丹後の地名


 天橋立アカデミック通信2021

古代丹波歴史研究所
第7回研究会

2021.9.25 天橋立ホテル 


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秋の連休で、いつもならごった返す天橋立も、人出はチラホラ
「三人寄れば文殊の知恵」の文殊堂もチラホラ

9月末まで緊急事態宣言が出ていて、人が集まることは大幅な制限が設けられている。新型コロナ第5波の大波で開催はムリか、とも心配されたが、人数制限を厳しくして、60名ばかりの参加予定者には泣いて辞退を願って、参加者100名に絞って開催になったといいます。
「ゴメン来ないで」と言われた方にはまことに申し訳なく失礼をお詫びを申し上げます、感染の心配がなくなったおりには、これにこりず、ぜひ再度のお出かけをお願い申し上げます。日葉酢媛様に勝手に代わりまして、お詫びとお願いをします。

以下はその集会の簡単な紹介です。


ずいぶんと間隔をとった席です。

研究会
講演1
日本の基礎を築いた環日本海文化圏と丹後
歴史作家 関 裕二先生



歴史作家、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。仏教美術に魅了されて奈良に通いつめ、独学で古代史を学ばれたそう。平成3年に『聖徳太子は蘇我入鹿である』でデビューされた。著作はそのほかいっぱい。
カメラの熱で動画は一部キレてます。下の録音は正常ですので、こちらを聞いて下さい。




講演2
日本建国のはじまりの地 大丹波王国
古代丹波歴史研究所所長 伴とし子先生





対談
桂米團治師匠と古代史談義

米團治師匠は、クラシック音楽、ドイツ語などはプロ並みで、古代史へも造詣が深く、しかも丹後ファンの多才多芸な人として知られている。
ぜひとも紹介したいところだが、ハナシはもちろん姿形すらプロなので、当サイトのノーギャラでは、この写真くらいが精一杯かも…、興味引かれるハナシが多く、伴とし子先生は日葉酢媛の生まれ変わり、神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・孝霊・孝元・開化・崇神・垂仁・景行・成務・仲哀・応神・仁徳… と全部覚えられたのだろうか、しかしその録画も録音も紹介できそうにない。


余興
できたての大丹波王国国歌「タニハ 始まりのくに」



日葉酢媛ほか丹波五女王様の隠し芸、この日一回のレッスンで斉唱。





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  懇親会は中止となりました。
80名ほど申し込みがあったそうですが、飲食はムリ。

鮭が飲めると聞いたか、鵜が集まって止り木にとまっていた。

記念撮影もミツを避けるため、ありません。
不本意ながらアイソもクソもございませんが、どうぞお気を付けてお帰り下さい。


【参考文献】など
『京都新聞』2021/9/27



丹波の五女(紀)、丹波の四女(記)
『日本書紀』
垂仁5年、狭穂媛の遺言に
其の丹波國に五の婦人有り。志並に貞潔し。是、丹波道主王の女なり。當に掖庭に納れて、後宮の數に盈ひたまへ。
垂仁15年に、
十五年の春二月の乙卯の朔甲子に、丹波の五の女を喚して、掖庭に納る。第一を日葉酢媛と曰ふ。第二を淳葉田瓊入媛と曰ふ。第三を眞砥野媛と曰ふ。第四を薊瓊入媛と曰ふ。第五を竹野媛と曰ふ。
秋八月の壬午の 朔に、日葉酢媛命を立てて皇后としたまふ。皇后の弟の三の女を以て妃としたまふ。唯し竹野媛のみは、形姿醜きに因りて。本土に返しつかはす。則ち其の返しつかはさるることを羞ぢて、葛野にして、自ら輿より堕ちて死りぬ。故、其の地を號けて堕國と謂ふ。今弟國と謂ふは訛れるなり。


『古事記』
「汝が堅いめし美豆能小佩は誰かも解かむ。」とのりたまへば、答へて白ししく、「旦波比古多多須美智宇斯王の女、名は兄比賣、弟比賣、茲の二はしらの女王、淨き公民なり。故、使ひたまふべし。」とまをしき。

其の后(沙本毘売命)の白したまひし随に、美知能宇斯王の女等、比婆須比賣命、次に弟比賣命、次に歌凝比賣命、次に圓野比賣命、并せて四柱を喚上げたまひき。然るに比婆須比賣命、弟比賣命の二柱を留めて、其の弟王二柱は、甚凶醜きに因りて、本つ土に返し送りたまひき。是に圓野比賣慚ぢて言ひけらく、「同じ兄弟の中に、姿醜きを以ちて還さえし事、隣里に聞えむ、是れ甚慚し。」といひて、山代國の相樂に到りし時、樹の枝に取り懸りて死なむとしき。故、其地を號けて懸木と謂ひしを、今は相樂と云ふ。又弟國に到りし時、逹に峻き淵に堕ちて死にき。故、其地を號けて堕國と謂ひしを、今は弟國と云ふなり。

伝えは史料によってバラバラ、というか同じ史料すらバラバラなので、その史実は不明としか言いようもないが、日葉酢媛(比婆須比売)が垂仁の奥様となられたことは間違いはない。
ずっと後の史料になるが『丹哥府志』に、
岩木村【磐撞別命】垂仁天皇の皇子磐撞別命、母を真砥野媛といふ、真砥野媛は丹後道主命五女の一人なり、召されて后妃となる、竹野郡磐撞の里に由緒ありと申伝ふ、磐撞今中略して岩木に作る。
眞砥野媛(圓野比賣)とは姉妹なのであろう、兄比賣・弟比賣というのはこの二人のことかも知れない。淳葉田瓊入媛と薊瓊入媛はイリの名を負っている比賣なので、三輪王朝の人であろう、父親が三輪王朝の人、母親は丹波の人であるかも知れない。
何度も何世代も丹波・三輪の間では通婚が行われていたのではなかろうか、だいたいは2対2の対等平等な同盟国間での交換であったと思われるが、イヤ三輪がタイショウで丹波はクソとしたいソンタク者が書くと何やらわけがわからないものとなったのではなかろうか。

日葉酢媛は、丹波道主王の娘。垂仁天皇の皇后。景行天皇の母。日葉洲媛命につくり(景行紀)、日葉酢根命にもつくる(垂仁三十二紀)。垂仁天皇は丹波の五女をめして、後宮にいれたが、その第一であるとみえる。同十五年皇后にたてられ、三男二女を生んだ。その第一を五十瓊敷入彦命、第二を大足彦尊、第三を大中姫命、第四を倭姫命、第五を稚城瓊入彦命というとみえる。同三十二年薨じた。一書に、日葉酢根命というとあり、天皇はその葬にのぞみ、野見宿禰の進言によって、陵墓に生きた人を埋めたてるのをやめ、出雲よりめした土部百人に、埴をとり人馬や種々の物の形をつくらしめ、いわゆる土物を、はじめて媛の墓にたて、これを埴輪と名づけたという。景行即位前紀に、天皇の母で、丹波道主王の女であるとみえる。古事記垂仁巻に、旦波比古多々須美知能宇斯王の女氷羽州比売命とあり、また比婆須比売命ともある。またこの大后のとき、石祝作と土師部を定め、狭木之寺間陵に葬られたという。姓氏録左京神別下に、石作連は、垂仁天皇のとき、皇后日葉酢媛命のために、石棺をつくり献じたので、姓石作連公を賜わったとある。
日葉酢媛の母は丹波之河上之摩須郎女で、久美浜町の川上の摩須の人。摩須というのは今の須田と思われ、天王谷というところに式内社の衆良神社が鎮座し、摩須郎女を祀ると見られている。須田は湯舟坂二号墳もあり、黄金の太刀が出土した王家の谷の集落である。摩須女王の王女なので姫摩須なのだろうが、いつからかBM互転で、ヒバスと訛ったものか。男王だと彦摩須王となろうから意外と日子坐王というのは当地の王だったかも知れない…
「開化記」の
丸邇臣の祖、日子国意祁都命の妹、意祁都比売命を娶して、生みませる御子、日子坐王、次に日子坐王、山代の荏名津比売、亦の名は苅幡戸弁を娶して、生める子、大俣王。次に小俣王。次に志夫美宿禰王。又春日の建国勝戸売の女、名は沙本之大闇見戸売を娶して、生める子、沙本毘古王。次に意邪本王。次に沙本毘売命、亦の名は佐波遅比売。次に室毘古王。又近淡海の御上の祝が以ち伊都玖、天之御影神の女、息長水依比売を娶して、生める子は、丹波比古多多須美知能宇斯王。次に水之穂真若王。次に神大根王。亦の名は八瓜入日子王。次に水穂五百依比売。次に御井津比売。又其の母の弟意祁都比売命を娶して、生める子、山代之大筒木真若王。次に比古意須王。次に伊理泥王。凡そ日子坐王の子、并せて十一王なり。故、兄大俣王の子、曙立王。亥に菟上王。此の曙立王は、伊勢の品遅部君、伊勢の佐那造の祖。菟上王は、比売陀君の祖。次に小俣王は、当麻の勾君の祖。次に志夫美宿禰王は、佐佐君の祖なり。次に沙本毘古王は、日下部連、甲斐国造の祖。次に意邪本率王は、葛野の別、近淡海の蚊野の別の祖なり。次に室毘古王は、若狭の耳別の祖。其の美知能宇志王、丹波の河上の摩須郎女を娶して、生める子、比婆須比売命。次に真砥野比売命。次に弟比売命。次に朝廷別王。此の朝廷別王は、三川の穂別の祖。此の美知能宇斯王の弟、水穂真若王は、近淡海の安直の祖。次に神大根王は、三野国の本巣国造、長幡部連の祖。次に山代之大筒木真若王、同母弟伊理泥王の女、丹波能阿治佐波毘売を娶して、生める子、伽邇米雷王。此の王、丹波の遠津臣の女、名は高材比責売委して、生める子、息長宿禰王。此の王、葛城の高額比売を娶して、生める子、息長帯比売命。次に虚空津比売命。次に息長日子王。三柱。此の王は、吉備の品遅君、針間の阿宗君の祖。又息長宿禰王、河俣稲依毘売を娶して、生める子、大多牟坂王。此は多遅摩国造の祖なり。上に謂へる建豊波豆羅和気王
開化の子とかいったものでなく、大丹波王国の王であり、ここに見える範囲がだいたいの領域であったものかも…

伴とし子先生のお母さんは須田の人で、ご本人の人柄と合わせて、日葉酢媛様とお呼びしたりするわけである。別にご本人がそう吹聴しておられるといったわけでなく、周囲がそうとも呼ぶということですが、摩須女王家の血筋を引いておられる可能性は高いのでないかとワタシは勝手に推測しています。





大丹波王国の国歌
「卑弥呼の祈り永遠に」CD発売

「タニハ始まりのくに」
「卑弥呼の祈り永遠に」
「飛び立つとき」

作詞と歌 は 伴とし子さん。
作曲と演奏 は、丹後で活躍されるギタリスト山崎昭典さん。
CDジャケットの中に、12ページの資料があって、読めば簡潔に古代タニハの歴史がわかる。
1枚 1000円(税込み)発売中。
淀徳書店(丹後大宮店)、まるぜん書店(野田川店、マイン店、網野店)販売中!






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