丹後の地名 若狭版

若狭

雲浜(うんぴん)
福井県小浜市雲浜1~2丁目


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福井県小浜市雲浜1~2丁目

福井県小浜市西津・堀屋敷

雲浜1~2丁目の概要




《雲浜1~2丁目の概要》
北川の北側、一番河口部で、小浜中学校がある。江戸期の小浜藩の西津侍屋敷の跡地。
近代の雲浜村。
雲浜村は明治22年~昭和10年の遠敷郡の自治体名。竹原町・西津町と上竹原村の一部が合併して成立した。旧町村名を継承した3大字を編成。役場を竹原に設置。昭和10年小浜町の一部となり、当村の3大字は同町の大字に継承された。
雲浜は、昭和48年~現在の小浜市の町名。1~2丁目がある。もとは小浜市西津・堀屋敷の各一部。

《雲浜1~2丁目の人口・世帯数》 475・177


《雲浜1~2丁目の主な社寺など》

西津の侍町

『小浜市史』(図も)
竹原と西津の侍町
小浜の城下町は、中世以来の小浜と、城郭の建設にともなって成立した城の南東にひろがる竹原と北川をはさんで城の反対側にある西津の侍町とでなるが、商人町である小浜については後述するとし、ここでは竹原と西津の侍町について述べることにする。
 先に触れた京極時代のものと思われる絵図によると、京極時代にすでに竹原・西津の侍町は成立している。しかし、後に屋敷が見られる天神より南の地にはまだ屋敷がなかったようである。
 西津の侍町の景観が大きく変化するのは、寛永十七年(一六四一)のことである。この年のはじめ、西津の漁師町から出火し、三〇〇軒を越す家が消失した。この時、漁師町に続く侍町も類火にあった。これを機に、今後漁師町の火事が侍町に広がるのを防ぐために、漁師町と侍町のあいだを三〇間あまり空地を設け、火除け地が造られた(「酒井忠勝書下」)。この後の絵図にはこの様子がはっきり描かれている。
 江戸時代のはじめには、侍町の各筋はそこに住んだ家臣の名で呼ばれていたようで、竹原では、伊織殿丁・丹下殿丁・小泉新内丁・八郎右衛門丁・又左衛門丁・守留丁・三左衛門丁・深之進町・勘七町の九町があり、西津には又右衛門町・片山町・間宮町・小沢町・鶴田町・井河丁・杉本町・樋口丁・藤野町・伊藤丁・嶺尾町の一一町があった。

 延宝元年(一六七三)、これらの町に新しい名が付けられた。竹原の伊織殿丁は広町(のち広小路)、丹下殿丁は勝間町、小泉新内丁は仙台町(のち千代町)、八郎右衛門丁は天神堀(のち天神前町)、又左衛門丁は一ノ堀、守留丁は二ノ堀、三左衛門丁は入江町、深之進町は馬場崎町、勘七町は馬場町(のち馬場丸町)と改称された。また西津の又右衛門町は梅小路、片町は一ノ町(のち一番町)、間宮町は二ノ町(のち二番町)、小沢町は三ノ町(のも三番町)、鶴田町は中ノ町、并河丁は不断町(のち本所町)、杉本町は桜町、樋口丁は山王町、藤野町は山下町、伊藤丁は東西町、嶺尾町は福谷町と改称し、西津の海手の屋敷地が浜町、樋口屋敷より鶴田屋敷までの屋敷地が田辺町と新しく町立された。
 馬場崎町・馬場町とのちの馬場丸町・阿南町の関係は明確ではないが、この両町の位置は大きくは異ならないと思われる(『雲浜秘鑑』)。



《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


雲浜1~2丁目の主な歴史記録




雲浜1~2丁目の伝説






雲浜1~2丁目の小字一覧


雲浜一丁目  一ノ辻 梅田 田辺 二ノ辻 三ツ合
雲浜二丁目  西堀 海手 鷹場 西福谷

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『遠敷郡誌』
『小浜市史』各巻
その他たくさん



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