丹後の地名

松尾
(まつお・まつのお)
舞鶴市松尾


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京都府舞鶴市松尾
京都府加佐郡志楽村松尾


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松尾の地誌

《松尾の概要》


松尾は青葉山の南側中腹に位置する。西国33ヵ所札所の松尾寺を中心にして集落がある。松尾の名はこのお寺にちなむという。門前町と農業。宿屋もあった。ここも若狭か丹後かと両国間で論争があった所であった。


松尾寺は
西国観音霊場33箇所の29番札所・青葉山松尾」へ


《人口》28《世帯数》14


《主な社寺》
六所神社
真言宗宇治郡三宝院末松尾寺
同寺末の池ノ坊・鏡智院
古跡に松尾寺跡
名勝に青葉山

《交通》
国道27号線から松尾寺まで府道が通る。

《産業》


松尾の主な歴史記録

《丹後風土記残欠》
 〈 青葉山は一山にして東西二峯有り、名神在します、共に青葉神と号つくる。其東に祭る所の神は、若狭彦神、若狭姫神、二座也。其西に祭る所の神は、笠津彦神、笠津姫神、二座也。是れ若狭国と丹後国の分境にて、其笠津彦神笠津姫神は丹後国造海部直等の祖也。ときに二峯同じく松柏多し、秋に至りて色を変えない。(以下一行虫食)  〉 

《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 松尾村
青葉山松尾寺 遍明院と号す。
本寺醍醐三宝院 真言。
開基一条院正暦年中、元禄十丁丑年まで七百十一年、元正皇帝養老元年始めて西国三十三番の内二十九番の札所中絶其後一条院の御宇、若州神野浦叟太夫先祖為光と云う漁夫観音の奇瑞を得て松尾山え登り草庵を結び為真と法名して観音を念ずる。
その後、後鳥院御時文治年中にすなわち勅諚あり惟尊上人七堂伽藍に御建立。
本尊馬頭観音。、堂五間四面、鎮守天照皇太神宮、弁才天、鐘楼 二王門。
六所権現社同村の氏神なり、寺僧五軒境内の外、修験山伏、実相坊、池の坊、桜本坊、北の坊、円蔵坊、奥院青葉山大権現、加賀国白山権現勧請す。
  縁起有増
人皇四十四代元正皇帝之御宇初李し西国巡礼の札所なり、同六十六代帝一条院正暦年中若州大飯郡神野浦高野浦とも有、叟太夫先祖為光と云漁夫あり、元来公家の落ぶれ成が身命を送りかね北海へ 出て釣を垂渡世する。為光毎日普門品三十三遍ずつ不怠して唱え有時つりに出しに俄に大風に吹流され海中に七日たたよひき、きかいが嶋へ着夢乃心地に老僧来ていふやう汝此浮木に乗べしとあり、為光夢覚サメて我をたすけ給ふと、ありがたく思ひ彼大木にのると、ひとしく本国神野浦しつみのはまに着にけり、為光こころに思ふ様いか成因縁にかくはたすけ給ふぞ不思議なりとよろこび家ワガやにかへり人々に語る。是希代なる事ぞとて親族とも彼浜へ行てみれ共浮木はなし、ふしぎ成とて尋ぬれば山に馬の足跡あり、したひみれは南山へ白馬と成て行給ふ、きいのおもいをなして猶跡より慕行ば萱カヤ野の中に彼浮木有、為光思ふ様正しく馬頭くわんおんにておはすらん有難しとて礼拝し其後出家と成、為真(光真ともあり)と改名し鹿のふしと成しに三間四面の草庵を結び居住する。
ふしぎや何国ともなく仏師来り、彼木にて一夜に馬頭之尊像を作り立、仏師は行方しれされば、為真坊よに有がたく思ひ則安置して香花を備へ朝暮読経懈怠なく一生送りし成。今の本堂の地是なり、為真子孫叟太夫七百年以来松尾観音開帳閉帳に立合事此因縁なり。
又人皇八十二代後鳥羽院御宇惟尊上人は都にかくれなき名僧成しが、有時上人え告たまわく是より北にあたりて馬頭観音あり、尋行て伽藍を建立すべしとて夢は覚たり、此上人為真坊化身なり、夢想に任尋行ば丹後国二十九番の札所青葉山松尾寺是ぞと思て建立の事、奏聞ありければ帝より過分の工料を下し給り七堂がらん造立あり、其上奥院青葉山並に寺門に到まで五十一坊立給ふ、三百年已前炎上して伽藍のこらず焼失す。
若州丹州両国として七間四面に建立す。又人皇百十二代本院女帝之御時、寛永七丙午年午之同之刻炎焼、其時とうしんの観世音焼給ふ、とうしんといふ事は自御作のほとけをいふ、其後年久しく無住にて寺領米は田辺の領主へ預り給ひ三間四面のかり堂立置なり。
本尊寺領米の内、領主よりこれを下され京都よの本尊新仏作り安置す。
其後鹿原山宝生坊入寺ありて遍明院と号す是寺院号之始なり。
二王再興釣鐘等、慶安二己丑年成就せり、其後仏舞の道具を求に今四月八日興行するなり、又人皇百十三代にあたり京極飛騨守殿加佐郡城主之時建立のためにとて家中町在奉加の事之を免ぜられ、其上被地領米相くわへ、上中知行高に応し借し預けさせ給ひて、年数経る所に御息伊勢守殿但州豊岡へ御所替に付寛文八年申年金子四百二十四両松尾寺へ渡し給ふゆへ、越前の国より数多の材木を調、延宝四丙辰年建立する。
此堂又享保元申年三月三日に炎焼、本尊二王ともに此時は恙なし之に依り国々貴賎巡礼に奉加帳相渡し遠国より年々奉加寄金を集め助情によって、京都大工飯田河内棟梁して享保十五庚戌年中堂建立成就せり、此外開帳閉帳之時寺法の事これを略す。  〉 

《丹後国加佐郡旧語集》
 〈   定免十ヲ二分
  松尾村 高九拾石七斗
     内弐拾弐石七斗五合 万定引
     拾弐石御用捨高
   真言宗
   遍明院青葉山松尾寺 本寺上醍醐 三宝院門跡
    寺領弐拾壱石九升 境内山林竹木免許
  寺僧云縁起雖在之若州ヨリ認来不委大永四甲申年
鏡尊坊乗六十四才記置タル書面之由写之左之通

   人王六十代醍醐天皇御宇延喜元辛酉年   本尊観音影向青葉山権現勧請
 其頃北ノ麓ニ壱人ノ漁夫春日性(ママ)惣太夫為光卜云若州甲野浦ノ人也常ニ観音ヲ信シ日々観音経ヲ読誦ス一日惣太夫強風ニ吹放サレ乗タル舟損ス 然時浮木流レ来ル為光是ニ飛乗命無恙シ ツミノ浜ニ寄此浮木ヲ取上持チ甲野浦ニ帰ル 其道スカラ光有テ昼ノ如シ 翌日置タル所ニ浮木不見怪思ヒ尋ルニ人告テ曰白馬来リ負テ行タリト云 因茲馬ノ爪跡ヲ尋行見ルに当山ニ在リ 仍テ為光爰ニ草庵ヲ結居其後天童降告有故此木ニ観音三体彫刻壱体ハ讃州四渡寺ノ観音 中ハ当山ノ尊像 三ノ切ハ若州青松山中山寺ノ尊像也 中山寺モ当寺ノ別レ也
    境内千百九拾八坪
    人王六十六代一条院御宇正暦年中御草創
    正暦五年ニテ長徳ト改元自是七百四十五年ニ成
   鎮守社 三間ニ二間 雨宝童子
   荒神
   弁財天社
   本堂本尊 馬頭観音 丈三尺二寸北海より出現
    本堂 五間四面 享保十五庚戌年再興
  三十三所順礼二十九番之札所也 二十五年目ニハ開帳有 毎年四月八日会式也 中ニ観音ヲ置 大日弥陀 釈迦 六体ノ仏面ヲ当テ仏舞在リ 皆此寺中山伏勤ム 是ヲ松尾祭ト云習ス
    方丈 七間ニ五間
    庫裏 七間半ニ四間
    摂待堂 四間四方
    鐘楼 九尺四方 焼失後仮立
    二王門 三間ニ二間
    門 二ヶ所
    塔頭 二ヶ所今無之
   弥山鎮守
       白山権現 二間
    六所宮 富士浅間 半ニ 華表一間半境内山
                   内ニ有
       熊野権現 三間
 弥山江寺ヨリ廿八丁有リ 籠堂山王上八九分目ニ在リ火ヲ改精進潔済シテ登山ス 松尾寺ノ奥ノ院也東西弐ヶ所ニ弥陀ヲ安置ス 東若州領中山寺ノ奥ノ院ナリ
   大川大明神 聖ノ森トモ云  二尺五寸四方
    中興 御建立ハ後鳥羽院御宇文治年中惟尊上人再興
   文治五年ニ建久ト改元自是五百五十年二及フ
        (狭)
   焼失再興堂挟ク成ル
   本堂 七間四面 鎮守并拝殿三間
   五重塔婆
   二階鐘楼
   阿弥陀堂 五間
   常行堂
   薬師堂 三間
   地蔵堂 三間
   一切経蔵
   二階中間
   食堂
   浴堂
   寺中院主
   西方寺 不動院
   谷ノ坊 薩賢 阿加井坊
   岩本坊 南ノ坊 賢識
   上ノ坊 池ノ坊 二王坊
   往古坊中五十一ヶ寺 其後二十五坊
 古来ヨリ宝物

  一 金ノカイコ
  一 金ノ松笠  何ノ時代ニカ紛失ス
  一 中将姫織給ふ観音経
  一 神功皇后御宸筆
  一 三条小鍛冶作之劔 当時クリカラニ用
    当時寺僧五ヶ所境内地之外ニ附
   実相坊 桜本坊 北之坊 池之坊
   円蔵坊焼失後無住  〉 

《丹哥府志》
 〈 ◎松尾村(吉阪村より北へ入る)
【六社権現】
六社権現は蔵王権現、白山権現、熊野権現、冨士権現、大川大明神、田口大明神を合せ祭る。
【青葉山松尾寺】(真言宗、塔頭五院、実相坊、池の坊、北の坊、円居坊、梅本坊、寺領廿一石)
青葉山松尾寺は西国順礼第廿九番の札所なり、本尊馬頭観音は海中より上るといふ、正暦年中一条帝の開基なり。後文治年中に至りて後鳥羽院勅して伽藍を重修す、是より以来永く勅願所となりぬ、勅使など久しく絶えたれ共其時に用ゆる椀器今に残る、今の堂宇壮ならざるに非ずといへども古に比すれば十の一分のみ、以前は寺中廿坊もありとて其名記録に残る、寛永年中の火に皆烏有となりたれども古物の今に伝はるもの亦尠からず、左に記す。
蔵宝目録
…略…
【仏舞】
松尾寺の会式は毎年四月八日なり、其会式の日に僧徒集りて仏舞といふ舞をまひぬ。其次第始めに警固のもの八九人本堂のの左に座す、次に和尚列を正し本坊より出で、本堂に上り席に就く、次に春日惣太夫といふもの和尚の次に座す、春日惣太夫は若狭中野浦の人なり、是の人の祖先海中より馬頭観音を得たり、すなはち松尾の馬頭観音なり、是以松尾寺の会式は開帳の日其子孫が与るといふ、次に給人客席に就く、次に大日如来、釈迦如来、弥陀如来三像の仮面をかむるもの凡六人(大日二人、弥陀二人、釈迦二人)給人の前に寄る、於是給人楽を奏す、其楽に従ふて仮面を蒙るもの舞を舞ふ、是を仏舞といふ、古風の態いと笑しきものなり。
【庭の雪】
庭の雪といふは庭に降りたる雪にあらず、又天にしられぬ雪にもあらず、蓋庭のゆきといふ菓子の名なり天正年中玄旨法印松尾寺の庭に泉石を設けて仮山を作る、其後初雪の日玄旨法印三斎公と同じく此寺に遊ぶ、折節住寺手製なりとて菓子出しければよめる、
よしやこれくわれもすましなくさまん  己れ跡なき庭の白雪  (三斎公)
既にして其菓子を庭の雪と名づけらる、今松尾寺の名産とぞなりぬ。
其菓子の製法
糯米粉五十匁、砂糖五十匁、膠飴(胡桃の大サ)。…略…
【青葉山】(松尾寺の後山)
青葉山はいづこの山にても新樹を歌によみしが名所の青葉にまぎれしにあるなり、是程某山の大徳来りまして一首を乞ひ給ひければ…略…
【弥加宜神社】(延喜式)
弥加宜神社今弥山と称す、青葉山に上に在り、松尾寺より廿八丁登る、俗に青葉山権現といふ。富士、浅間、白山、熊野権現を合せ祭る、松尾寺の奥の院なり、汚穢不浄の者参るべからず。頂に大なる岩あり其岩に瘤の如き小石處々に出る、小石によりて岩に登り数千丈の下を臨む、凛乎として留るべからず、之を上の坊といふ。  〉 

《加佐郡誌》
 〈 松尾に青葉山松尾地がある。裏山を青葉山といひ、白山火山脈中にあって消火山脈中にあって消火山である。有史以来噴火の記録はないけれども旧噴火口の位置を明に見ることができる。今の山は火口壁の東北部の一片に過ぎない。山頂に祀ってある所の神に就いて丹後風土記に次の記事がある。「青葉山は一つの山であって東西の峰がある。何れにも名神が祀ってある。共に青葉神と号づけている。其東に祭られているのが若狭彦神と若狭姫神との二座で、其西に祭られているのが笠津ウケツ彦神と笠津姫神との二座である。ここは若狭の国と丹後の国との分界であって、夫の笠津彦神と笠津姫神とは丹後の国の造海部直の祖神である。二峰共に松柏が多く、秋になっても色を変へない。」松尾寺の奥の院とは位置も祠も祭神も別である。  〉 




松尾の小字


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