旧・河守町
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京都府福知山市大江町河守・金屋・波美・上野 京都府加佐郡大江町河守・金屋・波美・上野 京都府加佐郡河守町 京都府加佐郡河守下村 |
旧・河守町の概要《旧・河守町の概要》 河守下村は明治22〜23年の村名で、河守町と関・金屋(金谷)・波美・上野の4か村が合併して成立した。大字は旧町村名を継承し、5大字で編成、村役場を河守に設置した。 古代〜中世の川守郷の下流地域に位置することによる。特産の蝋燭取引きが古くから河守町の名で行われていて、河守下村の名での取引きは不利となるとして、村民が町名への復称を請願し、明治23年河守町となった短命の村であった。 河守町は、明治23年〜昭和26年の町名で、河守下村を改称して成立した。河守・金屋・関・上野・波美の5大字を編成し、河守に役場を設置した。往古からの特産蝋燭を他府県で取引きするのに江戸期以来知られた河守町の名で営業していたが、河守下村の名での取引きは不利となったので、住民が村名改称を請願したことによる。 《河守町の人口・世帯数》3180・1088(現在のもの) 旧・河守町の主な歴史記録《大江町誌》 〈 河守下村 元天領の波美村、宮津領の河守町・関村、田辺領の金屋村・上野村の五か町村の合併。三藩分治の歴史は複雑であるが、十四年以来旧河守町を中心に連合を続けてきた。 翌二十三年十二月に河守町と改称、加佐郡で舞鶴町についで二番目の町となった。よって河守下村の呼称は二年足らずで更新された。 〉 《加佐郡誌》 〈 川守郷の内川守庄(関村も含む)であるから出たものであって、明治初年には河守下村と云った。河守、関、金屋、波美、上野の五ケ字かな成っている。内河守、関の二ケ字は本荘氏、波美は徳川幕府の直轄(久美浜代官差配)金屋、上野の二ケ字は牧野氏の所領であった。 〉 関連項目【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『大江町誌』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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