旧・河守上村
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京都府福知山市大江町北原・毛原・仏性寺・内宮・二俣・天田内・橋谷 京都府加佐郡大江町北原・毛原・仏性寺・内宮・二俣・天田内・橋谷 京都府加佐郡河守上村 |
旧・河守上村の概要《旧・河守上村の概要》 明治22年〜昭和26年の加佐郡の村名で、北原・毛原・仏性寺・内宮・二俣・天田内・橋谷の7か村が合併して成立した。大字は旧村名を継承し、7大字を編成。村役場を二俣に設置した。村名は古代〜中世の川守郷の上流地域に当たることによる。 宮川(五十鈴川)流域の山間にところどころ集落を形成する、村民は農業の傍らに昭和10年代前半までは養蚕を重要な副業とした。冬季には木炭・串柿などを生産するほか楮を栽培して製紙も盛んに行った。 大江山鬼退治伝説で名高い大江山や元伊勢宮とされる皇大神社・豊受神社は当村にある。 昭和26年隣接する河守町に編入。編入と同時に河守町は大江町と改称した。 《河守上村の人口・世帯数》1037・366(現在のもの) 旧・河守上村の主な歴史記録《加佐郡誌》 〈 河守上村。川守郷の上流地方であるから河守町を河守下村といふのに対して出たものであって、仏性寺、北原、毛原、内宮、二俣、天田内、橋谷の七ケ字から成っている。総べて本荘家の所領であった。 〉 《大江町誌》 〈 河守上村 元宮津領の七か村が合併。佛性寺村・毛原村・北原村・内宮村・二俣村・天田内村・橋谷村 明治十四年以来の戸長役場連合もこの組み合わせで続いてきたし、役場も十七年以来二俣村に置かれていた。 大江地方では面積人口ともに最大の村。当時の村財政は、村予算・俊明校・物成校の三本建てになっていた。 〉 関連項目【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『大江町誌』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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