旧・高野村(たかの)
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京都府舞鶴市高野地区 京都府加佐郡高野村 |
旧・高野村の地誌《旧・高野村の概要》 高野村は西舞鶴の南部。高野川の上流域から中流域に位置する。KTR宮津線、東西に府道志高西舞鶴線(旧河守街道)が通る。高野の谷の全体を単位にした旧村。勘注系図に高野丸子山とあるように、高野の地名は古いものと思われる。 高野村は明治22年〜昭和11年の村名。野村寺・高野由里・城屋・女布の4か村が合併して成立した。旧村名を継承した4大字を編成し、役場は野村寺に設置。 明治42年に高野尋常高等小学校が開校した。大正12年には国鉄峰山線のうち舞鶴〜由良間が開通した。 昭和11年舞鶴町、同13年からは舞鶴市の大字となる。 《人口》3164《世帯数》1062 《交通》 府道志高西舞鶴線 府道物部西舞鶴線 旧・高野村の主な歴史記録《加佐郡誌》 〈 高野村 (一) 戸数 三一一戸 (二) 住民 男 七九四名 女 七四七名 計一五四一名 (三) 生業の状況 農業 二七○戸 竹細工業 二○ 瓦製造業 三 炭焼業 一 養鶏業 一 日用品業 一 酒取賣業 一 其他 備考 竹細工、酒小売業は専業であるが、他は副業として農業をしてゐる。 (四) 主要物産 略 (五)人情一般 言語は粗野であるが人情は一般に濃やかであって、実義あり、性勤勉にてよく働く。服装も極めて質素である。衛生に対する思想は未だ十分でない。 (六)各種団体名 帝国在郷軍人曾高野村分曾 高野村青年団 高野村處女曾 高野村婦人倉(各部落毎に独立す) 高野村戸主曾(女布、高野由里の部落にあり各独立す) 〉 関連項目【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『舞鶴市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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