丹後の地名プラス

そら知らなんだ

日子坐王と玖賀耳之御笠
(そら知らなんだ ふるさと丹後 -11-)


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そら知らなんだ ふるさと丹後
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丹後の古代寺院①
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多禰寺と七仏薬師伝説





少年易老学難成、一寸光陰不
脳が若い30歳くらいまでに、せめて千冊は読みたい

友を選ばば書を読みて…と与謝野鉄幹様も歌うが、子供の頃から読んでいるヤツでないと友とも思ってはもらえまい。
本を読めば、見える世界が違ってくる。千冊くらい読めば、実感として感じ取れる。人間死ぬまでに1万冊は読めないから、よく見えるようになったとしても、たかが知れたものである。これ以上の読書は人間では脳の能力上、生物の寿命上、言語能力上不可能なことで、コンピュータ脳しかできまい。



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『丹後の地名』は、「FMまいづる」で月一回、「そら知らなんだ、ふるさと丹後」のタイトルで放送をしています。時間が限られていますし、公共の電波ですので、現行の公教育の歴史観の基本から外れることも、一般向けなので、あまり難しいことも取り上げるわけにもいきません。
放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。

丹後の鬼退治伝説1:日子坐王と玖賀耳之御笠

「大江山の鬼」を知らない日本人はいないのではないかと思われる。

明治34年 幼年唱歌 大江山(石原和三郎作詞・田村虎蔵作曲)
♪ むかし丹波の大江山 鬼どもおおく籠りいて 都に出ては人を食い かねや宝を盗みゆく

と、子供が歌うくらいに知られているが、しかし「ホンマにそんな鬼がいたのか」となると、もう誰にもわからなくなる。


何かコワイヤツらがいたのかも知れない、それがいつの間にか伝説化して、鬼というものとして語り継がれたのかも…、とくらいにしか答えようがなくなる。正確な鬼の実像を描ける史料がない。

鬼畜英米、赤鬼とか、つい先頃まで「鬼」「鬼」と言っていた。
鬼、鬼と言うが、どちら側がマコトの鬼かは簡単ではない、そう言っている者こそが鬼であることも多い。
言っている側を研究するのが歴史の実像に迫る唯一の可能性かも知れない。

当地方の「鬼退治」伝説は、古い順に、
彦坐(ひこいます)命(日子坐王)の玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)(陸耳御笠)退治
麻呂子(まろこ)親王の鬼退治
③源頼光の酒呑童子(しゅてんどうじ)退治
の3つの伝説が伝わっている。
上の歌は③の伝説を歌ったものである。


『古事記』と『日本書紀』の記事


古い伝承から見ていくと、…
これは中央の文献にも記録されている。
崇神(すじん)天皇の「四道将軍」派遣の記事に、
『古事記』は
日子坐王をば、丹波國に遣はして、玖賀耳之御笠(此は人の名なり。玖賀の二字は音を以ゐよ)を殺さしめたまひき。

『日本書紀』は
(九年)九月の丙戌の朔甲午(九日)に、大彦命を以て北陸に遣す。武渟川別をもて東海に遣す。吉備津彦をもて西道に遣す。丹波道主命をもて丹波に遣す。因りて詔して曰はく、「若し教を受けざる者あらば、乃ち兵を擧げて伐て」とのたまふ。

記と紀によって違うが、簡単ながら『古事記』に記載されている伝承である。
『古事記』は太安麻呂だし、青葉山は多氏の青海神社の神体山だし、何か多氏と関わる伝承なのかも知れない。

10代崇神天皇はヤマト王権の基盤を整えたとされる御肇国(はつくにしらす)天皇。実在した可能性のある最初の大王で、実在ならば治世時期は3世紀後半くらいと見られている。168歳あるいは120歳まで生きたとされていて、最初から、かなりエエかげんなことですよ、言っているようなことで、どのあたりまでマコトの史実かは不明である。

日子坐王は、9代開化天皇の子で、
『古事記』
丸邇臣(わにのおみ)の祖、日子国意祁都(ひこくにおけつ)命の妹、意祁都比売(おけつひめ)命を娶して、生みませる御子、日子坐王。

『日本書紀』
和珥臣(わにのおみ)の遠祖姥津(おけつ)命の妹姥津媛(おけつ)。彦坐王を生む。

このワニ臣氏は、大津市の和邇(わに)の豪族であろう。

陸耳御笠は、不明。
耳も御も尊称で、オニとか土蜘蛛とか呼ばれる者でなく、普通に考えれば、立派な偉い者として尊崇された人物なのであろう。
聖徳太子は後の諡号で、厩戸豊聡耳(うまやどのとよとみみ)太子と呼ばれていたとみられるが、ミミの尊称を持っている。

『丹後国風土記残欠』の記事


『丹後風土記残欠』に記事があり、ずっと詳しく展開される。その場所は加佐郡の地である。

甲岩。甲岩ハ古老伝テ曰ク、御間城入彦五十瓊殖天皇(崇神天皇)ノ御代ニ、当国ノ青葉山中ニ陸耳御笠ト曰フ土蜘ノ者有リ。其ノ状人民ヲ賊フ。故日子坐王、勅ヲ奉テ来テ之ヲ伐ツ。即チ丹後国若狭国ノ境ニ到ニ、鳴動シテ光燿ヲ顕シ忽チニシテ巌岩有リ。形貌ハ甚ダ金甲ニ似タリ。因テ之ヲ将軍ノ甲岩ト名ツク也。亦其地ヲ鳴生ト号ク

爾保崎。爾保ト号ル所以ハ、往昔、日子坐王勅ヲ奉リ土蜘ヲ遂ス時ニ、其採持所ノ裸劒ハ潮水ニ触テ以テ銕精ヲ生ツ。即チにほ鳥忽チ雙ビ飛来テ、其劒ノ為ニ貫キ徹サレ死ス。之ニ依テ銕精ハ消テ故ニ復ル。故其地ヲ爾保ト曰フ也。(以下五行虫食)

志託郷、本字荒蕪。志託ト号ル所以ハ、往昔、日子坐王官軍ヲ以テ陸耳御笠ヲ攻伐ノ時、青葉山ヨリ墜シ之ヲ遂ヒ、此地ニ到ル。即チ陸耳忽チ稲梁中ニ入テ潜匿レル也。王子急デ馬ヲ進メ其稲梁ノ中に入テ、殺サントセントキ、即チ陸耳忽チ雲ヲ起シ空中ヲ飛ビ走ル。南ニ向テ去ル。是ニ於テ、王子甚ク稲梁ヲ侵テ荒蕪(シタキ)為ス。故其地ヲ名ツケテ荒蕪(シタカ)ト云フ(以下十四行虫食)

川守郷。川守ト号ル所以ハ、往昔、日子坐王土蜘陸耳匹女等ヲ遂ヒ、蟻道郷ノ血原(今の千原)ニ到ル。先ニ土蜘匹女ヲ殺ス也。故其地ヲ血原ト云フ。トキニ陸耳降出セント欲シ時、日本得玉命亦下流ヨリ之ヲ遂ヒ迫ラントス、陸耳急チ川ヲ越テ遁ル。即チ官軍楯ヲ列ネ川ヲ守リ、矢ヲ発ツコト蝗ノ飛ブガ如シ。陸耳党矢ニ中リ、死スルモノ多ク流テ去キ。故其地ヲ川守ト云フ也。亦官軍ノ頓所ノ地ヲ名ツケテ、今川守楯原(今の蓼原)ト云フ也。其時、舟一艘忽ニ(十三字虫食)其川ヲ降ル。以テ土蜘ヲ駆逐シ、遂ニ由良港ニ到リ、即チ土蜘ノ往ク所ヲ知ズ、是ニ於テ日子坐王陸地ニ立チ礫ヲ拾ヒ之ヲ占フ。以テ与佐大山(大江山のこと)ニ陸耳ノ登リタルヲ知覚シキ。因テ其地ヲ石占(由良の石浦)ト云フ。亦其舟ヲ祀リ楯原ニ名ツケテ舟戸神ト称ス。(以下三行虫食)


丹後国風土記残欠は加佐郡部分しか伝わらない、丹後国の他郡の事情については不明である。
しかしその西方、但馬には文書がのこされている。

『但馬故事記』の記事


『但馬国風土記』は伝わらない。逸文もない。
但馬風土記は作られたのだが、火災によって焼失した。それを復元した文書が『国司文書 但馬故事記』とされる。弘仁5年(814)から天延2年(974)にかけて編纂されたものといい、関係する書も含めて膨大な文書が残されている。
彦坐命と陸耳御笠の伝承は各郡に書かれていて、重複もするが、その中から、関係ありそうなところだけを、簡単に拾い読みする。
偽書とする説もあり、文書の研究は進んでいない、図書館へ行ってもないだろう、この書は読むこともむつかしい。ネットにアップされているものを参考にさせてもらった。


崇神天皇10年秋9月 丹波青葉山の賊 陸耳御笠、土蜘蛛匹女(ひきめ)ら、群盗を集め、民の物品を略奪した。多遅麻(たじま)(くるひ)の土蜘蛛がこれに応じて非常に悪事を極め、気立(けた)県主櫛竜命を殺し、瑞宝を奪った。
(気立は但馬国気多郡で、後の城崎郡。但馬国府があった所。狂は豊岡市の来日(くるひ)

崇神天皇は、彦坐命に詔みことのりを出して、討つようにいわれた。彦坐命は、子の将軍 丹波道主命とともに、多遅麻(たじま)朝来直の上祖・天刀米命、多遅摩若倭部連の上祖・武額明命、多遅摩竹野別の上祖・当芸利彦命、丹波六人部連の上祖・武刀米命、丹波国造・倭得玉命、大伴宿祢の上祖・天靭負部命、佐伯宿祢の上祖・国靭負部命、多遅麻黄沼前県主・穴目杵命の子・来日足尼命等と丹波に向かい、土蜘蛛匹女を蟻道(ありじ)川で殺し、陸耳を追い、白糸浜に至った。
陸耳は船に乗り、多遅麻の黄沼前(きぬさき)(温泉で知られる城崎(きのさき))の海に逃げた。
(白糸浜は東舞鶴にもあるが、ここでは与謝郡であろう。『与謝郡誌』に、白糸の濱。白糸濱も天橋立爾邊の濱を云ひ尚ほ引績きて江尻より日置に至るあたりの濱邊も此白糸の内なり。投身石に没せし女丈夫花松の父白糸濱の長者岩井左衛門(平家の家臣)の館舎在りし所と傳ふ   白糸にまよふ舟あり朧月   文之).


崇神天皇10年、丹波青葉山の賊、陸耳御笠は、土蜘蛛の匹女などの盗賊を集め、民衆の物を略奪していた。その党の、(くるひ)土蜘蛛は多遅麻に入り、盗みを行う。
多遅麻国造の祖、倭得玉命、多遅麻国造・天日楢杵命は、それを崇神天皇にこもごも奏した。天皇は、彦坐命に、これを討つようにと命じた。


崇神天皇10年、丹波国青葉山の賊、陸耳御笠は、群盗を集め、民の物を略奪する。その党の狂の土蜘蛛は久流山(来日岳)にいて、所々に出没し、良民を損なう。その勢いは大変さを極める。

崇神天皇10年、丹波国青葉山の賊、陸耳御笠は、群盗を集め、良民を害する。その党の狂の土蜘蛛は多遅麻に入り、略奪を行う。黄沼前県主の穴目杵命は使いを馳せてこのことを天皇にお知らせする。天皇は彦坐命にこれを討つように命じる。


彦坐命は丹波に下り、これらの賊徒を多遅麻伊技佐御碕(いきさのみさき)の海上で討ち、誅殺する。狂の土蜘蛛は従って平らぐ。
当芸利(たきり)彦命は陸耳に迫り、これを刺し殺す。それでその海を勢刺(いきさ)海という。
伊技佐御碕(いきさみさき)は浜坂町三尾のあたりの海岸。浜坂から香住(かすみ)町にかけての海岸地域は、但馬御火(みほ)浦として国天然記念物、山陰ジオパークに指定されている。ミがつく地名に注)
但馬海岸でも西側で、ワタシもこのあたりは行けていない。このカエル岩くらいか。

彦坐命は諸将を指揮して陸耳に迫る。その時彦坐命の甲冑が鳴動して光を発する。その海を名づけて鎧浦という。
(香住町(よろい)金指(かねさし)神社がある。金指は多氏の一派か、同族には耳の名を持つものもある)

彦坐命は、諸将とともに出雲国に至り、美保大神・八千矛神を詣で戦功をお礼をし、伯耆・稲葉の海上を経て、二方国を過ぎ、暴風に遭い、辛うじて諸寄(もろよせ)の港に入る。それで難棹(かねさし)諸寄港という。(浜坂町諸寄。金指神社がある)
暴風が止むと、彦坐命は船を進めて、多遅麻の
舟生水門(ふなふみなと)に入ると大アワビが船と化して王軍を導き、丹波国余謝浦島に至る。
←香住町柴山の丹生神社(式内社)。
柴山港は古くは丹生湊といった。但馬随一の良港とされ、カニの水揚げで有名な柴山のことである。
丹生が正しいのか、それとも舟生が正しいのか不明だが、文字が似ているためにどこかで混乱したものか。この辺りは金山もある、『丹生の研究』によれば、当社の旧社地あたりで採取した試料では水銀0.0032%という。
大アワビは海神か。
余謝浦島は浦神社がある伊根町本庄であろう、日下部首は彦坐命の一族なのであろう。浦島伝説の原郷は長江の洞庭湖あたりと見られていて、、そこはミミ族、彦坐命、浦嶼子のはるかなる原郷であろうか)

彦坐命は船となった大アワビを拝して神霊とし、皇都に凱旋する。天皇はその功を賞して、丹波道(丹波国・但馬国・二方国)を賜う。

彦坐命は諸将を率いて、多遅麻粟鹿(あわが)県に下り、諸将を各地に置く。


鳥取県岩美郡岩美(いわみ)町に陸上(くがみ)という所がある。因幡国の東端で、但馬国との境の海岸だが、この地名、クガミはクガミミと関係ある地名でないかとする説がある。(吉田東伍、谷川健一)
陸上とか岩美とか香住とかミのつく地名が多く見られる。式内社・耳井(みみい)神社(城崎郡奈佐郷宮井)もある、一説に天日槍が婚姻関係を結んだ太耳(前津耳)を祀るという。ミミといってもミといっても同じで尊称、南方海人系のもの、金属と繋がりがあるという。ワニ氏原隊でなかろうか。ワニ(日子坐王)がワニ(ミミ族)を退治したというハナシになる。退治した者と退治された者は同じ者の伝説の定理がなりたつのかも…


日本得玉(やまとえたま)命は勘注系図にも見えて、海部氏の八世孫。注文に、亦名川上眞若命とあるが、川上真若は十四世孫としても出てくる人。
残欠には朝来(あせく)の地名由来として、この人が出てくる。
同(崇神)天皇御宇、當國青葉山中有土蜘、陸耳御笠者、而其状賊人民、故日子坐王奉勅來而伐之、于時此命等奉仕、到于余社之大山、遂誅之矣、

舞鶴の朝来と但馬の朝来(あさご)郡朝来郷とは何か関係がありそうに思われる。
青葉山の陸耳御笠を余社之大山(大江山)で誅したとある。

倭得玉彦命ともあって、尾張氏系図にも見られる。京都府城陽市寺田の水主神社その他に祀られている、という。








音の玉手箱 精神に翼をあたえ、創造力に高揚を授ける、音の宝石


Brahms Hungarian Dance No.5



Destiny Hungarian Dance No.5 - YouTube
(169) Laura Lace - Brahms Hungarian Dance No.5 - YouTube
(169) Brahms Hungarian Dance No.5 - YouTube
(176) Yuja Wang and Khatia Buniatishvili play Brahms - Hungarian Dance No. 5 - YouTube

これも元はチャルダーシで、ブラームスの編曲という。21番まである。5番が特によく知られている。

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