若狭の神社

福井県大飯郡おおい町内の神社一覧(現在神社庁に登録されている社)

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今現在の神社 (リスト以外にもかなりあると思われる)


!「よみ」は正しくないものがあるかも
神社名 よみ 所在地 注/リンク
新鞍神社 あたくら 川上108-3 新鞍神社
(式)伊射奈伎神社 いざなぎ 福谷48−7 伊射奈伎神社
伊津岐神社 いつき 名田庄井上19−32 伊津岐神社
依居神社 えご 岡安4−7 依居神社
(式)大飯神社 おおい 山田4−1 大飯神社
加茂神社 かも 名田庄奥坂本32−5 加茂神社
加茂神社 かも 名田庄納田終127−4 加茂神社
苅田彦神社 かりたひこ 名田庄小倉17字宮ノ谷1 苅田彦神社
苅田比賣神社 かりたひめ 名田庄下3−15 苅田比賣神社
熊野神社 くまの 名田庄三重5−25 熊野神社
熊野神社 くまの 神崎堂乃前1−1 熊野神社
熊野神社 くまの 笹谷7−5 熊野神社
熊野神社 くまの 万願寺8−1 熊野神社
黒駒神社 くろこま 尾内39−44 黒駒神社
黒駒神社 くろこま 長井11−1 黒駒神社
皇王神社 こうおう 名田庄虫鹿野14−37 皇王神社
(式)静志神社 しずし 父子46−1 静志神社
島山神社 しまやま 大島83−1 島山神社
野津多徒神社 たつたと 名田庄奥坂本50−20 野津多徒神社
八幡神社 はちまん 鹿野24−3 八幡神社
八幡神社 はちまん 名田庄槇谷19宮ノ下2・3 八幡神社
八幡神社 はちまん 広岡宮乃奥15−14 八幡神社
日枝神社 ひえ 名田庄西谷10−21 日枝神社
日枝神社 ひえ 本郷138−15 日枝神社
廣峰神社 ひろみね 名田庄虫鹿野14−37 廣峰神社
末多徒神社 またと 名田庄口坂本28−1 末多徒神社
 虫尾神社  むしお  名田庄中27−22  虫尾神社
 八幡神社  やはた  犬見22−3  八幡神社
 山神社  やま  名田庄挙野21−19−2  山神社
 六社神社  ろくしゃ  野尻18宮ノ下16  六社神社
 若宮神社  わかみや  岡田8−13  若宮神社
       


−参考−
『延喜式神名帳』
大飯郡七座並小
青海神社      伊射奈伎神社
香山神社      靜志神社
日置神社      大飯神社
佐伎治神社


『大飯郡誌』によって、「若狭国神名帳」「大田文」など記載された神社を上げる
〔若狭國神名帳〕所載の諸社 式の神名帳に次で詳且確なるものは国内神名帳[或云神階記]にして其時代は定かならねど考證に資す可きものに属す文政の頃存せしもの全國にて僅に十一ヶ國なりと云ふに、此若狭國のが其一なりしは至幸と謂ふ可し、左に其所載の諸社について略述せむ。
〔神社私考〕 國内神名帳といふは諸國にて各その國内の神社を記し位階をも載せたるものなり…若狭國神名帳[本書題名なし…國人の書ける書に神階帳といへるもこれなり]…考ふるにいにしへ諸國の守そり國内の官社をはじめ然らぬ神社をも正しく書載し公家に上れる書なりさて其神社に毎月の朔に幤を奉る恒例にて其を朔幤といひまた國守任國に下りてはまづその神社を拜み巡らるゝ例なりしときこえたり…後々の世に時々書改たる帳の遺れるものあるべし…國守の神拜なども怠いできたれるにあはせて淫なる祠をも帳に載せ官社も衰微結へるはおのづから除かれ結へるもあり 謾になりたるなるべしされどしかすがに昔のなればもはら考證に備ふ可き書なり。

〔若狭國神名帳〕 大飯郡坐神二十所

從三位 依居明神
〔若狭郡縣志〕 在岡安村未知爲何神
〔神社私考〕 此神號を…今なべて村人は惠居と書けど…村人も素より依居と書けりとぞさて依居は地名ならむか…又廣岡村にも…ありて産神とす岡安村よりうつし祭れるなる可し。
〔雲濱鑑〕 安岡 惠古 明神

從三位 赤松明神
〔若狭郡縣志〕 赤松神祠在立石村〔若狭國志〕 祭神不詳

從三位 垂水明神).
〔若狭郡縣志〕 未知其處
〔神社私考〕 父子瀑…傍 嵒洞其内置小祠[郡縣志]…これなるべしさて垂水とは俗にいふ瀧なり。
参考〔姓氏録〕 垂水公…孝元天皇御世天下旱魃河井涸絶于時阿利真公造作高樋以垂水岡基之水令通宮内供奉御膳天皇美其功便賜水公姓掌垂水神社也
(次に式内の五社 砕道[帳に佐伎治]伊射奈木[帳に伊射奈伎]香子山[帳に香山]志津志[帳に静志]大飯を擧ぐ

正五位 島山明神
〔若狭郡縣志〕未知其處 〔若狭國志〕 八幡神祠在大島宮留邑…長樂寺…僧説云…島山明神
〔神社私考〕 今按に此此大島の内東村と云處に坐す大島の明神又六所[或は6社]大明神とも稱社これなるべし[この神社舊は同處の大山の麓に在しを後に遷と里人云]然考たる由は此大島は古は島山といへり…〔大和大安寺流記〕…乎入郡島山陌町[四面海]とあるこれなり…志[郡縣志]…説…寺僧が考は信がたし。

正五位 黒駒[クルマ]明神
〔飯盛寺文書〕 明應九年寄進状 加斗庄 黒駒宮籠所僧食米…
〔若狭郡縣志〕 在飯盛村之内黒駒〔若狭國志〕在飯盛之黒駒祭神不詳。
〔若狭考〕 黒駒大明神くるまともくろこまともいひ来れり西勢柬勢飯盛本所長井尾内何れの村にも九月九日此神を祭る何れの神にや知らず。
〔神社私考〕 里人の説にひかしこの飯盛に八社八寺とてありける中の社なり…黒駒神は正徳二年九月九日甲斐國一宮神を故ありて祭れるなり其社地の森を黒駒ノ森と云ふ其後延徳年中圓滿院ノ宮より社領二十二石六斗の地を寄附の状あり秀吉公威権の時に及びて其地を亡ひ神主も[樹村掃部介が子内匠に至て]絶たり。
さて黒駒ノ神を黒駒柴立宮といへりさるは帳に伊勢…久留真神社…志波加支神社…二神を移し祭れるにもやあらむ…甲斐の一宮神を祭ると云へるは謬説なるべし。
参考〔飯盛寺文書〕(延徳十年十月二十八日)寄進状−圓満宮加斗兩村八寺八社之内御寄進分 一、壹町貳段小九十歩
分米拾七石四斗一五段御寄進分米五石貳斗。
(按に黒駒をクルマと訓むはクロウマの約なるべし)。

正五位 法海明神
〔若狭郡縣志〕 在飯盛村之内法海未知爲何神也。
〔神社私考〕 里人の説…飯盛八社八寺…中の社なり…黒駒法海の神相對へていと謾りなるをさなき説もきこゆれどとるにたらず…ノリカイとよむ事は此國帳の舊訓にもあれど…古言のさまにはホゝミなどよむべし…
参考〔飯盛寺文書〕(応永三十年)寺地目録 法海清貞名

正五位 船穂明神
〔若狭郡縣志〕 在長井村未詳所祭之神土人爲産神。
〔神社私考〕 今村人舟府(フナフ)と云へど正しくは布奈保と稱すべし此神号も地名ならむ[それど今其をきかず]

正五位 少子明神
〔若狭郡縣志〕 未知其處
〔神社私考〕 今社詳ならず或説に依居明神の相殿に坐すといへり此説正しからば社の衰へ給へるによりてしばしとて相殿にものし置奉れるなるべしなほよくたづぬべし(チイサゴと書たけどチヒサコと訂しいふべし)(按にチイサゴはチイ迫にて父子の迫に在りし神祠なる可きか本郡内今も何迫と云ふ地名多し、又按に古語には蠶をも小子と云へば或は養蠶の神にや)
参考〔姓氏録〕 小子部宿禰(雄略朝)所遣諸國収斂蠶兒誤聚小児貢之天皇大哂賜姓小子部連
〔雄略紀〕 天皇…勸蠶事爰命螺贏聚國内蠶。

正五位 賊椋(アタクラ)明神
〔若狭郡縣志〕 在川上村爲産神未知祭何神。
〔神社私考〕今川上村の東の山中にあたぐら谷と云ふがあり其山口に此社在り里人或は棟梁大明神とも云へり按ふに存天盜椋とも書いて…字の好からぬを惡みて…棟梁の字にかへたるなるべし。(次に日置 青海 兩明神を收む)

正五位 金劔(カナギ)明神
〔大田文〕 青保…金剣宮二反
〔若狭郡縣志〕 在小和田村高野中山高屋今寺等爲産神
〔神社私考〕 この神號土人金劔をカナギと唱へ来れりとぞカナツルギの約なるべし舊訓にも劔字にキの仮名をさしたり…近世…土人力ネツルギと呼ぶは…さかしらときこゆ…さてその金劔は 神體をさして稱するか又神名か地名か考得ず。

正五位 酒垂明神
〔若狭郡縣志〕 未知其處 〔若狭國志〕 在小黒飯邑
〔稚狭考〕 小黒飯村に酒垂神社あり。
〔神社私考〕 里人神號の酒垂をサカダレと唱来れり但今なべては天神といへり
(按に坂垂の義にあらざるか此邑の地海岸の低地に在り祠も坂の下口に在り字にのみ不可拘乎)

正五位 鞍道明神 或は内浦村(神野浦?)に在りしならむ乎〔若狭郡縣志〕未知其處
〔東寺百合文書〕 大治元年二月源某所領[田畠山林等]讓與[丹生二郎隆清]公驗状−青郷六ケ所云々 海一所字鞍道浦仁平元年三月附属状[隆清が嫡子丹生若丸に其継祖父平某祖母小槻氏が]―鞍内浦
(按に鞍道も鞍内もクラノウチにて内浦の名に原づき神野は神社の故地なるに因る名なるべし)
(〔神瓧私考〕鞍道鞍内共にクラチと唱ひ車持の約にて下車持の十六所大明神もしくは此鞍道明神にあらぬかとの説あれど如何あるぺきなほよく尋ね考ふ可矣)

正五位 馬立明神
〔若狭鄙語志〕 未知其處
〔神社私考〕 今社詳かならす(注)しひて考るに…馬居寺小き…神祠あり…此神名の立の字もしくは居の誤寫にて馬居にあらぬかと立と居の草書…混ひもす可きなり(之を拠としてか近時馬居寺熊野神社へ此名の神を合祀す)
(按に加斗村飯盛の荒木に小字名馬立あり近に權ノ下中ノ森等もあり或は此社名の名残乎)
郡域の髮更あるものと仮定すれば尚或は本郡内にありし乎と覺ゆるもの無きにあらず

正五位 山井明神
〔神社私考〕 委逍云東勢村に七面大明神とある社これなり此村人なべて日蓮宗…にて…七面菩薩…を相殿に祭り後本社の神名は隠れ給へりむかし此里井水汚濁…此神…好き山井を給りて祭りたりしに此社しか衰へ給へる後は再并水汚濁…七面を崇ぶ意の止がたくて然て在るを今は知る人も稀なめりと其里の老人の語れるを聞りと…その東勢村今大飯郡の内なれど遠敷郡に隣りて古は遠敷郡の内に收たりけむとおもはるゝ事のあれば件の傳説もすてがたし。

正五位 大宮明神
〔神社私考〕 加斗庄本所に黒駒明神とて在る社これなりと言傅ふ按に…そのかみ遠敷郡に隷たりしなるべし…飯盛の内黒…駒其を本社として庄内の村々に祭…既ぐ其を移し祭りて大宮と稱へたるかたの社號をもはら稱する事となれるなるべし。

正五位 土宮明神
〔神社私考〕 加斗庄西勢村に妙見大菩薩とあるこれなり…當村古より此地の土をもて土器を作る故陶作多しもと此神の教に依りて土り宜しき事を知り其職を得たりと傳ふと聞りと委道云へり土宮と稱ふも其由なるべし郷帳に此妙見宮を天正三年長源寺十代開基とあり此時妙見を合せ祭り犯る事をかく云へりときこゆ。

正五位 山井椙杜明神
〔若狭郡縣志〕 在六路谷爲産神未知爲何神正月四日九月七日有祭禮若狭國神階記大飯郡下五位椙森明神云々。
〔神社私考〕 (馬立明神の注)國帳大飯郡に此神名はあらず…六路谷村杉森明神今もあ…れども國帳には載られざる神と知る可し(按に此社を遠敷郡とするも〔舊事考〕の所考圖に據れば
〔郡縣志〕の説を否定せず却で補足さる可き筈なるに如何なれば此反対説を立てられけむ?)

從三位 上出雲神 從四位下出雲神 (按に〔若狭國志補注〕飯盛の荒木に土器を陶る古家あり山城國嵯峨に荒木氏ありて土器を燒て宮内領の山内にあり本家若狭なる由近来知れたりとあり出雲は垂仁の朝の土帥臣宿禰の故地早く製陶の開けたる地なり或は土器師の者等此荒木の附近に蕃衍し所縁の神を祀らしにあらざる乎)

從四位大永田明神 (按に岡田と關係無さ乎又按に大炊田にて青郷に在りし乎)

從四位 鎌掠明神 從四位荒掠明神 (按に上鎌倉中鎌倉に關係無き乎)

正位五幸山明神 (按にサキ山と訓み芝崎神崎と闘係無き乎)

正五位杜本明神 (按)に三ツ森と開係無き乎〔神社私考〕此神の條下に今社詳ならず杜本は當國の地名ならむ可考(注に)高森神社もしくはそれかあらぬせめて引出つるなり(下車持の高森は香山神社と認めて此に引かず)河内…杜本神社…當國なるはその杜本ノ神を移し祭れるにはあるべからずと故らに漢神を祭ると云ふ事を避けられたりされど若狭に外来民族の蕃衍せしは上古に著しく延暦十年九月の太政官符に此國等に牛を殺して漢神を祭るを禁止しあり彼等の其祖を祀りしは〔古語拾遺〕に秦漢百済内附之民…皆有其嗣とあるにて明かなり而して杜本ノ神は〔蕃神考〕に(杜本當宗)兩社もともろこしの國…漢高祖…が族の靈をその裔の皇国に歸化たれるが氏神として祀れる神なり其後當宗氏の女宇多天皇の御外祖母にておはしけるに依りて兩社を差しで同しさまに祭らる丶事となりたりとぞきこえたると考證しあれば此國の杜本明神も河内の官社と同神なればとて憚る可きにあらず上古来附し此國にも蕃衍せし外民の裔の祀りし杜本社は何處なりけむ知り難きも三ッ森には古墳岩崎なども存じ又字名も杜本と縁献あれば斯くは絮説を敢てす焉。

〔太田文〕に見ゆるもり 日置宮 金劔宮(山和田) 福谷宮 野後宮(野尻?) 若宮(三森付近?) 日吉宮(本郷) の六社あり。

〔稚狹考〕本國他邦に勝れて八幡神社の社おほし何そ故ある事にや知らず(とて社名を挙ぐ 本郡の分如左)
和田浦 鹿野 山田 上津 河關 犬見 三森 三松 岡田

天満宮二十五社 定まりたゐ事も無りしを元文二巳年春竹原梅守菊池東小濱谷唯奎八田叩端國中に尋れて拜し初しなりこれに習ふて今も拜しあるくものあり(同前)
  父子 福谷 高濱 小黒飯 本郷 大島

申樂 本國にても四座あり(之を行ふ社名を挙ぐ本郡の分如左)
九月九日 黒駒大明神 飯盛  十三日十四日 碎導大明神 高濱 十五日 眞宮大明神 和田 十六日 天神宮 福谷 十七日 依居大明神 岡安 十八日 山王宮 本郷三ケ村 十八日 七社大明神 山田  十九日二十日 六社大明神 大島三ケ村 二十一日 大島東村





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