「原子力、豊かな社会とまちづくり」「原子力郷土の発展豊かな未来」とか大きな立派な横断看板が双葉町のメーンストリートには天国の門のように今もある、という。写真はHPより。
「原子力明るい未来の エネルギー」とも掲げられているが、この標語でコンクール当選した当時小六の子は、県外避難を余儀なくされた、大いに反省して「原子力破滅未来のエネルギー」と26年後に訂正したという。気も付かず大ウソを言ってしまったが、これが本当だと彼は訂正したという。↓
南隣の大熊町の双葉病院の寝たきり老人患者50人が避難途中に亡くなった悲劇はよく知られている。住民避難訓練は4年に1度、200人ばかりの参加でおこなっていたが、原発から4、5qの当時340人を収容していた病院で、すぐ隣には介護老人施設があり99名が入所していた、避難の計画は事前にはなく、実際に発生すれば電気も情報もすべて途絶えバスはなく食料はなく医療はなかった受け入れ避難先病院もなかった、この件には誤報もあったようだが、だいたいはこうしたことであった、誰もが固く天国を信じて、もしやの想定をすることはなかった、衰弱死を招いた悲劇は天災によるものだろうか、それとも人災であろうか。福島だけでなく、天国全体に問い続けられねばならない重い責任問題である。原発から30キロ圏内に京都府内ではこうした要介護の人が6000人とか、再稼働だなどと言っているが、実際に事故があればいまのままなら、500人以上がなくなることになるのかも。
原発は事故があり得ます、実際にもありました、そうした正確なリスクが知らされないどころか懸命に隠して知らん顔、さらにこの事故でも情報を隠し、遅らせたりもしていた、レベル7を隠し、メルトダウンを隠し、SPEEDIを隠し遅らせ、もっとも線量が高かった時期には黙っていて、多くの人々には知らされず被曝させてしまった。そして一方では原発安全天国の政治宣伝ばかりを強調する。こうした世の流れ、国のミスリードに無批判に身を寄せ、赤信号みんなで渡れば…式の人、ましてや荷担した者すべてに大きな責任が問われよう。
何をとぼけた顔をしているのだ、キミが殺したんだろう、50人も。ゴーホー的に。さらに今後何人を殺す気でいるのだ、ゴーホー的に。
いやワシは殺しとらん、ワシは殺しに荷担しとらん、ワシは殺しに反対した、そう言える天国人はそうは多くはないはず、たぶんゼロに近いであろう。ゼロに近い者がいて警告を発していたかも知れないが、その声をまったく無視した。国のとんでもない甘い過小評価想定とミスリードとはいえ、それでキミたちの責任が消えるわけではなかろう。
別に責めようというのではなく、うるさい事を言うのは、二度と繰り返さないために言うので、きびしく自己点検をして過去の甘い箇所を完全に乗り越えていかなければ、またいつか同じことを繰り返すからである。
「天国の門」は日本の原子力開発推進を象徴する、政治的思惑と儲け話ばかりが優先されていて、原子力科学と技術基盤の着実な進歩も、周辺住民の安全対策もなされない。たいしたこともない日本の政治と経済だけが突出してその足もと対策はきわめて脆弱なままにほったらかし。悪意あるものとして「日本の核開発」と呼ぶ方がふさわしいかも。
核だけではないが、そうした日本社会の構造問題も見えている、強い者について弱きを顧みないという日本人の情けなき見にくき姿も見える。
少なくとも何も確固たる裏付けもない、ウラがとれない、あるいは憶測に基づく、一部の人間が儲けんがための、デマかもしれない政治標語を、町の真ん中に天国の門かのごとく大きく掲げて、「これは個人の政治宣伝文句で必ずしも真実ではありません」の大きな注意書きもないようなものは反社会的犯罪行為、殺人につながる行為として固く禁止すべきであろう。
本来はそれを厳しくチェックするべき立場にある公務員や議員など全員もウラで荷担していることなどは決して許されるものではない。この門はこのまま保存して世界遺産にしてもらうとよいだろう。
福島を見れば「原発で地域の振興を進める」などはあり得ない選択と見なければならない。
↑これらは福島原発の場合だが、若狭原発もこうした破滅未来とならないという保障は何もない、ヨソであったのならココでもあり得る、この発想すら天国にはないようで、あんなチェルノブイリやスリーマイルのようなアホなことは日本ではあり得ませんときた、そしてこのザマ。
ザマーみんかえ、とこうした場合は舞鶴あたりでは言うが、プルトニウムならなおさらのこと、福島のような事故は高浜ではあり得ないであろうか、問題は「たかが電気くらい」のことである、よく検討してみよう。
「たかが」といわれるのは、電気はわれわれが使っている全エネルギーの40%程度、原発はその中の30%程度のものである。だから原発は使っているエネルギー全体のせいぜい12%程度のものである。「たかが12%」なのである、バカ使いをやめてすこし節電するなら、あるいは遊休発電施設を再稼働させれば、十分にやっていける程度のものでしかない。
日本はエネルギーシフトが遅れていて、特に関電区域は原発比率も高く、世界の流れからは取り残されている。
エネルギーは電気に変換せずにそのままの形で使うのがはるかに効率的である、たとえば灯油をそのまま燃やした方が、灯油を一度電気に変えてエアコンなどで使うより賢い方法である。灯油が電気に変わる効率は50%ほど、電気はもとで半分もムダにエネルギーが捨てられてしまい環境に負担が増える贅沢すぎる使い方になる。
電気大好きという方もおられようが、煮炊も風呂の湯も何でもかでも電化して電気をたくさん使えば何か現代風豊かな最先端生活のように思うのは現代人の錯覚である。
アホがたらいで、我家も電気で風呂を沸かしているのだが、何でも電気がダメというわけではない、50%も、原発なら70%も捨てる以上は決して良くはないが、しかしそれも代替技術との比較であって、たとえばガソリン車が電気車よりもエネルギー効率は良いかとなると、ガソリン車は効率がたいへん悪い前世紀の遺物のようなもので、電気車よりずっとトータル効率が悪い、将来はこれよりも燃費が格段に良い電気車に取って代わられようといわれる。
と、関電はいう、もし反対されて天国の門が開けないならば、電気料金を引き上げるという。
これまではバカほども儲けてきたではないか、バカほども高利潤・高配当・高給をむさぼっているではないか、オマエらは独占だ、世の中がどうなろうともどうしてでも大儲けするだろが、それが独占ではないか、しかも消費量の少ない家庭向けで儲けてきた、消費の多い企業向けは安くしていた、家庭から吸い上げて、それを高配当などに使ってきた。貧乏人→金持ちのカネの大きな流れを作ってきた。貧乏人から吸い上げて金持ちどもに分配してきた。
そういうことなら誰にでもできる、高給などは必要がない、幼児でもできる。
どんな事業も儲かる時ばかりではない、放漫経営でも儲けられたのはそうした制度で保証されてきただけのこと。そうして大儲の時は知らん顔、ちょっと損したらヒステリー、勝手で甘ったれの子供のようなバカものが、家庭に向けてどの顔してプルトニウムを稼働させるとか、いやなら電気料金引き上げるなどと言えるのだ。
これまでのようにはもう行かない、これまでが甘すぎただけのこと、もう通用はしない、これまでのようなことをやってれば当面は大赤字だと覚悟しろ、ピーピー言ってるヒマがあるならなみの企業と同じように苦労しろ。原料が上がったからといっても簡単には価格に転化はできない。
クソほども儲けてきた財閥銀行にまず債務整理をしてもらえ、それで銀行からの借金も利息もゼロ、社員賃金は原発下請労働者なみに、みなそれでやっているのだ、配当は今後10万年間なし、そのカネで使用済燃料の管理費に当てるでよかろう。だいぶにヤシしまくって大儲けしたのだから、その分はいまの機会にはき出していただこう。
しかしそれよりも問題は、たかが電気ごときと、多くの人の命を天秤にかけるがごとき思い上がった関電の言い分には我慢がならない。原発はなくてもやっていけるが、命はそういうわけにはいかない、将来世代の命と健康も、原発ごときとは天秤にかけようもない、郷土の広い空間と歴史文化とも比べようがない。電気ごときと一度失われれば二度とは取り戻すことができない物があたかも交換可能かのような思想が気にくわない、電気ごときと人の命が交換できるか、それをあたかも交換可能かの如くに考える資本の金銭万能思想があちこちで深刻な大問題を起こしているのだ。福島も原発も根底にはこの問題がある。
たかが発電屋原発屋ごときが神にでもなったつもりか、それなら事故をなくしてみろ、放射能が出さないようにしてみろ、使用済みを解決してみろ、あれだけの大事故をおこして起きながら、呆けたかとしか言いようもないが、人の命を何と心得てきたか、人を何と心得てきたか、関電の経営哲学はそもそもの根本が発狂していて、そのままの大間違いのゼニ万能思想をいまだに続けているままである。ゼニに心底支配された者どもが、同じようにひとまでゼニで支配できるかのこどく思い上がっている、笑えるというものだ、大負債をかかえるがよかろう。
何者かである以前にわれらは人間である、まず人であるのだという、当然の前提を忘れると、人以下のこうしたクソとしか呼びようもない情けない天国人になってしまうのである。
どんなエネルギーであっても今後は多少は値上がりしていくのは避けられないと思われる。資源は限られるのだから高くなっても当然の話である。
将来にわたって人間がバカほどもエネルギー消費を増やし続けていくことなどはできない話である。
どの道を行くにしてもエネルギーは多少の値上げは避けられない、エネルギー消費を抑えていかねばらない、と見なければならない、それを前提に今後のエネルギーや経済戦略は立てていかなければなるまい。
ただでさえ危険な原発でさらに猛毒のプルトニウムを燃やす。MOX燃料は普通のウラン燃料の3倍以上(4〜5倍ともいう)も高価なうえに、扱いはウランと比べると各段にやっかい、それぞれを単独で燃やすより混ぜて燃やすとより危険といわれる。MOX使用済み燃料は再処理方法も、貯蔵施設もない、世界のどこにもない、30年くらい後までには何とかなども言っているが、アテになるようなことではない、長く長く高浜に置いておくより手がない。プルサーマルを続ければますますこの超危険な使用済みが高浜に増えていく。被災地の方では中間貯蔵施設を作ることすら猛反対が続いている、それもMOX使用済み燃料に比べれば「へ」でもない程度の低汚染物であるが、ごうごうとド真剣な反対が続く、それは当然なのだが、当地では30年以上だから中間貯蔵というようなものではない、超高濃度汚染のMOX使用済み燃料を半永久から永遠貯蔵施設を引き受けるということであり、おそらく30年しようが100年経ようが引き受けてくれる地は当然なく、何とかする技術もなく、その後は巨大な核の永遠の超危険な墓場になっていくと想定するより今はできないのである。超危険なものを多量に先の見通しもなくたぶん永遠に貯蔵する、タンクが壊れれば少なくとも近畿圏は終了しようし、熱を出しつづけるもので全電源喪失など冷却不能となれば水素爆発、こんなものと同居する周辺住民の安全や環境権など侵害することは間違いなく認められるものではないし、未来の子供達が安心して住むことができないと反対が強まろう、もしや戦争になれば高浜3・4号機へ向けて敵通常ミサイルが打ち込まれることであろう、そうした攻撃にも耐えられるような作りではなく、1発打ち込まれても降参であり、このあたりに迎撃ミサイル基地をつくるとかテロ対策とかの問題も出てこよう。「国家の安全保障」などともしや本気でいっているのなら、プルサーマルや原発は即やめることである。
プルトニウムは「人間が作り出した最悪の毒物」といわれる超猛毒、α崩壊し半減期は2・4万年、人間が作った物にしては特別に長い永遠と言っていいほどの生命があり、人間が作った別の物でプルトニウムを安全に保管し続けることができない、あとの処理法もないままにプルトニウムを生成させたり、まして増殖させていいものなのか、しかもこれが8sあれば原爆が作れるといい、プルトニウムを所有することは原爆を所有するのと同じと国際的には受け止められる。
プルサーマルからは、どの国もすでに撤退していて、プルトニウムを日本式に燃やす原発は世界にない。
日本流に日本独自の判断や技術でたいしたテストもせずに高燃焼させることは、原子力船「むつ」や「もんじゅ」や「六ヶ所」や「福島」レベル7事故を引き合いに出すまでもなく、どうみてもヤバい、口先は超一流だが、実力と品性は対岸の国に笑われるくらいか、幸か不幸か原子力技術は日本はたいしたものではない、原子力は核兵器と結びつくもので、低くても何も残念がることもない、しかしその国内技術だけで「ガラパゴス化」して「神国日本」「鬼畜米英」「戦艦大和」「B29はタケヤリで落とせる」の狂信的自信過剰はヤバすぎる。
何もプルサーマルばかりではないが、TPPを言うのならばなおさら閉じた日本社会を開いて、守りの姿勢を捨てて原子力を考えたいものである。それもできない者どもが国際化などいえば誰でも真意を疑うことになる。
福島では3号機がプルトニウム原発で、ここの爆発の威力がほかのウラン原発(1、2号機)と比べると特別に大きく、キノコ雲状に真上に吹き上げた、ヘリから水をかけていたのもここだが、鉄骨などはグニャグニャで、修復作業も困難、そんな中で燃料プールに鉄塊を落としてしまった、今も3号機付近は線量が高まり水素発生も増えていて、窒素を新たに封入しているほど。
一説には核爆発だったと言われている、プルトニウムはウランの3分の1量で自然臨界に達してしまうそうだから、まんざらエエカゲンとばかりもいえない。(プルトニウム239の臨界量は12.5s。反射材で囲むと2.5sとか。ウランは反射材を使っても10数sは必要)。
それはどうかわからないが水素爆発と見ても危険さは際立っている。
定期点検で停止中の隣の4号機とはパイプでつながっていて、3号機は自分だけでなく、4号機まで吹き飛ばしているし、4号機爆発の威力は1号機以上である(1号機の出力は46万kw、2・3・4は78.4万kw)。プルトニウム原発はウラン原発の2倍以上の爆発を覚悟しなければならない、プルサーマル安全がこなごなに砕け散った事故である。
4号機は隣のプルトニウム原発のおかげで建屋全体が傾いてしまい、その傾きは刻々大きくなってきていて次の地震に耐えられるかすら危険視するムキも多い、傾けばここの1500体の使用済燃料プールが崩壊する危険性が高い、これが崩壊すれば200キロ離れた東京も避難しなければならなくなって、避難ならまだいいが、移住しなければならなくなり、日本は終わる。
またプール冷却水を送るパイプ類の破損状態の点検もままならぬ状況だという、バックアップがいるだろう。さすがに天国でも超危険さを認識したのか燃料取り出し作業を計画前倒して実施する。すでに一部は試験取り出しに成功したという、取り出されたものは危険性の低いたぶん未使用のウラン燃料であったであろう。危険な物は全部残っている、プールにはたくさんのガレキが落ち込んでいて取り出しを妨げる、燃料棒を傷つけることないよう慎重に人が丁寧に目視確認しながら手作業で取り出さねばならない、新たなガントリークレンを付け城にして1日1体不休で取り出せても1500体も取り出すには4年以上がかかる。1体失敗してももう終わりである、すごい緊張の作業が続くことになる。そして取り出してもそれをどこへ持って行くのか。さらに1〜3機のプールが残っている。再処理などと甲斐性に過ぎたアホなプランを持ったがために、大量の危険な使用済燃料棒がこうして各地の原発内に蓄えられてきた。どうかすべてが取り出せるまでは地震が来ることなきよう、そう神に祈ることしか「すぐれた技術を誇る」天国人には方法がない。
一見は無事なように見える2号機事故も、3号機爆発の影響を受けたかもわからない、真相は今以て不明であり、あるいは地震かもわからないが、窒素や空気を送り弁を開く配管に漏れができたのか圧が低かった、炉の圧力が高まるなかで、こうしたことで緊急減圧弁が開かず、またベント弁も開かなかった。どの安全弁も開けられままであった。もし炉が内圧に耐えられず爆発すれば日本が終わる、いや地球が終わる。神の恩寵あって、炉のどこかに穴があいたようで、ここから圧が逃げた、しかしもっとも高レベルの放射能がここから出てしまった。今もこの炉は即死量とされる線量を10倍も上回る放射線がある。もしこの炉に入れば瞬時に死に至る。
福島のここにある原子炉はMarkT型という沸騰水型の古いもの、4号機が一番新しいが、それでも中央自動車道の笹子トンネルと同じ年である。高浜の炉とは形式が違うが、出力は高浜3・4は87万kwで同規模、高浜原発は福島事故この規模を当然にも「想定内」にしてしっかり対策を立てねばならない。3号プルトニウム機事故の解明もされないままで再稼働などはとんでもない話である。
高浜3、4号機はウラン用に設計されたものであって、その炉で当初設計の燃料とは性質(核種)の違うプルトニウムを燃やすのは、灯油ストーブでガソリンを燃やすようなきわめっつけに危険なこと、冗談でも絶対にこんなことはしてはならないものである。
プルサーマルは事故が起きやすくなり、いったん起きれば規模が拡大しやすくなる。制御がききにくくなり、燃え方にムラができて、よく燃えた燃料棒が過熱・破損しやすくなり、制御がむつかしくなるといわれる。
ウラン原子炉であってもプルトニウムは燃えている、出る熱の1/3〜1/4はプルトニウが燃えたものという。それなら同じでないかの論議もあるが、それは違う話である。
では、なぜこんな危険で、電気料金が高くなることをあえてするのであろうか。関電のHPによれば…
「資源有効利用」として、高速増殖炉の実用化によってプルトニウムが利用でき、ウランの利用年限が数十倍伸びると書かれている。
しかしこれはプルサーマルとはまったく別の話である。何も関係がない。
もしや高速増殖炉が稼働すれば、それがプルトニウムを多少は増殖し、それをまた燃やして、ウランの節約になるというハナシであって、ここでその燃料のプルトニウムを燃やせば、その大事な燃料プルトニウムがなくなるではないか、使用済みMOXを再処理する計画もないのだから、別に特に取り立てて理由にするほど有効利用とは言えない。プルサーマルを仮に何万機と稼働させても、数十倍伸びるなどはあり得ない。
使用済みウラン燃料から得られる燃えるプルトニウムの量は、最初に燃えたウランの10%ばかりといわれる。ウランの年限が十倍も伸びるというのは高速増殖炉がうまく行けばユメではないかも知れない、たぶんムリなハナシであって、プルサーマルは死の灰の中から、元の燃料のわずか1割ほどのプルトニウム資源を回収して有効利用できるだけで、残り9割は捨てられる(原子力委員会はそういうが、それすらも怪しいといわれる。ウランも回収されるが、その利用は考えられておらず、もとの使用済み燃料全体からいえば、回収され有効利用できるプルトニウムは1〜2%程度で、残りは捨てるより手はない)。エネルギーを無から生み出すことは物理学上あり得ない話である。せいぜいムダに捨てるものの有効活用だけである。
わずかなもののために超危険な再処理して、超危険なMOX燃料に加工して、超危険なプルサーマル運転をして、放射性物質を放出させ、燃やせば燃やしただけ死の灰も増えるし、その超危険なMOX使用済み処理などを差し引いていけば、何もさして資源の節約とはならない、何も危険を冒してまでぜひとも取り組まねばならないような効果はなく、もし途中どこかで事故でもあれば大赤字である。私などとは違って、国際的に権威ある、どこだったかも言っていたが、プルサーマルに経済的なメリットはない。
プルサーマルによって死の灰の量を減らせると書かれている。「使用済燃料を再処理しない場合、そのまますべてが長期の保管・管理が必要な高レベル放射性廃棄物となります。一方、エネルギー資源の有効活用を行うために使用済燃料を再処理する場合、再利用できるプルトニウムやウランと、使えない廃棄物に分別できます。再処理により分別された高レベル放射性廃棄物はガラスと混ぜて専用容器に封入されますが、使用済燃料をそのまま廃棄する場合と比べ半分以下の量にすることができます。」と書かれている。本当であろうか。
死の灰を減らすということは人間にはできないのである、そんなことができれば何も苦労はない。再処理はプルトニウムをもう一度燃やすためのものだが、燃やせば死の灰がでる。これを考えていないような文章でもある。
全国の原発がこれまでに発生させた「死の灰」の量は広島原爆に換算して100万発分を越える、多少は時間とともに自然減衰はするが、天国に100万発分あるとして1億人で割れば、すでに国民100人当たりで広島原爆1発分の「死の灰」を抱えていることになる。4人家族とすれば25軒で広島1発分の「死の灰」を今後少なくとも10万年を生物環境から隔離管理しなければならない計算となる、舞鶴10万人なら1千発分もの量を永遠に生物環境から完全隔離する、そうしたことができるのであろうか。(実際はもう少し少ない計算となろうが、一千発だろうが、仮に五百発だろうが、事態の深刻さと手の打ちようもない状況は変わらない)
放射能大好き、原発大好きの方も真剣に考えてもらわねばならない。タバコは有害だから好きな人が誰にも迷惑のかけない場所で吸うのがキマリで公共の場所では吸わない。原発だって同じである、好きな人が誰にも迷惑はかけない場所で稼働させればいい、電気の「恩恵」にあずかれない、少ししかあずかれない人の迷惑には決してなってはならない、それだけの覚悟をもって稼働させてもらいたい。できないのなら停止する以外には方法がない。そうした当然の覚悟がない者、タバコとの因果関係が証明できないなどという者、そうした者は最初から原発などはエエカッコして持つ資格がない。公共の場で共生していける者ではないということである。たった30年ばかり動かしただけでも、これほど大量の死の灰を発生させ、その処理法がない、原発が仮に「絶対安全」「絶対無事故」「絶対安価」であったとしても(そうしたことはあり得ないが)、稼働させることはできない。核兵器はもとより「平和利用」で無事故であったとしても、核は人類と共存ができない。
10万年間は今のホモサピエンスが誕生して今までの間で永遠とみていい時間である、10万年後は人類はもういないかも知れないが、仮に滅びていても「死の灰」責任は残る。将来は科学が進歩するから何とかしてくれるだろう、というたいした根拠もない考えだけで、どの国にも解決策はない。
とりあえず地下に埋めておこうくらいしかないようだが、10万年間も安全な地下は天国にはない。今は各地原発敷地や六ヶ所に今後どうするの見通しもないままにおかれているのだが、1千兆円の借金といい、これといい、今さえよければいい後は野となれ山となれ人類史に残る後先も考えないクソどもがしでかした大罪でなかろろうか、天国人よ無責任が過ぎるのではないか。
そもそもプルトニウムを取り出すための再処理は原発よりもよりはるかに多く死の灰を環境に放出しなければ稼働することはできない。もともとが軍事技術であったためにそうした点の考慮は弱い、とにかく何が何でもナチより一日でも早くであった、そのDNAが引き継がれていて、安全性は軽視されてきた。
原発は5重の壁で守られているから安全だなどと宣伝するが、そのすべての壁を破って、特に第1と第2の壁を壊さなければ再処理ができない、死の灰を閉じ込めていた燃料棒のジルコニウム管からペレットを取り出し、それをわざわざ破壊してバラバラにする、従って出てくる死の灰はほかの原子力施設とは比べものにもならない途方もない量となる。
通常運転で六ヶ所再処理工場は「原発が1年で放出する放射能を1日で放出する」と言われている。死の灰は人の力では減らすことはできない、減らせられるのは時間だけである、放射線を放出しながらより安定した物質へと崩壊していく、その核種の持つ厳密に定まった時間だけである。
再処理が行うのは、放射能を環境に放出して手元に残るものを減らすということでしかない。半分以下に減らすのではなく、半分は大気中や海中へ垂れ流して拡散させ地球を永遠に汚染するということである。
六ヶ所ではそのガラス個化体製造が実際は頓挫している。全体は日本技術ではムリでフランス再処理技術で作られているが、この工程だけはすでに撤退しているドイツ技術でつくられた、フランス技術ばかりでは「世界一の原子力技術国日本」のメンツがたたない、そうした理由から作られたといわれる。ところがドイツ技術は白金族元素が溶けずに沈殿するという欠陥があった、それには何の改善もしないまま、東海村実験技術より4倍も大きい施設を作ってしまったのだが、白金糞詰まり重大欠陥は解決されていない、12年6月に3年半ぶりに試験再開した。しかしそれはシロートの政治屋判断に基づいただけのもので、稼働の目途はたたず、まずはムリだといわれるし、地下には断層があり、大津波も予想される。ガラス個化体は何も安全なものではなく、お湯の中に入れると中の物はでてくるそうである。
「世界平和につながる」は、「日本はプルトニウム量を毎年公表するなど、透明性の確保に努めるとともに、利用目的のない余分なプルトニウムを持たないことを国際的に公約しています。プルサーマルによるプルトニウムの平和利用は、世界への約束を守ることにもなります。」と書いている。
これもまた一部だけをとりあげたハナシである。
そもそも原子炉と再処理は原爆の材料になるプルトニウムを取り出すために開発された軍事核技術で、インドなどの例にあるように、普通の原発からでも原爆は作れる。対岸の国の原発に注意集中させているではないか、こうした国々が原発を作れば核開発と呼び、自分が作れば原子力開発と呼んで何か違うものかのように言っているが、同じものである。日本の原発からもその気さえあればいつでも原爆が作れるのはどこかの国と同じである、原発と原爆の境目は紙一重のものである。原発やプルトニウムを取り出す再処理そのものが核兵器禁止にも世界平和にも反するものにすぐにもなり得る。人工衛星と長距離弾道ミサイルが区別できないようなもので、原発推進はすなわち原爆推進、核戦争推進ということでもある。はっきり言えば原発がある限りは、どこかの国が密かに核兵器を製造して保有する、という恐れからは逃れられない。人類滅亡の核戦争の引き金を引く元凶は、原発をおいてはないという物騒な危険物である。核兵器開発を防ぎ核戦争を防ぐには原発を廃止するのが一番よかろう(ウラン濃縮すれば原発がなくても原爆は作れるがウラン鉱がないとできない)。電気のバカ使いをやめていけばいずれそれはできることだろう。核廃絶もユメではなくなろう。それとも従来どおりに原発を稼働させ続けてその危険と他国の核弾頭攻撃の危険におびえるつづけるか、結局は21世紀を生きるひとりひとりの判断にかかっている。
日本には再処理で分離されたプルトニウムは45トンもあり、8sで割れば、5万発以上分にもなる。あくまでも高速増殖炉を稼働させるというタテマエでプルトニウムを持ってきたわけだが、それができない以上は再処理もやめるべきものである。信頼薄い天国がいくら人工衛星だといっていてもそれは通らない、「”余分プルトニウム”と称している事実上の原爆」と見られる、今あるプルトニウムは使わずに「死の灰」として処理するのがよかろう。
少々昔の話になるが、ロシアが核解体で核兵器から取り出されるプルトニウム量が90トンとか120トンとかあるそうで、どうしたものかが問題となっていた、日本に売るとかいった話もあったとか、兵器用ウランは薄めて原発用に使えるが、プルトニウムはそれが難しいしそもそもプルトニウムを燃やせる炉がない、日本に売ったら兵器にされるとも考えられ、どうするかは決まってはいない、中間貯蔵施設に置かれているというが、莫大な量を今後10万年もどうするのであろうか。ものすごい建設コストと管理コストがかかってくる。ちゃんとやれば、OECD試算によれば、プルトニウム1グラムにつき年間1〜2ドルの管理費がかかるそうである。日本の場合なら、手持ちの余分プルトニウムを安全に管理するだけでも。45トン×1000s×1000グラム×1〜2ドル×85円×10万年=総額は天文学的金額
という計算となり、年間38〜76億円が今後少なくとも10万年のしかかってくることになる。アメリカはプルトニウムを民生用に使うことにはヤバすぎて割に合わないと反対である。余分なプルトニウムを持つことを日本の既得権として黙認しているようなことで、これは他国からすれば不平等な話である、なぜ日本だけなのだ、日本が持てるなら我国も持っても問題があるはずがない、と考える国が出てきてもおかしくはないし、自分は処分に困るほども持っていて、どこかの国が少し持てば違反だ問題だなどと身勝手なことは、普通は言いにくい。どうしてもそう言いたいのならば、まずは自分の持っているプルトニウムを処分してからではなければ何の説得力もなかろう。
ではなぜ日本にはそんなにも「余分なプルトニウム」があるのか、それは勝手にできたのではなく、意識的に大変な努力をして大金かけて外国に頼んで再処理してもらい作ったのである。
原子炉の中で燃えないウラン238に中性子が当たると一部は燃えるプルトニウム239になる。これを取り出してまた使おう、うまくやれば、使ったウランよりもプルトニウムは増加させれるのではないか、使えば使うほどエネルギーがさらに増えるてトクになるはず。
燃えつきたはずの死の灰の中からまた新たなエネルギーが生まれてくるのうまい計画、神話か恋愛論か、そうしたたぐいならば結構かも知れないが、このハナシに夢中になってしまい、いまだその夢を見続けているのが日本の官僚である。意外と幼稚でかわいい夢多き頭脳のよう、だがうまいハナシには気をつけろ!
こうした者どもの見果てぬ危険なヘボイ、マンガ的ユメにつきあわされてはたまったものではない。
関電は言わないが、プルサーマルの本当の目的は、余ったプルトニウムを燃やして、なくすためのものである。もっともプルサーマルで燃やしても、死の灰と新たにプルトニウムも作られてくるので、半分くらいしかプルトニウムを燃やした計算にしかならないと言われる。なくすことはできないが、多少は減らすことができるというわけのようである。当初の目論見の頓挫をプルサーマルで乗り切ろうとしている。
高速増殖炉はすでにどの国もあまりに危険なために撤退している、たいしたこともないくせに自信過剰の「日本のすぐれた原子力技術」だけがやろうというもので、ナトリウム漏れや炉の中に鉄塊3、3トンが落ちてそれが回収不能、燃料棒も引き抜けなく、どうにもならない上に、もし地震などで炉が揺すられると鉄塊が炉内で燃料棒や制御棒を破壊するかもわからない、身の毛もよだつ状態で、担当職員は自殺、もし爆発すれば、超チェルノブイリ級で日本アウトであった。その後回収はできたが、炉の安全をチェック中という。
何かすればこんな信じられないような重大事故が続いて、おそまつ過ぎの自分の実力すら正確に客観的に正視できないが、うまくいくなどとは推進側すらユメ考えてもいず実用化の目途はまったく立たない。もし少しでも立つならばプルトニウム原発は必要がない。
しかしもしかしてうまく稼働できれば兵器級のプルトニウム(核分裂しやすいプルトニウム239の割合が高い)が取り出せるので、そちらをねらう暴走老人などの連中は進めたいのである。
そうしたことで、プルトニウムの使い道がなくなってしまったわけであるが、使い道のないプルトニウムを天国が持ち続けることは、全世界に友人なき国である天国は、ソンケーしてくれたりすることはもとより、フツー程度に信頼してくれるような国すらもあるはずもなく、世界平和に対する重大な徴発行為と見られる、オマエらはフツーの考えしとらんやろ、フツーのジョーシキでは考えられんわいや、などときびしく非難され、こんなぶっそうなものを持ち続ければますますますますますソンケーされ孤立を深めると考えて、無くしますと泣く泣く約束せざるをえなくなった。
天国に誇りを持てなどという者もあるが、自分だけ勝手に誇っていてもだめで、皆から尊敬されるだけの、友情を寄せてくれるだけの中味がなければ意味もないことなのである、誇りとはそうしたものである。
分離プルトニウムはなくすと不本意にも約束してきたが、かといって「もんじゅ」稼働の見込みもたたず、なくす方法がない、そこで天国は考えた!
そう言えばカッコいいが、本当は御用学者ども総動員で悪知恵を働かせもっともらしくリクツをあとからとってつけた、仕方ないプルサーマルで燃やそう、というのが事の真相である。
愚かな事をやらかして、それが当然にも不可能となり、その尻ぬぐいで、またまた愚かな行為をやらかして「恥の上塗り」、世に言う「アホにつける薬はない」状態の好見本。これが関電や天国が隠すプルトニウム原発の書くのも恥ずかしい顛末であり、その尻ぬぐいは電力購買者や納税者に、周辺住民、地球上の現在並びに将来世代の全生命に押しつけられていることになる。
プルトニウム239は、ウラン238が中性子を受けてできた人工のもので、天然にはまず存在しない放射性元素、半減期は2万4千年、α崩壊を起こす。α線というのは中性子2個と陽子2個からできているヘリウム原子核。ほかの放射線よりもエネルギーと粒が大きくα線は近くのものに与えるダメージは大きいが、すぐにエネルギーを失ってしまい透過力が弱く紙1枚で遮断できる放射線である。α線は空気中では45o、人体内などでは40マイクロメートル(0.04o)ほどしか飛ばない、衣服を通ることはなく、仮に人体に当たっても0.04oしか進まず、皮膚のごく表面だけで止まる、人体の外にある場合は、被曝はまず問題にはならない。β線も体外にあれば大きな問題はなく、体外の被曝で問題になるのは主にγ線だけである。
しかし容易には検出測定できないという難しさがある。たとえ目の前に山ほどもあったとしても大気中なら、4.5p以内までに近づかないと検出できないことになるし、普通のγ線線量計では検出できない。大量にあっても人の目にはみることができない。
フツーの線量計はα線やβ線は計れず、γ線を計っているだけのものである。αやβは計れないし、外にあるのなら人体には影響はないものであるとして、外部被曝量というのはγ線線量だけで、それも屋外にいるのは一日の3分の1だけとして計算される。
しかしこれがいったん体内に入ってしまうと(内部被曝となれば)、うって変わって超深刻な事態となる。
これは府のパンフなどにも書かれていない、天国は低線量被曝や内部被曝を認めていない、「核の傘」の元では、核兵器に依存しており、核製造や配備を妨げるこうしたわずかな漏れによる被曝の危険な実態などユメ認めることはできないのである、認めればそんな危険な物はここへもってくるなとなり核戦略が足元から崩れてしまう、何も医学的に正しいからとかそうした正当な理由からではない。
府もそれに同調したのか、同調したのなら同調したとはっきりと書いておくべきだろう。府民の多くはそうした知識もなく府を信頼しているのだから、このパンフでは内部被曝や低線量被曝には事情あって詳しくは触れていませんとか、注意書きくらいはしておいてもらいたい。
外部被曝も内部被曝もしっかりわけて考えていず、内部被曝の超危険性を隠すことになり、本当は即書き改められるがよかろう。原発近くの自治体である以上は当然にも被曝にはきびしい態度であってもらいたい。
いつだったか、元KGBという男がロンドンで暗殺されたと報道されたことがあった。英国健康保険庁は、男の尿から「ポロニウム210」が検出されたと発表した、死因は体内被曝による多臓器不全、ポロニウムの致死量は1億分の1グラムと言われ、男の身体からはその100倍の量のポロニウムが見つかったという。ポロニウムはたったの100万分の1グラムであっても体内に入れば、もう助けようがない。
ポロニウムはポーランドの名をつけたもので、キュリー夫人が発見した放射性物質、α崩壊する、半減期は138日とプルトニウムと比べれば超短いのが救いか、原子炉でつくられ現在の年間生産量は100グラムほど、多くがロシアで造られている。ポロニウム210から放出されるα線は強度が強い(ウランの約100億倍)、α線の発生源として研究に利用されたり衛星の原子力電池になるという。夫人はラジウムとポロニウムの発見でノーベル賞を貰ったが、夫はブラブラ病で馬車にはねられ、夫人自身は白血病で亡くなった、どちらも多量の放射線を浴びたためと思われる。
ポロニウムは最も毒性の高い元素と言われていて、危険性が高いため、十分な医学的なデーターはない。体内に取り込まれても問題が生じない量は、わずか、7ピコグラム(1兆分の7グラム)であると推定されているという。
プルトニウムも同じα崩壊で、その許容量はICRP勧告でも、0.6マイクログラム、酸化プルトニウムにすれば、直径50ミクロンの粒子1個分だけ、これは職業でプルトニウムを扱う人の「許容量」だが、こうした許容量などはいいかげんなものであるが、それですら、こんな目にも見えない少量とされる。一般人なら、直径1ミクロン(1マイクロメートル・千分の1ミリ)の粒子1個程度だろうとされる。これがα崩壊する放射性物質の他にはない超危険性であり、プルトニウムは人類には実際は新物質であってその危険性は正確にすべてわかっているわけではない。
サスペンススパイ映画の上を行くような話は、ロシアばかりではないアメリカでも似たような事件が起きている、プルトニウム会社に勤める女性が、その社のプルトニウム管理のずさんさや検査のゴマカシが多いのに密かに気づいて事実を調べ外部とも連絡を取り始めた、しかしやがて自宅の冷蔵庫内の食べ物や自分の身もプルトニウム汚染されていることを知り、これはヤバイ何かが動いていると気づき、身の危険が迫っている、生きている間に急ぎ告発しようとメディア記者と会うべくその場所に急いだ、しかしその途中に後から追突されて死亡した、犯人は不明、車内の証拠書類はことごとく消えていた、以前からFBIは反原発運動家として彼女をマークしていたので、事件のバックにはその影が見えるといわれる。天国でもそのバックにはこうした黒い影の気配が見られる。
プルトニウムがそれほど高濃度でなくとも10sほど手に入れれば原爆がつくれる。あとは高性能火薬を手に入れて…。そうした危険がでてくるし、それを防ぐという目的もあって天国でも似たような謀略事件が起きないということはないかも知れない、反原発に取り組む方は、それは覚悟であろうが、どうぞじゅうぶんにご注意を!?
原発を持つということは、すなわちプルトニウムを持つならば、本当にバラ色豊かな天国社会となるかどうか。こうしたうんざり憂鬱の警察軍事国家社会に変質せざるをえなくなることを実例が教える。地下マーケットでは、麻薬の5倍程度の値段でプルトニウムは買えるという。いかに管理を強めても完璧はムリで密か流れ出てこうした地下組織の資金源の一つにもなっているのだそうである。
なぜα線発生源が体内にあれば、それほどにも危険なのだろうか。
大きな質量大きなエネルギーのあるものが、超近距離しか飛ばないのだから、破壊はそうした狭い範囲内だけで集中的徹底的に行われることになる。そしていったん体内に入ってしまうと体外へ排出されにくいという化学的性質もある。プルトニウムは骨になってしまうと50年でようやく半分が排出される(生物学的半減期)、ストロンチウムもそれくらい、人為的に取り除いたりすることは不可能で、一度体内に入ればもう終わりである。ヨウ素やセシウムで100日くらいという。
長崎大学で2009年、被爆後亡くなった方の腎臓を特殊方法で撮影した、そこにプルトニウムがα崩壊している軌跡が捉えられていた、そのプルトニウムは長崎原爆由来であることもつきとめられた、実際の内部被曝が写された最初のもので、被爆後60年を経てもこうしたことであり、ノーベル賞ものとも言われるが、内部被曝はないとする天国はじめ国際核推進勢力にとっては何とも都合悪すぎる証拠写真で、オオウソがばれると密かに隠されていったとも言われるが、いまはネットがあって、次々にコピー↓され、リンクされ共有されるので隠すという古典的方法は何も意味がない。
人間にとっては60年もの長い間だが、プルトニウムにすれば一瞬の時間にすぎない。今後2.4万年して半分となり、さらに2.4万年して4分の1になり、1000分の1となってほぼ消えるのは100万年後である。そのころ人がいるか知らない、かなり愚かがすぎることもあるので、いるとは私は予想を立てにくいが、このサンプルを調べる何者かがいれば、まだわずかにα軌跡が観測されるだろう。
「
死の灰の放射線、世界初の確認」
γ線(X線・レントゲン線)なら、多くのエネルギーが体を突き抜けて、半分は体外へ飛び出してしまう、光や電波と兄弟の電磁波(光子)で、波長がたいへん短い、波長が短いのはエネルギーが高いことで、可視光線の千倍のエネルギーをもっている(千個の太陽で照らされたような話)。光でも波長の短い(高エネルギーの)紫外線が皮膚癌を引き起こすように生物に有害である。UVカットなどと女性はよくご存じかと思うが、ウルトラ・バイオレットと超紫色と呼ぶのか、日本語では紫外線、太陽光をプリズムで分解すると紫色の外側に出る、ミツバチには見えるというが、人間の目には見えない光線で、目にも有害だから見えないがよい、オゾン層で吸収されるが、これが薄いと突き抜けてくる、水虫退治に使われたりして菌や生物には普通は害がある。カメラにも有害でUVカットフィルターを付けたものだが、デジタルの今はどうなのか聞かなくなった。X線は光の仲間のため感光板を黒く変色させる。X線の波長は原子の大きさぐらいしかないので、
軽い原子や分子などには吸収されにくい、レントゲン写真の黒い所は、その突き抜けやすい組織で皮膚や筋肉、白く写っている骨などはその分が人体細胞に吸収されたわけで、そこはγ線被曝が多かったことになる。妊婦にレントゲンやCTスキャンは当ててはならないとされている。
α線1本は人体内で0.04o飛ぶだけ、細胞数個分だけであるが、その間に10万回の分子切断を行って、エネルギーをすべて失って止まる。たった1本でそれだけのダメージが発生する。
これがDNAを切断する、二重らせんの遺伝子を切ってしまうことになる。人の細胞は一般に0.02oほどだか、その中にあるDNAは驚異的に長くつながったひも状の分子で、4種類のヌクレオチドが百億個もつながっていて、一つの細胞内に2メートルも入っている、しかし二重らせん分子のひもの太さといえば直径2ナノメートル(=0.000002o)しかなく、ほんのわずかな力でも切れる。
細胞が分裂する時は二重らせんがもう1セット分コピーされ、2倍に増えて4本になるが、この時がもっとも不安定で外部からのダメージに弱い。人間の出産時でも同様で母子共にたいへんヤバイ状態、安全な出産はないといわれる。産屋といった施設は出産を「穢れ」として避けたとものされるが、本当はその期間を労働から解放させる意味が隠されているようである、母子安全のためのもののようである。
抗がん剤は、おそらくX線治療というのもそうだと思うが、ガン細胞のこの分裂時を狙って殺す、その時が一番弱いからである。ただターゲットのガン細胞だけでなく、分裂盛んな健康細胞の分裂も妨げたりするので、毛が向けたり、放射線被曝とそっくりの副作用が出ることもある。
薬と毒は紙一重、薬の服用には制限がある、これを守らないと毒になる。危険と安全も紙一重、安全だといわれても、そのまま100%安全と信じるのは危険すぎる。安全にも何%かの危険が含まれている、安全がいつくも重なると、その中の危険も積み重なり、全体としては危険なものになっていく。仮に0.01%の危険であってもそれが1万回積み重なれば100%危険なものとなる。安全にも服用制限が設けられるべきだと思われる。超複雑超複合システムの原発は一つ一つのパーツの安全が何千何万とも積み重なったものである、こうなるともはや安全はないのである。仮に一つ一つの部分が安全であったとしても、部分だけでは原発は稼働しない、部分がより集まって原発全体としてこそ稼働するものであり、長期間のいかなる事態に対してもその全体の安全を完全に保証することなどは科学的にはもはや無理な話になってくる。交通事故をゼロとできないのと同じ理屈がなりたつ。道路が悪いと事故が起こり、道路をよくすればそれはそれで事故がおこる。われらは神ではない、人間がすることはこんなことである。
明日どんな地震がありどんな津波が来かの予測もできない者が、商売上の都合から「大きなものはない」の前提で作られた原発を安全などという者は低開発国か三流属国政府か烏賊様師かその類が資本が安全ですという意味で使っていることしかありえないである。
放射線のエネルギーは遺伝子分子が互いにつながっているエネルギーの何万倍も高いためにひとたまりもない、カミソリで豆腐を切りさくようなことになる。プルトニウムは小さなカミソリがぶんぶんと飛び出しているものと見ればわかる。人とは60兆個もの細胞の集まりであるが、その細胞内の遺伝子情報を切り裂かれてしまうと、今の医学ではウンがよければ何とかなる場合もあるが、手が付けられない場合が多い。
徹底的にバラバラに切り裂かれて破壊されてしまえば、細胞は再生情報を完全に失い再生できなくなり死にいたる。よく細胞分裂する細胞から症状がでて、毛が抜ける爪が抜け皮膚もむけるが再生はされない、血液も細胞分裂なので、破壊されれば白血病などになる。多量に浴びるとたくさんの細胞や臓器は死んでしまい、もう手の付けようもない。
被曝直後にDNAが切断されて異常が出るということだけではなく、直後どころか50年も異常が見られず正常であったものが、60年も経てからDNA異常が信じられないほども多量に突如として出てくるということもある。人間一人からみれば死ぬまでずっと「原発」を抱えていて、それは時限爆弾のように、いつどこで発症するかはわからない、何回発症するかもわからないもののようである。60数年昔の原爆についてすらその被爆被害の全貌をわれらは正確にはいまだ知らないのである。
子供があぶないのはその細胞分裂が盛んだからであり、単位容積当たりでもより大きな線量になってあらわれるからである。神より授かった神に最も近い者が危ない、近ければ近い者ほど、小さければ小さい者ほど危ない、人の宝が、人の未来が危ない。何かあっても医療は救うことができない。
1歳以下の幼児は大人に比べ、がんのリスクが3〜4倍高くなり、女児は男児よりも2倍影響を受けやすいといわれ、胎児は特に危険といわれる。これから子をつくろうという男女、特に女性は「許容範囲内は安全」などを信用せずに被曝はどうか避けて下さい。
文科省は一時、児童の年間被曝限度を20ミリシーベルトとしていた、これは原発労働者などの許容量であって、一般公衆は1ミリシーベルトである。世界最悪の基準量ではなかろうか。
子供に対する国家犯罪だとの世論に押されてしぶしぶに1ミリシーベルトに改めた。しかしその1ミリシーベルトは学校にいる時だけの話で、通学時や家庭などにいる時の被曝は含めない、給食などによる内部被曝は含めない、という実際はありえない想定をしたもの。
もし1ミリシーベルトとすれば莫大な除染や学童疎開費用が発生するからであるが、以前からそうであったが、政府、文部官僚も与党政治屋もいよいよ本格的に狂ったと思われる、そうでもなければアリエナイ数値である、泣いて抗議し何とか内閣参与が辞任した「学問的にみならずヒューマニティからも受け入れがたい」と、こんなものが通れば学問も学者も政府も国も何も必要はない、無茶苦茶の無法地帯だ。何を言い出すやらわかったものでない、日本の教育を担っていく資格の真底が問われる、オマエどもの教育がまず必要である、何でそれだけ通産官僚ごときや電気屋ごときものの肩をもつのか。せめて一人前の大人のつもりならもうちいと大人としての重い責任を自覚しろや。大人の責任は次の世代を育てることではなかったか。
放射線被曝すると粗暴になり成績も下がるという話もある、原水爆の地上実験のピークの年と彼らが生まれた年がピタッと一致するという。
「
明日に向けて」
私が10歳の頃が最も盛んに実験が行われ、小学生だった私どもなどは「黒い雨」が降るから、それに当たらないように登下校するようにと学校からいわれ、その訓練もさせられたりもした記憶があるが、その年あたりたりに生まれた人が問題になったという、当時の母親たちも今ほどの知識もなかったと思う。
これはアメリカでの調査データーの話だが、ヨウ素が一番疑われていて、甲状腺に蓄積されて脳発達を阻害するのではという、属国ではそうした調査がないようだが、愚妻はそのころの生まれであるのだが…、何度かのどにポリープが出来て声が出にくい、歌が歌いにくいと、言っていたこともある…
何が起きるかはわからない、あるいは日本でも福島とピタッと一致することになるのかも、文科省さん。
多少ならば、自然にも起こることで(日本なら年間1.5ミリシーベルトくらいの自然放射能に常時被曝している)、生物には修復していく力が備わっている、切れてもつなぎなおし、1本だけ切断され破壊されたのなら、もう1本からコピーされて正常に修復される。遺伝子はそれぞれ2つづつあり、一方に異常ができても、正常なコピーの方から修復できる。(性染色体は別で男性にはその機能がない、男は意外と弱く、男だけに現れるという遺伝子上の病気もある、厳密にはX染色体の2つ共に異常があれば女にも現れる)。何億年の進化から受け継いできた驚異的な生命の力であり、自然に発生する程度のものであるならば、まあそう気にすることもないしどうしようもない。
自然放射能でも障害はあるが、そのマイナスとバランスを保ちながら生物は長い歴史を全体として生存してきたのであろう。このマイナスが人為的に大きく増加すれば自然界のビミョーなバランスは一気に崩れかねない。
被曝に最も弱い胎児が自然放射線をあびて先天的畸形で生まれてくるのは10万人につき1〜2人あるという(認めないの説も多かろうが)。自然放射線の量だといえども、これくらいは出るといわれる。胎児には自然量であっても危険な量のようである。地表には何地点か特に自然放射能が高い地がある。
切断があちこちで多量に発生した場合は、傷口があちこちにできて、つなぎなおす場合に誤ってつないだり、誤って修復してしまうことがある。
これがDNAの誤情報となりガン細胞となる。あるいは誤情報が将来世代に遺伝したりする。体内の放射能はどんな所へも運び込まれていくので、ガンだけでなく、あらゆるところであらゆる病気をひきおこす危険性があるが、しかし発病までには長い時間差ができて、因果関係を立証するのは難しくなる。何が起きるかはよくはわかってはいない。ずっと先の世代にならないと目にみえるような障害となって現れないという。自分や子や孫が大丈夫といって放射能は安心じゃとはいえない、障害はもっともっと先の世代になってから突如として現れるかも知れない。
広島では当時は産婆さんが取り上げたのだが、肉眼で確認できる畸形が多いことが被爆後15年間ほどは評判になっていたという、うっかりしたことは言うはずもない産婆だが、それでも漏れ出て、それを警察がききつけて、アメリカに聞かれたら大変だ、銃殺だぞ、言うなよ、と注意して回り、被爆者の治療に熱心な医師は何度も逮捕され、表には警官が見張っていたという。GHQは郵便物も開封し検閲していた、二千人の日本人検閲官なるものが2億通にもなる郵便物を英訳したという(NHKが放送しているから本当である。情けない日本人も多かったがなかには良心的な人もいて正直に書き残していた)。自由の国でも何でもなく検閲国家だといことをよく知っておかなければならない、明らかに憲法21条にアメリカは優越していた、今もその伝統は密かにさらに大々的に続いている。彼らに都合の悪い被害は権力によって隠されているということをよく頭に入れてかかる必要を教える歴史である。
福島の場合は広島原爆のウラン換算で20個分、セシウム137の放出量を単純比較すると168個分だそうで、今後それに比例して晩発性ガンなどが出て来ることは避けようもないのである。まず白血病があらわれる、これはよく知られているが、それから潜伏期を経て肺がん、胃がん、乳がんなどが増加してくる。0.5〜1シーベルトくらいから発生率は倍加するという。胎児や小児はもっとずっと低い線量、0.003シーベルトでも倍加する。
もうすでに子供の甲状腺癌が異常に高くなっているといわれるが、因果関係不明ということで見逃されているという。広島の100倍以上の健康被害、死亡も含めて将来当然にも出てくるという重い重い荷を天国は負ってしまったのである。
何の知識もなかったり極力隠されたりした広島時代よりは知識は高く、避難などや医療なども、その当時よりは進んだので100倍ということはないかも知れないが、その代わりに長期にわたる避難生活などによる健康被害などが出る、被曝として計測化できないかも知れないが家族バラパラなどの苦痛が長引く、また25年前のチェルノブイリ事故のソビエト政府の対応と比べてどうかだが、それもトータルでみて25年後の被爆国日本政府の対策がたいへんによろしい、とはとても言いがたいようである、日本のかなり広範囲にわたって被曝された方々は不幸なことながらもいつか将来その身にどんなことで「原発がでる」かもと覚悟は決めねばなるまかいと考える、人ごとではなく日本に住んでいればどこであってもほぼすべての人がそうであろう。被曝は福島だけなどとは考えてはならない、だれでもなく自分の、自分の子孫のごく身近な大問題である。われわれは子孫に顔向けできない大事故を起こしてしまったのである。
何とかいう「国際専門家会議」は3.11の半年後に福島でわけのわからぬ事を発表した「チェルノブイリに比べてずっと軽微な事故で、事故直後の保護や避難など対応も適切だった、住民への健康被害はきわめて小さいと考えてよい。1〜20ミリシーベルトとしたICRPの基準も、インドなどにはこの程度の放射線を自然に発生する地域もあるが住民は健康に暮らしている」、と日本みたいな国でならこんなエエカゲンなことを言っても許されると考えたか、田舎へ行くとついハメが外れてしまい、いわずともいい本音がついポロッと出てしまうようで、「優れた原子力技術」などと勝手に自慢してみても、ソトからは「日本ごときところでは」と、いかにしんからナメられているかもよくわかる。
インドのケララという所は3.8ミリシーベルトだそうだが、海から寄せてくる砂に放射能がありそうで、地域によってバラツキがあり、海岸から2キロも離れればゼロ、個々人の被曝量が計れてはいない、イランのラムサールという所は自然放射線が10ミリシーベルトもある、あまり人は住んでない土地そうだが、これはラドンによるもの、ラドンはウラン238が崩壊したもので、ウラン鉱山では早くから肺がんが多いことが知られていて、鉱山から離れれば離れるほど少なくなるが、これ以下ならガンが発生しないという閾値がないことが知られている。人が住んでいない所や医療も低く放射線障害や癌であったとしてもそう正しく認識されるかどうかもよくわからない上にしっかり調査できていない場所の自然放射線を言い、住民は元気といってもほとんど意味はなかろう、病院がたくさんあるという舞鶴ですらも失礼ながらそうした程度ではなかろうか、のぉそう疑われても仕方あるまい、どこかの放射能ガレキ受け入れ大賛成の医学博士市長どの。それは国際専門家なるもののエエカゲンさのレベルがわかるということでしかない、まして少々なら放射能で元気になるなどはウソで、ICRPでも認めてはいない。自然の放射線については生物は長い進化のなかで、それを避けるためにある程度は体を適応進化させてきた部分もあるが、人工放射能に対してはまったくそうした備えはなく無防備である。今後10万年間もつきあわされれば適応していくかも知れないが、それ以前に死に絶えるかも知れない。滅びるのはアッという間である。
タバコでも以前はそうした話はあった、周囲のタバコの煙にどうも咳がでてたまらない、医者に言ったら、それはあなたがタバコを吸わないからでしょ、タバコを吸えばなおります、などと言われたという。
データーの一部だけを切り離して、針小棒大に理論付けすれば、どんなことでも実証的科学的に「証明」はできるものである。そう考えるのなら自分がどんどんどんどん好きなだけタップリ浴びればよかろう。誰も止めはしないから。
チェルノブイリよりは少ないが、それでも広島の100倍もあり、対処も決して適切といえるものではない、いまだ誰も放射能に対する正しい知識を持たず、差別や無理解も残された。国際専門家会議とは名ばかりの、あくまでも原発生き残りをかけて、推進派御用学者専門家どもだけを集めた可能な限り事故の被害を低く見せようとする、被害者には心ない何の役にもたたない気休めにもならない政治キャンペーンであり、歴史は繰り返すの言葉どおりに原爆被害の実態を隠そう、小さく見せようとした加害者・進駐軍の再来版、茶番劇版のつもりのようである。オマエら全員がこの事故の責任者のハシクレだろ、何の反省もないのか、それが被爆国で何をいまさら寝言をいうかと、腹をかかえて笑ってやり、国へ帰って屁でもこいて寝ろと、言ってやるより手はあるまい。
新政権は福島視察に行ったそうだが、そこで原発ゼロを見直すとさっそく馬脚を現した、わざわざ被災地の視察に出かけてもそこに横たわった大問題が見えていないことを公表してしまった。2%インフレ目標とか自由経済、しかもグローバル化した世界経済が政治屋ごときの思うがままに繰れるとみていたり(そうしたことが出来れば何度も経済危機などがおきたりはしないし、ノーベル賞はまちがいないもらえる。実体経済に対する手当なしに従来路線を右に禁じ手側へ拡大して繰り返せばまたまた超レベル7の大事故と2000兆円の大借金消費税100%年金ゼロにさらなる大デフレなどなどとすぐにもさらなる経済悪化と国家崩壊となってあらわれよう、右翼政治屋などには内外の誰も期待はしていない、今よりは悪くはしないようにだけはしてもらいたいがそれもムリの様子に見える)、政治見識や感覚のレベルは前政権よりもさらにシロート、青二才のあほくさい幼稚さで、誠実に問題に向き合えないこうした御用学者とはたいへんに仲良くなれることだろうが、問題はどうやらナニ一つとして解決できそうにはない。かと言ってそれ以上のチエもなさそうな無能さで、ここはもううんざりだが、とりあえず仕方がないから、と票が入っただけの、消費税が実際に2倍に引き上げられた時点で終わる砂上政権のように見える。
1ベクレルというのは、1秒間に1本の放射線を出すということ、核崩壊を起こすことで、1年間ならば、1×60×60×24×365=で、だいたい3000万のカミソリが飛び出ていてDNAを傷つけることになる。出てくる放射線の種類は核種によって異なる。s当たりとかu当たりとかで計測される。以前はキュリーといった単位で、1キュリー=370億ベクレル。
シーベルトというのは放射線が人体に与える熱エネルギー量で、実効線量などと呼ばれる被曝量の単位だが、直接計測することは難しく実測値ではない、空中にあれば、食べればどうだとか、吸い込めばどうだとか、そうしたことで推計する数値である。以前はレムという単位が用いられた。1レム=0.01シーベルト。
しかし推計はあくまで推計であって、どこまで信用できるかは不明な、たいしてアテにはならないものであるし、計算式はICRP(国際放射線委員会)とECRP(欧州放射線リスク委員会)によって違う、外部被曝は同じだが、内部被曝の推計値はICRPがすっと小さくなり、ごまかしといわれ、実際にはいまのところ内部被曝量を正確に計る方法はない。
(内部被曝は認めない、低線量被爆も認めないというヘンな恥さらしの被爆大国でも、最近は内部被曝量が計れる機械(ホールボディカウンター・WBC)の導入が東北などでは見られるようで、全国に百台ばかりしかないようで、申し込みが殺到しているという。ウクライナとかの外国製であるようだが、しかしこれでもあくまでもγ線のみを計っているもので、最悪のαやβは計れない。内部被曝していても取り除いたりするなどの確かな方法はないが…)。
こんなもので安心安全などいわれてもゆめゆめ信じないことである。それは安心安全だから病気が出ても、出るに決まっているがしかし一切補償はしませんよという、補償打ち切りのための線引きの言葉だと理解しておこう。
100シーベルトなら即死、8シーベルトで100%死亡、4シーベルトで50%が死亡、1シーベルト被曝すれば5%の人が癌で死亡するとされている。福島の児童の校内被曝20ミリシーベルトならOKなどと文科省がいうのは、校内被曝だけでも0.1%の子が死亡する量になる(子供は大人より3倍くらいは被害が大きいため、0.3%になる)。舞鶴10万人全員が20ミリシーベルト被曝なら100人が死亡という値で、どれだけ児童がいるのかわからないが、舞鶴でもし100人も(子なら300人も)死亡すればどんな大変な大惨事かを考えてみればわかろう、交通死亡事故なら運転手などはその場で逮捕、小会社なら倒産は免れない、福知山線脱線事故の死亡者がこの数値だが、どれほど社会に深い衝撃を与えているか、交通事故による死亡者はだいたい府内全体で1年間100人くらいで、舞鶴は5人くらいである。
0.1%死亡だから、残りの99.9%の人はビンビンの健康体などと考えてはならない、程度の差はあっても彼らもまた生涯頻繁に入退院を繰り返し、決してなおることない正体不明の病気に苦しむ。
致死量以上の放射線を浴びるということは、かつて不幸にして広島長崎の原爆投化直下、爆心地で多量に発生したことで、熱戦や爆風などでの即死は免れてもやがて間違いなく死んでいく。原爆を直接に浴びなくとも後に救助のために被爆地に入った人々にも発生した。原爆病を治す医療は人類はまだ持ってはいない。
アメリカの原爆開発のそもそもの目的であったナチはすでに滅びていたし、日本も一部の狂人軍部をのぞいてもう限界に達していた、日本との戦争終結を早めたいという目的なら、何も大都市に落とさずとも人のいないところへ落としてもいいのだが、わざわざ空襲をしてこなかった無傷の都市の上へ、しかも人が最も屋外にいる時間帯を選んで投下したといわれ、こうした原爆投化による人的被害を知るための人体実験でもあったようである。低国の子孫が判断しても見下げ果てた者どものナチや低国の殺人鬼どもすら思いもつかないほどの残虐行為であるが、人間が人間に対して許される行為であろうか、しかも民主主義とか人権とかに高い価値を置いているはずのアメリカをしてであった、しかしこの後はこうしたドクソどもやその追従者どもが世界を支配していくことになる。核兵器というものはいったん軍人屋や政治屋が手にすれば当初の目的を離れて無防備な人々の頭の上で実際に使われるという実例で、人類が亡ぶ日まで記憶され続ける恥ずべき、アメリカとすればどこへも顔向けできない汚点の歴史である。
放射線を死ぬほども浴びても人の五感では何も感じない、痛くもかゆくもない、しかししばらくの後に悪心や嘔吐、ひどければ失神や昏睡があるという。爆心地に近ければ近いほど早く死んでいった、死亡までの時間は爆心地からの同心円上の距離に正確に並んでいて、まるで申し合わせたかのように同じ悲惨な病状で死んでいった。これは「死の同心円」と呼ばれるが、爆心からの距離の二乗に比例して被曝量はすくなくなり、生き延びられる確率はあがる。一体何が原因なのか医師達も経験したことはなくわからなかった、チフスかペストなど伝染病を疑い死亡者を密かに解剖し内蔵を観察したりもしたが、そうではなかった、さらに調べてみると血液がおかしい、これはどうやら強烈なレントゲン線かラジウム線などを発した新型爆弾のせいらしいとわかってきた。身の毛がよだったという。
幾日かしてまず無数の紫斑ができる、内部出血であるが、そして喉が腫れる、扁桃腺が腫れるというか壊死する、口内粘膜はじめあちこちの体内も含めて粘膜から出血する、髪の毛が多量に抜け落ちる、最後はゴボッと血を吐いて血だらけになって息絶える。東海村で起きた悲惨な事故死と同じである。
もし舞鶴の軍事基地をねらった核弾頭がその上空何百メートルかで爆発すれば、今の核は広島長崎とは比較にもならない強力さ、最低ですら100キロトン、広島長崎の5〜10倍はあろう、弾道軌道へ打ち上げられればイージス艦のタケヤリミサイルは撃ち落とすことはできない、近くの国からだと10分とかかない、地球の裏側からでも30分で飛んでくる、誰も逃げることなどはできない、舞鶴の全域が致死量以上の線量となろうから、全市民がこうして死んでいくことになる。病院もすべて吹き飛ばされているし医師も看護師もいない、いたとしても効果的医療はない、もう助ける方法はない。五老ヶ岳の上空600メートルでもし核弾頭が爆発すれば、自分の住んでいる所がどうなるか、想像すればよい。
もしやどこかの国の軍人屋や政治屋が日本へ落とすというなら核兵器大好きの老人などを知事に選んできた都市やそのお仲間どもの都市へ投下してくれよ、日本には大好きがいるのだからそこへ落としてやれ、舞鶴へは落とすなよ。(あくまでも冗談です、どこであっても決して落とすな、日本もそうしたものは、ボーソウ老人やボンボンが何とバカを言おうとも、決して保持してはならない)
グレイという単位も用いられる、吸収線量といい、ほぼシーベルトと同じものである。厳密にいえば、1グレイは、1キロあたり1ジュールの吸収した線量、1ジュールは1ワット秒、0.24カロリーに相当。
グレイ以前はラドといった、ネズミを殺すX線量が1ラドで、1グレイ=100ラド。人は1000ラドで、だから10シーベルトで30日以内に死に到るとされている。
1999年に東海村JCOで臨界事故があり、作業員は20シーベルトもの被曝をし、83日後になくなった、さらにもう一人もなくなって、原発関連死として公式にも認められている、原発で死んだ人などない、などというのは大ウソである。どこかの電力会社課長とかがそんなことを言って問題となり、会社は後に不適切発言としぶしぶ取り消した。仮に本当になかったとしてもそれは「かつて誰も餓死する者などは見たことがない」というのと同じで、そのリクツで原発安全性を証明できたりはしない。
α線内部被曝の場合はその1つのカミソリは止まるまでに10万回の分子切断をするわけだから、たった1ベクレルといえども油断はできないものなのである。放射線には安全量などはない、どんなに低くてもそれなりに危険であり、基準値以下ですとか、ウチの商品は線量が低いから安全宣言します、直ちには障害はありません、などはユメ信じてはならないものである。「安全基準」なるものはあくまでも推進派が事故の補償逃げのために苦し紛れに御用学者総動員して設定した「基準」でしかない。これ以下ではガクシャもアンゼンといってるでしょ、だから補償はしませんよ、という意味をもつ基準である。
福島から地球を一周してきたものと思われるが、舞鶴市大山のシイタケから、1s当たり0.29ベクレルの放射性ヨウ素131、3.0ベクレルの放射性セシウム137を検出していたそうだが、粉ミルクの場合は日本は200ベクレル/Kgとなっていたが、最近50ベクレルに引き下げられた、それでも毎日1リットル飲んでは排出している赤ちゃんなら年間に15億本もが攻撃していることになる。それでも正常に生きているのかと奇跡のように思えるほど。
日本の大手メーカー製の粉ミルクから30ベクレルのセシウムが検出され基準値以下だったが40万缶を交換したという。
このメーカーはどうかは知らないが、大手の場合は線量の高い製品を買いたたきそれに低い製品を混ぜて全体を引き下げて売るというウマイ手があるそうである。独占企業でない場合はこうした市場原理が働き買い手が安全商品を選べ、安全でない商品を作れば倒産する、しかし現在は国家独占資本主義段階に突入しているので、その資本主義のよき郷愁の「見えざる手」が働きにくくなってしまっている。原発などはその弊害のもっともよい見本でなかろうか。
セシウム、ヨウ素、ストロンチウムなどのβ線は電子で体内では1pほど飛んで1本が2万5千の分子切断をする。空気中なら2メートルばかりであり、β線も外にあればそう問題はないが、内部被曝はこわい。破壊力はα線よりは低いがγ線よりは強い。こうした核種がβ崩壊したあとにできる核種はγ線を出す。
中性子線が出る場合は、核の崩壊ではなくて、核分裂で、こんなものが出る場所にいればもうダメと思うより仕方もない。
1ベクレルであってもα線なら15億×10万回= 私の頭では計算もできないが、それほども分子切断をする計算になり、数ミリシーベルトで「めまい」「衰弱」「脈不整」などが見られ、チェルノブイリの周辺の村へ行けば「このあたりには健康な子供はいません」の答えが返ってくるというのは、こうしたことなのである。
ここでは細胞レベルの放射線障害の話ばかりしたが、もっと小さい分子レベルでも障害を受け、細胞を形作り運動させている生体分子化学反応に障害がでるわけで、その場合はどんな病状がでてくるのかすらよくはわかってはいない。
医学が何とか到達しているのはiPS細胞とか細胞レベルである、それを形作っている分子のレベルに到っては専門家でもわからない、私ではその能力ゼロで書くことはまったくできないが、DNA切断だけが問題ではないのだ、放射線によって何がおきるかはわからないのだ、ということを知っておいてもらいたい。
赤ちゃんにミルクに混ぜてカミソリを飲ませるという邪悪きわまりないことを、天国ではするのであろうか。大江山の鬼も山椒太夫も、さすがにそうしたことはできないであろう、彼らにも種の保存本能が働くからである。知らずにやっているなら超愚かであるし、知っていながらヨクに目がくらみやるなら人間ではない、鬼よりもクソよりも劣る極悪非道の万死に値するものである。
強きにつくのはたやすい、金持ちにつくのもたやすいが、それが天国につながる門であるかは別の話である。一瞬で世界が終わる門かも…
機械の老朽化、劣化もひどいが、それ以上に大問題が、天国を推進しようとする人々の経年化、劣化、マンガ化、不確かさ、機能不全さであろう。これがそうとうな野蛮さで、よく顰蹙を買っている通りであるが、なかなかに悪賢くしぶとい、国策としてもう何10年も続けてきているわけで、あれだけの大事故があっても簡単には退いたりはしそうにもない。
大方の日本人の政治能力から考えて、こうした重大な問題が簡単に解決されるとは思えない、のど元過ぎれば、三歩あるけば、過去の痛い体験は忘れてしまう、おそらくは何が何だかもわからないうやむやで推移することであろうと心配する。何かネズミのような動物が穴から出てきてエサを探すのだが、目の前に犬類の捕食者がいるのに、三歩歩くとそれを忘れてしまい、襲われても穴へ逃れられない距離まで行ってしまい、まんまと喰われてしまう。アホな動物もいるものだとあきれたり悲しくなったりしたものだが、人もこの脳の足りない動物とたいして変わらないように思えてくるのである、危機は目の前に山ほどもあって一瞬でも注意を怠れば、いとも簡単に死んでしまうものだということすらも小さなエサに気を取られて忘れてしまう、賢い頭をしているのだからしっかり過去を覚えていて、危険を避けてこそ将来の身の危機も避けられるのである。
原発事故で本当に自分は死ぬと本気で心配していたら、何もできなくなるので、そのあたりは人間はエエカゲンにできていて、まあそうは言ってもそうめったなことはあるまい、クニがなんとかしてくれるだろう、と考えるように作られている。そういった習性が備わっている。別に個人的にエエカゲン性格の持ち主であるわけでなく、種としてそうした性格のようである。脱原発の有権者が核推進党のマネばかりをする政権党にノー、そしてその核推進党に投票したりする。批判を持って行く所がないし原発が爆発することも推進党が本気で推進したり核武装したりすることもまさかあるまい、と見ている。国民も政党もそのかなりエエカゲン楽天性格のおかけで今までは進歩してきたのかもわからないが、核時代にもそのままでよいかは別である。
超巨大で超おぞましいエネルギーである原子力はエエカゲン人間が生み出したエエカゲン人間の分身でエエカゲン人間自身の姿である。人間とは何か本来の人間とは何かを問いかけてくる、人間は人間であり続けられるか、人間ではなくなるのか、現代人が自身を問わねばならない。
地震や津波などの自然の大災害への備えは置いても、原発の安全性は何も機械の設計性能だけで決まるわけではない、仮に機械が万全であったとしてもそれは人が動かすものである以上は動かすために直接間接に関わっている人々や組織の性能や技量や確かさも大きな安全要素になる。
いかにその自動車が作られた当時の安全設計されたものだったとしても、それが30年前の時代物であり、どこかの老朽トンネルのようなもので実際に何が起こるかもわからない、実際に働いている運転手や整備員は低給で不安定な派遣さんばかりでまともな安全訓練は受けていない、自動車運転会社のトップは事故隠しと、安全です天国です、と言うのだけがお仕事で、さらに今度からはすごい燃料で走ります、燃やした燃料が増える燃料ですわ、とアホを言う、ホンマはね、ウエの方はこいつで原爆がつくりたいんですがな、アタシもイカレてますが、あそこまでジャアクではありまへんですぜ。道路はないようなもの、歩道はなくガタガタ裏道もなく人はどこへも避けられない、交通行政も自治体も政治屋もめでたく低脳でまともな判断力や能力もなく危険だ何とかしろといわれても何もしようともしない、町の人は車は必要ですさかいにばかりで、安全無視の飛び出し暴走ばかりの連中という中で、本当に自動車の安全運転はできるだろうか。
こうした広い裾野の総合的な安全基準はない。もしあったならばたしてその基準をクリアできるだろうか。
この問題はいっぱいで、すべては取り上げられないが、
まず天国の労働者
電力会社の社員は全体の1割にも満たず、残りは、下請け、孫請け、ずっと7代8代と続く下請けによってなっている。9割以上が労働組合もなく、労働契約もない、の場合がほとんどである、天国はこうした前々世紀の遺物的な超遅れた陳腐労務制度を更新することもせず、それによって動いている。
多量に被曝もするが受け取る賃金はピナハネされて、地元企業よりは「ちょっとよいかな」の水準である。
線量が高い場所のC服(福島原発)→
ピッタリ顔に密着しないし、息が苦しくなり、ついついマスクを外し、被曝する。仲間との声のコミニュケーションがまずとれない。
電力労働組合などといって大きな顔して発言しているが、あれはウソである、一番待遇の良い連中だけの全体の1割にも満たない者の組織であって、何も全原発労働者の声をまともに反映はしていない、御用組合で、メーデーのパレードでもそばで行進するのも普通の労組員からも忌み嫌われている。(彼らも御用組合であるが…)
これは敦賀原発か→。
「これだけの装備をしていても、放射線は服や手袋を通過して肉体に突き刺さってくる」と書かれている。
高浜原発のMOX燃料の捏造が発覚したときに、イギリス当局は調査して「長期間広範囲にわたって」捏造が行われてきた背景を明らかにし「劣悪な労働環境、単調な仕事内容」などを発表している。単にミスとか手抜きとかいうものではなく、もう意識的悪意のある破壊工作に近いようなものであった、イギリスは正社員であろうが、正社員ですら己が仕事に何の誇りがもてないのだ、そうしたまでに内部の人間の頽廃が悪化していた、どんな堅牢な要塞も内部に弱点周知の破壊工作者がたくさんいるようでは、もう防御力はないといってもよい。そこまで原子力産業はどの国においても落城寸前のヤバイ状態になっている。人々が嫌がるものは実際には推し進めることができないのである。
それで天国だ天国だとラッパを吹くわけだが、何も汚染のない中央制御室の様子だけが放映されるが、あそこは汚染はない場所。しかし彼ら9割以上の労働者が働く実際の様子などが放映されたことも展示され宣伝されたこともない。もちろん彼らがいなければ原発は稼働できない。誰も踊りもしない。
日本の労働者はおとなしいので破壊工作はないかも知れないが、それをよいことにしてばかりにはいられまい。ちょっとした手抜きから爆発になるかも知れない、早急に今の下請け9割以上依存は改めないと将来的には禍根を残すこととなる。
しかしそのようなことは誰もしようともしない、逆に経営環境が厳しくなり、オンタイは突撃ラッパを吹くばかり、御用労組では何か有効な手立てを考えたりするわけもなく、別に電力関連ばかりでなく労組はその組織率は2割を切っており、小さい企業にはまず組織されていない、大きいところは御用化していて、労組とは名ばかりで実際は労組員の利益を守れるというものではなくなってしまっている、監督官庁も御用なら医療機関も御用、どこもかしこもまともに仕事をしないで放置してきたので、山積する問題はほぼ解決不能、彼らの労働環境悪化はいよいよ耐えがたいまでに進む。
こうした職場が本当に立地地域の経済や社会に何かプラスになるのであろうか。
日本のエネルギーを支えるとかの原発だけではないが、世界一とかの日本の大企業などは本来がすべてこうした程度でひどく矛盾に満ちあふれたものである。下請けを買い叩き、労働者を非人間的無権利状態にして、はじめて成り立っているものである、こうした恥部を持たずには一日たりとも存在できない、恥部を覆い隠すメディアなどや自治体なども含めて隠蔽機関が幾重にもなくしては一日としてありえないものである。
いまさらに書くまでもない資本主義の誰でもよく知っている秘密、その不合理の大親分が原発様ということで、ここは資本と労働者の天下分け目の戦いとなってくるはずなのだが、どうやら労働者は知らぬ顔のよう、目下は市民と資本の戦いの様相である。
どこが世界最先端技術立国なのか、子供っぽい笑える言い方である。仮にかれらのすべて潰れても別に帝国軍が滅びた程度のことでしかなかろうか、すぐに外国企業か来て、かれら以上立派に日本に貢献するかも知れない。
天国の議会
MOX燃料のデーター捏造問題があったころ、1999年に「プルサーマル計画実施の是非を問う町民投票」を行おうという条例制定署名2000名余を提出している。有権者9000弱の原発城下町では驚く量であった、国策に住民投票はなじまない、議会制民主主義に反するなどとして13対4で町議会は否決した。ばかげたリクツではある、国策であろうが、何であろうが、被害を受ける危険性が高い住民の声は当然にも聞くべきであろう、議員に聞くより直接町民に聞く方が民主的である。誠に議会が住民の代表であるならば、直接の声も間接の議会の声も一致するはずである。住民民主主義と安全を阻む議会の壁、壁と呼ぶべきか機能障害か、議員などはぜんぶ悪者ときめつける子供の目は意外にも正しいのかも、オマエも大きくなってもアンナモンだけには決してなるなよ、と言った先輩達の声を思い出すが、議会制民主主義とは民主主義とは名ばかりの実際はインチキ制度ではないのか、巨大利権とマネーの前でもまともに機能するのか、御用自治体へと脇目もふらずまっしぐらか、そうした民主主義上の大問題をつきつけてくる。こうなれば原点に戻って直接民主主義、直接投票しかなかろう。
議会制民主主義は何も民主主義を保証している制度ではない、それがあれば民主主義だと固く信仰しているようなレベルしかいないような立派なゲンデンの町では、どこかのいかれた市議会がよい例で「議会制民主主義」は名ばかりで実態は「議会制反民主主義制度」と呼ぶべきものへと絶えず落ち込んでいく。議員自らと選挙人が厳しく緊張感を持って点検し改良し続ける努力をしていかない限りは恥ずべき、耐えがたい唾棄すべき反民主的巨悪制度でへと堕落していくものである。国会も含めて日本国中のほとんどの議会がこうした民主主義瀕死状態で、これもまたできるだけ早く解体し改良しなければならない制度である。
そこへ美浜原発の事故があり、長く高浜プルサーマル計画は頓挫していたのであるが、04年から国はプルサーマルを受け入れる自治体には交付金を増やした。電力会社が申し入れた翌年から年2000万円を5年間、MOXを燃やせば発電量を3倍と計算して交付するという。さっそく県や町は飛びついた。「核燃料
サイクル交付金」、これはプルサーマル計画の同意自治体に配分され、町には5年間で24億 円が入るそうである。 リクツはいろいろとつけているが、何でもない、住民の安全よりはカネであった。地方自治はないに等しい。
3号機は2011、1月よりプルトニウム運転を開始した、すぐに3.11が発生し4号機は運転できていない。
高浜議会は3.11から半年ばかりの9月26日、原発推進再稼働を国に求める意見書を賛成多数で採択。意見書の内容は、@福島原発事故の被災地の早い復旧、A基幹電源として今後も原子力発電比率を確保する、B核燃料サイクルの堅持C高経年化原発の建て替え(リプレース)、D定期検査後の原発の再稼働、E避難道路の早期整備の6項目。
提案者の3町議は、高浜原発と商売を通じて利益を得ている、利害関係者で、これまでに4億も5億も儲けさせて貰っているという議員であった。もっともらしいことも一応付け加えてはいるが、要する原発を今までのように続けてワシにもっとおこぼれをくれの恥も外聞もない「宴会つづけてくれの意見書」を、まだまだ福島では避難の人がたくさんいて先も定まらない中で全国に先駆けて採決したことになる。
反対は共産党の一人だけだったというが、「全国に先駆け原発推進の意見書を可決したのは町民として恥ずかしく、福島の方に申し訳ない」との町民の声もあるという、子や孫が澄んだ目でじっと見つめているのだぞ、その子や孫が悲しまないためにも全世界から笑われることはするな。
避難ですめば幸い、避難では済まない、移住である、事故あれば町民全員がふるさとを捨ててどこかへ移住しなければならなくなる、そうなる前に原発を止めるのが正解だろう。舞鶴あたりでも避難訓練とかやっているが、本気にやる気ならば移住訓練をやれ、30q圏などの近い所はもう帰れない、移住である、日本にも住めなくなるかも知れない、海外移住訓練をするか、そうなる前に原発、特にプルトニウムを使うものは廃炉にすることである。
原発は巨大科学と巨大資本と巨大権力が集まったもので、本来はそれを必要とする消費地である大都市に建設されるべきものである。それが危険すぎて出来ないから今の過疎地に作られている、しかしその過疎地はヨソからやってきた地元とはもともとが関係もない超立派豪華な原発超巨大産業を自身の地域振興に役立てていけるほどの実力はない。ネズミの町へ象4頭も連れて来られても、ネズミとしては扱えるわけはなく、逆に象の奴隷となって扱われだけである。象のフンに集まるフンゴロガシ虫、その虫を喰って生きる、ネズミの町としてはこうした生き方くらいしかできない、もっともっと小さな産業が来てくれる方が10万倍もありがたく、こうした地域にはふさわしく、それでこそその産業と共に地域全体も振興できる。原発は地域の甲斐性、実力からはあまりに隔絶した強大巨大な孤立したものであり、他方自身は過疎高齢化し農水産中心の大学もなければ信号機もないような地である、まあよくてせいぜい下請労働産業か民宿や関連の土木工事下請くらいしかできはしない、地域産業の将来を背負う次世代は原発下請けに働き、次の地域産業から吸い上げられて発展につながらない。原発によりかかる以上は地域の本当の将来は見えてはこない。原発と使用済み燃料はみな大都市へ持って帰れ、そのかわりに中小企業を何百とまわしてくれ、財政難皆が苦しむご時世にもうばらまきゼニは受け取れん、公共施設も作れば維持費がかさむ、こうしたことはうすうす地域でも感じられてきたであろう、そこへ3.11、いよいよ地域の再生の展望がみえなくなったのだが、ばらまきゼニによりかかろうと従来路線ばかりしか叫ばれない、ろくなことがあろうはずはない。
また町職員の不祥事が2件あった、天国の人々の心の頽廃は深刻である、一部では、多くでもか、もう邪悪と呼ばれても仕方もないレベルにまで落ちているし、それが自分に自信がないために暴走するように見られる。
参考文献
こうした書を読まれればどうでしょう。さいわいにけっこうたくさんありますが、少しだけを。本ページでもところとごろ引かせてもらいました。
ゲンデンの隣にある軍事基地の町・舞鶴ではこのような書籍を集めたコーナーは図書館にも本屋さんにもない。借りる人も買う人もないのだろう。死神の高笑いが聞こえてくるような町。
簡単に手に入れたければ、ひょっとするとアマゾンさんくらいかも…
(1)『チェルノブイリ報告』(広河隆一・岩波新書)
(2)『内部被曝』(矢ヶ崎克馬・岩波ブックレット)
(3)『原発のコスト』(大島堅一・岩波新書)
(4)『悪性リンパ腫多発地帯の恐怖』(明石昇二郎・宝島社)
(5)『原発事故を問う』(七沢潔・岩波新書)
(6)『プルトニウムの恐怖』(高木仁三郎・岩波新書)
(7)『朽ちていった命』(NHK・新潮文庫)
(8)『原発を終わられる』(石橋克彦・岩波新書)
(9)『六カ所再処理工場』(小出祐章他・集英社新書)
(10)『原発はなぜ危険か』(田中三彦・岩波新書)
(11)『原発労働記』(堀江邦夫・講談社文庫)
(12)『プルトニウム発電の恐怖』(小林圭二他・創史社)
(13)『原発のウソ』(小出裕章・扶桑社新書)
(14)『3.11複合被災』(外岡秀俊・岩波新書)
(15)『低線量・内部被曝の危険性−その医学的根拠−』(医療問題研究会編・耕文社)
(16)『内部被曝』(肥田舜太郎・扶桑社新書)
(17)『広島の消えた日』(肥田舜太郎・影書房)
(18)『広島・長崎でなにが起こったのか』(飯島宗一・岩波ブックレット)