丹後の地名  資料編 

蛇島(じゃじま)
京都府舞鶴市佐波賀


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蛇島の地誌




《蛇島の概要》
蛇島は舞鶴湾のほぼ中央部。長浜と佐波賀の間の海にある小島。地籍は北岸の佐波賀に属する。全島樹林でおおわれ、周囲約600m。標高40m。
天正年間に若狭高浜の武将・逸見駿河守昌経の居城が設けられ、「ヘンミ」が「へビ(蛇)」となり、さらに「ジャ」と発音し島名になったという(丹後旧語集)。
正解でなかろうか。逸見(へんみ)はまちがいなくヘビのことであろう。ヘビは古くはヘミとかハミ、ハビといったようである。
桃山期「丹後紀行」の著者・里村紹巴もこの島に滞在した。
浮島丸殉難の碑が見つめる蛇島
佐波賀側から見た↑蛇島。戦後浮島丸がこの島の、写真で言えば手前側に、多くの犠牲者を船腹に残したままで8年間沈んでいた。

明治30年軍港用地として買い上げられ、大正13年ガソリン庫、昭和17年に地下タンクが設置された。現在も国有地、島は利用されていない、非公開。
2020年、この海軍蛇島ガソリン庫が「日本遺産」に追加認定された。報道によれば、ガソリン庫は島を東西に貫くトンネル構造の物で、4つあるという。トンネルは高さ3・6m、幅3・6m、長さ65〜70mという。

『舞鶴市民新聞』(20200717)より↑こんな様子だそう。



これらは北側(佐波賀側)から見たもの。↑
基地の主体は島の南部にあるようだが、南方からはこの島を見る場所がない。南部の長浜側の海岸は元々海軍基地で、今も何やかやが土地を専有していて市民は海岸に出られない。TV報道では五老岳の展望台から写していたが、そうした方法くらいしかない。

航空写真↑長細い島が蛇島。←北 南→

これは船で近づいたときの南部側↑である。
ガソリン庫↑↑↑↑このあたりか。。木々に覆われて見えない。

自分で船を出して勝手に上陸しないように。危険です。
戦争の陣地、海軍基地です、整理されていない、記録にほとんどない戦争遺跡です、遊園地の遺跡ではありませんから、勝手に探検するのは危険です。何がそこらに残っているかわかりません、放置された爆弾などがいきなりドカンとくるやも知れません。市の作った図にはない何があるかはわかりません。

これは実弾↑で、信管がないので爆発はしないのだろうが、こうした物が残っており、それを自分らの守護神かのように信じ、スンバラシイと崇拝するところもあるのが基地の町舞鶴です。この町はまだ人殺しが終わっていないのかも知れません。戦争惨禍の記憶を思い起こすでなく、、戦後70数年の平和の歴史をかみしめるでなく、遠い過去のままに生きているのか、何事もなかったかのように眠っているのか、死んでいるのか。ノーテンキどもは観光資源だとしてまたまた税金の無駄遣いとしたいばかりのようである。。
もしかして過去の遺物がドカンとくれば一巻の終りです。



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蛇島の主な歴史記録



蛇島

永禄12年(1569)6月19日、連歌師・里村紹巴がこの島に上陸している。(桶狭間が1560で、その時代である。この前TVでやっていたが、永禄の変は1565(13代将軍の足利義輝自ら、刀を握って敵襲に応戦し、そして壮絶に討ち死にした))
《天橋立紀行》
 〈松尾山を拜みて、志楽の地中と云ふ所より航せんと思へるに前日和田よりの案内届かずして、迎舟も見えず、敵味方のさかひめとて待わびけるに、怪しき釣舟を得て、心前などは残して蛇嶋に上りぬ、二日ばかりありて、廿一日嶺山よりの御迎を伴ひ、廿三日に出でけるに、大志万但馬守父道育舟ども集めて、千歳の浦にて朝の烟を立てける間に発句所望
 夏の日や経べき千歳の浦の松
帰京の時刻興行し終んぬ、文珠此所にて千年御説法趾とて、岩に獅子が鼻、鮮か也、嶋々の聳えたるに、上中下海に入りたる面白さは詞に表わし難し、石に毘沙門形自らなる所を過ぎて、栗田と云う浦より文珠龍王戒を授け給ひし、戒岩寺を過ぎて宮津… 〉 
『両丹地方史30』(1980.2.1)「乱世の連歌師紹巴と、その「天橋立紀行」について」 松田啓三郎 より
蛇島には「武田の水軍と一色の水軍と絶えず制海権か争ったところで武田の逸見がへび蛇島となまったという説がある この当時は大志万が勢力を振っていたと見られる」の註がある。
大志万というのは舞鶴田中の城主、丹後守護一色氏の配下。大島にフツーは作る。逸見は若狭守護武田氏の配下である、一応は。


《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 八幡宮。天神、氏神、鍵取 才右衛門。蔵王権現、額ハ持明院殿御筆也、氏神、鍵取 十郎左衛門。清林寺、経応山、桂林寺末。古城、桜井志摩。磯部名水有、吐月水、天正ノ比此所住人佐波賀十郎左衛門強弓勢之由。蛇島。内海ニ有島也逸見駿河守在城ト云若州武田ノ一族也。玄蕃頭譜代トシテ爰ニ駿河守ヲ置ト云天正之頃之コト也。…。鳥帽子島。水島碇之丞住居。クリト云岩。三本末雷盆ウツムケタル如ク嶋ニ松鼎ノ如ク有。  〉 


《丹哥府志》
 〈 ◎佐波賀村(千歳村の次、是より田辺の庄平村に出る)
【天満宮】
【蔵王権現】
【経応山清林寺】(曹洞宗)
【桜井志摩城墟】
【清水】(泉水)
【蛇島】
蛇島は佐波賀村の前にあり、島の上に逸見駿河守の城墟あり、駿河守は若州の城主武田元信の臣なり。
【烏帽子島】
島の上に水島碇之丞館舎の跡あり。
 【付録】(八幡、地蔵堂、辻堂)  〉 

佐波賀の小字


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