丹後の地名





2026(令和8)年8月24日
浮島丸殉難81周年追悼集会
   於 舞鶴市下佐波賀   殉難公園


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多くの犠牲者を追悼し、事件を新たに心にきざみ、平和につなげようと、今年もこの地で追悼集会が開かれた。
81周年集会の様子の簡単な紹介です。

 当ページは今回の集会の、式次第の流れに沿っての、様子一部の簡単な紹介です。今回も35℃にもなった暑い日であった。

1 開会 11:00
2 黙とう
3 追悼の辞
浮島丸殉難者を追悼する会 橋本栄治会長の追悼の辞


在日本朝鮮人総聯合会 京都府本部常任委員会 姜世哲委員長の追悼の辞


在日本大韓民国民団京都府舞I支部 金英王支団長の追悼の辞


それぞれスピーチの内容は、このページの下にあります。

4 献花
駐大阪大韓民国総領事 李泳采氏
京都府知事
舞I市長



5 来賓及びメッセージ紹介(下にあります)

6 追悼歌斉唱
追悼歌「はまなすの花咲きそめて」(京都朝鮮中高級学校生徒の皆様)



7 参加者全員による献花
8 閉会
240名の参加があったという。
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追悼の辞
メッセージなど紹介






「追悼する会」発行の案内冊子にある通りです。


追悼の辞
 追悼の辞
 本日ここに「浮島丸殉難81周年追悼集会」を開催するにあたり、犠牲者の皆様に心より哀悼の意を表します。
 青森県大湊から出航した浮島丸は、81年前の今日、舞鶴湾に入港した直後に、突然の爆発により沈没しました。乗客の朝鮮の人たち、ならびに乗組員は、海に投げ出され、あるいは船体とともに海中に引きずり込まれました。
 爆沈を目の当たりにした地元の人たちは、ただちに船を出して何度も現場に向かい、海軍とともに、懸命の救助を続けられました。
 しかし、女性や幼子を含む乗客524名(政府発表)と乗組員25名の尊い命が失われました。
 1978年、舞鶴市民は犠牲者を悼み、この痛ましい歴史を後世に伝えるために、爆沈現場に近いこの場所に追悼の碑を建立しました。
 当時25歳の私も、製作の仕上げ作業に加わりました。除幕式で白い幕が落とされ、群像が現れた時の感動は昨日のことのように思い出されます。
 その後、48年間この場所で8月24日に追悼集会をおこなってきました。2年後の2 0 2 8年は50周年を迎えます。
 昨年、私たちは、爆沈の聞き取り調査を実施しましたが、今年に入っても、生々しい目撃証言が寄せられました。また1950年に船体引き上げに際して撮影されたご遺骨の写真(厚生労働省保管)も、ジャーナリストの尽力で、今年の4月に日の目を見ることとなりました。
 浮島丸爆沈は、決して81年前の過去のことではなく、年ごとにその真相と実態が更新される、現在進行形の事件です。東京祐天寺にはご遺骨280体が留め置かれたままになっています。ご遺族の方が高齢化し、亡くなられつつある今、ご遺骨の返還は、急を要する課題です。
 舞鶴は戦後13年間にわたり約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れた引揚げの港です。私たちは、舞鶴における引揚げと同時に、浮島丸にも光をあて、語り伝えを絶やしてはならないと思っています。
 帰国の喜びに沸き立つ同じ舞鶴湾で、故郷の地を踏むことなく亡くなられた、朝鮮半島の人たちがいたことを決して忘れてはいけない。懐かしい故郷の山河を見ることなく、肉親との再会を果たすことなく亡くなった人たちの無念を思う時、追悼のとリくみは未来
にわたり続けていかなくてはならないと思っています。
 あわせて、浮島丸爆沈は、明治以降の日本の植民地支配や侵略戦争がなければ起こっていません。日本人の責任として犠牲者の追悼を続けることは、この歴史認識に立ち、日本が決して再び戦争の過ちを繰り返さないという決意も込めています。
 今、世界に目を向けると、戦争や紛争が頻発し、多くの尊い人命が失われ、きわめて憂慮すべき事態が続いています。また、際限のない軍拡は、新たな戦争の火種にもなりかねません。
 私たちは、戦争に突き進む危険な兆候を見逃さず、多くの人たちと連帯しあい、これを食い止める立場を貫きたいと思います。
 結びにあたり、本日ここに平和への決意を新たにし、犠牲者の皆様への追悼の辞とさせていただきます。
2026年8月4日
    浮島丸殉難者を追悼する会
         会長 橋本 栄治


浮島丸殉難81周年追悼の辞
 私は「浮島丸爆沈事件」から81周年に際し、一日も早く帰りたかった故郷の地を踏むことなく、見知らぬここ舞鶴の地で尊い命を失われた犠牲者のみなさま方に、朝鮮総聯京都府本部を代表し、心から哀悼の意を表します。

 私はまず、1945年8月24日の事件発生直後に身を賭して救出活動を行ったここ佐波賀の住民のみなさま、そして事件の真相究明と伝承のために結成からたゆまぬ努力を続けてこられた「浮島丸殉難者を追悼する会」をはじめとした多くの日本の方々に、心からの感謝を申し上げます。

 歴史を振り返りますと、日本による朝鮮植民地支配の下、数多くの朝鮮人が強制的に故郷から引き離され、異国の地で過酷な労働に従事させられました。そして迎えた1945年8月15日の祖国解放。日本にいた多くの朝鮮人たちは、解放を心から喜ぶとともに、一日も早く恋しい故郷の地へ帰ることを望みました。それは、青森から浮島丸に乗船した同胞たちも同じ思いだったに違いありません。

 しかし、その夢が実現することはありませんでした。ここ舞鶴での爆沈により、その夢は断たれました。見知らぬ舞鶴の地で非業の死を遂げた同胞たちの無念さを思うと、胸が張り裂けそうになります。

 日本政府には、植民地下に異国の地に連れてこられた朝鮮人を無事に故郷に帰す義務がありました。にもかかわらず日本政府は、「浮島丸爆沈事件」に関しても、被害者に対する公式謝罪や補償はおろか、真相究明にもまともに応じていません。

 それどころか今日の日本では、植民地支配を肯定したり、過去の加害事実を否定したりする風潮が日を追うごとに強まっています。一方で、朝鮮人をはじめとした在日外国人に対する排斥の動きが政治の世界でも、社会全般でも強まっていることに、私は深い憂慮を感じざるを得ません。

 私は日本政府が「浮島丸爆沈事件」について公式に謝罪し、補償を行い、真相究明に真摯に向き合うことを強く望みます。朝鮮総聯では、「浮島丸殉難者を追悼する会」をはじめとした多くの日本の方々とともに、この問題に取り組んでいく所存です。

 最後に改めまして、「浮島丸爆沈事件」で犠牲になられた方々に改めて哀悼の意を表するとともに、橋本栄治会長をはじめとする「浮島丸殉難者を追悼する会」のみなさま、そして地元住民のみなさまに心からの謝意を表し、追悼の辞といたします。
      2026年8月24日
在日本朝鮮人総聯合会 京都府本部 常任委員会
       委員長 姜世哲



追悼の辞
本日ここに浮島丸殉難81周年を迎え 韓国民団を代表して尊い命を落とされた同胞の皆様に謹んで追悼の意を表します.
日本に強制的に又は騙されて或いは土地を奪われ仕方なく日本に来て劣悪環境の下強制労働させられた同胞が 解放直後の1945年8月24日再び祖国に帰れるというはやる気持ちと喜びを胸に祖国に向かう矢先の爆発でした.
同胞の無念さを思うと本当に胸が締め付けられます.

今世界では4年前にはウクライナ戦争 今年に入って2月末にはイラン戦争が起こり対話も無しに突然爆発劇を始めました.核兵器製造を防ぐ為に行ったと言います。
その様な中 ヨーロッパのある国の大統領が「核の力で我々はより強くなれる 次の半世紀は核の時代だ」と言い核兵器を増産すると宣言しました.
東アジアに於てもそのような兆候が見られます.これほど恐ろしい事があるでしょうか.
独裁者の国の核 超大国の横暴に対抗する為だと考えられますが 過去の戦争の反省どころか戦争準備に奔走している模様です。
私達は次世代に平和をもたらせられるのかわかりません.
しかし我々は平和を絶対に放棄する事は出来ません.
我が国と日本は色々と良い関係を構築しようとしていますが その様な中において簡単に永住権を取消しできる改正出入国管理法を作りました.
日本政府は過去の我が国との悲惨な歴史を振り返り懺悔する気持ちがあるならば 我が同胞に対して安易に適用する事は出来ないはずです.再考を要求する次第であります.

 最後に当時救命活動に当たられた佐波賀の近隣住民の皆様と 長年に亘り追悼の行事に努めてこられた浮島丸殉難者を追悼する会の方々に謹んでお礼申し上げます.
    2026年8月24日
在日本大韓民国民団京都府舞鶴支部
    支団長  金英王



 本日、浮島丸殉難81周年追悼集会が挙行されるにあたり、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 81年前のこの日、ここ舞鶴で海軍輸送船浮島丸が沈没し、多くの犠牲者を出す大惨事となりました。
 この惨事を知る方々も高齢化している今日にこそ、戦争の悲惨さと平和の尊さを次世代に語り継いでいかなければなりません。

 ここに改めて平和への決意を新たにするとともに、お亡<なりになりました方々のご冥福を心からお祈りいたします。

 なお、厚生労働省でお預かりしているご遺骨は、東京都の祐天寺に丁重に安置しており、外務省等と連携し、ご遺骨の返還に向けて、適切に対応したいと考えております。

 ご遺族の方々並びに関係各位のご健勝を心より祈念申し上げます。
厚生労働大臣 上野 賢一郎



「浮島丸殉難81周年追悼集会」追悼のメッセージ
           駐大阪大韓民国総領事 李泳采
 こんにちは。駐大阪大韓民国総領事の李(イ)泳采(ヨンチエ)と申します。

 81年前、光復の喜びを胸に抱きながら解放された祖国に向かうため、浮島丸に乗船した我々の同胞が理由もわからずこの舞鶴沖で犠牲になったことを考えると、今も胸が苦しくてたまりません。痛ましい事故で犠牲になられた方々に謹んで哀悼の言葉を捧げます。

 「浮島丸殉難81周年追悼集会」の開催のためにご尽力くださいました「浮島丸殉難者を追悼する会」の橋本栄治会長をはじめ、ご関係者の皆様、在日本大韓民国民団京都府本部及び舞鶴支部関係者の皆様にも深く御礼申し上げます。
 19788年、ここ下佐波賀の公園に舞鶴市民を中心として「浮島丸殉難者追悼の碑」が立てられてから、毎年8月には韓日両国の市民が多数参列する追悼集会が行われてきました。今年も浮島丸の悲しい歴史を忘れずに追悼集会に足を運んでくださいました皆様に心より感謝申し上げます。

 浮島丸殉難追悼集会は、韓日両国民が大切な隣人として過去の歴史を忘れずに相互理解を通じて未来志向的な韓日関係を築いていく意味深い場でございます。

 今日、私たちが彼らの無念な犠牲を哀悼し、過去の悲しい歴史を振り返る理由は、犠牲者たちを記憶し、このような悲劇が二度と起こらないことを誓うと同時に戦争の悲惨さと平和の大切さを次の世代に伝えるためであると思います。

 今後もここにいらっしゃる皆様一人ひとりが歴史認識のもと、韓日両国民の友好協力を導くだけでなく、世界平和に向けて力強く前進し続けて下さることを期待します。

 もう一度犠牲者の方々を哀悼し、本日追悼集会にご参列くださいました皆様に深く感謝申し上げながら、私の追悼の辞とさせていただきます。ありがとうございます。


 「浮島丸」爆沈事件犠牲者追悼集会 御中

 日本帝国主義により引き起こされた「浮島丸」爆沈事件により、数多くの朝鮮人が無念の思いで犠牲を強いられた時から81年となるのに際し、すべての朝鮮人犠牲者のみなさま方を、深い哀悼の心を持って追慕します。
 あわせて、犠牲者たちの想いを慰労し、歴史の悲劇が繰り返されないようご努力されている追悼の会の方たちと集会参加者のみなさま方に、連帯の挨拶を送ります。
 1945年8月24日に日帝は、解放の喜びを胸に故郷へと向かっていた多くの朝鮮人を乗せた船を海で爆沈させる蛮行を犯しました。
 呪わしい日本の地で九死に一生を得て、愛する家族が待つ故郷に帰れるようになった喜びと興奮で心がいっぱいだった彼ら、あと数日で祖国の地を踏み、懐かしい故郷の家に入り、家族と会えるようになるとの想いに溢れていた「生」が、舞鶴の海の中にむなしく葬られたとは、なんと無念なことでしょう。
 これがまさに、どれだけ歳月が流れても忘れられず、考えるだけでも許せない日帝の蛮行です。
 袋の中の錐は隠そないように、「浮島丸」事件の真相を解明するための研究調査過程で発掘されたすべての資料は、この事件が日帝により意図的に、計画的に引き起こされた反人道的な犯罪であることを示しています。
 にもかかわらず、日本当局は81年が経った今日に至っても、この事件を偶発的な事故と描写し自らの犯罪を隠ぺいするための策を弄しています。
 私たちは、かつて数多くの朝鮮人たちを強制連行し、徴用、徴兵などの苦役を強いただけでも飽き足らず、敗北の苦みを味合わされたうっぷん晴らしと復讐で一気に数千名も海に葬った日帝の許されざる過去の犯罪を絶対に忘れることはできません。
 日本当局は、何をもってしても朝鮮人大虐殺を無き事にはできないということをしっかりと肝に銘じ、「浮島丸」事件の責任を認め、その犠牲者と遺族の方たちにしっかりと謝罪し、補償するべきです。
 同時に、過去の侵略戦争と反人道的行為に対し、新しい世代にまで正しく語り継ぎ、彼らが二度と犯罪の轍を踏まないようにするべきです。
 最後になりましたが、追悼集会に参加されたみなさま方が、健康な身体で正義と真理を守るための闘いをより力強く展開されることを期待いたします。
      朝鮮人強制連行被害者・遺族協会
                 2026年8月24日



浮島丸殉難81周年追悼集会へのメッセージ

 浮島丸殉難81周年追悼集会にあたり、犠牲になられた方々への心からの哀悼と平和への誓いをこめて、連帯のごあいさつを申し上げます。
 高市政権は先の国会で、国民生活置き去りのまま、与党と一部野党の賛成多数で悪法を相次いで可決・成立させました。男系男子による皇位継承に固執して女性差別を助長する改定皇室典範の改悪。内心や表現の自由を侵す違憲の国旗損壊処罰法も強行しました。憲法9条改悪をはじめ、平和・暮らし・人権を脅かす、戦後かつてない危険が生じています。
 高市政権は、国会の議席では圧倒的多数を占めましたが、それは小選挙区制による「虚構の多数」であり、多くの国民との関係、世界の動きとの関係で、深い矛盾を幾重にも抱えており、その土台はもろくて弱いものです。
 今、国会をとりまく新たな行動、連帯の輪が広がっています。「平和憲法を守るための緊急アクション」など、官邸前や国会前の行動に、若い世代、子ども連れの方々などがペンライトを持って参加し、「高市総理は憲法守れ」「自由を守れ、平和を守れ」と声をあげています。世論と運動で高市政権を包囲し、希望のもてる新しい政治をひらくために、あらゆる分野で国民のたたかいを起こしましょう。
 日本共産党は、「碑」に刻まれているとおり、浮島丸事件を「風化」させることなく、この碑が平和と国際友好のかけ橋となるよう、また、いまだ帰れない遺骨が一日も早く返還できることを願ってやみません。
 ご遺族ならびにご参加の皆さまのご健勝とご多幸、浮島丸殉難者を追悼する会の今後ますますのご発展をご祈念申し上げ、メッセージといたします。

 2026年8月24日
      日本共産党 前衆議院議員 堀川あきこ
            前参議院議員 井上 哲士
            前参議院議員 倉林 明子



「浮島丸殉難81周年追悼集会」へのメッセージ

 舞鶴市「浮島丸殉難者を追悼する会」の皆さん、「集会」参加の皆さん、猛暑が続く中で「浮島丸殉難81周年追悼集会」を開催されますことに敬意を表します。本当にご苦労様です。

 祖国への帰還を目前にしてこの地で犠牲になられた朝鮮人乗船者524人、乗組員25人、計549人の方々に浮島丸出港地大湊より謹んで哀悼の意を表します。

 2015年に貴会が開催されました「浮島丸事件70周年のつどい」に参加させていただきました。その時の大先達の一言一言が突き刺さるように今でも私の中に残ります。

 須永安郎顧問は「人間は忘れることで同じ過ちを繰り返す。歴史の教訓を語り継ぎ、平和で世界に貢献する日本をつくっていきたい」と訴えました。

 今、私たちを取り巻く情勢は、「同じ過ちを繰り返す」戦争への国づくりの準備が始まったと思うほどです。「殺傷兵器の輸出」「安全保障関連3文書の改悪」など。

 また、この時の「つどい」で、映画「エイジアン・ブルー浮島丸サコン」の製作者伊藤正昭氏は「主人公のせりふにもあるが、舞鶴の殉難の碑は国が建てたのではなく、民間でできた事実が重要だ」と述べました。

 この事は貴会が取り組んでおります日韓友好に向けた強いリーダーシップへの敬意を込めた一言と私は受け止めております。

 「浮島丸」は戦争の犠牲者であることを改めて痛感致します。二度と戦争を起こさないという思いを舞鶴の皆さんと共有できますことを心強く思います。

 日韓友好、東アジアの平和への充実した取り組みの継続と発展、そして「浮島丸殉難者81周年追悼集会」のご盛会を心からお祈りし、連帯のメッセージを送ります。

2026年8月24日
 浮島丸下北の会
    会長村上準一



メッセージ

 浮島丸殉難81周年追悼集会にあたり浮島丸事件で亡くなられた方々に、哀悼の意を表明するとともに、お集まりのみなさまに東京目黒より心からの連帯のメッセージを送ります。また、浮島丸爆沈直後から、いち早く被災者の救援にあたられ、立派な追悼碑の前で毎年、追悼集会を開かれている舞鶴の市民のみなさまに敬意を表します。

 東京都目黒区にある祐天寺には、1971年からアジア太平洋戦争で亡<なられた朝鮮人戦争犠牲者の遺骨が、旧日本軍軍人・軍属として祀られており、今なお700体が仮安置されています。本籍地が現在の韓国の方々の遺骨は275体、すべてが81年前の今日、舞鶴湾佐波賀沖で爆沈した浮島丸の犠牲者の遺骨です。本籍地が現在の朝鮮民主主義人民共和国の方々425体の遺骨の中には5人の浮島丸事件の犠牲者と4人の元BC級戦犯のご遺骨も含まれています。

 昨年10月に、京都の高麗寺の木牌の名簿を入手することができました。この名簿と1972年2月のソウル新聞の名簿、浮島丸犠牲者名簿を照合することによって、すでに韓国にお返しできたご遺骨と未だに祐天寺に残されているご遺骨の名簿を作ることができました。返還されたご遺骨のうち、12体は釜山市永楽公園墓地に祀られていることや、数は不明ですが天安の望郷の丘に祀られていることもわかってきました。

 9月20日には、「浮島丸事件調査の現状と課題」についての研究会を開催いたします。

 私たちは、祐天寺に預けられている、ご遺骨が1日も早く遺族の許へ、故国へお返しできることを願って追悼会を続けてきました。今年は、本日15時30分より、納骨堂へのお参り、16時より38回目の追悼会を執り行い、爆沈の時刻の5時10分に黙祷を行います。

 人道上からも遺骨は、1日でも早く遺族の許にお返ししなければなりません。日韓、日朝の政府間で、遺骨返還に向けた政府のなお一層の努力を求めます。

 下北、目黒、舞鶴で行われている追悼集会は、不幸な事件の歴史を心に刻み、再び戦争の惨禍で、故郷を追われ、命が失われることがないように誓う場として続けられています。ウクライナでも、パレスチナ・ガザ地区でも戦争は続いています。イランやその周辺国でも戦争は終結していません。戦争で人々の命が失われることのないよう、1日も早い戦争の終結を願います。

 最後に、長年世話人を務めてきました、鈴木公一さんの葬儀に際し、心のこもった弔電にお礼を申し上げるとともに、本日の追悼集会にご参加の皆さまのご健勝をお祈りいたします。
                          2026年8月24日
 朝鮮人戦争犠牲者追悼会(於・祐天寺)世話人一同


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会場
 わかりにくくて不便な場所↓ですが、会場はここです。車も駐められます、トイレもあります。追悼の意あれば、どなたでも参加できます。11時からです。たいていは35℃くらいにはなります、暑さ対策が必要です。




  浮島丸殉難追悼集会の記録

2026追悼集会
2025追悼集会
2024追悼集会
2023追悼集会
2022追悼集会
2021年

8/16に訪れたが、集会看板がない、広場一帯はムクゲの花が美しい、綺麗に清掃されて、花が手向けてあった。公式発表かわからないが、「本年の浮島丸殉難76周年追悼集会については、コロナ禍のため、昨年同様人数を大幅に制限して開催し、一般の方のご参加はお断りすることとしました」の文を「戦争展実行委」が載せている(新聞の折り込みチラシ)

2020は、こんな看板が現地に立ててあった

事務局様へ。一般市民は現地まで赴かないとナニもわからない。SNSかナニかで情報発信を願えないだろうか。

2019追悼集会
2018追悼集会
2017追悼集会
2016追悼集会
2015追悼集会
2014追悼集会
2013追悼集会
2012追悼集会
2011追悼集会
2010追悼集会
2009追悼集会


関連情報
 80年前の浮島丸事件とその後のおおよその経過は、すでに何度も書いていますのでそちらを参照して下さい。

以前の追悼集会については「浮島丸追悼集会:丹後の伝説17
事件そのものについては「浮島丸事件
など参照して下さい。


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