朝来(あせく)
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京都府舞鶴市朝来 京都府加佐郡朝来村 |
朝来の地誌《朝来の概要》 朝来は舞鶴市の東部。舞鶴湾に注ぐ朝来川のつくる谷流域を指す広域地名である。日本板硝子工場の東側に続く谷。朝来小学校がある。 中世は志楽庄内3村の1。 江戸期は朝来川流域の杉山・笹部・登尾・岡安・長内・白屋・下谷・中(朝来中)・大波の9か村を総称した。 朝来村は、明治22年〜昭和17年の加佐郡の自治体で、笹部・杉山・登尾・岡安・白屋・長内・吉野・朝来中・大波上・大波下の10か村が合併して成立した。旧村名を継承した10大字を編成し役場は朝来中に設置した。明治42年朝来第一・朝来第二尋常小学校が統合され、高等科が併置されて朝来尋常高等小学校となった。 ↑運動会(舞鶴市・大正2年) 朝来尋常高等小学校での秋の大運動会。着物姿での行進。(『目で見る舞鶴・宮津・丹後の100年』より。キャプションも) 《人口》3296《世帯数》1141 《主な社寺など》 《交通》 《産業》 朝来の主な歴史記録《丹後風土記残欠》 〈 御田口社 御田口祠。御田口祠ハ往昔、天照大神分霊子豊宇気大神猶此国ニマシマスガゴトシ。丹波国造日本得魂命等スナワチ地口ノ御田ヲ以テ奉ル。更ニ校倉ヲ建テ、其穀実ヲ蔵ム也。故名テ曰ク阿勢久良ト。且、其倉ヲ奠リ、以テ御田口祠ト称ス。(以下六行虫食) 〉 《注進丹後国諸荘郷保惣田数帳目録》 〈 一 志楽庄 二百町九段百八十歩内 九十四町三段三百四十六歩 西大寺 四十二町五十歩 朝来村 三宝院 五町百五十歩 河部村公文分 大方殿様 七町一段三百歩 春日村公文分 伊賀次良左衛門 五町四段二百九十歩 朝来村公文分 同人 廿二町二段二百卅八歩 河部村 安国寺 廿二町二段二百卅八歩・但十五町致御公事 同半済 延永左京亮 三町 同貞名 安国寺 〉 《地名辞書》 〈 朝来。今朝来村と云ふ。大浦の南、志楽の北なる山村なり、康正二年造内裏引附に「拾貫二百文、三宝院御門跡御領、丹後国朝来村段銭」とあるは此か。 〉 朝来の小字関連項目「朝来と志楽」「朝来の古代」 「笹部」 「杉山」 「登尾」 「岡安」 「白屋」 「長内」 「吉野」 「朝来中」 「大波上」 「大波下」 |
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