戦死者数などお探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから探索してください。超強力サーチエンジンをお試し下さい。 戦争に関するデーターを置いていきます。 第二次大戦の犠牲者数(国別) 第二次世界大戦における人的被害 日中戦争の人的被害 沖縄戦における戦没者総数 沖縄戦で死亡した子どもたち 14歳未満のケース別戦没者数(沖縄戦) 東欧側の犠牲者数 人口1万の町の戦死者数 地域別陸海軍人戦没者数とそのなかの餓死者数の推定 百万頭の馬の戦没 戦争で14歳男子の身長は8.6センチも小さくなった いまだに海外に残されたままの戦没者の遺骨113万柱 ユダヤ人の犠牲者数・死亡者数 原爆の被害 Hevenu Shalom Alechem:We brought paece unto you:あなた方の平和を祈ります 詳しくは本ページ「Hevenu Shalom Alechem」 「 人を斬るのが 侍ならば … そんなことでも言っておればよかった。 しかし「人間の文明」が「進歩・発展」した後世になればなるほどに、非武装の一般市民、老人・子供までを巻き込んで、その数は鰻登りに増えていく。戦争は兵隊が死ぬのではなくなり、市民が大量殺戮されることになった。 軍人と民間人との死の比率は、第1次世界大戦時には95%対5%、第2次世界大戦時には52%対48%、朝鮮戦争時には15%対85%、さらにベトナム戦争時には実に5%対95%となる。 アフガンやイラクなどではどうであったのかは資料なく不明だが、何のためにこれだけの市民が殺されるのか、わかりきったハナシで誰かさんが大儲けするためであろう、次の戦争で儲けるのは市民ではないが、死ぬのはまちがいなく一般市民である。戦争とは市民を殺すということである。しかし基地の町袖志にも舞鶴にも市民を戦争被害から守ろうとする思想も設備も何もない。ハードもソフトも戦争の現実が教える教訓とは関係がなくなっていて、自衛隊が、あるいは米軍が市民を守ってくれるなどとも言っているようなことである。 目を覆いたい、カッコなど決してよくはなくなった、メチャクチャである、正義もクソもあったものではない。もしこのまま「人類の文化」が何の反省もないままに「進歩・発展」しつづけるならば、さて21世紀はどうなることだろうか。 私たちは早く「人間の文明文化の発展」の限界に気が付くべきではなかろうか。 これらの過去を忘れるとき、軍用倉庫の扉が再び開かれるとき、惨禍は繰り返されることになろう。さらにさらに規模を大きくして、人類すべてを焼き尽くすまで… (右上は「ロマンあふれる」?赤れんが倉庫。その下は残虐を極めたアウシュビッツ強制収容所。両者に違いはさほどになく、もし一歩踏み外せば、はずさなくとも、容易に転化するものである。次の戦争で大量に死ぬ運命となる市民によって、あるいは市民を装う者どもによって、戦争の扉が開かれていく。 世界記憶遺産に登録が迫る町である、世界の目が集まる、しっかりと意識のニューアルに努め世界レベルに追いついておかないと、笑われるだけになる。喜んでいるだけでは済ませられない。) 戦死者数 文明が進歩すればするほど戦死者が急増。20世紀は史上最悪の野蛮な世紀≪戦争の世紀≫であった。さて21世紀は? ↓二度と開かれてはならない扉が開かれていく、このように装いよみがえる… 戦後は長い間、日陰者のようにひっそりと置かれてきた建物であった、アウシュビッツ国家というか、収容所低国と呼ぶか、過去の軍国日本を目の当たりにする遺産であった、しかしそれらはいつの間にか、郷土の貴重な大切な、誇るべき文化遺産などとなっていく。確たる議論も市民の同意もないままに、××市の手によって。 これらは大量殺戮用兵器保管庫だぞ、どこからそんなモーソーが出てくるのか、見当もつきかねるが、市は莫大な市税をつぎ込み、大ウソこきながら禁断の建物をリサイクルしてきた、だが人は期待ほどには来なかった。さらばさらにゼニを。もっとゼニを。毒を食らわば皿までじゃぁ。迷走はもう止まらない。暴走が止められない。納税者は呆れてわらっているより手がない。しかし今後何兆円をほりこんでも客はなかろう。 ここの赤レンガなどは、市民の思いではなく、元元市長の「思い付き」男が己が妄想で、勝手に始めたものであり、それに提燈持ち市職員一部が踊ったもの、行き先は失敗に決まっているものである。これに限らずカンコーカンコーと言ってもナニも市民の間には合意もなく協力協定的なものもできてはいない、いわば市当局だけが勝手にやっているだけのもので、市民は冷ややくらいならまだよいが、舞鶴とすれば超重要な観光資源を見てもらっているその場所ですら見せるのを拒否する、見るのを妨害をする妙な陰湿な行動が何度かあったくらい、具体的に書くとどこかすぐわかってしまうので書きにくため、説明がわかりにくいと思うが、人々が見てくれているその前をわさわざさえぎるのである、ナニも特にはその必要性はない、その人の思いつきのエエカッコパフォーマンスだと思えるのだが、これが場所を変え、行動を変えても複数回見るので、舞鶴だけのあきれた現象だが、多くの人が見ていてカメラが集中しているものをわざわざ必要もないのにさえぎるなどはワタシは舞鶴でしか見たことはないが、舞鶴人だけの常識はずれの超ヘンなクセ、はっきり言えば観光客を馬鹿にするアホが野放しになっていて、それを誰も止めようとしない、舞鶴人のほとんどはそうしたことはしないのだが、ごくわずかだが、そんなモンがいる、これがすべてをぶちこわしてしまう、その人はそこまでは考えるアタマがないというだけだろうが、こんなところがあれば観光客などは二度とは来なくなる。一方では観光ズレしてしまったかのような市当局、一方では観光無知の超シロート市民。 また全体としての舞鶴観光受け入れ体制はまだまだゾッとするほどにあやうい、反対なら反対とはっきり言ってくれればいいが、そうではない、賛成のようなことをいいながら実際は面従腹背、腹の中はオノレのエエカッコしか考えてはいない、隠れてブツクサと言いコザイクをするあきれたもの。市全体のことなどナニ考えてますかいな、市も市なら市民もまた市民なのである。ナニがカンコーですかいな、これでは市民でも行きたくない、よそから観光客など呼び込め続けられるわけがない。自分の町の悪口言う気はないが、そうした人が実際に多い町なのである。 これは21世紀人のジョウダンか頽廃か、公共心も経済観念もないのか、マサカなどとタカをくくっているのか、いつの時代もそうした為政者どもの愚かさから惨禍は始まった… ↓舞鶴市役所本庁(舞鶴市北吸)はもともとが鎮守府倉庫施設の兵器廠本庁を潰して作ったものである。だからそのまわりじゅうがナチの収容所を思わせるような不気味なド迫力の軍事施設跡ばかりである。公共施設の場所としては環境がチト悪すぎる、引っ越しをお薦めする。花を植えたり芝生を植えたりして誤魔化すがさすがにこれはひどすぎる、子供が怖がるためか、ここから見るのは宣伝はしないようである。ツタを植えろツタで誤魔化せ。木も植えろ。大きな木だ。 ↓そんなことで、今度は裏側の海から見るといいと言い始めた。苦し紛れの言い逃れ。そんな話はこれまで聞いたこともなかった。誰がわざわざこんな所へきて見たりするだろう。そんなにヒマな市民はいない。魚釣人と警察に用のある者、市職員だけだ。そして見ても何もそほどいい景観とも思えない。こちらからみれば貧弱である。××市はかなり長い望遠レンズで右の2棟だけを切り取って写し、青い海、赤いレンガ、すばらしいでしょうと宣伝している。望遠好きのような写した人に問いたいが、たぶん500ミリはいるだろう、画像から判断すれば、しかも写した位置は一般人が立ち入れない自衛隊の敷地ではないのか、それは写偽だ、インチキだ、ヤシだ。別に写した人が悪いのではないが、超望遠画像ですよとか撮影データや説明もなく使った市が悪いのだが。 しかしここからもやはり何億円も投じるネウチはみじんも感じられない。 鎮守府の兵器廠本庁と二つの倉庫をブッ潰して、今の市役所と体育館などが建てられた。一言も大事な文化財を潰すとは言わなかった。それらも今では、市から言えば重要文化財の建物であった、世界遺産級であった。 昨日勤王 明日は佐幕 その日その日のでき心 泣いて笑って 鯉口切れば 江戸の桜田 雪が降る こんな大きな問題でグラグラするようでは。ニヒリスト新納鶴千代はにが笑い。タヨンナイ××市さんは大笑い。ここの赤れんが関係にかけた費用は総額45億円と伝えられている、新しい舞鶴市民病院の総工費は15億円ほどという、市民病院が3っつも建つアホな巨額な無駄金が捨てられている。さらに驚くのは赤れんが建物群はいずれも中身は何もないカラッポでただハコだけの真空、赤れんがはアホの好見本で、それを見て大笑いしようと全世界から人が訪れるかも知れないというものある。 45億円の真空。これで人口減少と少子高齢化に対処し交流人口300万人を目指しひいては舞鶴回生を目指すという、親方日の丸のクソどもしか思いも付かない目出度い目論見であるが、しかしまともな市民の誰もがアテにはすまい、これらに未来を託すバカもいまい。簡単に計算してもかけた費用を償還するには毎年2億円の利益が20年間以上続くことが求められる、20年間毎日毎日50万円以上の利益がなければ市民に損害を与える、50万円あげても元々でしかない、月々にすれば1500万円、市民一人当たりに150円づつ20年間以上にわたって還元できるものでなければワリに合わない、そんなことはムリだということはバカでも理解できよう。経済学的には初めからの大失敗である。ここは彼らの頭の中がそのまま外へ出たものでたいへんよく見える状態になっていて空漠の荒廃ぶりがかなしい、笑えてくる、泣けてくる。マスコミはじめ周囲からはブに過ぎたヨイショしてもらっているが、失敗しても責任取る気などはハナクソほどもないからここまで無責任に落ちたのであろう、自治体とは市とはどうあるべきものなのか基本理念のない真空、ただワァーと流されるだけのもの、流れ流れてこれである、これが過去を忘れ未来も忘れた愚かな者どもが最終的に流れ着いた哀れなる大失敗の夢の跡であろうか。 ←こんな物もこの倉庫にはあったかも知れない。 「人間魚雷・回天」と呼ばれる兵器である。魚雷というのか小型潜水艦というのか、一人乗りの特攻兵器で潜水艦から発射される。先端には1.5トンの火薬があり、このまま敵艦に体当たりする。敵艦を見失い体当たりが出来ないなら自爆するようできていて、母艦を離れれば二度と生きて帰ることはできないシステムであった。乗っているのは今の高校生くらいの年代の子である。もし成功すれば戦艦でも轟沈ほどの威力があったが、広い海の中で万に一つも実際に当たって戦果を挙げることはなかったと思われる。机上でモーソーするほどには簡単に当たれるものではなかった。発射して長い時が過ぎて回天内の酸素がもうきれるころボーンと遠くで爆発音が聞こえる、敵艦を見失い自爆したのだ。回天は呉海軍工廠で作られ、火薬は朝来の第三火薬廠で装填されたという。 132人の若者がこれで死んだといわれる、亡くなった若者には気の毒だが、愚か極まる非人間兵器と呼ばねばなるまい。 ←箱爆弾を背負った子、というよりも、箱爆弾を低国陸軍に背負わされた子。沖縄戦で。『わたしたちの教科書』(草の根出版会)より。写真は残虐というので削除した。しかし戦争とはこんな写真ばかりではないか。 「爆雷を背負ったまま射殺された少年兵」のキャプションが付けられている。 見えにくいだろうが、今ならゲーム機に熱中する小学5、6生くらいの子に見える。日本側の記録でも沖縄ではこれくらいの子も挺身隊として召集されたから、実際にあった貴重な米軍側の記録である。 彼らには鉄砲もなく、これは10キロもないかも知れないが、体力に合わせた大きさの爆弾を背負って敵戦車のキャタピラに飛び込んだ。鉄のかたまりの戦車そのものは破壊できないが、キャタピラだけなら破壊できた。もし成功すれば、その戦車の進行を一日くらいは阻止できたかも知れない。沖縄だけでなく、満洲でもこうして多くの少年兵が死んだ。 こうした爆弾もこの「郷土の誇り、貴重な文化遺産、重要文化財、ロマンあふれる、どこかなつかしい、舞鶴の観光拠点の赤レンガ倉庫」の中には山と積み上げられていたかも知れない。市民は思いもつかないかも知れないが… ボロをまとった小学6年生くらいの男の子に10`の箱爆弾を背負わせた人形を赤レンガの入口に何百体と並べて置いておきたいもの、−ここはこうした戦争の入口でした−、とでもキャプションを付けて。 こうした本当の歴史を忘れて、忘れたことすらも忘れはててしまって、カラッポの虚無の市民たちの精神に、舞鶴ではモーソーの「歴史」と「赤と青の協奏曲」が、さもまことしやかに作り上げられ、詰め込まれてていく。昨日も今日も明日も。厖大な市税を使って… しかしそうして過去と絶縁して、「今」に閉じこもりでは何も見えてはこまい。見えるのはただただ市のクソ役人どもと同じくカラッポの虚無の空しい大ウソの世界のみであろう。 忘却の回路を抜け出て、記憶の回路を取り戻したとき、舞鶴市民が過去としっかりとつながったとき、世界が見え、真実が見え、市民が担うべき役割が、明日が、しっかりと見えてこよう。 それこそが本来の××市の果たすべき役割のはずなのだが。 はじめはわらって見ていたが、とうとうあまりに馬鹿らしくなってきた、こんなものを見て舞鶴がわかったように勘違いをされないよう、舞鶴の過去が未来に継承されるよう、クソ役人どものように忘れたことすらも忘れてしまわないうちに、少しデーターを拾っておこうかと思う。 「早よつなげ、早よつなげ、言うてな。ワシ風呂に入っとるのに、その風呂場までついてくるんやで。ワイヤレスでつないだろと思とるやけど、難してわからへん、なかなかつなげんもんでな…」 と、光回線がやってきたある家庭の話で、これはゲーム機の話であるが、彼ら、子供たちもつながりたいのである。ゲームの世界でも孤立は面白くない。世界とつながりたい。過去のデーターとつながりたい。そうした記録回路とつながりたがる。本当の過去と切れ、本当の世界と切れたとき、ゲーム機ではなく爆弾を背負わさせられ、沖縄の少年兵のように、彼らもまた死なねばならない運命が待っている。 第二次大戦の犠牲者数(国別)アジア各国の公式な統計は中国、タイ以外にはないという。(日本も含めてその数字が本当に正しいかどうかは明確ではなく今後の検証が待たれる)従って推計数値はいろいろある。下の表は『一九九五年八月十五日に』(朝日新聞社)より。 ここにない国々でも戦死者はあるが、厖大なために私はまだまだ未調査。見つかれば追加していきます。
第二次世界大戦での主な国の犠牲者数中学校1年の教科書『中学社会 歴史的分野』(日本文教出版株式会社)平成17年検定済 平成23年発行 より
『日本軍兵士』(吉田裕著 中公新書)には、
第二次世界大戦における人的被害以下のデーターは、東史郎氏の『昭和天皇独白録批判』内の資料(『丹波文庫13』(92.2)より)です。第二次世界大戦における人的被害
第2次世界大戦の犠牲者数『母と子でみる アウシュビッツ』より沖縄の犠牲者数東史郎氏の『昭和天皇独白録批判』内の資料(『丹波文庫13』(92.2)より)です。沖縄戦における戦没者総数 計 25万6.656人
沖縄戦で死亡した子どもたち
陸上自衛隊幹部学校『沖縄作戦講話録』1961年 14歳未満のケース別戦没者数
日中戦争の人的被害『世界大百科事典』(平凡社)の「日中戦争」による。〈 日中戦争による日本軍の死者は41万人、戦傷病者は92万人であるが、中国のうけた被害ははるかに甚大で、軍人の死者130余万、戦傷病者約300万人、民間人の死傷者は約2000万人にのぼる。8年余にわたる中国の抗戦は、日本帝国主義に大打撃を与え、日本を敗北させ東アジアを解放するうえで最も重要な役割を担った。 〉 第二次大戦がアジア解放戦争であり、その旗手が日本であったかのように美化する宣伝も一部には依然として見られるが、その栄光の役割を果たしたのは実は中国であったとしている。 第二次世界大戦の人的被害−主に東欧側−『荒れ野の40年』(岩波ブックレット)より 「若い人たちにお願いしたい。…及ぶかぎり真実を直視しようではありませんか」という有名なヴァイツゼッカー西独大統領の終戦40周年記念演説を収録した書ですが、訳者の永井清彦氏の「解説−若い君への手紙」も収録されている、その中のデータ↓ 〈 …戦いに勝ったはずの国の被害も大きく、国土は荒れ果てていた。とくにドイツの東側では勝者の被害は敗者のそれをはるかに上回った。 いまのウクライナなどを含むかつてのソ連は、たび重なる激戦で国土は荒廃、死者は二千四百万人とも二千七百万人ともいい、人口比にするとほぼ七人に一人の割合だった。 ポーランドの死者は六百万前後、人口比では六人に一人。 両国の死者のうち、それぞれ二百二十万、三百万ほどがユダヤ人だった。それぞれの国内のユダヤ人の七、八割にあたる。多くが強制収容所やゲットーで殺されたのであって、戦闘によってではない。生き延びた多くはアメリカ、イスラエルに移住していった。 殺されたユダヤ人はハンガリーにも約五十万人いて、ユダヤ人の死者はふつうひとくちに「六百万人」と推計されているが、五百万強という研究もある。 多くがアウシュヴィッツ強制収容所のガス室などで殺されたことはよく知られていて、そこでの死者はポーランド人なども含めてながらく四百万ということになっていた。いかにも多すぎる、と囁かれていたが、これが百五十万人程度と公式に修正されたのは九一年にソ連が崩壊したあとのことだった(その後、さらに下方修正されている)。 ユダヤ人、ポーランド人、ロシア人の被害がとびぬけて多いのはナチの反ユダヤ、反スラヴの人種政策による結果で、だから「人種絶滅戦争」ともよばれる。 ただし、西側では規模こそ大きいけれど「通常の戦争」で、フランスの死者は軍人、市民合わせて五十八万、同様にイギリスは三十九万というのがドイツとフランスの高校用共通教科書にでている数字だ。それぞれ人口の百人に一・五人、一人の割合になる。東側での被害者とは格段の差があったが、ドイツに過去七十年に三度も攻め込まれたフランスの憎しみははげしかった。 〉 人口1万人の町の戦死者数 『大江町誌』より 〈 十五年戦争による兵員の戦死傷者五百数十万人、内外の一般市民数十万人が犠牲となった。戦場となった中国・東南アジア諸国では国土を蹂りんされ生活を破壊された上、これに数倍する罪ない人々が殺された。 我が大江地方においても戦死六○○人を超えるという犠牲を出した。それは、六か町村人口一万余の実に六%にあたる大きな犠牲であった。 〉 戦死者数だけが戦争被害ではない、実際の戦争の実相はこうした数字だけでは表せない、戦争の表面のごく一面だけですが、それでも、戦死者だけでもこれだけになった。17人に1人の割合になる。簡単に自分の町の計算ができる指標となる。舞Iならこの10倍の6000人が戦死したこととなる。罪もない人々を数倍も殺して、さらに自らもこれだけの犠牲、ロマンチックか、郷土の誇りか、それとも愚かさの極みか。判断できないか、どこぞの職員の皆さん、給料をたくさん貰って遊んでいれれば頭が狂うのか。頭を冷やしてよ〜く、噛み締められてはいかがか− 次の戦争なら、1万人の全てが灰となろう。勝利者はもうないのである。 戦死者の大半は敵のタマによるものでなく餓死だった。
地域別陸海軍人戦没者数と餓死戦没者の推定 |
『母と子でみる 広島・長崎』より(キャプションも) 弟を背負う少年 爆心地かに南々東2.2キロの長崎駅前で。兄弟は両親を失い、弟の顔面には出血が乾いてこびりついている(8月10日朝。山端庸介撮影) |
広島市 | 長崎市 | |
当時の人口 | 32万81人 | 21万人 |
1945年末までの死亡者 | 14万人 (±1万人) | 7万人 (±1万人) |
負傷者 | 7万9130人 | 7万4909人 |
全焼家屋 | 5万5000戸 | 1万1574戸 |
全壊家屋 | 6820戸 | 1326戸 |
長崎 | 広島 | ||
「長崎市政65年史」から | 広島市役所調査課資料から | ||
●人員 | ●人員 | ||
死者 | 73、884人 | 死者 | 118、661人 |
負傷者 | 74、909人 | 行方不明 | 3、677人 |
罹災者 | 120、820人 | 重傷 | 30、524人 |
軽傷 | 48、606人 | ||
当時の人口 | 210、000人 | 当時の人口 | 320、081人 |
●建物 | ●建物 | ||
全焼 | 11、574戸 | 全焼 | 55、000戸 |
全壊 | 1、326戸 | 半焼 | 2、290戸 |
半壊 | 5、509戸 | 全壊 | 6、820戸 |
罹災家屋 | 18、409戸 | 半壊 | 3、750戸 |
このページの目次 |
−舞鶴引揚記念館− |
舞鶴引揚記念館:設立の趣旨 |
舞鶴引揚記念館:シベリア抑留 |
舞鶴引揚記念館:満蒙開拓青少年義勇軍 |
舞鶴引揚記念館:満州開拓団 |
満州天田郷・第二天田郷開拓団 |
舞鶴引揚記念館:岸壁の母 |
−データー− |
第二次大戦の犠牲者数(このページ) |
舞鶴と戦争の歴史。略年表 |
−引揚の歴史− |
引揚の歴史1:概要 |
引揚の歴史2:援護局設置までの時期 |
引揚の歴史3:「上安時代」 |
32隻の引揚船 |
引揚の様相 |
引揚船のリスト |
民間人の引揚-1- |
民間人の引揚-2- |
民間人の引揚-3- |
50音順 |
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あ | い | う | え | お |
か | き | く | け | こ |
さ | し | す | せ | そ |
た | ち | つ | て | と |
な | に | ぬ | ね | の |
は | ひ | ふ | へ | ほ |
ま | み | む | め | も |
や | ゆ | よ | ||
ら | り | る | れ | ろ |
わ |
丹後・丹波 市町別 |
京都府舞鶴市 |
京都府福知山市大江町 |
京都府宮津市 |
京都府与謝郡伊根町 |
京都府与謝郡与謝野町 |
京都府京丹後市 |
京都府福知山市 |
京都府綾部市 |
京都府船井郡京丹波町 |
京都府南丹市 |
若狭・越前 市町別 |
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福井県大飯郡高浜町 |
福井県大飯郡おおい町 |
福井県小浜市 |
福井県三方上中郡若狭町 |
福井県三方郡美浜町 |
福井県敦賀市 |