旧・河東村
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京都府福知山市大江町千原・尾藤・常津・在田・夏間・南山 京都府加佐郡大江町千原・尾藤・常津・在田・夏間・南山 京都府加佐郡河東村 |
旧・河東村の概要《旧・河東村の概要》 河守盆地の南方、由良川右岸の山麓部および同川支流の尾藤川・在田川流域山間部に集落を形成している。明治22年〜昭和26年の大江町の旧村名。千原・尾藤・常津・在田・夏間・南山の6か村が合併して成立したもの。大字は旧村名を継承して、6大字を編成した。村役場は常津に設置した。村名の由来は由良川の東岸に位置することによる。 昭和26年隣接する河守町に編入。編入と同時に河守町は大江町と改称した。各大字は同町の大字として存続。平成18年からは福知山市となる。 《河東村の人口・世帯数》913・288 《交通》 旧・河東村の主な歴史記録《加佐郡誌》 〈 河西村に対して由良川の東岸に在るから其名としたのであって、千原、尾藤、常津、在田、夏間、南山の六ケ字から成っている。夏間だけは入会であるからとて徳川幕府(久美浜代官差配)及び牧野氏に分領ぜられた。 参考。在田村は元和田垣村といった由、元禄十二年の郷村帖に見えている。 〉 《大江町誌》 〈 河東村 元田辺領の南山村・在田村・常津村・尾藤村・千原村と夏間村半分、元天領の夏間村半分の六か村の合併。八年間連合を組んできた河西地区と分離した。一○か村時代の連合役場は十四年より常津村、十五年より二年間千原村に置かれていた。 〉 関連項目【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『大江町誌』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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