旧・中舞鶴町(なかまいづるちょう)
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京都府舞鶴市余部上・余部下・和田・長浜 京都府加佐郡中舞鶴町 |
旧・中舞鶴町の地誌《旧・中舞鶴町の概要》 現在も中舞鶴と呼ぶが、中舞鶴町は大正8年〜昭和13年の自治体名で、余部町が改称して成立したもの。余部上・余部下・和田・長浜であった。 大正12年舞鶴鎮守府が要港に格下げとなり海軍に依存していた当町は大きな打撃を受けたという。 昭和13年東舞鶴市に合併。中舞鶴町の4大字は東舞鶴市の大字に継承された。 ↑中舞鶴駅前広場(舞鶴市・昭和13年頃) 左手前に公設市場と中舞鶴町役場(同年8月より東舞鶴市支所)があり、ボンネットバスが走る。(『目で見る舞鶴・宮津・丹後の100年』より。キャプションも) 《人口》8810《世帯数》2546(現在の余部上・余部下の合計) 旧・中舞鶴町の主な歴史記録《加佐郡誌》〈 中舞鶴町 (一) 戸数 二六四一戸 (二) 住民 男 五四〇〇名 女 四九八六名 計一○三八六名 (三) 生業の状況 大部分工作部に通勤して生計を営んでゐる。 (四) 主要物産 農作物 二九、七二八圓 畜産物 二五、一○六圓 林産物 二、八○五圓 水産物 一一五圓 工産物 三三、二八二圓 (五)人情一般 住民は日本各地よりの集合で新開地に特有なる一種の気分がある。稍浮華な観もあるが人情一般に醇朴で ある。 (六)各種団体名 中舞鶴青年団 同女子青年団 同婦人会 中舞鶴町。昔の余戸里又は余戸谷の殆んど全部に相当する。舞鶴鎮守府設置以来余部町と呼んでいたが大正八年から今の名に改められた。今は余部上、余部下、長浜、和田の四ケ字から成っている。 〉 『中舞鶴校百年誌』(昭51) 〈 地名余話 ▼余内村 ふるさとは明治22年から仝35年までは余内村に属していた。 それまでは余部下村は現在の郵便局附近から共済組合余部住宅(旧水交社)附近にかけて約50戸、余部上村は奥母通りおよび榎川畔に約50戸、長浜村は字五森を合せて26戸、和田は約30戸の純農村であったが明治22年4月自治制の施行に際し西地区の清道村、天台村、福来村、倉谷村、上安村、等の八部落と合併したからである。 その村名の由来は余内小学校編の「百年の歩み」によると合併の各村が大内の庄と余部の郷として配属していた関係から余と内をとり余内村と名づけたとのことである。何げなく口にしている地名にも、その地それぞれの歴史を秘めていることが窺われる。 その後余部下と長浜の一部が第四管区鎮守府に指定され、当地の市街計画成るに及び戸口増加し、住民の業態が農村と相容れざるに至ったため分村問題が台頭し遂に明治35年5月23日、分村置町の告示が発布せられ余部町の誕生を見たのである。 ▼余部町名変更(中舞鶴町と改称) 町名が決定してから僅か17年で中舞鶴町に改称されたかについて、大正6年10月8日付舞鶴軍港新聞(写真407)に次の記事が出ているので転載してみる。 ●余部町名変更 中舞鶴と改称 余部町の町名変更は多年の宿題となり、近く軍港舞鶴町と改正の事となり京都府庁並に鎮守府等に諮りしが許可の見込無きより更に◆中舞鶴町◆と変更し、主務大臣の許可を請うべく町会に附議せしが、目下熟考中にて未だ許可申請の運び至らざるも町名変更の理由とする処は余部町は舞鶴鎮守府設置に併い、明治三十五年六月隣村余内村より分離置町せられたるものなれば、隣町新舞鶴町の一部落と誤解し頻繁に往復さるべき公私郵便電信貨物等に舞鶴町或は新舞鶴町の不要文字を冠するため、一時其町に誤達され適々之を冠せざるときは隣県◆兵庫県下は余部村と称する村三ヶ所あるを以て、屡此処に誤達せらる、結果、遅達甚しく官庁の蒙る損害尠からずのみならず、舞鶴鎮守府を始め附属主要官庁の所在地たる本町は他地方より来住するもの年と共に多きを加え、今や戸数二千数百、人口一万を超え、益々発展せんとするに町名の宜しきを得ざるの結果、之を阻害せられ且又前記の如く郵便物の誤達遅達等続出する実に遺憾に堪えずというにあり。 〉 関連項目「余部上」「余部下」「和田」「長浜」 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『舞鶴市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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