丹後の地名

小倉(おぐら)
舞鶴市小倉


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京都府舞鶴市小倉

京都府加佐郡志楽村小倉



 

小倉の地誌

《概要》


舞鶴市の東部。志楽谷のなかほど中心部。志楽小学校のあたり。『加佐郡誌』によれば、地名の由来は、往古小倉木王の領地であったことによるという。
しかしここは阿良須神社の鎮座地であるが、大江町北有路の同名の式内社・阿良須神社がまた十倉神社とも呼ばれたように、ここではtokuraのTが脱落したものかも知れない。十倉はたぶんtark-フルであろうが、従って大倉岐命もまたar系の名と思われ新羅系渡来人末裔であろうと推測できる。この周辺・舞鶴市東部と由良川筋の有路には同名の神社があり、枯木という地名もあり、伝説では同じ日本得魂命が活躍した地である。両地には何か関係があったと推測されるのである。

『角川日本地名大辞典』は、「丹後国加佐郡志楽荘春日部村のうち。文明8年2月28日、玉井帯刀左衛門尉直綱なる者が行永十衛門方へ、春日部村是元名田内「小倉大さこ木戸口くたり参十文」の地を売却している(梅垣西浦文書4)。この小倉とは当地のことであろう。また、文明6年閏5月12日には、小倉いね大夫なる者が「志楽市場しんてん小倉いね大夫持分」の田地を西浦宗賢に売却しているが、この小倉いね大夫とは当地の住人であろう」としている。

《人口》394《世帯数》164



《主な社寺など》
阿良須神社(中世春日部村の宛行状・譲状など、西大寺の支配文書と併存する在地文書13通を保存)丘陵端古墳、斜面に窯跡がある。
小倉神社
若宮神社
冨留山神社
愛宕神社
森清神社
臨済宗南禅寺派蓬雲山桂昌院
『加佐郡誌』
 〈 蓬雲山桂昌庵、臨済宗、享禄三年月陀和尚開基、志楽村  〉 


中世の但馬谷城主市村出羽守・大久保城主大倉播磨守の山城跡
小倉古墳・大神宮古墳
行永家住宅。

《交通》

国道27号線

《産業》



小倉の主な歴史記録


《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 小倉村
桂昌庵禅寺鹿原徳蔵院末寺なり、正一位一宮大明神、神主代々孫太夫、小倉、田中村の内上村、安岡、鹿原、吉坂の氏神、牛頭天王の社有、一之宮の元山なりと云う。愛宕権現、若宮八幡宮、太神宮。  〉 

《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 定免八ツ六分
小倉村 高三百六拾六石壱斗六升
    内五石五斗九升八合九勺 万定引
    七拾五石御用捨高
   桂昌庵 徳蔵院末
   若宮八幡宮 神体衣冠ニテ三体有村ノ云 伝ニハ三位中将小松殿ト云 氏神
   正一位一ノ宮大明神 氏神
            鍵取 田中村 八左衛門
               巫 同十右衛門 女房
    鹿原 小倉 田中 吉坂 安岡五ヶ村ノ氏神
   老民ノ説
 正一位ノ宮ハ元来田中村ニ有 後小倉村富山天王地ニ勧請ス 神主ハ田中村ノ住甲斐子孫于今有之宮開基不分明 小倉村江遷座之事文安年中ト書付在之由
 古山牛頭天王一ノ宮末社 宮守 小倉村孫太夫
             巫   同人女房  〉 

《丹哥府志》
 〈 ◎小倉村(市場村の次、若狭街道、古名春日部)
【阿良須神社】(延喜式)
社記曰。丹波の国加佐郡春日部村柳原に鎮座ましますは豊受皇大神宮なり、神名帳に所謂阿良須神社是なり、今正一位一宮大明神と称す、天智天皇白鳳十年辛未の秋九月三日爰に勧請す、明年高市皇子故ありて丹波に遁る、此時柳原の神社へ詣で給ふ時に和歌一首を作る、
曇る世に柳の原を眺むれは  神の恵やはるる朝霧
風きぬに青葉の山の烟たへ  行く先き遠き雲の上かな
 愚按ずるに、皇子は天武天皇の皇子なり、天皇に従ふて大友の帝を攻む。始め天智天皇十年の九月秋の頃より天皇予まず、十月十七日天皇の病益甚し、よって大海人皇子(天皇の皇弟也)に勅して後事を托す、皇子蘇我安麻呂の言を用ひ固辞して僧となり吉野の山に入る、時の人龍に翼を授くといふ、於是大友皇子を立てて太子とす、十二月三日天皇志賀の都に崩ず年四十六、翌年の夏六月大海人皇子果して吉野に叛す(日本紀に大海人皇子反すといはず、日本史に初めて其是非を正し大海人皇子吉野に反すといふ)、大友天皇防戦して力を尽すといへども遂に利あらず、七月廿三日粟津の山前に崩ず(国史略に云、皇子自縊し薨年卅五)。先是京狩田辺小隅夜半に枚を?みて大海人皇子の将田中足麻呂を襲ふて大に倉歴の営を破り遂に進みて刺荻野の営を襲ふ今社記に高市皇子故ありて丹波に遁るといふ正史に之を載せずといへども恐らくは此時ならん。延暦廿四年初階正一位に進む、天正の頃兵火の為に焚失して冨山天皇の社に合せ奉ると云。
【春部】
藻塩草  烟たつ春部の村は古しへの  難波の宮のにしきもそする  (隆教)
【蓬雲山桂昌庵】(臨済宗)
 【付録】(牛頭天王、愛宕、神明)  〉 

《加佐郡誌》
 〈 小倉には小倉木王の領であったから王を慕ふて小倉と称したとのことである。小字に血原と称する所がある。崇神天皇の十年青葉の賊を此処に追ひ詰めて射殺した時、血の流れたのを以て後血原といふと伝へられている。城址がある。一は但馬谷市村出羽守、一は大久保城主大倉播磨守であって共に天正九年三月細川幽斎の為めに亡ぼされたのである。  〉 




小倉の小字


小倉 フルミヤ 宮ノコシ 宮ノ前 大崎 森次 仲田 桑崎 ササキ タコ田 川向 竹クロ 川原 フケ 橋本 大向 姥ケ谷 狐塚 五反田 穴田 万丁 上万丁 打越 赤迫 ウサミ 引田 オリト ジガ谷 水口 ホノキ ドウド スモモ 大柳 コモイケ 岩ケ谷 辺谷 サカイ 屏風迫 深谷 大久保 モリ 出口 五本松 但馬谷 扇谷 柳ケ谷 タノク 峠 前田 中貝 スガ谷 大迫 川クロ 村奥 大タモ 中野 山岸 若宮 西川 榎原 村中 下池 大薮 向山 松谷 カラス谷 千原 スゲガ谷 穴ケ谷 山ユリ 猿渡 イヅボ ウルシ迫 大迫谷 ハス子迫 長畑口 峠ウラ 丸山 大将軍 ユリ迫 ユブ子谷 荒神 水谷 ボシキ 東谷 薬師 中庵 愛宕 小倉口 鎮地

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