丹後の地名 若狭版

若狭

旧・八村(やむら)
福井県三方上中郡若狭町
三方・鳥浜・生倉・北前川・南前川
・向笹・佐古・田名・藤井・相田・気山


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福井県三方上中郡若狭町三方・鳥浜・生倉・北前川・南前川・向笹・佐古・田名・藤井・相田・気山

福井県三方郡三方町三方・鳥浜・生倉・北前川・南前川・向笹・佐古・田名・藤井・相田・気山

若狭国三方郡八村

旧・八村の概要




《旧・八村の概要》
旧・八村は、明治22年~昭和28年の三方郡の自治体名。三方湖の南東岸、鰣川中・下流域に位置する。三方・鳥浜・生倉・北前川・南前川・向笹・佐古・田名・藤井・相田・気山の11か村が合併して成立。旧村名を継承した11大字を編成。役場を三方に設置。明治36年八村尋常高等小学校が設立され、翌37年八村裁縫学校を付設。同38~41年農業補習学校を各小学校に付設した。農業に従事している農家は専業・兼業合わせて858戸で全体の9割を占め、ほかに麦・大豆・薪炭なども生産された。昭和28年三方町の一部となり、当村の11大字は同町の大字に継承された。


旧・八村の主な歴史記録


『三方郡誌』
八村
一 名稱
本村の境域は、大略、酒井氏領主時代に八村組と稱したりし域なり。八村とは即ち八箇村の謂なり、今の村名之に因る。
二 位置
本村は郡の中央より稍々西南に位す。その境界は東は耳村に接し、南は十村及び滋賀縣高島郡三名村に接し、北は南北兩西郷村に接し、西は西田村及び遠敷郡鳥羽村に接す。
三 大字
本村を分ちで、左の十一大字となす。
氣山 三方 生倉 鳥濱 向笠 田名 佐古 相田 藤井 南前川 北前川
三方は郡の首邑なりと雖も、戸数數百餘に過ぎず、丹後路に沿ひ、敦賀、小濱の殆中間に位す。王朝時代には郡治を此に置かれたり、中古、三方郷の庄司も亦此に居りしなるべし。舊藩時代には一の小宿驛に過ぎず。明治四五年頃、傳馬所の廢されし時、人馬継立所を置かる。明治十九年、三方郡役所を佐柿より此に移されてより、郡の首邑として今は警察署、敦賀區裁判所出張所、郡農會農事試験場等あり、小名に小林あり
鳥濱、生倉は、もと三方に屬せり、その一村として數ふるに至りたるは天保の頃にあり。口碑に傳ふる所に據れば、田名も三方の小名なりき。今に鳥濱、旧名の三方若王子宮の祭日を以て、その村の祭日となすは、この故なりと云ふ。
生倉は寛文四年の秋、浦見川を開鑿して得たる地に成出と共に新に立てし所の邑なり。
氣山の小名に市・中山・中村・牧目・寺谷・切追・苧等あり、牧目は今分れで南西郷村に屬す
南前川の小名に野々間、谷内あり、
藤井の小名に門前あり、
田名は或は種とも書けり
四 土地
本村平地の土性は、第四紀新層地に属して、北前川・向笠以南の地は埴土にして、鳥濱以北は壌土なり。而してその地質は水成岩中最新の地層に屬し、現今河水の作用によりて生成したるものなれば、地形と水流の緩急とによりて、埴土となり、壌土となりたるな。孰も概して稻田に適す。平地の面積は七百七十六町餘歩ありて、耕地の總段別五百九十六町餘歩なり耕地の地味は概して良好なりとす。就中、相田・向笠・鳥濱の地は土壌肥沃なり。南前川これに次ぐと雖も、灌漑の便を缺く。之に反して北前川・氣山は灌漑最便ありと雖も、地味は良好ならず山地は気山・相田・北前川等は地味肥え、植樹盛なり。
八村土地段別表
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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『三方郡誌』
『三方町史』
その他たくさん



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