光寺と記される。同寺は,文政7年の雲浜城下全図(拾椎雑話)には記載されていない。文政3年11月17日当村で火事があり12軒が類焼したとされることから、円光寺はこの時焼失し、その後再建されなかったと考えられている。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。明治7年一部が板屋町として独立した。同13年板屋町は下竹原村へ合併したが、板屋町・北長町・西長町の3町と当村は連合して新村となることを請願しいったんは開き届けられたものの、同14年連合は取り消され、3町は再び湊村・北塩屋村・堀屋敷村・小松原村・下竹原村に分離統轄されることになった。この結果当村は再び板屋町と通称される地を含むことになった。明治22年西津村の大字となる。
近代の堀屋敷は、明治22年~現在の大字名。はじめ西津村、昭和10年小浜町、同26年からは小浜市の大字。昭和48年一部が雲浜1~2丁目となる。


《堀屋敷の人口・世帯数》 152・63


《堀屋敷の主な社寺など》
江戸期の小浜藩の西津侍屋敷跡に位置する



《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


堀屋敷の主な歴史記録




堀屋敷の伝説





堀屋敷の小字一覧


堀屋敷  海手 西堀 中堀 南堀 北堀 三ツ合 藤松

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『遠敷郡誌』
『小浜市史』各巻
その他たくさん



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