遊子(ゆうし)
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福井県三方上中郡若狭町遊子 福井県三方郡三方町遊子 若狭国三方郡西田村遊子 |
遊子の概要《遊子の概要》 常神半島西浦の塩坂越の先の集落。漁業のほか田畠もあり、製塩・桐実栽培も盛んであった。慶長7年(1602)6月の若狭国浦々漁師船等取調帳(桑村家文書)によれば船数8。惣中で鰯網1かわ(張)を所持した。当浦および小川・神子・常神の4ヵ浦には、かつては産小屋があり、そこでお産をする習わしであったという。 近世の遊子浦は、江戸期~明治22年の浦名。小浜藩領。文化4年(1807)の家数25・人数130。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年西浦村の大字となる。 近代の遊子は、明治22年~現在の大字名。はじめ西浦村、明治40年西田村、昭和28年から三方町、平成17年からは若狭町の大字。明治24年の幅員は東西1町・南北3町、戸数24、人口は男76・女62、学校1、小船12。 《遊子の人口・世帯数》 58・14 《遊子の主な社寺など》 遊子遺跡 奈良時代の製塩遺跡 広峰神社 『三方町史』 廣嶺神社 遊子に鎮座。祭神素盞鳴尊。明治四十一年に、いったん宇波西神社境内社八幡神社に合祀されたが、太平洋戦争後、塩坂越と同じく、宇波西神社境内社八幡神社から再び神霊を迎えて独立し、境内もよく整備され、氏神として厚く敬われている。 曹洞宗霊光山全昌院 『三方町史』 全昌院 所在遊子四-二-一。山号霊光山。曹洞宗。本尊薬師如来。天正・文禄年間(一五七三-九五)に、臥竜院第八世天巌が開いたものである。長い間、臥竜院の宿坊のような形で、公には寺号が認められていなかったが、昭和二十九年十二月に準法地に認められ、臥竜院第三十二世泰嶽を招いて開山とした。また、檀家の人々も全昌院の直属となった。 この寺の本尊には、背のところに、別の小さな薬師像がはめ込まれている。五月・九月の八日の夜には、この薬師像を開帳(厨子の戸を開いて秘仏を拝ませること)して、檀家の人たちがお参りし、家内安全、無病息災を祈っている。 この寺は、八田瑞貞尼(昭・六〇・四・死)四十年間の住職期間中の蓄財全額寄付の遺言により改築されたもので、平成元年(一九八九)四月二十日に、落成した。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 遊子の主な歴史記録『三方町史』 遊子 遊子は小川の分かれとも、丹後から移り住んだともいわれているが明らかでない。旧家に約四百年前の過去帳のあることから、それ以前からこの集落のあったことは明らかである。戸数は表275に示すように文化四年には二十五戸であったが、昭和六十三年には十五戸であり過疎が目立つ。旧家は集落の庄屋株で「池ノ上」と呼ばれていた田辺彦左衛門であったが、今は絶えており、その庭園跡と屋敷神であった稲荷のほこらが残っているだけである。組頭は、古太夫・孫左衛門・又右衛門・吉郎兵衛などの家で、集落は本百姓と脇百姓の二組に分かれて、以前は別々に神事祭礼を行っていた。 昔は九軒が製塩に従事し、うち一軒が五畝の塩田を持ち、村中で五斗俵約七百俵を生産した。藩政時代には軍需品として藩からの補助もあり、また、生活必需品としても重要な物産であった。明治末期に塩は専売制になったため、その経済的危機を養蚕と油キリ実の収入によって乗り越えた。その後、畑や果樹園の経営に切り替えられたが、現在は梅林の経営により成果をあげている。 水田耕作者は九戸で、一戸当たり十五アールの零細経営であり、漁業では、慶長七年にこの集落で持っていた船や網は表52で示したとおりである。また、共同漁場として大敷網を布設したこともある。現在は、県道はじめ集落内の道路が整備され、観光客が増えたため、ほとんどの家は民宿を経営している。 遊子の伝説遊子の小字一覧『三方町史』 遊子 宮の越(みやのこし) 錫坂口(なべさかぐち) 大幸平(おおおこひら) 三つ頭下(みつがしらした) 南田(みなみだ) 北田(きただ) 中の平(なかのひら) 長坂(ながさか) 久保の下(くぼのした) 小山の下(こやまのした) 杉山(すぎや) 水田(みつた) 森上(もんのうえ) 狸穴(たぬきわら) 白滝(しらたき) 大平(おおひら) 杉山(すぎやま) 滝平(たきのひら) 滝の方(たきのかた) 桜谷(さくらだん) 波世(はせ) 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『三方郡誌』 『三方町史』 その他たくさん |
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