浮島丸殉難65周年追悼集会
'10・8・24 殉難の碑公園


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ハマナスの花(天橋立)
ハマナスの花



↑集会は事故現場に近い「殉難の碑公園」(舞鶴市下佐波賀) 
会場はここです。毎年同じ日の午前11時より開催されます。どなたでも参加できます。


浮島丸殉難65周年追悼集会



 2010年(平成22年)8月24日は、浮島丸事件から65年目になる。「浮島丸殉難者を追悼する会」は、爆沈現場に近い舞鶴市佐波賀 の「殉難の碑公園」に於いて今年も集会を開いた。
事件後65年が過ぎたが、人的被害の規模も事件真相の解明もほど遠い状況のままであり、日本海の、舞鶴湾の、平和も脅かされる状況のなかで、恐らくは数千名にのぼったであろう、あの日の無念の犠牲者の鎮魂と慰霊のため、平和の確立に向けて集会が開かれた。あの日この海が阿鼻叫喚の地獄の海であったとは信じられない静かな舞鶴湾の一画である。

今年は暑い、24日は気温37.9°Cあり、今夏最高を記録し、全国第2位の暑さになった。舞鶴は35°を越える暑さがずっとずっと続く熱帯気候、私のノーミソは沸騰して朦朧メチャクチャ状態。

2010追悼集会(舞鶴市佐波賀)

 2010年集会次第 (主催者のパンフより当HPの引用はすべて同パンフより)


 〈 1 開会
2 黙祷
3 追悼の辞
 1) 主催者
 2) 関係諸団体
    京都府知事
    舞鶴市長
    在日本大韓民国民団京都府舞鶴支部
    在日本朝鮮人総聯合会京都府三丹支部常任委員会
4 来賓及びメッセージ紹介
  厚生労働大臣
5 献花・メッセージ
   駐大阪大韓民国総領事館総領事
   朝鮮人強制連行真相究明調査団朝鮮人側代表(在日本朝鮮人総聯合会中央本部副議長)
   浮島丸爆沈韓国犠牲者追慕会韓国市民追慕団
6 慰霊の舞 金一志韓国伝統舞芸術院
7 追悼歌 「はまなすの花さきそめて」 京都朝鮮中高級学校
8 献花 参加者一同
9 閉会  〉 

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 慰霊の舞

 金一志韓国伝統舞芸術院の皆様
                       ↓「アリラン」(当日の録音)



                        ↑もし表示されないなら、あなたのパソコンにプラグインが組み込まれていないためと思われます、このページの一番上に組み込みを促す表示が出ていると思います、そこをクリックして組み込んで下さい。

慰霊の舞


慰霊の舞




↑白い布はヒレというものでなかろうか。「君が領布(ひれ)振る」の佐用姫、天日槍の神宝にもあった、そんな超古代の物語を彷彿させられる。
ハマナスの歌では「踏みしだかれし」「
()に」「帰りなん」とか普通の『国語辞典』には記載のない古語が見え、日本語は普通の日本人より堪能な様子。地理的に隣り、顔が同じというだけでなく、どうやらそうした関係深すぎる同士のようである。


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 追悼歌「はまなすの花さきそめて」


 京都朝鮮中高級学校生徒の皆様
                    ↓はまなすの花さきそめて(当日の録音)




追悼歌「はまなすの花さきそめて」


追悼歌「はまなすの花さきそめて」




 
 〈 朝鮮人浮島丸殉難者追悼歌 1985年作成 2000年一部補正

はまなすの花 咲きそめて
          韓 丘庸 作詞
          金 正花 作曲

1花咲咲そめん はまなすの
 丘に眠れる 浮島よ
 (いしずえ)()に こうべたれ
 かの日 偲びつ 遠い影
 ああ わが故郷(ふるさと) ふるさとへ
 はやる心の 流れかし
 うらみは深き 舞鶴よ
  アリラン アラリヨ アラリヨ

2踏みしだかれし 浜辺にも
 行きかう船の マストにも
 つらき涙の 港街
 きみの 叫び声に 振り向けば
 ああ わが故郷 ふるさとへ
 思いこめて 懐かしき
 歌う心の 舞鶴よ
  アリラン アラリヨ アラリヨ

3いずれの日にか 帰りなん
 死して みたまの 帰りなん
 今日も 飛びかう 白き蝶に
 わが同胞(はらから)の 姿見で
 ああ わが故郷 ふるさとへ
 いで立つ人の 慕わしき
 祈りささげん 舞鶴よ  〉 

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 献花

 信じられないほどの多数に登った犠牲者たちの冥福を祈り、集会の最後は全員による献花が行われる。この目の前に広がる静かな海で65年前のこの日、実際に起きたことであった。

犠牲者の冥福を祈り献花


犠牲者の冥福を祈り献花





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追悼の辞やメッセージなど


 浮島丸殉難者を追悼する会 会長 余江勝彦氏の追悼の辞

余江会長の追悼の辞

 〈 追悼の辞
 本日ここに「浮島丸殉難六五周年追悼集会」を開催するにあたり、549名の犠牲者の皆様方に謹んで哀悼の誠を捧げます。
 1945年8月24日静けさを取り戻した舞鶴湾に入ってきた浮島丸が、午後5時20分頃ここ下佐波賀沖で、突然発生したすさまじい爆発音と共に、真っ二つに折れて沈んでいきました。静かな海は阿鼻叫喚の生き地獄に一変しました。
急を知った近くの佐波賀の人々などの懸命の救助活動にもかかわらず、婦人・乳幼児を含む乗客524名が乗組員の日本兵士25名と共に、かけがえのない生命を失ってしまったのです。
 この大惨事には長い歴史的な背景がありました。
1910年(明治43年)日本は統治権の委譲を朝鮮に強制して以来、36年に及ぶ、日本の朝鮮に対する植民地化政策の結果、土地も仕事も失った人達が激増し、その多くは日本へ家族ぐるみの移住を余儀なくされました。一方、第二次世界大戦が勃発した1939年(昭和14年)からは、年老いた母を残した若者や一家の働き手である父親が、次々と日本へ強制的に連れてこられ、戦争遂行のための労働力として日本の各地で苛酷な労働を強いられました。
 1945年8月15日の日本の敗戦は、その人々にとって苦役からの解放と明るい未来をめざす日となりました。
 大湊警備府が出した「本国送還」の指示で、青森県下北半島方面で働かされていた朝鮮人労働者とその家族3735人(政府発表)が乗った旧日本海軍輸送船「浮島丸(4730トン)」は、8月22日午後10時に大湊を出発して航行を続けました。連合軍の要求に基づいて発せられた日本政府の命令で、浮島丸が針路を舞鶴に向け、湾内に入って直後にこの大惨事が起きたのです。夢にまで見た故郷や肉親との再会を翌日にひかえで、船内が喜びに沸きかえっていた最中に、予想もしなかった大惨事に遭遇し、尊い生命を失われた皆様の悲しみと無念さは如何ばかりであったでしょう。
 私達は広範な市民の方々の浄財と京都府及び舞鶴市のご援助を頂いて、1978年8月、事件発生現場が一望できるこの地に「殉難の碑」を建立し、毎年追悼集会を開催して今日に至っています。
これは犠牲者の皆様方のご冥福を心からお祈りすると共に、そのような歴史的背景を持つ「浮島丸事件」を風化させず、我が国が過去の過ちと教訓を忘れて、再び同じ道を歩むことを決して許してはならないと考えたからです。
今年は、殉難65−年という長い歳月が経ち、また、浮島丸事件と深く関わりを持つ日本の植民地化政策である「強制的な併合」lOO年であります。私は日本人として、過去の歴史的加害に対して、心より謝罪の意を表するとともに、日本の若い世代に、正しい日本の歴史を伝える事を責務として、気持ちを新たに、追悼事業を続ける決意です。
 私達は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意する」と明記されている日本国憲法の立場に立って、追悼集会を続けてきました。
 東京、中目黒の「祐天寺」には、いまだ故郷へ帰れない「遺骨280体」が残っております。このことは「浮島丸事件」が、また「日本が起こした戦争」の後始末がまだ終わっていないと考えるものです。
 私達が願う日本海(東海)は、友好の船が行き交う平和な海であり生す。「浮島丸事件」を忘れないことを「日本人の責任」として、事件から教訓を学びせり、平和の確立に向けてこれからも追悼事業を続けて行くことが浮島丸犠牲者の皆さんとの約束であると思います。
 日朝、日韓、日中国民の友好開係のさらなる発展を念じ、犠牲者の皆様のご冥福を心からお祈りして、追悼の辞と致します。
2010年8月24日
浮島丸殉難者を追悼する会
会長 余江勝彦  〉 


 京都府知事の献花(代理)
言葉がありますが、パンフにありません。録音があります、しかしまたの機会に。
京都府知事の献花(代理)


 舞鶴市長の献花
言葉がありますが、パンフにありません。録音があります、しかしまたの機会に。
舞鶴市長の献花


 在日本大韓民国民団京都府舞鶴支部支団長 金 英王氏の追悼の辞
民団京都府舞鶴支部金英王氏の追悼の辞

 〈 追悼の辞
浮島丸殉難65周年を迎え、韓国民団を代表しまして、尊い命を落とされました殉難者の皆様方に謹んで哀悼の意を表します。
解放直後の1945年8月24日、再び祖国に帰れるというはやる気持ちと事びを胸に、祖国に向かっている矢先の爆沈でした。同胞たちの無念さを思うと、本当に胸が痛み、やるせない気持ちで一杯です。
 今年は我が国が1910年8月22日に日本に併合されてから100年になりま戦争終結により解放された1945年には240万人、朝鮮総人口の実に10%にものぼる同胞が日本にいました。
 我が国は農耕民族であります。それが1910年代の日本による土地調査事業により農民は土地を奪われ、1920年代には日本の食糧不足を補うための産米増殖計画により米を奪われ、我が国民は仕方なく日本にやってきました。
1940年代に入り、徴用、徴兵により多くの命を奪われました。
 私たちの今日の平和はこのような我が国の過酷な歴史を経て成り立っているのです。我々は二度とこの様な悲劇を繰り返す事の無いよう、韓日両国民は相互理解を深め、共存できる社会を目指して努力していかなければなりません。
 最後に、当時救命活動に当たられた佐波賀の近隣住民の皆様と、浮島丸殉難者を追悼する会の長年の御苦労に対して感謝と敬意を表し、私の追悼の辞と致します。
2010年8月24日
在日本大韓民国民団京都府舞鶴支部
支団長 金 英王
通訳 在日韓国婦人会京都府舞鶴支部
会長 高 悦子  〉 


 在日本朝鮮人総聯合会京都府三丹支部常任委員会副委員長 地 勝一氏の追悼の辞
朝鮮人総聯合会地勝一氏の追悼の辞

 〈 浮島丸殉難65周年 追悼の辞
 私は、浮島丸殉難65周年を迎えて犠牲者の霊前に衷心から哀悼の意を表します。
65年の今日、〔亡国の民〕の苦しみと悲しみ、そして残酷な民族差別と虐待に耐え、漸く解放を迎えて、明るい希望を胸に懐かしい祖国に向った3735名の同胞を乗せた浮島丸が、この舞鶴港で突然爆発し、549名の尊い命が犠牲になりました。
 今年は、日本が朝鮮を強制的に併合して100年目になります。併合により朝鮮人は、土地や財産、資源のみならず民族の魂である言葉や名前までも無残に奪われました。
 この様な過程とその後の長い歳月が経ち今日に至るも、日本政府は一般的な青葉でのみ、朝鮮植民地支配に対して遺憾であるなどと口にするものの、過去精算を誠実に行わないばかりか、この「浮島丸」事件の真相究明も、公的謝罪も、そして当然な補償も行おうとしないことに、憤激を禁じえません。
 また今年は、朝鮮民族が解放されて65年の年でもあります。しかし、祖国光復もつかの間、「冷戦体制」の最中に祖国は分断され、私たちは大きな苦痛を今現在も被っています。
 そして、悲劇的な南北分断が続く中、植民地支配に関する去る8月10日の菅総理大臣の談話は朝鮮半島の南側だけに向けられ、北側には一言も言及しないという矛盾した内容に終始しました。
 政府のこの様な姿勢は、朝鮮半島の分断持縁に加担しかれないばかりか、日本社会の中で絶え間なく続く民族差別政策と排他的・差別的傾向、特に、朝鮮民主主義人民共和国と在日同胞に対するいわゆる「制裁」や、民族教育をはじあとした人権の侵害を更に助長させかねないことに、強い憂慮を禁じえません。
 朝鮮総聯は、あらゆる問題に対して、民族的主体に基づき、平和な対話と交渉によって解決し、外国勢力と野合して同族対決と戦争挑発行為を企てる者らを断乎排撃し、今後も、〔わが民族同士〕の精神に基づいて、一日も早い祖国統一を実現するために全力を尽くします。また、〔朝日ピョンヤン宣言〕の精神と基本原則に基づく、早期の朝日国交正常化の実現と、北東アジア地域の平和と安定、共栄の為に、大いに貢献して参ります。
 浮島丸撃沈により犠牲者になられた同胞の皆さん、65年たった今も、民族が一つとなって先輩方を追悼できないことをお許し下さい。
 最後に、事件当日の負傷者救援をはじめ今日までの真相究明、啓蒙、そして追悼行事などご苦労なさっている、余江勝彦会長を初めとする〔浮島丸殉難者を追悼する会〕の皆様と地元住民の皆様に、心からの謝意を表し、私の追悼の辞といたします。
2010年8月24日
在日本朝鮮人総聯合会京都府三丹支部常任委員会副委員長 地 勝一
通訳 姜 侑里 京都朝鮮歌舞団 団長  〉 


 厚生労働大臣 長妻昭氏のメッセージ
 
 〈 本日、浮島丸殉難65周年追悼集会が挙行されるに当たりまして、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
 65年前のこの日、ここ舞鶴において海軍輸送船浮島丸が沈没し、多くの犠牲者を出す大惨事となりましたここの惨事を知る方々も高齢化する今日においてこそ、戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代に語り継いでいかなければなりません。
ここに改めて平和への決意を新たにするとともに、お亡くなりになりました方々の御冥福を心からお祈りいたします。
 なお、厚生労働省でお預かりしております御遺骨につきましては、東京の祐天寺に丁重に安置されているところでございますが、厚生労働省といたしましては、一日も早く御遺族の皆様に御遺骨を返還できますよう、韓国政府と交渉を行っているところです。
 御遺族の方々並びに関係各位の御健勝を心より祈念申し上げます。
厚生労働大臣 長妻 昭  〉 


 総領事 呉榮煥氏のメッセージ
総領事呉榮煥氏のメッセージ


 〈 浮島丸殉難65周年追悼集会 総領事 迫悼辞
(2010.8.24)
 お忙もい中、浮島丸殉集追悼集会にご参席下さった犠牲者のご遺族の方々をはじめ、日本の自治体及び在日同胞関係者の皆様方に韓国政府を代表して感謝の意を申し上げます。
 この度、浮島丸殉難追悼集会は65周年を迎えますが、今年が日本の韓国強制併合100年に当たる年と言う点でその意義が格別であると思います。そして今から65年前に、舞鶴海上で不意の船舶爆沈事故により犠牲となられた多くの同胞の霊前にご冥福をお祈り申し上げると同時にご遺族の皆様方にも切実な追悼の意を表します。
 当時、犠牲となられた方々は日帝の下でほとんどが強制徴用され、自分たちの故郷を離れ日本に渡ってきました。そして過酷な強制労働や差別の中で黙々と忍苦の歳月を耐えつつ、両親や兄弟との再会を期しながら帰国を待ち望みました。その中で解放を迎え、慕い続けた祖国と家族のもとに帰る最中に、惜しくも命をたたれた事を患うと悲痛な思いを禁じられません。
 そのような中にあって救われる気持ちがするのは、過去の過ちを認め、謝罪したいという思いを持った良心のある日本の方々が中心になり、浮島丸殉難の碑を建てられたことであります。
 これは当時、不当にも犠牲になられた英霊を慰めると同時に、和解を求めようととする意味のあることであると思われます。
 このように民間レベルでの謝罪も意味がありますが、より大事なことは日本が真から過去の誤った歴史を反省する心を持って過去史を精算するための具体的な行動を示す事であります。これこそが当時犠牲となられた英霊の魂を慰め、和解と許しを通じ、二度と不幸な歴史を繰り返さないという誓いになると思います。
 両国が歴史認織を共有したり、歴史精算の問題を一挙に解決する事は困難でしょうが、大事な事は過去の過ちを素直に認め、解決しようとする姿勢であります。幸いにも、去る8月10日、管直人総理が韓日併合100年を迎え、植民・地支配に対し痛切な反省からの謝罪を含んだ総理談話を発表しました。
 菅総理の談話が無念の内に死んでいった英霊を慰めるきっかけとなればと願う次第でございます。
 過去は未来を映す鏡であると書います。私たちは日帝時代当時の不幸であった歴史を忘れてはなりませんが、だからと言って過去に縛られるのであるならば、歴史の進歩は期待しづらくなります。
 菅総理が談話で、両国間で価値を共有することは何よりも重要であると強調したように、今回の談話をきっかけに韓日両国が未来志向的である新たな100年に向かって大きな一歩を踏み入れることを期待します。
 今までに両国は地理的に最も近い国であるにもかかわらず、過去の歴史によって心情的に遠い国という認識がありました。しかし今となっては一日平均1万3千名、年間500万名に至る人々が両国を往来していて、また、韓流ドラマが日本の茶の間でゴールデン・タイムに放映されるなど、両国民間の情緒的な距離も縮まりつつあります。このように両国内で不幸であった歴史をのりこえ、未来志向的な関係を築こうとする雰囲気が盛り上がっていることは大変望ましいことであります。
 さらに両国は重要な経済協力パートナーであり、かつ安保分野の協力者として自由民主主義と人権を尊重しながら市場経済を共有しております。そして経済・文化・社会などの多方面においても密接な関係へと変わりつつあります。どうか両国が変化し続ける情勢の中で、両国関係の重要性を再認激し、東アジアの平和と経済的繁栄を導くパートナーとなることを願って止みません。
 最後に、今日の大韓民国の繁栄と発展は日帝時代と解放以後、祖国のために献身なさった同胞の方々の犠牲や努力が土台となったという点から再度、英霊の御前で、感謝の意を表したいと思います。65周年を迎えました浮島丸殉難追悼集会が過去の不幸や苦痛でつづられた歴史を後にして、許しと和解の場となることを祈願いたします。あわせて、英霊が寛大な気持ちで安らかに永眠なさり、大韓民国と民族の未来を明かす灯火となることを祈願いたしながら、追悼の辞と致しもます。
駐大阪大韓民国総領事館
総領事 呉 榮煥  〉 


 朝鮮人強制連行真相究明調査団 朝鮮人側代表 在日本朝鮮人総聯合会中央本部 副護長 朴久好氏のメッセージ

 〈 浮島丸爆沈事件65年追悼に際して

 祖国が解放され、故郷へ向かう3千余人の同胞たちが無残に犠牲となった浮島丸爆沈事件から65年の歳月がながれました。私は、事件の犠牲者と遺族に謹んで哀悼の意を表します。
 この間、朝鮮人強制連行真相究明調査団は、良心的な各界日本の方々と連携し、この事件の実態解明など、具体的な活動を展開してまいりました。
 特に2003年9月、北・南・在日の研究者と関連団体がピョンヤンで行った解放後初のシンポジウムでは、この事件を『我が民族に対する重大な人権侵害である』とし、真相究明と責任を明確にすることは『我が民族の尊厳と名誉に関する問題であり被害者のハン(恨)を解きほどく民族史的課題』(共同声明)としました。
 ところが日本政府は、65年の歳月が経った今も事件の真相究明すらおこなわず、犠牲者の遺骨も遺族に返還せず、彼らに対する心からのお詫びと賠償も回避しています。
 それどころか、日本の植民地支配の犠牲者である在日同胞にたいして「制裁」の名目で不当な弾圧を加え、基本的人権を蹂躙しています。
 私達は、「日韓強制併合100年」をむかえる今年、日本政府が犠牲者に対して心からの謝罪と賠償をおこなう事を強く要求します。
 また、この不幸なできごとを決して風化させることなく、世代を継いで、過去の歴史的教訓を、現在そして未来に活かして行かねはなりません。
 私達は、朝日友好、アジアの平和の為に益々努力することを、ここに改めて約束すると共に、毎年追悼事業などの様々な活動を行われて来た皆様に対して、感謝と敬意を表しながら、私の追悼の挨拶とさせて頂きます。
2010年8月24日
朝鮮人強制連行真相究明調査団 朝鮮人側代表
在日本朝鮮人総聯合会中央本部 副護長 朴久好  〉 


 浮島丸爆沈韓国犠牲者追慕会韓国市民追慕団団長 金 日喜老氏のメッセージ

市民追慕団団長金日喜老氏のメッセージ

市民追慕団団長金日喜老氏のメッセージ
↑堅苦しい雰囲気が一気になごむ。市民団体の追悼団体はお酒を供した。通訳氏がまた最高であった。


 〈 浮島丸犠牲者追慕会におくるメッセージ
 「浮島丸爆沈犠牲者を追慕する会」の余江会長と会員皆様、そして舞鶴市市民皆様が、一度も会話を交えたこともなく、一度も会っていない韓国・朝鮮人浮島丸号犠牲者のため、半世紀もたった今日まで、無念の死を遂げた彼等の古訓を慰労してくださった純粋な人間愛に深く感謝申上げます。
 これから五日後になりますと、日韓強制合併が行われて100年を迎えます。地理的・歴史的に一番近くいなければならない日韓の関係が、過去の不幸であった両国の歴史によって、未だ一番遠い隣国として存在している事実は、現在我々両国民が解決しなければならない最も重大な問題であります。
 この解決のために、特に加害国である日本の率直な過去の反省こそが、冷え切った感情をもつ被害者に慰労が可能と思います。
 去る10日の日本国の菅首相が、十分ではないが、新しい100年を築くために、日本の過去100年の過ちを告白しました。しかし、日本によって、言葉に仕切れない苦痛を耐えなければならなかった韓国・朝鮮人の冷え込んだ感情が、日本の総理大臣交代のによる「口先」だけでは、解決にならないと思います。近年の日本では、朝鮮半島の対する植民地統治を日本の小学校から高等学校の教科書に至るまで、朝鮮半島に進出したと教育する日本の政治指導者の図々しき態度と日本国国民を「愛国」という名で、集団催眠させている以上、被害者への誤りはおろか、皆様が愛する祖国日本が世界から尊敬される日ははるかに違い日になるでしょう。
 私は、今回日本に来る前に、浮島丸号犠牲者故人の子女にお会いしました。もう半白の白髪であるその老人は、父親の顔を一度も見たことがない、遺腹児でした。60代半ばになった彼は、私の手をつかみ、今回日本にいったら、父の死の無実と遺骨でも探してくれと、切なく頼みました。それを聞いている私も涙が絶えなかったです。
 今回も日本の与党一部の右翼主義閣僚と議員らが、靖国神社に参拝をしたのをみると、首相の射罪の真実性をうたがえざるをおえません。
 日本の良心である舞鶴市民皆様!我々両国民がひとつになり、国境を越え、人間愛として、浮島丸爆沈の真実を明らかにし、孤魂を安らかに、その遺族の長年の叶えを一緒に願ってあげましょう!60年が過ぎた真実を今日究明しようとすることは、だれかの罪を裁こうとすることではなく、歴史的事実を明らかにし、二度と同じ過ちを起さない様にする事が大事です。
 私は皆様にひとつご提案を致します。今回を切っ掛けに、日本の良心を代表する偉大な舞鶴市市民と浮島丸爆沈犠牲者日韓共同真相究明委員会を結成することを提案します。
 浮島丸爆沈犠牲者慰労にご尽力をくださった舞鶴市民皆様!皆様の健康と幸福を祈願します。
 ありがとうございます。
2010年8月24日
浮島丸爆沈韓国犠牲者追慕会
韓国市民追慕団
団長 金 日喜老  〉 

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 メッセージ



 〈 アジアの平和を目指して
 舞鶴で野田さん・須永さんに案内されて初めて浮島丸殉難者の像を見たとき、故国を目の前にして非業の死を遂げなければならなかった朝鮮の方々の無念さとこの事件を引き起こしたものに対する怒りを感じました。
 浮島丸事件は日本の海難史上にもまれな大惨事でありながら多くの人に知られることなく時間がたっていきました。
 その中でも毎年八月二四日に行われる舞鶴での「殉難者慰霊祭」は、規模と言い中身と言い日本の浮島丸運動の牽引者となっていると敬意を表し、感謝の気持ちでいっぱいです。
 今年は例年になく下北半島でも浮島丸事件の話題が多発しています。
曹洞宗の東北ブロック学習会で「浮島丸事件」が今年のテーマとなって四月と七月に講師を頼まれ九月には弘前市の女性の有志によって浮島丸事件の学習会が企画されています。
 アジアの平和と日韓・日朝の友好を願う我々は、浮島丸事件の真相を曖昧にしたままでは進展がないと思い、この運動のさらなる前進を目指してがんばりたいと思っています。
 集会の成功をお祈りして連帯のメッセージとします。
二〇一〇年八月二四日
浮島丸下北の会
代表者 斎藤作治  〉 



 〈 朝鮮強制「併合」百年になります。
浮島丸事件犠牲者に謹んで哀悼を表し歴史の教訓を学び、多民族、多文化の共生(ともいき)と平和のため努力します。
二〇一〇年八月二四日
京都府朝鮮人強制連行真相調査団
朝鮮人側代表 柳球采  〉 



↑犠牲者たちが安らかに眠れる日はいつ訪れる


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2018追悼集会
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2011追悼集会
2010追悼集会(このページ)
2009追悼集会









関連情報
 65年前の浮島丸事件とその後のおおよその経過は、すでに何度も書いていますのでそちらを参照して下さい。

以前の追悼集会については「浮島丸追悼集会:丹後の伝説17
事件そのものについては「浮島丸事件
など参照して下さい。



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