河辺中
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《概要》 舞鶴市の東北部。河辺谷を流れる河辺川の河口付近。 中村というくらいだから、この周辺の村々の中心集落と考えられる。 『京都府の地名』は、「古代は志楽郷(和名抄)、中世には志楽庄河辺(河部とも)村の中心地であったと考えられる。地名「河部」は当村にある八幡神社の、天養元年(一一四四)六月四日の年紀をもつ棟札銘に「河部村氏人」とみえるのが初見。… 志楽庄河辺村は、河辺谷を中心としていたと考えられるが、延徳二年(一四九〇)の河辺村半済方御年貢米銭納帳写(「西大浦村誌」所引)に、平村・赤野村・野原村・栃尾村・原村・小橋村・三浜村の名がみえるので、あるいはこの時期、東方日本海沿岸の地域までも含んでいたかもしれない。…」としている。 《人口》58。《世帯数》23。 《主な社寺》 八幡神社・愛宕神社。 氏神は正八幡(現八幡神社)、河辺谷の諸村(栃尾・河辺原・河辺由里・室牛・西屋)の氏神でもあり、中世以来の郷村結合をうかがわせる。「丹後風土記」残欠に見える河辺坐三宅社の比定地をめぐって論争を呼んだ。境内に貞治3年銘の石灯篭があり、中世から伝承されたという田楽舞が奉納される。 田井村海臨寺末・紫翠山 『加佐郡誌』 〈 千手院、臨済宗、慶長六年智曳和尚開山、東大浦村 〉 『丹哥府志』 〈 【紫翠山千手院】弘法大師の般若経あり。 〉 山をひとつ越えると大波群集墳がある。丹後ではあまりみられないものである。 《交通》 府道561号線。 《産業》 農業。
《丹後国加佐郡寺社町在旧起》 《丹後国加佐郡旧語集》 〈 千手院、海臨寺末。正八幡…。白髭明神。恵比須。鍛冶屋明神。荒神。天神。 〉 《丹哥府志》 〈 ◎河辺中村 【八幡宮】(祭八月十五日) 宮の内に古代の獅々頭並鋒釼の類伝はる。 【紫翠山千手院】 弘法大師の般若経あり。 【付録】(荒神、天神、大日堂、辻堂) 〉 |
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