年度 |
月・日 |
出来事 |
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1937(s12) |
3・15 |
浮島丸進水(大阪商船所属) |
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1941(s16) |
9・5 |
浮島丸海軍に徴用 |
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1945(s20) |
6・30 |
花岡鉱山事件 |
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8・15 |
終戦 |
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8・19 |
大湊警備府が浮島丸に出航命令 |
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8・22 |
青森県大湊港出港 |
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8・24 |
京都府舞鶴湾で爆沈 |
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9・16 |
舞鶴から朝鮮への帰国船第一便「雲仙丸」出航 |
浮島丸の生存乗船者約900人は特別列車で山口県仙崎港へ、そこから釜山港へ向かった。約2000名以上の残りの乗船者は日本に残ったという |
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9・18 |
『釜山日報』で浮島丸事件がはじめて報道された |
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1950(s25) |
3・13 |
第1次引揚げ(後半分) |
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1954(s29) |
1月 |
第2次引揚げ(前半分) |
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4・14 |
第1回浮島丸殉難者追悼慰霊祭(舞鶴東公会堂) |
主催東本願寺浮島丸殉難者追悼慰霊祭実行委員会 |
1964(s39) |
3・5 |
日朝協会舞鶴支部結成総会 |
この年から、野田幹夫氏と須永安郎氏が中心となり、追悼事業を取り組む。また、この年の8月24日から、東本願寺(別院)「現在の至徳寺」での法要に参加し、節目の年には追悼集会を開催する。 |
1965(s40) |
6・22 |
日韓基本条約調印 |
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8・24 |
浮島丸殉難20周年追悼法要(東公会堂) |
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1970(s45) |
8・24 |
浮島丸殉雛25周年追悼慰霊祭(舞鶴東労働セツルメント) |
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1975(s45) |
7・28 |
浮島丸殉難者慰霊碑建立の為の第一回実行委員会 |
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8・24 |
浮島丸殉難30周年追悼式(舞鶴東労働セツルメント) |
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1977(s52) |
8・13 |
NHKドキュメンタリー『爆沈』放送 |
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1978(s53) |
8・24 |
「浮島丸殉難追悼の碑」除幕式。 |
「追悼の碑」は浮島丸殉難者追悼の碑建立実行委員会(会長佐谷靖舞鶴市長)が建立する。
この年から、追悼集会は「浮島丸殉難者追悼実行委員会」が主催する。 |
1984(s59) |
5・15 |
金賛汀氏『浮島丸釜山港へ向かわず』出版 |
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1989(s64) |
8・24 |
追悼実行委の「浮島丸事件の記録」出版 |
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1992(h4) |
8・25 |
生存者・遺族約50人が、日本政府に謝罪と損害賠償を求める訴訟を京都地裁に起こす(第一次提訴) |
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1993(平成 5) |
3・22 |
「平安遷都1200年映画を作る会」が浮島丸事件を題材にした映画製作を決定する |
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8・23 |
遺族27人が京都地裁に提訴(第二次提訴) |
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11・5 |
「映画『浮島丸』製作協力舞鶴の会」発足。 |
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1994(h6) |
8・23 |
遺族5人が京都地裁に提訴(第三次提訴) |
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1995(h7) |
5・24〜5・28 |
舞鶴ロケ |
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8・26〜8・27 |
映画「エイジアン・ブルー浮島丸サコン」舞鶴上映会(7回上映3600人) |
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1996(h8) |
3・26 |
日本共産党参議院議員西山登紀子氏が参議院厚生委員会で、浮島丸事件について質問する |
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5・10 |
「浮島丸殉難者を追悼する会」改組。会長に野田幹夫氏、事務局長に須永安郎氏を選出する |
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6・23 |
「浮島丸通信」創刊 |
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8・24 |
追悼集会に厚生大臣からメッセージが初めて届く |
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1997(h9) |
8月25日〜26日 |
青森県を訪問し、「浮島丸下北の会」と交流する |
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1998(h10) |
8・23 |
浮島丸殉難者追悼の碑建立20周年記念事業 |
りんご座公演「1998年夏・絆から海を見つめる群像の物語〜」
シンポジウム「いま、浮島丸事件を考える」 |
1999(h11) |
11月 |
追悼公園の説明版に赤ペンキをかけられる |
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2000(h12) |
4月 |
追悼公園の説明版の「植民地支配」の文字が削られる。 |
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2001(h13) |
8月 |
映画「エイジアン・ブルー浮島丸サコン」韓国で正式輸入許可、韓国ソウルで試写会。ソウル市の滄川教会で500人が鑑賞。以後、(ソウル、釜山、光州)等上映会続く |
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8・23 |
浮島丸訴訟で京都地裁が判決。国に賠償命令、謝罪請求は却下 |
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2002(h14) |
4・24〜4・28 |
韓国光州市を訪問し、光州市民連帯と交流する |
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8・24 |
光州市民連帯前代表、政策局長が追悼集会に参加 |
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2003(h15) |
5・30 |
浮島丸訴訟で大阪高裁が判決。原告敗訴 |
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8・24 |
追悼集会に光州市民が参加。舞鶴市長初参加 |
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2004(h16) |
5月 |
韓国光州市を訪問し、光州市民連帯と交流する |
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8・23 |
浮島丸殉難58周年「オルス公演、韓国宮廷舞踊伝統芸能のつどい」開催(光州市から)舞鶴市民と光州市民との市民交流会を開催する |
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11・30 |
浮島丸訴訟で最高裁が大阪高裁判決を支持して原告の上告を棄却。原告敗訴が確定 |
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2005(h17) |
3・14 |
中国北京大学で「エイジアン・ブルー浮島丸サコン」上映。あわせて、須永安郎氏が「浮島丸事件と追悼事業」と題して講演を行う |
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8・24 |
浮島丸殉難60周年企画「東アジア国際シンポジウム〜浮島丸事件:東アジアの平和のための条件を考える〜、東アジア・市民交流と文化の夕べ」を開催する
駐大阪大韓民国総領事館金康寿領事から、鄭華秦総嶺事からの感謝状を受ける |
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11・6 |
追悼する会の野田幹夫会長死去 |
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2006(h18 |
5・17 |
追悼する会総会を開催し、顧問に須永安郎氏・会長に余江勝彦氏を選出する |
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8・24 |
追悼公園にハングル文字の説明板を設置 |
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2007(h19) |
7・26 |
日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会による「浮島丸事件沈没地の現地調査及び懇談会」が実施される |
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2008(h20) |
4月 |
浮島丸事件の聞き取り、下佐波賀出身当時5歳父の救助活動を手伝う |
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8・23 |
浮島丸殉難63周年事業。
浮島丸殉難者追悼の碑建立30周年「金一志韓国伝統舞踊のゆうべ」公演 |
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8・24 |
浮島丸殉難63周年追悼集会
駐大阪大韓民国総領事館総領事・呉栄煥氏公式初参加 |
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