丹後の地名プラス

そら知らなんだ

伊吹②
(そら知らなんだ ふるさと丹後 -52-)


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そら知らなんだ ふるさと丹後
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舞鶴の古墳②
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神明山古墳






少年易老学難成、一寸光陰不
脳が若い30歳くらいまでに、せめて千冊は読みたい

友を選ばば書を読みて…と与謝野鉄幹様も歌うが、子供の頃から読んでいるヤツでないと友とも思ってはもらえまい。
本を読めば、見える世界が違ってくる。千冊くらい読めば、実感として感じ取れる。人間死ぬまでに1万冊は読めないから、よく見えるようになったとしても、たかが知れたものである。これ以上の読書は人間では脳の能力上、生物の寿命上、言語能力上不可能なことで、コンピュータ脳しかできまい。



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『丹後の地名』は、「FMまいづる」で月一回、「そら知らなんだ、ふるさと丹後」のタイトルで放送をしています。時間が限られていますし、公共の電波ですので、現行の公教育の歴史観の基本から外れることも、一般向けなので、あまり難しいことも取り上げるわけにもいきません。
放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。

丹後の伊吹神社

気吹戸主命・気吹戸とは

丹後のフキやフクの神社や地名(主なところ)

以上は


伊吹山


伊吹山(1377・4メートル、山頂は滋賀県米原市。滋賀県の最高峰)

今津から、竹生島の背後に拝める。胆吹・伊富貴・伊服岐・夷服・伊夫岐・五十葺などとも記した。滋賀県と岐阜県の境、古代でいえば手前が息長氏側、向う側が尾張氏側になる。関ケ原からはドライブウェイが通じていて、日本武尊のような苦労なく、山頂に立てる。修験の山で、六合目以上は女人禁制の山であったという。
琵琶湖北の狹い山地を吹き抜けて来た冬の季節風は、この山に当たって雪を降らせ、関ケ原付近が深雪地となって南麓を通過するJR東海道本線や新幹線にも除雪車など必要とする、新幹線が遅れるとか、名神高速が通行止めになったりするのはここである、冬から春にかけての伊吹颪が西濃平野を吹き荒れるなどしてこの山の周囲の気候に与える影響は大きい。全山が古生層の石灰岩から成り、頂上部は平坦でカルスト地形が見られる。
3合目以上は、種類約1,700種におよぶお花畑というか、一面の草原というか、永禄11年織田信長がポルトガル人の宣教師に命じて、 50haの薬草園を作らせた記録がある。特に伊吹百草・伊吹モグサは有名で、百人一首にもあるが「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしもしらじな燃ゆる思ひを」でも知られる、さしも草=モグサを採る山であった、という。
西南麓の伊吹には伊富岐大神を祀った坂田郡式内社の伊夫岐神社があり、嘉祥3年(850)神階従五位下を与えられている。仁寿年間(851~54)、僧三修が護国寺を建立し、さらに伊夫岐神社の別当寺として弥高・観音・太平・長尾の4か寺が建てられた。麓にも山肌白いところがあり、大阪セメントの工場もある。
東南麓の岐阜県不破郡垂井町にも伊富岐神社がある、近くに金山彦を祀る美濃一宮南宮神社があり、冶金の神として知られる。


伊吹山の鬼、伊吹童子・伊吹弥三郎・酒典童子

伊吹山は鬼の山とも伝わり、この山にいた伊吹童子は、実は丹後の大江山の酒呑童子だというハナシも伝わる(伝説だから異説も多い)。伊吹山と大江山は似た性格の山のようである。
鎌倉時代のこと、悪業の数々を働いたことで知られた柏原庄(米原市)の地頭柏原弥三郎為長は、佐々木信綱に誅伐されたのち伊吹山の悪霊とみなされ、伊吹童子とよばれるようになったという。
のちには大江山の源頼光による酒呑童子退治伝説と交錯して、酒顛童子は大江山の城砦が陥落したのち、落ちのびて伊吹山に籠ったという説(本朝武家評林)があり、俗に伊吹山酒典童子と称されてきた、という。
『伊吹とうし』(国立国会図書館デジタルコレクション)より↓


また彼よりも古く、伊吹山には伊吹弥三郎という鉄人の伝承も伝わっている。全身が鉄で不死身だが、身体の一カ所だけがふつうの人間とおなじ肉身であるために、そこを狙われて殺されたという。ギリシャ神話のアキレスと同型のハナシ。伊吹童子の父とも伝わる。
伊吹童子
伊吹弥三郎


伊吹山と日本武尊

日本武(やまとたける)尊(倭武命)は、日葉酢媛のお孫さんとなっているが、もっと古く建国時代のいくつかの英雄伝説を一つにまとめたものでないかと言われる。ギリシャ神話のヘラクレスとの類似は、ことに著しいそうである。東奔西走、大活躍の人だが、その最後は伊吹山の神に敗れ、伊勢の能褒野(能煩野)で没し、白鳥と化したという。
伊吹山頂に日本武尊の像が立てられている。↓


『古事記』
…故爾に御合したまひて、其の御刀の草那藝劒(くさなぎのつるぎ)を、其の美夜受比賣(みやずひめ)の許に置きて、伊服岐能山(いぶきのやま)の神を取りに幸行()でましき。
是に詔りたまひしく、「茲の山の神は、徒手(むなで)(ただ)に取りてむ。」とのりたまひて、其の山に(のぼ)りましし時、白猪(いろゐ)山の邊に逢へり。其の大きさ牛の如くなりき。爾に言舉爲(ことあげし)て詔りたまひしく、「是の白猪に化れるは、其の神の使者ぞ。今殺さずとも、還らむ時に殺さむ。」とのりたまひて騰り坐しき。是に大氷雨(おほひさめ)()らして、倭武命を打ち惑はしき。〔此の白猪に化れるは、其の神の使者に非ずて、其の神の正身に當りしを、言擧に因りて惑はさえつるなり。〕 故、還り下り坐して、玉倉部の清泉に到りて息ひ坐しし時、御心稍に()めましき。故、其の清泉を號けて、居寤(ゐさめ)の清泉と謂ふ。
其地より發たして、當藝野(たぎの)の上に到りましし時、詔りたまひしく、「吾が心、恒に(そら)より(かけ)り行かむと念ひつ。然るに今吾が足得歩(えあゆ)まず、當藝當薇斯玖(たぎたぎしく)〔當より下の六字は音を以ゐよ〕成りぬ。」とのりたまひき。故、其地を號けて當藝(たぎ)と謂ふ。其地より(やや)少し幸行でますに、甚疲(いとつか)れませるに因りて、御杖を衝きて(やや)に歩みたまひき。故、其地を號けて杖衝(つゑつき)坂と謂ふ。尾津の前の一つ松の(もと)に到り坐ししに、先に御食したまひし時、其地に忘れたまひし御刀、失せずて猶有りき。爾に御歌曰みしたまひしく、
  尾張に 直に向へる 尾津の崎なる 一つ松 あせを 一つ松 人にありせば 大刀佩けましを 衣著せましを 一つ松 あせを
とうたひたまひき。其地より幸でまして、三重村に到りましし時、亦詔りたまひしく、「吾が足は三重の勾の如くして甚疲れたり。」とのりたまひき。故、其地を號けて三重と謂ふ。其れより幸行でまして、能煩野(のぼの)に到りましし時、國を思ひで歌曰(うた)ひたまひしく、
  倭は 國のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし
とうたひたまひき。又歌曰ひたまひしく、…

『日本書紀』
…日本武尊、更尾張に還りまして、即ち尾張氏の女宮簀媛(みやずひめ)を娶りて、(ひさ)しく留りて月を()ぬ。是に、近江の五十葺(いぶき)山に荒ぶる神有ることを聞きたまひて、即ち劒を解きて宮簀媛が家に置きて、(たむなで)に行でます。譫吹(いぶき)山に至るに、山の神、大蛇に化りて道に當れり。爰に日本武奪、主神の蛇と化れるを知らずして謂はく、「是の大蛇は、必に荒ぶる神の使ならむ。既に主神を殺すこと得てば、其の使者は豈求むるに足らむや」とのたまふ。因りて、蛇を跨えて猶行でます。時に山の神、雲を興して氷を()らしむ。峯霧り谷(くら)くして、(また)行くべき路無し。(すなわ)?遑(さまよ)ひて其の跋渉()まむ所を知えず。然るに霧を凌ぎて(あながち)に行く。方に僅に出づること得つ。猶失意(こころまどひ)せること醉へるが如し。因りて山の下の泉の側に居して、乃ち其の水を飮して醒めぬ。故。其の泉を號けて、居醒泉(ゐさめがゐ)と曰ふ。日本武奪、是に、始めて痛身(なやみますこと)有り。然して(やうやく)に起ちて、尾張に還ります。爰に宮簀媛が家に入らずして、便に伊勢に移りて、尾津に到りたまふ。昔に日本武奪、東に向でましし歳に、尾津濱に停りて進食(みおし)す。是の時に、一の劒を解きて、松の下に置きたまふ。遂に忘れて去でましき。今此に至るに、是の劒猶存り。故、歌して曰はく、
  尾張に 直に向へる 一つ松あはれ 一つ松 人にありせば 衣著せましを 太刀佩けましを

伊吹山の神を素手で退治しにいったが、その神の猛毒で意識朦朧となり、重い足を杖で支え,苦しみながら旅をして、三重の能煩野まで辿り着いたところで力尽き息絶えた。大和から后たちと子たちがやってきて、御陵を造り,泣きながら葬ろうとしたが、尊は八尋白智鳥に化して飛び翔り,后たちと子たちが懸命に追っていく、,河内の志幾に留まった。そこでその地に白鳥陵を作り,鎮座させようとしたが、再び天翔り去ったという。

大蛇は鍜冶神だろうが、牛ほどもある大きな白猪とは何者だろうか。蒼ざめた馬に乗る者は死、馬は当時はまだいなく、猪となったものか。白猪は死神か、伊吹山は死者の山の信仰があったものかも…
伊吹山の東側、尾張氏側の伝承ではなかろうか。草薙剣は三種の神器で、これがなければ、天皇に即位できない王璽である。そんなものを持つのだから、天皇氏族の中でも欠かせない重要氏族ということであろう。また剱であり、尾張氏は鍜冶氏族であろうと思われる。実際に関孫六など刀剣鍜冶があった。(尾張氏はいずれ取り上げる予定)。

建部(武部)


建部(武部)は日本武尊の御名代部(みなしろべ)とされる。
『日本書紀』
…、()りて伊勢國の能褒野(のぼの)陵に葬りまつる。時に日本武尊、白鳥と化りたまひて、陵より出で、倭國を指して飛びたまふ。群臣等、因りて、其の棺櫬(ひつぎ)を開きて視たてまつれば、明衣(みそ)のみ空しく留りて、屍骨(みかばね)は無し。是に。使者を遣して白鳥を追ひ尋めぬ。則ち倭の琴彈原(ことひきのはら)に停れり。仍りて其の處に陵を造る。白鳥、更飛びて河内に至りて、舊市(ふるいち)邑に留る。亦其の處に陵を作る。故、時人、是の三の陵を號けて、白鳥陵と曰ふ。然して途に高く翔びて天に上りぬ。徒に衣冠を葬めまつる。因りて功名(みな)(つた)へむとして、即ち武部(たけるべ)を定む。…
日本武尊は伝説上の架空のヒーローで実在人物ではない。だからリアル社会の武部が、その名代との説明は苦しい。
武部について日本古典文学本の補注には、
出雲風土記、出雲郡、健部郷の条に、景行天皇の武(建)部設定時のこととして郷名の由来を記す。建部は、紀に日本武尊の功名を録すために定めたとあることから、本居宜長以来、日本武尊の名代と考えられて来たが、最近では、津田左右吉をはじめとして、記紀に建部を日本武尊の後裔の如く記すのは建部の名から出た付会の説で、実際は武人であるがためにつけられた名であり、軍事的職業部の一つであるとする考え方が支配的である。
 上田正昭の調査によれば、古代における建部の分布は、東は常陸から西は薩摩にいたる各地域に及ぶが、ことに吉備・筑紫・出雲・美濃・近江など、大和政権にとって軍事上重要であったと思われる地域に、濃厚な分布が認められる。これらの建部は、武部君(→三一三頁注二四)によって管掌されており、孝徳天皇即位の儀に、犬上建部君が大伴長徳連と並んで金の靫を帯びて壇の左に立ったとあること(孝徳即位前紀)や、宮城十二門の門号に達部門(のち待賢門)があること(→国補注24-六)は、建部氏が古来建部を率いて朝儀に奉仕し、宮門の警衛にあたったことを推測せしめるものといえる。
当否はどうであろう。
舞鶴に建部山がある。タテベとかタケベと呼ばれている。元はタケルベだろうか。

舞鶴湾、由良川と田辺城下が俯瞰でき、また南麓の宮津街道と西側の由良川水運を扼する交通的・軍事的要地を占める。中世には頂上に一色氏の建部山城が築かれた。同城は建武3年(1336)に築城され、天正6年(1578)に落城した。明治になり舞鶴軍港を防衛する目的で砲台を築いたため、城跡の遺構は破壊され、まったく知ることはできない。その位置にある山だから、これらよりも古く古代の武部が置かれていたものかも知れない、しかしそれらはもうまったくもって知ることはできない。不思議な地名として残されているだけである。

山頂より西舞鶴市街地方向を見る↑
山頂に舞鶴の「お宝」と教育委員会やお子ちゃまがいう建部山砲台跡↓

建部山から北ヘ行けば、結城神社の地になるが、両者に何か関係があるのか否かは不明。
『舞鶴ふるさとのやしろ』
建部山と日本武神社 喜多
 舞鶴西港の西側に「丹後富士」とも呼ばれる高さ三一六メートルの端麗な山がある。「建部山」と書いて一般には「タテベヤマ」と呼んでいるが、記者はかねてから「タケベヤマ」と呼ぶべきではないかと思っていた。「建部」は日本古代の悲劇的英雄、日本武命の没後、父の景行天皇が長くその功名を伝えるため御名代「建部」を置かれたという歴史が頭の隅にあったからである。現に大津市瀬田には日本武命をまつる旧官幣大社「建部神社」があり、著名人にも「建部(ルビ・たけべ)」姓の人があることを知っている。
 ではなぜこの山に「建部」の名がついたのかを宿題としていたが、明治十年代に編集された「京都府地誌」の喜多村の項に「日本式神社社地東西二間、南北一間、面積二坪、村ノ北ニアリ、日本武命ヲ祭ル」の記事をみつけたときこれがカギになるのではないかと思った。喜多の人に聞いたが、ほとんどの人が「そんなお宮さん聞いたことありません」の返事。昔の村の土地台帳を調べてもらったら、ようやく北隣の大君との境に近い小字滝ケ下の岬の付近に、地元の人たちが「不動さん」と称している小祠が「日本武神社」であることがわかった。
 山城研究家岡野允さんの「丹後の山城」によると、この山に城砦があったことを示す最古の記録は、南北朝時代の延文二年(一三五七)の「片山文書」で、それには「田辺竹辺城」と記され、当時はタケベと呼ばれていたことを裏付ける。そのころからすでに、この山のどこかに建部神社を勧請した社があったのではないだろうか。それから約三十年後の明徳三年(一三九二)には一色満範が丹後の守護大名として建部山に入城、十代続いたが、天正七年(一五七九)、細川藤孝に攻略された。また細川氏は田辺築城のため、円満寺の農民を喜多へ移住させ、元の喜多住民を青井へ移すなど、村民の大移動が相つぎ、日本武命をまつる社も転々と所を変え、今では建部山とは離れた淋しい岬の森の中に隠れるようになってしまったのではないか--と記者は推論している。

各地のイブキ

イブキは伊吹、伊福、あるいは盧城(いおき)(五百木)などとも記される。(フキ、フク等を除く、手元の資料のみ)

伊福郷(遠江国引佐郡)(訓注・以布久)
伊吹(岐阜県各務原市蘇原)
伊吹(岐阜県不破郡垂井町)
伊富岐神社(美濃国不破郡)
伊福郷(美濃国池田郡)
伊福郷(尾張国海部郡)
愛知県海部郡七宝町伊福
伊副神社(尾張国愛智郡)
廬城(いおき)河(三重県、雲出川)
若狭国遠敷郡玉杵里五百木部(いおきべ)□〔堅ヵ〕波調塩三斗和銅六年/十月(木簡)
伊吹(坂田郡伊吹町)
伊夫伎神社(近江国坂田郡)
意布伎神社(近江国栗太郡)(志那神社)
伊福郷(大和国宇陀郡)
気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社(二座)(大和国高市郡)(明日香村雷)
伊福村(兵庫県城崎郡日高町)
伊福部神社(出石町中村)
伊福郷(備前国御野郡)(訓注・以布久、伊布久)
伊福町(岡山県岡山市)
意布伎神社(出雲国出雲郡)
廬城部屯倉(安芸過戸)
伊福郷(安芸国佐伯郡)
伊尾木(高知県安芸市)
廬城駅家(筑前国御笠郡)
伊福(佐賀県神埼郡背振村)
伊福(長崎県南高来郡瑞穂町)

『青銅の神の足跡』によれば、これらの地の近くから銅鐸が出土する例があり、弥生時代からの金属生産の地であるかも知れない。


イブキ氏族


『新撰姓氏録』によれば、

山城国神別。天孫。
伊福部。 同上。(火明命之後也)

左京神別下。天孫。
伊福部宿禰。 尾張連同祖。火明命之後也。

大和国神別。天孫。
伊福部宿禰。 同上。(天火明命子天香山命之後也)。

大和国神別。天孫。
伊福部連。 伊福部宿禰同祖。(天火明命子天香山命之後也)。

大和国神別。天孫。
伊福部連。 伊福部宿禰同祖。(天火明命子天香山命之後也)。

河内国神別。天孫。
五百木(イヲキベノ)連。 火明命之後也。

火明命というが、本当は天香山命の裔、だから天日槍の子孫であろうか。
結城神社が九社の一つというのも、それならうなずける。









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 精神に翼をあたえ、創造力に高揚を授ける、音の宝石


 I Need a Hero  Holding Out For A Hero



(89) Holding Out For A Hero/ヒーロー [日本語訳・英詞付き] ボニー・タイラー - YouTube
(81) 麻倉未稀 - ヒーロー Miki Asakura - Hero (Holding Out For A Hero) - YouTube

善人たちよ、どこへ消えた。神々よ、どこにいる。
ますます増長するゾンビどもを蹴散らす街中のヘラクレスはどこにいる。
火の馬に乗った白馬の騎士はいないのか…
と、苛立ち怒る、ものすごい声、いつ聴いても何ともヤバイ歌。この世界には神々に見放された恥知らずしかいないのか、バチアタリに業さらしに、腐ったゾンビばかりか…。こんな声でみなが声をあげれば、ゾンビのみ栄える世もかわるだろう。
ことにどこかのマチあたりならなおさらヤバイ。ウワサは昔からあった、有名なウワサで知らぬ市民もそうはなかろう。腐敗と頽廃ばっか、みなアタマの底まで腐りきっているのか。いかにガタガタやぁのイナカ町とてちとヒドすぎよう。みなゾンビに噛まれたか。ゾンビのキワメツケになり果てたか。
ゾンビのように腐り、さびれ、活気なき墓場に新鮮な風をいれよう、もっと光を希望を夢を。変わっていかねければならない、変わり続け、進化し続ける、その努力でこそ生き残れる、その方向こそ必要であり、今を生きる者の義務。
ヒーローになろう。ゾンビは駄目だ、ゾンビは駄目だ。


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