丹後の地名 若狭版

若狭

竜前(りゅうぜん)
福井県小浜市竜前


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福井県小浜市竜前

福井県竜前郡遠敷村竜前

竜前の概要




《竜前の概要》
若狭一宮の若狭彦神社が鎮座する地。遠敷川中流左岸に位置する。地名の由来は当地に龍宮伝説の浦島太郎のモデルとなった彦火火出見尊を祀る若狭彦神社があり、遠敷にも同じく乙姫のモデルとなった海神豊玉姫を祀る若狭姫神社があることから、龍宮の前という意味で名付けられたものであろうという。

竜前は、南北朝期から見える地名で、立前とも書く。明徳元年(1390)4月8日の道珍田畠寄進状に「畠壱反竜前毘沙門堂南道より東」とあるのが初見。武成名内の田2反に付けて灯油供料として神宮寺に寄進されている。この田2反も康正3年6月の神宮寺寺領目録案では「竜前」と記されている。天文7年(1538)には「在所立前赤崎」と見える。戦国末期には村名となったらしく慶長5年(1600)10月15日の京極高次黒印状に「遠敷郡之内」として「立前村」とある。寺院は、法相宗分国寺(若狭国分寺の隠居寺)・安養寺・蓮花寺の3寺があったが、内藤氏の落城時に3寺院とも大破したという、天正12年に合併・再建され曹洞宗に改宗し、曹洞宗蓮花寺として再出発することになった。

近世の竜前村は、江戸期~明治22年の村。小浜藩領。上町・中町・下町などの小名に分かれ、ほとんどの家が農業に従事していた(雲浜鑑)。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年遠敷村の大字となる。
近代の竜前は、明治22年~現在の大字名。はじめ遠敷村、昭和26年からは小浜市の大字。明治24年の幅員は東西2町余・南北3町余、戸数28、人口は男79・女84。
昭和17年若狭彦神社境内に宮相撲道場が完成し、男女の川・前田山一行を迎え奉納相撲が行われた。その後この相撲場には双葉山・照国・羽黒山など多くの有名力士が訪れて,昭和30年代初めまでにぎわったという。


《竜前の人口・世帯数》 154・43


《竜前の主な社寺など》


若狭彦神社(上宮)(若狭一宮)
若狭彦神社


曹洞宗無量山蓮華寺

『遠敷郷土誌』
無量山 蓮華寺(竜前)
宗派 曹洞宗
本尊 阿弥陀如来
 本寺院ハ今ヨリ凡ソ五百八十年前正平元丙口年内藤下房公ノ建立ニカカル法相宗分国寺良安寺ノ二寺後ニ至リテ荒廃祖ノ極ニ達ス時ニ竜前村又右エ門ナル佛教僧者アリ 遠敷村神通寺八世宗岩和尚ニ就キ得度シ自庵ヲ設ク時ニ寛徳三辛末年ナリ而シテ両寺ノ荒廃ヲ憂ヒタル又右エ門ハ庄屋六良兵卜計リ両寺ヲ合併シ曹洞宗ニ轉宗シ神通寺ノ末寺トナリ寺號ヲ蓮華寺卜改メ今日至ル
    (平成十五年十二月作成のもの遠敷郡寺院台帳より)
 曹洞宗神通寺末にして本尊は阿弥陀如来なり、同村竜前字下西に在り、寛文八年(一八六八)神通寺第八世宗巌の創立にして、本尊阿弥陀如来の坐像はこの区の山の上に山城ありし内藤下房守が菩提所の本尊なりと傳ふ、この区には大正十二年(一五八四)迄、分国寺、安養寺、本寺の二箇寺ありしを其頃合併して蓮華寺一箇寺とせりと伝う、文永二年田数帳の蓮華寺五反とあるは當寺なるべし、境内に薬師堂ありとされる。(遠敷郡誌)同薬師如来像は、昭和二十五年(一九五〇)文化財保護法改正により、国の文化財となる。
 七教区二〇六番 無量山 蓮華寺 小浜市竜前一二-一〇  住職寺本良秀(兼務)
 本尊 阿弥陀如来
 由緒 今を去ること、江戸時代西暦一六五三年頃当竜前村に又右エ門なる人が居られ、突然流行り病に罹り家族全員失いたる為、田畑を寄付し、天性至って仏法信者して、家業職務をも打ち捨て昼夜念仏三昧に入り菩薩心を起し遠敷神通寺八世宗巌和尚に願い得度し、自己の地面に自庵を設け法衣の身となり庄屋六郎兵衛と計り法相宗の転宗を神通寺宗巌和尚に願い禅宗神通寺来寺となり蓮華寺と寺号改める。
 江戸時代を過ぎ、明治十五年(一八八二)頃に至って蓮華寺一世法地開山祥山天瑞和尚依り現在十一世に至っている。
 行事 年賀式、仏法始、涅槃会、隆誕会、施食会、彼岸会(二回)、成道会
        (曹洞宗福井県寺院誌より)(檀家数四十 平成十八年現在)


『遠敷郡誌』
蓮花寺 曹洞宗神通寺末にして本尊は阿彌陀如来なり、同村竜前字下西に在り、寛文八年神通寺第八世宗巖の創立にして、本尊阿彌陀如来の坐像は此區の山の上に山城ありし内藤下総守が菩提所の本尊なりと傳ふ、此區には天正十二年迄分國寺安養寺本寺の三箇寺ありしを其頃合併して蓮華寺一箇寺とせりと云ふ、文永二年田數帳の蓮花寺五反とあるは當寺なるべし、境内に薬師堂あり、本尊薬師如末は元若狭彦神社の本地佛なりしが、維新の際十二將神と共に當所に移す、若狭一宮本地薬師如来寶治二年六月日の後背銘あり、大正十年國寳に指定さる。


薬師堂の銅造薬師如来立像

蓮花寺からチョコチョコと小路を入った所に薬師堂がある。若狭彦・姫神社の本地仏の薬師如来立像(旧国宝)が納められている。神仏分離令で神社で仏様が祀れなくなったためである。社務所みたいな建物もあるが、誰もいない。「国宝めぐり」「観光案内リーフ」などでは取り上げられないようである、高さ50センチほどで、他の諸仏像とくらべると小さく背足らずで観光資源としては魅力がかけるためか、あまり知られていないかも知れない。
『遠敷郷土誌』
銅造薬師如来立像 一躯
     指 定 大正一〇.四.三〇 国指定
     所在地 小浜市竜前
     管理者 小浜市
竜前区に入ると、遠くに神宮寺を望み、すぐ手前に若狭一の宮上社の森がみえる。蓮花寺は集落入口の右手の道をとれば、草葺きの小庵として、静かなたたずまいをみせている。
銅造薬師如来立像は、この蓮華寺境内入口の薬師堂の本尊として祀られていたが、昭和四三年、国の補助を得て蓮華寺に隣接する北側に、近代コンクリート式宝形造りの収蔵庫を建設、ここに奉安し、いまは区長管理のもとに拝観も許されている。
 像高五〇・九センチメートル、両手首先を別鋳差し衲つぎとするほか、本体部は一鋳で、いまの右手首先は後補のものとかわっている。
 この像の、頭部の肉髻の低平な形、地髪のわずかに波形を示す特色、温雅な目鼻だち、自然さを失わない衣文の意匠などに、鎌倉前半期の特色がうかがわれるが、果して本像の背面には「若狭国一宮本地宝治二年戊申六月日」という銘が刻まれている。
 本像は、その紀年銘宝治二年(一二四八)から、この期を代表する基準作としても重要な遺例であるが、また若狭における最古の金石文として、さらには若狭一の宮上社の本地仏であることを実証した記録としても貴重である。
 昭和五十ー年(一九七六)、奈良国立博物館で開催された「平安鎌倉の金銅仏特別展」に出陳され、賛歎を博した。
 なお若狭一の宮上社の本地が、薬師如来であることは『若州管内寺社什物記』、「若狭国鎮守一二の宮縁起」などによって早くから知られていたが、明治元年(一八六六)の神仏分離令に伴ない、一の宮上社から下賜せられ、始めて造像の年代も明らかとなった。
 本像は、神仏融合の時代から、一国の尊崇をうけた霊像として、今も衆人の信仰は厚い。



鐘撞堂

竜前集落の入口の鐘撞堂には暦応4年(1341)という若狭最古の銘を持つ鐘が懸かっている、銘文は写真で言えば右側にあるよう。毘沙門堂があったという、湯谷山城の城主の守り本尊であったといい、今もあるのかも知れない、集落センターになっているのかも知れない。昔はこのあたりに大きな一本松があり、蟻通神社があったという。今は若狭彦神社境内に移されているが、蟻通神社はあちこちにあるが丹生神社だといわれている、遠敷氏の母氏族の地であろうか、この辺りが遠敷の発祥なのであろうか。
『郷土誌遠敷』
竜前区有梵鐘
         指 定 平成一二.三.二一 県指定
         所在地 小浜市竜前
         管理者 竜前区
南北朝初頭室町時代前期暦応四年(一三四一)の銘があり小浜市所在の梵鐘としては、最古のもので製作もまた優秀である。毘沙門堂の四脚の鐘楼に懸かる鐘で、「若狭国鎮守一宮暦応四年辛巳九月二三日丁酉大願主法眼和尚位圓海」と銘文があり、その銘文により若狭国一宮若狭彦姫神社の鐘でもと若狭一宮の什物として境内に懸けられていたことが知られる。この鐘は、火事の被災を受けているが大本山永平寺と深い関係のもとに造られた鎌倉時代の手法をとどめる鐘で、しかも鋳造の記年も明確であるなど貴重な遺例である。    (小浜市史、福井県史より)
この鐘の形姿は、鐘身にわずかに膨らみがあり、口径も身高に比しやや大きい。鐘の大きさも南北朝時代の鐘としては、かなり大きい鐘である。すなわちこの鐘の口径は七一・一センチメートルで南北朝時代の平均口径が六一・三センチメートルに比すれば、この時代の鐘としては平均よりもかなり大型であることがしられる。また身高は口径を一〇〇とした場合、一三〇八で同時代の一三六に比すれば、口径も身高に比しかなり大きいといえる。       (福井県史資料編(四)建築絵画より)
現在の鐘楼は、昭和四十一年(一九六六)区民による奉仕作業で、屋形の上げ前と屋根のふき替えをしている。決算書に金七万千百円と記録がある。   (龍前区有古文書より)


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


竜前の主な歴史記録




竜前の伝説






竜前の小字一覧


竜前  向中川原 欠ノ鼻 緩ノ下 向川原 大井根 大田 下川原 向上川原 上川原 出口 柳原 上田中 田中 登端田 下田中 椿原 樋先 口分国寺 奥分国寺 中分国寺 下西 塚越 口塚越 赤崎 中西 上西 宮ノ下 彦野 宮ノ越 宮ノ原 清水川 宮山 岩尾 滝ケ坪 大平良 城亭 吉山

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『遠敷郡誌』
『小浜市史』各巻
その他たくさん



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