観音寺(かんのんじ)
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《観音寺の概要》 空山の南山腹に真言宗御室派補陀落山観音寺(花蔵院)がある。本尊千手観音。 境内には鎌倉期の梵鐘、室町期の石灯篭が現存。市文化財 《交通》 麓の河辺由里から道がある。
《丹後国加佐郡寺社町在旧起》 〈 観音寺村 補陀洛山観音寺円隆寺末寺なり。桓武天皇御宇延暦年中より元禄十丁丑年まで九百十二年に成。本堂三間四面 本尊千手観音 行基作。 塔古は三重今は上二重亡失下一重あり。 本尊大日如来 慈覚大師作。 鐘楼あり僧房号花蔵院と縁起あり。 〉 《丹後国加佐郡旧語集》 〈 真言宗。観音寺。補陀落山。華蔵院。円隆寺末。…。華蔵院伝記ヲ記ス、開基伝教大師、人王五十代桓武天皇御宇延暦年中草創、其後及大破永徳年中、元年ヨリ九百五十三年ニ及、法爾上人塔堂再建当山称開山。西屋、室牛、由里、観音寺、四ケ村ノ寺。本尊、千手観音、行基作。本尊、大日如来、慈覚大師作。三重塔、貞治年中建立古重也、上二重亡失、下一重斗残、二間四方。… 〉 《丹哥府志》 〈 【補陀落山観音寺花蔵院】(真言宗、寺領七石余) 補陀落山観音寺は伝教大師の開基なり、本尊千手観音は行基菩薩の作なり、本堂の前に三重の塔あり、貞治二年光厳院の勅を奉じて之を建つといふ。 〉 《加佐郡誌》 〈 補陀落山華蔵院。真言宗に属し、字観音寺にある故観音寺と通称するのである。本寺は延暦年中に伝教大師が創建せられたといふ古刹であって本尊の千手観音は行基の作であるとして知られている。西蔵院と共に50桓武天皇の勅願寺として世々崇敬厚かったが祝融の一度見舞ふ所となってからは往時の面影を残さなくなってしまった。 観音寺は同地在の補陀落山観音寺(花蔵院)といふ寺の名に由来する。此寺は桓武天皇の延暦年間に僧最澄の開いた所で、僧行基の作った千手観音を本尊としている。後兵焚に罹ったが後土御門天皇の文明元年に僧法爾が再興した。しかし明治天皇の慶応三年に大火に罹り大半鳥有に帰した。 〉 |
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観音寺(村名) 観音寺の梵鐘 |
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