丹後の地名  資料編


瀬崎
(せざき)
京都府舞鶴市瀬崎



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瀬崎の地誌




《瀬崎の概要》
瀬崎は舞鶴湾の入口。博奕岬の東の付け根。大浦半島の北西端の若狭湾に面した海岸の集落。
博奕岬は海難事故の多い所として知られ、海上自衛隊舞鶴警備所の灯台がある。明治33年舞鶴要塞建設のため足(葦)谷砲台が竣工。

《人口》88。《世帯数》27。

《主な社寺など、古蹟》
八幡神社・素盞嗚神社・山神社・三輪神社・天満神社・金刀比羅神社

田井海臨寺末臨済宗東福寺派金剛山正伝寺

農村娯楽の浄瑠璃が行われていた、その「かしら」数首などが市に移管されている。

《交通》
市道平瀬崎線。

《産業》
農業。


瀬崎の主な歴史記録


《丹後風土記残欠》
 〈 二石崎。二石崎は古老伝えて曰く、往昔、天下平治の時に当たり、大己貴命と少彦名命斯地に致り坐して、二神相議り坐します、白と黒の繊砂を把り、更に天火明命を召し、詔して曰く、此石は是れ吾分霊也、汝命は宜しく斯地に奉祭れ、然れば則ち天地之共、波浪鴻荒アレたりと雖も、ツユ邦内を犯すことなくる。天火明命は詔に随い、其霊石を崇きたまう。則ち左右黒白に分れて神験有り。今にたがへず。故に其地を名つげて二石崎(二石訓不多志)と曰う。後世土俗言瀬崎は誤りなり。(以下四行虫食)  〉 


《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 瀬崎村
金剛山正伝寺海臨寺末寺禅宗。
正八幡宮、氏神。三輪明神社有。
ばくちがはなとて大丹生、瀬崎の間の間なり、碁盤の目もりたるごとき岩くみあり、磯辺の小石黒白わかりたる浜あり、白くろの石取ちがへ置ても元のごとくくろは黒白は白の方へなるといふ。此の出崎よの沖をみるに北海びやうびやうとしてきわもなく、地より五里沖に嶋あり是を沖の嶋とて弁才天の宮井あり、むかし老人の聖有て此嶋に年久しく住、弁天の恵にて、はちのこを海へなげ出せば、往来の舟よりたくはつを入る是を以身命を送る、飲料尽れは又はちのこを出し置、礼のひぢりがたくはつを乞でとて米を入れば、はちのこおのれと磯辺へ流れ寄斯のことくして御宮のあたりに住り、弁天女体の御姿をあらわし折々磯辺へ出させ給ふ、彼聖供奉しける、或時又出たせ給へば、例のことく御ともせしに煩悩心おこしけるにや、三十二相の御かたち扨うつくしき御姿やと、そぞろ縁入て御衣の裾磯のなみにぬるるをとりあげんと御そばちかくたちよれば、俄になみ立神風吹彼聖何国共なくながれけるとかや、是より東西海岸の磯辺岩くみの体、金ケ崎の松が根まて波たつけしき、内海には烏嶋、蛇しま、戸嶋の松茸山、漁夫が網引出入の舟夏は一しほいさぎよく見所多き郡中と目出度申納候穴かしく。
 享保十六辛亥年五月上旬  紙数貮十五枚
  〉 

《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 正八幡 氏神 鍵取 五郎左衛門、与右衛門。三輪明神。金剛山正伝寺、海臨寺末。  〉 

《丹哥府志》
 〈 ◎瀬崎村(三浜村の次)
【正八幡宮】
【金剛山正伝寺】
【波口崎】(出図)
 【付録】(荒神、三福明神、阿弥陀堂)  〉 


《加佐郡誌》
 〈 瀬崎は旧名を二石崎(ふたいしのさき)といっていたが何時の頃からか今の名に改められた。語の起源は風土記に出ている。古老のいひ伝へによると昔天下をお定めになった時大己貴命と少彦名命とが此地にお出でになり御相談の上白黒の磯砂をお把になって天火明神におほせになるには此石は自分の分離である。汝がこれを此地に祀ったならば波浪が荒れていてもしづまり邦も亦よく治まるであらうと、そこで天火明命は詔に随って其霊石をお祀りになったら左右に分れて神験があり。今の世になっても変らないので、それからここを二石の崎と名づけた。(後略)  〉 


《大丹生校閉校記念誌》
 〈 瀬崎
大浦半島の西北の端に位置して日本海に面した沿岸集落である。海に臨んではいるが、良好な舟着場がなく、その上冬になると恐しいまでの荒海となる。このため、海に面しながら、村の主な生業は農業に頼り、田方百十二石余、畑方十七石余を営んでいた。
 延享三年(一七四六年)の郡中高究付覚による戸数は二十七と記されている。
 みかんは江戸中期から栽培され、由良川河口の村神崎の帆船をやとって、遠く越前の三国湊(現在の福井県坂井郡三国町)まで売出していたと伝えられている。
 瀬崎村の海岸は、花崗岩と輝緑岩の地層の交わる所にあたり、波に磨かれた白石(花崗岩)と黒色(輝緑岩)の丸い石が敷きつめられ、昔から二石崎の名がつけられて有名である。
 博突岬という名の由来や、この白石黒色の伝説も多く、この冊子の項にも、村人の伝える口承が、ロマンを感じさせている。

瀬崎の社寺
(寺)
 昔、池山という所にお寺があり、多称寺を本寺としての岐寺で多称寺より山の尾根伝いに交通管掌していたとか。勿論真言宗派に属していた頃の事で、以前山芋掘りに行くと五輪の卒塔婆等も見られたと言う。
 江戸中期頃より田井海臨寺の末寺となり臨済宗派になっている。しかし現金剛山正伝寺の経歴は古く至徳年代に曇翁和尚の開基と記されておりかなり経歴としては古いけれども、天保四年の大火災により以前の古記録、過去帳等は無く、宝歴年代前の事で判明する記録等は見当たらない。
 旧い墓所、野仏等に依り形態等に依り年代を専門学者に依り考察をお願いする外はない。

(神社)
 神社も氏神としている現在の八幡神社は文政、江戸中期のものであり、旧く鎮守の森、宮としていたものは奥谷入口山裾にある三輪神社が元宮であったらしく現在森は既に無くなって、再建か再々建になるものか知れないが、祭礼で振物等が奉納される場合には第一番に三輪神社を始めとする。拝殿内には玉石が台石に載せて祀られている。

(生活)
 大昔は戸数も七十戸を数える地区であったとも聞かされた。昔は麦、粟、柄(麦粟の葉茎)を垣とした野小屋式のもので、火災が絶えず非常に困っていたと云われる。
 古来よりの伝承行事の殆んどが中絶されて、僅かに記憶に残る事が多い状況である。
 古老達の集会により、各自記憶を辿り憶い起して記録でもとり残す外術はないと思う。    (奥西)


かもうち
 瀬崎の奥谷の四十二番地、その山の中腹に盆地があって、水のたまる池である。周囲三百メートル位の池がある。その池の東がわの平地にたっていたという。この寺はいつ頃たって、いつごろつぶれたのかは、わからない。この寺は真言宗であったらしい。それは海臨寺のおもりをしていたといわれる。江戸時代には田辺藩の若ざむらいがこの池へ、降りてくるかもうちにきて、村に費用がたくさんいった。村が大雨のふったおりに、村の若い衆が水の落ち口(ちょうしぐち)を切り下げて、水がたまらないようにし、かもが降りてこない様にして、さむらいがこないようにしたと言われる。
 大正年代に、その山へ山いもほりにいくと、五輪のそとうばも出たという。今ではいのししの水浴場(ぬたば)になっている。  (浜田 恵)


瀬崎の伝統行事
 瀬崎には次のような代々伝わる行事が残っています。天神構、花祭り、宮清め宮ぶき、大祭り、年始、ぼん、大休み、どうごと、高野山のおこさんです。それの中でも始めの四つはよく分かりやすいと思ったので紹介します。
 まず、天神構についてです。この行事は毎年十二月二十五日にやります。子ども達が習字を書いて天神様に祭り、お酒やご飯を供えます。天神様の上には、こんぴらさん、いなりさん、ぎょうじゃさん、あきはさんのような神様がおられます。
 神様は瀬崎の白石の山の中にあります。みんなが、菅原道真のようにかしこくなるようにと始まりました。昔は、竹に習字をつけてのぼりを作って祭ったそうです。
 また、宮清めという行事は、毎年九月一日のはっさくの節句の日にやります。宮さんがきれいになるようにします。いつも宮さ
んは木などで土が減るので、白石から土を運んだり、草引き、木切りなどのそうじをします。
 次に花祭りという行事は、お寺におしゃか様がおられて、毎年五月八日のおしゃか様のたん生日に、あま茶をかけたり、飲んだりします。お父さんが子どものころは、女の子が、れんげなどの花をかざったりしました。だから花祭りという名前がついたんだと思います。宮ぶきという行事は、二年に一回二月にやるそうです。宮ぶきは瀬崎の四すみにおられる神様をそうじして屋根をふきます。瀬崎を守ってくれているので、お礼をしに行くのです。
 それから、今はないもので、人形浄るり、こもり、豆まき、山の神のおこさんぎじようこう、いれとのおこさん、おひまちさんのような行事があったと聞きました。その中でも始めの三つを紹介しましょう。
 まず人形浄るりは江戸時代から明治時代にかけて行われていたもので今は教育委員会に預けてありますがすごく有名だったそうです。
 こもりという行事は大みそかから正月にかけてします。十二時になると、宮さんの後ろにある川から新しい若水とよばれる水をかぶり、女は若水でぞうにをたいてみんなで食べたそうです。
 豆まきという行事は、子ども達が、二件の家にまかれた豆を拾いにいくという行事です。  〉 




瀬崎の小字


瀬崎 奥谷 峠ケ下 足谷 椿原 エビス ヨコジ 西山 三谷 向イ 越ケ坪 泊 白石 西川 三ノ森 三ワイ 辻堂 ビロク サコダ ツレド 小谷 村中 浜田 イシキ 日ノ口 イソ 鎌ケ谷 ダイラ 泊山 峠 牛蒡谷 セザキ田 ヤドジ川 大瀬 高平 大谷 バクチサキ 西峠



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関連項目

大丹生 三浜

丸石
拾瑠璃
瀬崎の製塩土器
二石崎
博奕岬






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