丹後の地名  資料編


大山
(おおやま)
京都府舞鶴市


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大山の地誌




《大山の概要》

大山は舞鶴市北東部。大浦半島の東北部。空山(大道山562メートル)の東麓に位置する農林業の集落。
東は福井県大飯郡高浜町に接する。
南の河辺谷から海辺の田井や野原に通じる街道の大山峠付近に点在している。

《人口》71。《世帯数》17。

《主な社寺》
臨済宗東福寺派月峰山江正寺
八幡神社。

《交通》
府道田井中田線が村の中央を走る。





《産業》

大山の主な歴史記録

《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 大山村
江正庵是又海臨寺末寺禅宗なり。山之神之宮あり。  〉 


《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 江正庵、海臨寺末。山王権現、氏神。  〉 


《丹哥府志》
 〈 ◎大山村(栃尾村の次)
【山王権現】
【月峯山江正庵】
【付録(若宮、山之神、荒神、辻堂)  〉 


《京都府の地名》
 〈 若狭との国境に近く、伝承によれば天文二年(一五三三)若狭から移ってきた人々が初めて住みつき、上字(かみじ)に二戸、岡名字(おかなじ)に二戸、中字(なかじ)に四戸が各々家を建て、山林原野を区切り耕地を開いていった。次いで永禄二年(一五五九)、慶長一九年(一六一四)に第二次、第三次の移住者が入り、戸数は三〇を数えるようになったという。
いま江正(こうせい)寺(臨済宗東福寺派)境内に残る石塔(天和二年銘)はその頃に立てられたものである。
その後も入植と分家によって戸数は増加し、元禄一二年(一六九九)には氏神山王権現(現八幡神社)が改築され、鍛冶屋もできたという(大山邑風土沿革誌)。  〉 

『山里の暮らし』(岡山親年)
 〈 大山の起源
 大山の起源は定かでないが、人皇第四十三代元明天皇和銅六癸丑年(七一三年)に黒滝日吉神社大山氏神神社を建立している。
 碑により考察すると大山の住民はそれ以前に住みついていた事がうかがえる。ちなみに黒滝には相楽と云う寺が創建され山号を月峯山と云った。今月峯と呼ばれる所は田井の湾を見渡す高台で田浦になっている。其の後現在地に移転し江正寺は明徳三丑年(一三九二年)田井海臨寺の末寺として開基された。(中表紙参照)

村の戸籍
 江戸時代末期嘉永元成申年の宗門人別改帳によると、村の戸数は二十七戸、住民は男八十七人女八十五人計百七十二人とある。明治二十年には戸数二十七戸住民は二百三十九人と増加したが、昭和五十年には戸数二十戸住民は男五十五人女四十六人計百一人と、戸数住民とも減少している。昭和五十年から更に二十年を経た今日では、戸数も人数もさらに減少し、平成十三年一月現在、総戸数一九戸(内二戸世帯主人入院中)人口八十七名男四十一人女四十六人で、小学生四人、中学生六人、大高校生六人で過疎化が進んでいる。
 大山は京都府の最北端に位置しており、自宅裏の山峰は福井県大飯郡高浜町と県境を接し、昔は加佐郡東大浦村字大山だった。昭和十七年東舞鶴に編入し、同十八年には東舞鶴と西舞鶴が合併し、舞鶴市字大山となり現在に至っている。

村の紹介
 村では昔から米を主に桐実や三つ又などを生産し、養蚕が普及するとそれを手掛け、道が開かれると植林をするなど、村人は互いに力を合わせ、常に新しい農業を手がけてきた。
 また、植え付けから収穫・集荷・運搬・販売に至るまで、共同作業で行う風習を受け継ぎ、品質や規格を揃え信用を高めるなど、常に先進的な農業を営み、結果として経済的に豊かな生活をしてきた事が伺える。
 その裏付けとして、明治自治制が施行されてから、東・西舞鶴の合併迄の五十四年間に、村から村長四人と郡会議員一人が選出されている。
 今思うと、村の人達の毎日の生活振りは、朝星夜星を戴き、働き蜂の様に競い合い、助け励まし合いながら、時には一同が集い、語り合い疲れを癒し合う機会や、連れだって旅をするなど、村全体が一つの家族の様な暮らしを続けてきたのは、同姓の家が多いこともその支えとなったと思われる。  〉 





大山の小字


大山 峠 永峠 森ノ上 西谷 佐近田 中田 村奥 丹田 野瀬 門ノ下 後山 黒滝 西山


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《田井校区のすがた》より



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