丹後の地名 若狭版

若狭

出合(であい)
福井県大飯郡おおい町虫鹿野出合


お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。


福井県大飯郡おおい町名田庄虫鹿野出合

福井県遠敷郡名田庄村虫鹿野出合

福井県遠敷郡知三村虫鹿野出合


出合の概要




《出合の概要》
南川支流の久田川を遡った山間部に位置する。地名の由来は久田川と永谷川の合流域にあたることから名付けられたという。虫鹿野を母村とする久多河内と呼ばれる山間地の小村の1つ。氏子駈帳にも「出会山木地屋」「わか佐名田ノ庄之内出合山」などと記されており、木地師の集落であったという。
木谷のさらに奥で、県道35号(久坂中ノ畑小浜線)を行くのだが、道はこわい、ひどい、鋪装はめくれ穴ぼこだらけのうえに狭い、対向車があれば逃げ場がない。V字谷の底の久田川と急な山の斜面の間をクネクネクネクネと行く。秋はよいのかも…
ここは今は工事をしていた、道路工事なのか何かよくわからなかったが、工事車両がいっぱいいて、作業員が働いていた。大きな工事車両と出くわすと大変なので、急いで通りすぎた。永谷方面へは行けるのかわからない。

出合村は、江戸期~明治初年の村。若狭国遠敷郡のうち。小浜藩領。虫鹿野村の枝郷で「若狭郡県志」「稚狭考」などでは、他の枝郷とともに本村に含められ、虫鹿野村一村として記される。「旧高旧領」もまとめて虫鹿野村と記し、明治初年、行政的には虫鹿野村のうちとして扱われた。「雲浜鑑」によれば、家数12 ・人数69、寺は曹洞宗福寿庵、神社は山神が記される。山神は山神社ともいい、祭神は大山祇命。出合東端の山奥には、昔、山男・山姥が住んでいたと伝えられるクセン谷がある。
出合は、明治22年~現在の大字名。はじめ南名田村、明治24年知三村、昭和30年名田庄村、平成18年からはおおい町の大字。もとは虫鹿野村の一部。「虫鹿野の内出合」ともいう。


《出合の人口・世帯数》 0・0


《出合の主な社寺など》
山神社
福寿寺
どちらも今は挙野に移されているよう。
『名田庄村誌』
福寿寺
宗 派 曹洞宗
所在地 出合区寺の下十五番地
本尊は、木造薬師瑠璃光如来坐像で、これは本村では,珍らしい事である。
 明応八年(一四九九)武田家の臣土屋の一族である、露仏霊巌が創建したといわれる。
 のち挙原三郎右エ門・出合助左エ門が当寺の廃頽するのを歎き、天和元年(一六八一)小浜市西津松福寺第一世龍山玄孫を請して平僧地を建立した。
 その後明治七年道関が小浜空印寺快運道寧を法地開山と仰ぎ、自分は第二世となり第三世知定に住職をゆずり、国富天養寺に転住した。智定は、明治三十二年第四世源長に住職をゆずり、近江長久寺に転住した。
 昭和六年火災に逢い堂宇焼失、昭和九年再建した。寺域三百八十三平方メートル眼下に久田川の清流が流れ、秋の紅葉は、参拝する者の眼をたのしませてくれる。



《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


出合の主な歴史記録


『名田庄村誌』
永谷・出合・挙原
 本村の東部および東南をかざるこの三小区は、地理的歴史的に共通度が高いので一括集録する。永谷は木村の最東南端に位置し滋賀県と境する。挙原は東端にあってその一部は小浜市に接する。この地域か流れる川の出合地点に、出合部落かある。ここに小学校がある。三小区とも耕作地の殆んどは、山裾を切り開いた段丘にある。
 針畑越と称して、永谷より滋賀県に通ずる坂道がある。出合は久田川の支流の永谷川と挙原川の合流する地点にある。溪谷が多く、川に沿って谷々に多少の耕地があり、民家が散在している。戸数十四戸、人口五十二人である。字宮後の山神社は大山祇を祀る。字寺の下に曹洞宗福寿寺がある。
 出合東端の山奥には昔山男・山姥が住んでいたと伝えられるクセンの谷がある。挙原は、滋賀県境に近い一番奥の地区で、さいきんまでは戸数一戸のみで、老人が一人住んでいた。ここにある皇子塚を守っていた。
 ここには現在わが国最大の規模といわれる揚水発電所の建設工事が計画され、目下試験施工の過程にある。ハッパの響きと共に大きく様相を転じようとしている。近代科学の粋を結集する、一大電源地帯として大きく生れかわるのも近い。きびしいがまた一面限りなく美しい自然の中に生きてきた先人の生活の歴史は、やがてダムの水底深く忘れ去られてゆくことであろう。
 三小区あわせて、大正三年の戸数は三十一戸、人口百四十八人、昭和四十二年現在の戸数二十四戸、人口九十一人であった。


出合の伝説


『越前若狭の伝説』
観音堂 (出合)
 むかし観音堂の近所の伊右衛門という人が朝早く門口に出てみると、ひとりの大男が背に観音像を負って、一心に観音堂の回りを巡っている。ふしぎに思い、かたわらに至ってわけを尋ねるに、「わたしは旅の者であるが、昨夜この堂に休み、ふと悪心が起って、観音像を盗み、背負うて去ったが、目がくらんで、昨夜来少しも休まず歩いているのに、まだ峠に達しない。」と答えた。
 伊右衛門は、男の不心得をいましめ、背より仏像をおろして、観音におわびをしてやったところ、盗人もようやく正気に返り、前非を悔い、平あやまりにあやまって去った。 (知三村誌)

タセンの谷  (出合)
 タセンの谷は東南の山奥にある。山男山うばの住んでいた所である。(知三村誌)



出合の小字一覧


『名田庄村誌』
出合地区
 割小谷口 下ノ原 宮ノ後 小原 大又 権現 中倉 寺ノ下 上ノ山 田代 谷口 藤倉口 堂ノ谷 宮ノ尾 大又 岩裏 猪ノ穴 鍋窪 池ノ尾 滝屋谷

関連情報





資料編のトップへ
丹後の地名へ


資料編の索引

50音順


若狭・越前
    市町村別
 
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
三方上中郡若狭町
三方郡美浜町
福井県敦賀市

丹後・丹波
 市町村別
 
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市
京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市






【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『遠敷郡誌』
『名田庄村誌』
その他たくさん



Link Free
Copyright © 2020 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com
All Rights Reserved