丹後の地名  資料編 

観音寺(かんのんじ)(地名)
京都府舞鶴市観音寺


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観音寺の地誌





《観音寺の概要》

舞鶴市の東北部。河辺谷の北側、空山の中腹に位置する。
真言宗御室派補陀落山観音寺(花蔵院)がある。
『丹後国加佐郡旧語集』
 〈 観音寺村 高七拾壱石五斗六升
     内拾四石五斗四升八台 万定引
     四石御用捨高
真言宗
 観音寺 補陀落山 華蔵院 円隆寺末
  寺領七石弐斗三升 境内トモ
  境内三千五百三十坪 其外山林有り
  華蔵院伝来ヲ記ス
  開基伝教大師
  人王五十代桓武天皇御宇延暦年中草創 其後及大破永徳年中 元年ヨリ九百五十三年ニ及 法爾上人堂塔再建当山称開山
 西屋 室牛 由里 観音寺 四ヶ村ノ寺
 本尊 千手観音 行基作
 本尊 大日如来 慈覚大師作
 三重塔
  貞治年中建立古重也 上二重亡失 下一重
  斗残 二間四方
 僧坊 四間半ニ五間 今方丈
 庫裏 四間ニ七間半
 鐘楼 八尺四方
 坂中堂 九尺四方
 坂元堂 二間四方
 荒神
 千手観音  〉 

『加佐郡誌』
 〈 観音寺は同地在の補陀落山観音寺(花蔵院)といふ寺の名に由来する。此寺は50桓武天皇の延暦年間に僧最澄の開いた所で、僧行基の作った千手観音を本尊としている。後兵焚に罹ったが後土御門天皇の文明元年に僧法爾が再興した。しかし明治天皇の慶応三年に大火に罹り大半鳥有に帰した。  〉 

『舞鶴』
 〈 補陀落山観音寺
 東大浦村観音寺にある眞言宗の古刹で延暦年間傳教大師の創建にかゝり本尊の千手観世音は行基の作として知られ寺は桓武天皇の勅願所として崇敬されたものであるが海臨寺とゝもに縁起の徴すべきものがないのは惜しむべきことである。  〉 

『舞鶴史話』
 〈 補陀落山華藏院(舞鶴市字観音寺)
 真言宗の寺で俗に観音寺といわれています。本寺は延暦年中伝教大師の創建で、本尊の千手観音は行基の作であるといわれています。多禰寺と共に桓武天皇の勅願所として崇敬のあつい寺でしたが火事にあってからは昔の面影をうしなってしまいました。  〉 

『京都府の地名』
 〈 観音寺 (現)舞鶴市字観音寺
 大浦半島北部、空山中腹の南斜面にある。山号補陀落山、真言宗御堂派。本尊千手観音。
 草創についてはつまびらかでないが、江戸時代になった縁起(寺蔵)によれば、延暦五年(七八六)異人の持ち来たった千手観音・不動・毘沙門天を祀ったのに始まるとし、鐘楼・経蔵が多くあって伽藍を誇り、同七年には封戸五〇戸を賜ったという。南北朝の貞治二年(一三六三)に三級宝塔(三重塔)を建立したが兵火にかかり、応永二六年(一四一九)本堂が再建されたがこれも兵火にかかった。文明の初年、法爾により香殿およびその他の寺院が再興されたという。
…江戸時代の田辺藩主、京極氏・牧野氏も当寺を保護し、牧野氏は寺領七・二三石を寄付している(寺蔵文書)。
 当寺には永和年中(一三七五−七九)の年紀をもつ懸仏があり、裏面に「永和□年□□二二月二二日 為伽藍安穏十六諸壇 息災安穏所奉鋳造也 天満大自在天神 大願主沙門曇□(花押)」と墨書銘がある。また中門の左手にある石灯籠に
  丹後国観音寺  願主下岸
          大工兵六
 于時文亀元年辛酉 十月廿六日敬白
と銘が記される。
 草創から鎌倉時代に至るまでの様子は不明だが、おそらく観音信仰の高まりの中で、南北朝以降は観音霊場として衆庶の信仰を集めていたと考えられる。なお、当寺蔵大般若経第五九九巻の奥書に「奉寄進若州遠敷群(ルビ・ママ)能木村能世蔵人丞助次 酒波寺鎮守郷経也 文安元年六月日修補之」とある。
 現在の本堂は明治二一年(一八八八)旧本堂が焼失後、同二五年に再建されたものである。  〉 


河辺由里から山道をかなり登らねばならず離村がすすむ集落。

《人口》14。《世帯数》4。

《神社》
熊野神社

《交通》
麓の河辺由里から道路がある。

《産業》
農林業。


観音寺の主な歴史記録


《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 観音寺村
補陀洛山観音寺円隆寺末寺なり。桓武天皇御宇延暦年中より元禄十丁丑年まで九百十二年に成。本堂三間四面
本尊千手観音 行基作。
塔古は三重今は上二重亡失下一重あり。
本尊大日如来 慈覚大師作。
鐘楼あり僧房号花蔵院と縁起あり。  〉 


《丹哥府志》
 〈 ◎観音寺村(室牛村の次)
【補陀落山観音寺花蔵院】(真言宗、寺領七石余)
補陀落山観音寺は伝教大師の開基なり、本尊千手観音は行基菩薩の作なり、本堂の前に三重の塔あり、貞治二年光厳院の勅を奉じて之を建つといふ。  〉 


《加佐郡誌》
 〈 観音寺は同地在の補陀落山観音寺(花蔵院)といふ寺の名に由来する。此寺は50桓武天皇の延暦年間に僧最澄の開いた所で、僧行基の作った千手観音を本尊としている。後兵焚に罹ったが後土御門天皇の文明元年に僧法爾が再興した。しかし明治天皇の慶応三年に大火に罹り大半鳥有に帰した。   〉 


観音寺の小字


観音寺 長野 別所 坂本 金輪渕 赤イ田 大井路 後路 西ノ谷 塔ノ上 札場ノ上 寺ノ下 杉原 道ノ西 寺ノ東 上ノ山 丸山 村下 オハズ 広円 ノセ 高柿 矢ノ尻 東谷 岩ノ元 坪口 穴坪 ダラ 上別所 大向 井根谷 猿林 割谷 大ヘラ 坂西 坂東 堂ノ西 古橋山 雨越 深谷 ハヘ 寺所 迫田 浦山 西コモ池 北コモ池 コミ松 上大井路 大井路川西 下坊田 堂ノ下 二町田 赤イ田口 向大井路 向山 大谷山 原道上 東谷口 石ウロ谷 堂山 奥ノ坊 東谷奥
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関連項目

東大浦村 河辺由里 河辺原 室牛
観音寺(寺院)
観音寺の梵鐘





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