七日市(なのかいち)
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京都府舞鶴市七日市 京都府加佐郡中筋村七日市 |
七日市の地誌《七日市の概要》 七日市はナノカイチとかナヌカイチと呼ばれる。舞鶴市の南部。西舞鶴市街地から南へ続く国道27号線(京街道)沿い。京街道と高野河守街道・巡礼若狭街道などが交わる要所で、池内川と伊佐津川が合流する左岸に位置する。七の日に市が立ったことによるという。往古は万願寺も当村のうちであったという。田園地帯であったが、最近は商店や事業所、住宅などが増加して、目下人口急増の地。 今で言えば町の中央商店街のあった土地で、ここが中世の経済的社会的中心地と考えられる。西舞鶴ではここ、東舞鶴は市場が中心地。主要道が交わる辻か真倉川の河原で市が立ったのではなかろうか。水路とも関係があると思われる。中世地名であるが、それ以前は吉田と呼ばれたという。四所にも同じ吉田があるが、両地には何か繋がりがあるかも。七日市のあたりは古代から中世にかけての大変重要な土地であるが、そこにこのようにシ地名が残る。 七日市村は江戸期〜明治22年の村名。同22年中筋村の大字。昭和11年舞鶴町、同13年からは舞鶴市の大字。 《人口》1648《世帯数》552 《主な社寺など》 西南隅の西河原地区に田辺藩の上水でもあった真名井の清水の湧水池がある。「丹後風土記」残欠田造郷の条に見える笠水・真名井の霊泉として古来より有名。 九重神社 秋葉神社 臨済宗丹波国何鹿郡安国村安国寺末仏徳山西光寺 『丹後国加佐郡旧語集』 〈 丹波安国寺末。七日市村伊佐津村万願寺村三カ村寺。本寺・京都東福寺丹波安国寺末裔也。享禄三庚寅年建立也。本尊・薬師如来・六月八日祭。開基・湖仲春景座元。 〉 『加佐郡誌』 〈 徳山西光寺、臨済宗、大永五年湖中春景和尚開山、中筋村 〉 『丹哥府志』 〈 【仏徳山西光寺】(臨済宗) 〉 『中筋のむかしと今』 〈 仏徳山西光寺は、本尊が薬師如来、大永五年(一五二五)に綾部安国寺の湖中春景が開創しました。四傑とうたわれた弟子の一人が慶幸天遊で西光寺の後嗣となりました。二人目が善正上嶽で京田善福寺の住職となりました。その三善朔は野村寺の宝寿寺、その四文保は興国寺を興したと伝えられています。後に説堂周宣の代になって、享保五年(一七二○)にお堂の再建を行いました。現在の本堂です。また徽獄の後をうけた師秀は、寛政十三年(一八○一)に山門を建立しました。 〉 立丁地区付近の堤防上に京極氏の伊佐津川瀬替工事に関係する一本松地蔵。 《交通》 国道27号線 JR舞鶴線 府道舞鶴綾部福知山線が北西から入り、地内を通って伊佐津川に架かる九枠橋で今田へ通じる 七日市の主な歴史記録《丹後国加佐郡寺社町在旧起》〈 仏徳山西光寺、本寺丹波安国寺、七日市伊佐津両村の寺なり。九重明神氏神なり。 《丹後国加佐郡旧語集》 〈 七日市村 高三百四石九斗六合 内拾弐石弐斗二升二合五勺 万定引 四十三石御用捨高 七日市村 西光寺 仏徳山丹波安国寺末 伊佐津村三ヶ村寺 万願寺村 本寺 京都東福寺丹波安国寺末裔也 享禄三庚寅年建立也 本尊 薬師如来 六月八日祭 開基 湖仲春景座元 慶長四年四月十二日寂ス 九重明神 九月十七日祭 湯立斗 宮地ハ川向方万願寺ノ方ニ有 七日市村以前柿の木あり 実ならさる故ならす柿といふ 今ハ枯れてなし 其所を今ならす柿というならハし 所の名にいふ 〉 《丹哥府志》 〈 ◎七日市村(公文名村の次) 【九重大明神】(祭九月十七日) 【仏徳山西光寺】(臨済宗) 〉 『まいづる田辺 道しるべ』 〈 七日市 「中筋は古来より交通の要衝に位し、若狭街道、京街道、宮津街道が交叉する地で、高野谷より真壁峠を越え、或いは楠祢寺峠(城屋から上福井へ)より大船峠(上福井より下東へ)越えの起点にもなり、田辺の中心をなしていた」と地名慢録に岡野充氏が書かれている通り、往昔は七日市が当地の中心的位置にあった。 七日市の中央の四辻から真っすぐ行く道は京街道であり、右は高野谷に通じ、左は池内谷に入り、中世の古い京街道は岸谷の峠を越えており、また、池内の上根から池部(行永)へ越え、松尾寺へ通じる道があり、この道は当市の最古の道ともいわれている。 そのことを裏付ける遺構が、七日市で発見されている。 場所は中筋小学校の東南、約三百メートル(小字掛上り)の処で、旧池内川に架かっていたと思われる長さ二メートルの木材が発見され、橋脚の一部であると野村幸男氏が調査されている。この橋が、高野谷から池内谷へ通じる、古い巡礼道に架かっていたであろうといわれている。 これに符合するような伝承記録が、倉梯村史にも記されている。 「永延年間(九八七−九八八)花山院(花山天皇)西国御巡幸の御経路は正に国境真倉より池内川を遡られ、今の池部に越え与保呂に入り給ひ、与保呂小学校より堂奥青路に出で小倉に幸し給ひしとか、後永く西国順拝の順路たり、地方唯一の往還たりしが如く」 今一つ、この池内谷が西国巡礼道であったことを立証する道標がある。別所赤橋の北挟に、天保十二年(一八四一)に建立された道標に、 左 ま川のを と書かれており、この道標によっても、古より池内谷が巡礼道であったことが窺える。(この道標は最近消失しており、ご存知の方はお教え下さい。) 七日市は湿地地帯の中でも、比較的高燥に恵まれていたと見え、街道筋には家が建ち並び、村落が形成されていた。延享三年(一七四六)の記録によると、農家四十五戸があったと記されている。 当地には、小字名に「市ノ上」「市ノ中」「市ノ谷」の地名が残っており、中世には三斎市(月の内、日数三日を定めて市が開かれた)が開かれていたのではないかといわれている。地元の伝承によると「牛の市」が開かれていたとも聞く。七日市の地名は、七の付く日に市が開かれるようになり、この名が付いたといわれる。 〉 『中筋のむかしと今』 〈 七日市 七日市は室町時代の後期までは湿地帯であった。ただ、比較的高燥な土地にも恵まれていた。中筋地区のほぼ中央にあり交通の要衝で、七日市の四つ辻は浜村を経由しての若狭街道、女布・高野を経ての宮津街道が、そして田辺城下から真倉方面への京街道が、それぞれ交叉する所で、街道筋には家が建ち並び、村落が形成されていた。延享三年(一七四六)の記録によると、農家四五戸であった。 七日市の地名の由来は、中世の室町時代と考えられる。公文名は「くもんみょう」と読んで荘園の名残を留めているが、七日市は三斎市すなわち、月の内三日を定めて「市」が開かれた。多分、七日・十七日・二十七日の三日であろうと思われる(一のつく日も市がたったという説もある。)が、七のつく日に市が開かれ、この地名が付いたと言われている。また、小字名としても、市中・市ノ前・市ノ上・市坪などが残っている。 また、西川孝一氏所蔵の「土岐治兵衛遺跡系図書」の前書きによると、「一、丹後国加佐郡仲筋の郷、古は吉田村といい現七日市村である。この地を往古は月七日をあて市場とした。すなわち市町・市の上・市の下と名所がある。それ故今七日市村と号す。」と記している。 寛永十二年(一六三五)参勤交代が制度化されて、京極藩主の時代から、この街道も田辺城からの参勤交代の大名行列が通った。この街道には明治初頭まで松並木があったが、これは寛永十七年に植えられた様である。この松並木が街道筋の作物の日陰になるので伐採の陳情をして、明治六年、中筋地区の松並木はすべて伐探されたようである。並木は三間おきに植えられていて、七日市は一二四本であった。 仏徳山西光寺は、棟札や記録によると室町時代の最盛期大永五年(一五二五)に建立された。九重神社は万願寺地区の飛び地にあるが、その昔、河川の氾濫で神社が流され、今の位置に落ち着いたという説がある。もともと九重神社には、この周辺の氏神の御輿が集結する「九会神事」が催される御旅所があり、それが神社の由来と思われる。 明治頃の戸数の大半が農家であったが床屋が二軒、紺屋が二軒、酒屋・豆腐屋・こんにゃく屋・傘屋・下駄屋があり、大正に入ると米屋・自転車屋・塩屋ができた。 近年、七日市町内の人口の増加は著しく、昭和初期は六○戸余りだったのが、現在五○○戸に近付いている勢いである。中筋地区でも中心的繁栄町内となっている。 [阿部国彦・福田秀夫]). 〉 七日市の小字七日市 石戸 タモノ木 桑木原 上河原 市ノ上 中才 オブロ ナラズ柿 六反田 寺下 市中 市ノ前 西河原 橋本 掛上リ 西庄尺 庄尺 東庄尺 北安 扇丁 市坪 公文田 広丁 湯ノ口 清水田 中丁 砂入 東戸田井 西戸田井 戸田井 立丁 関連項目 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『舞鶴市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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