日本最大のスダジイを見る!
(舞鶴市成生岬)



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ヒミツの成生岬、ナゾのスダジイ:大浦半島東部

↑ここへ行かなくちゃ。スダジイの超巨木があるらしいし。
坂根正喜氏の成生岬を捉えた航空写真も呼ぶ。



そうとは、考えてはいたものの、ここは地の果て、写真のようにズコイ場所で簡単に行けるような所ではない。どこにそのスダジイがあるのかも知らないし、海からも陸路からも、近づけるような所ではなさそうである。道も地図もない。モンスターがのたうち回っているような地形で、一歩足を踏み外せば、断崖から海へ転げ落ちて、目出たくもあの世行きとなりそうな岬、命懸けて踏み込まねばならぬ秘境のように見える。

岬の先端などという厳しい自然の中で生きている生物環境は脆弱で貴重で保護しなければならないもので、そんな中には人間は行かないに越したことはないのである。
行ったって毀すだけで何の寄与もできない。一度壊わせばその修復には何百年もかかってしまう。人間一人の一生では償いができない、孫子の代に至ってもまだまだ無理である。もし行くならば、その覚悟をもってなすべきものと思う。

 環境省自然公園指導員や舞鶴観光協会、旅行社や府や市などが企画を立ててくれてツアーを組んでくれた。名付けて「日本最大級のスダジイを見る! まいづる秘境自然観察ツアー」。
25名ばかりならなんとかしてみましょうということなのである。漁船1艘に乗れる程度ということである。公募と同時に定員を超える応募が寄せられるという、他の企画では絶対にあり得ない考えられない、という超人気の企画だそうである。
ワタシは09年と10年に出かけた。写真は両方のものがありますが、10年は好天に恵まれ、写真も美しかった。



↓海上から見れば、成生岬はこんな様子。白い小さな燈台がポツン見える (見えますか。どちらの写真も灯台がだいたい真ん中にくるようにしてます、一段下がった場所です)、 あれは海軍が建てたものという。近くに防空砲台があったという、意外と軍事基地の岬。
成生岬の突端

成生岬の突端
↑ 野原から乗船して岬に近づく。切り立った花崗岩の崖ばかり、どうやって登ればいいのやら。オニが棲むような所だのう。鬼ヶ島じゃ。怖ろしいのう。
大浦半島の北の端にだけ見られる花崗岩、この辺りまでが古いアジア大陸の端っこだったものか、ここから南側はそれ以降に付加形成されていったのであろうか。



↓ 成生岬の東側に黒地湾という入江がある。すこしはなだらかな様子。成生の村よりまだ北側の岬の先端近くである。海の色が違う、海中のプランクトンが違う。
モコモコと盛り上がったような黒っぽく見える葉の木がスダジイ、このあたりには多いよう。
黒地湾(成生岬)

 黒地=倉内であろうし、=車持、=倉下、=大蛇かも知れない。古代地名(あるいは氏族名か)と思われるが成生や田井の古い神社がここにあったという伝承も残り、これらの村の故地ではなかろうかと、考えたりしていたのだが、たいらな場所がなく、人が定住できる所ではなさそうに、現代人の感覚としては見える。


 スダジイの位置については保護の観点から非公開になっている。しかし『舞鶴の守りたい自然』添付の地図にはほぼ正確な位置が示されている。このカメラもGPS情報を記録しているかと思う、見てみると北緯35°35′44.5″、東経135°27′32.8″標高36メートル。このページの動画を「グーグル・アース」に登録しておいたので、あるいはそこからもだいたいの位置が見えるかも−。
そんなことであまりは詳しくも書けないが、ここは秘境、船着き場も、安全な道などは言うまでもなく、とにかくどんな何もない自然のまま、あるものと言えば熊五郎がいるらしい、樹を引っ掻いている。鈴を鳴らしながら進む、レインジャー隊ベテランの案内なしにはうっかりとはいかぬ方がいいと思う。





黒地湾の魚付林
↑ 黒地湾の魚付林。明治21年に府が指定している。「森は海の恋人」だそう。木が魚の恋人なら人間の恋人でもある。バカがすぐ木を伐るが、カシコイ漁師は木を植える、魚を獲るだけではない、海のネキだけでなく、川の水源の奥地にも植える。木を育て、魚を育てる。同様な魚付林保安林に覆われた伊根湾の青島は、古来より島の樹木の伐採は一切許されず、江戸時代の「浦方取締法令」は木の葉一葉、枯木一本といえども持ち出すことを厳しく禁じていた。そうしてこそ漁業は成り立つ。
木を伐りたがる連中も多い、恋人の首を切っても何とも心が痛まない、そんな現代版の首刈族もどごぞの野蛮国には多く、目先の己が欲だけしか考えない。魚にはどうだろうかとか、次の「資源」を育てていくというようなことは間違っても考えない、密猟者のように根絶やし取ろうとする、たくさん取った者の収入は増えて優秀と評価されるそんな強欲社会が問題か。


黒地湾
↑ こんな所へ上陸する。

黒地湾

坂をよじ登る

巨大スダジイ
↑ 「船着き場」からスダジイは意外と近いが、こんな「路」こんな坂をヨジ登り行く

 自然の森はこのように人が歩ける。ジャングルにはならない。倒木が邪魔くらい。福知山市大江町元伊勢さんの森もこんな感じにみえる。
熱帯雨林でもそうらしいが、人が荒らさなければジャングルにはならない。熱帯のジャンルなどというが、あれは人里近くの、人が荒らした森のようである。本来の熱帯林はあんな無秩序ではないそうである。しかしこんな坂道、足を滑らせると海まで落ちてしまう、ロープにつかまって登る。


              


(秘密保持のため中間部分は省略)

スダジイ:成生岬

巨大スダジイ
↑目指すスダジイの巨木が見えてきた。
どこかのよその天体から落ちてきた何か魔法の森のバケモノのヌシみたいにも見える。


 こんな所へどうして人は来たがるのだろう。
女性が多いというのも普段は気が付かない何か人間の深い神秘な深層意識と関係があるのかも。何か超大事なものがここには残されているのかも。こうした所でお祈りでもすれば、なんぞありがたいおかげがありそうな気もしてくる。

「京都府最古の魚付林」などとも呼ばれていて、漁業的な観点からしか見られていないようだが、ここはこの土地本来の樹が生える「鎮守の森」「ふるさとの森」「千年の森」とか呼ばれるものになる。
こうした日本語の言葉は意外にも今では国際語にもなっていて、その重要さが地球規模で見直されるようになっているそうであるが、日本人が、いや人類が二一世紀、二二世紀へと生き延びていくための命の基盤となる森になるのだそうである。
魚の命を支える森、すなわちそれはわれら人間の命を支えてくれている森である。われらの大事の命もこの森あってのことである。ここはわれらの命のみなもと。
ここに船着き場を作り、道も整備して多くの人に見てもらおうか、とかいうプランも一部ではささやかれると聞くが、自分の命を自ら削るような、自ら命を失ってしまうようなアホな行為はしてはなるまい。
偉そうに思い上がってはいても、我らは我ら自身の命ですら支配できない、いつ生まれいつ死ぬか、そんな大事なことも自分で決めることはできない。我らは自分のことですら何もできない。まして外界の大自然には無力そのもののサルに過ぎない。ここは人がまだ本当にサルだったころの「母なる森」、「命の森」、どうやら1000万年前の環境に遡る旅をしてきたわけである。

 こちら側の、というか周囲の杉は植林されたもので、この土地本来のものではなくどちらかと言えば客員樹。
限りない豊かな多様性こそが自然の本来の姿で、同一種、ゼニになりそうな樹ばかりを植えると、その時はよいように見えても、人手で森を管理しなければならず、また想定外の危機、外界環境の変化には対処できず、結局は亡びることになるという。
自然にはムダはない。どんな草木も動物もそれなりにすべて同じように大切なもので、それら同士の間にはそれらなりの秩序がある。人間社会と同じのようである。−そう自然学者は言う。
すべては神々が心込めて創造されたもので、どれも同じように尊い価値あるものである。それに対して人間が、規格に合わない、方針に合わない、儲けにならないと目先しか見ずに簡単に切って捨てる、そんな神をもおそれぬ思い上がりと狭量では未来はない。すぐに滅びがやってくる。−何か宗教者のようになるが、私はそう考えている。

 弱者を切れば強者もまもなく倒れる。強者は全体の責任を必ず取らされる。どこぞの大統領氏のように、どこぞの国の評論家や大センセどものように、弱者いじめが専門では、最強のはずのGMが倒産することになる。自然界はそうしたシステムで成り立っているお手本であるが、人間界もまた同じである、社会の中に生きている以上はワシは強いなどと、決して思い上がってはならぬのである、ニセモノ俗流経済学ではこうした複雑な仕組みは解明はできていない。人間の学問程度ではまだまだわからない。さもわかったような顔つきで自信たっぷりにのたまうものだから、ついうっかり信用すると世界最強のGMでも潰れるハメになるという超ニセモノ「学問」を振り回しているだけのものである。
強きを助け弱きをくじく、あんな政治でよいのならアホでもできるわい、あんなことならワシでもやれる、の批判を浴びて、ミゾーユーの危機が襲う何とかいう60余年の政権党のようなもの。有権者としては遅まきながらもここは乗り換えが正解と私も思う。






              




↓ お魚さんの恋人、熊五郎さんの恋人、ミはシイノミで美味しい、クマ、イノシシ、リスさんも食べるのか落ちてない。そして人間の恋人、人間も食べる、椎一升米一升といわれ、きわめて大切な食糧であったという。
♪ 静かな静かな 里の秋、お背戸に木の実の落ちる夜は、…、栗の実煮てますいろりばた。
この歌は戦後できたもの、もしもう少し古い歌なら椎の実煮てますいろりばた、だったかも。農民も漁民もありがたい国家やお殿様連中、さらに発生しはじめたばかりの資本にも厳しく収奪され、自分が作った米は煮ることがてきず、縄文人と同じような椎の生活をさせられていたよう。
♪ さよならさよなら 椰子の島 お舟にゆられて 帰られる …。
ラジオの「復員だより」でもテーマ曲のように流されて、意外と舞鶴とも関係ある復員兵を迎える歌としてもともとは作られたという。二木紘三のうた物語より
巨大スダジイ


巨大スダジイ


巨大スダジイ


巨大スダジイ


巨大スダジイ
↑スダジイはさすがに大きく、こんな位置からでないと全体が写らない。この位置からはカッコがいい。向側は絶壁で回り込めない。
念願の愛人に遭えた、写真も一緒に撮った、嬉しい嬉しい、皆さんもなにか若返ってハツラツルンルンのご様子。


↓ 超広角レンズで縦位置で構えるとここからでも何とか写せるが、姿がも一つ。
巨大スダジイ
誰が刈ったわけでもないし、刈らないのがよいそうだが下草も生えてない、これが本当の自然林なのだろう。人手の管理は不用。このように秩序あるもののようである。

カメラの自動露出がずっと狂いぱなし。光線の状態が「異常」。この森に入ってからはカメラも震え、何かのただならぬ存在におびえている様子。

少し高い位置のこのあたりから見るのが一番いいとされる。
平成10年に調査されて、現在は舞鶴市の天然記念物に指定されている。
樹高15メートルだとか、実際にこの樹によじ登り計ったそうである。揚松明が16メートルだから、それくらいのものと見える。
胸高周囲13.8メートル。樹齢300年くらい、という。
落雷を受けて芯の部分がやられていて、ヘンな姿をしているように見えるが要するに芯の部分がなくて、枝がこのように伸びたものか、それとももともとがこんな木なのか。

 伊豆諸島の神津島にも同じくらいのスダジイがあると舞鶴情報は言うのだが、本当にそうなのか知らないが、この情報は御蔵島と間違えているのかも知れない、御蔵島には樹齢千年以上、幹回り14mのスダジイがあり、日本一と言っている。テレビ番組で私が前後二度見た範囲では、かなりひいき目だろうけど、あそこのスダジイより、舞鶴の方がかなりよい、美しいとワタシは思った日本一と誇ってよいと思う。あそこのスダジイには大きな盤根がある、ここのにはなかったが、元々はかなり熱帯系の樹のよう。断崖に囲まれた島で、舞鶴以上に簡単に行けるような所ではないが、年間4500ミリの雨が降る、日本の巨木の5%がこの島にあり、その雨水が巨木を育て、海に流れ込み魚やイルカを豊に育てると番組はいう。人口300、この島は世界一のオオミズナギドリの繁殖地でもあり、約80万羽が生息する。
もともとは日本全土に巨木は一杯あったのだが、もうこうした人が近づきにくい所にしか残されてはいない。われらはその子孫だから開発開発と後先考えずにすぐに木を切るバカ遺伝子を受け継いでいるようだが、樹を全部切ったら地球はどうなるか、考えればわかることである、開発どころか文明の終わりである、樹があっての人間だということを頭に置いて、今後は巨木を育てていく本当に豊かな国としたいものである。

 近くには何本かおなじスダジイが生えている。こんなには大きくはないが弟分のような感じで、ファミリーが出来ているような森になっている。尾根筋はだいたいこのスダシイが占めている。
尾根筋の一番に自然のひ弱い部分が残されている、水もなく土地も痩せている、そこは伐採されず植林されず自然のまま幸いにもワザと残されたかと思われるが、そこにはこの土地本来のふるさとの樹、スダジイが何本かが残っている。

 先人は「どえらい知恵者」であったようで、決してすべては伐採しない、このようにわずかは「さるさとの森」をそのまま残している。
日本の先人は各地とも同じような対処をしてきていた、自然の弱い箇所はそのままに残した、そしてこうした所に鎮守や祠を祀り、決して伐ってはならない、伐れば祟りがあると伝えてきた、だから「鎮守の森」と呼ばれる。この地本来のこの樹なら地震にも火事にも強風にも雷にも雪にもとにかく強く災害に耐えられるという。これらの木々が思わぬ災害から人々を守ってくれる。まさに鎮守の森なのである。




              


 「タブの木一本、消防車一台」の言葉がある、これらの木々は大火をもビシッと食い止めるそうである。実際のそうした経験からこの言葉は生まれているのであるが、消防車や消防団を大事に思うように、我らはタブの木を、鎮守の木々を植え大事にし、思わぬ災害に備えなければならない。
のぼせあがった現代人どもはすぐにこうした樹を伐り、バリアフリーなどと見当違いを言っている、どえらい愚者としかいいようもない。倉谷の市道・伐られた街路樹

 (→バリアフリー工事のためとかですべて伐採された市道の街路樹。歩道を整備してその後に新たに樹を植えるのかと見ていたが、その気配がない。死んだコンクリートやアスファルトよりも生きた木々の方がはるかに危機管理能力が高い、木々こそが人間を守る本当のバリアーなのである。それを伐採しバリアフリーにして、余内消防団一つを解散させ、消防車を何台も廃車にするような事をして、喜ぶのはたぶん土建屋さんだけであろうか。
こんなことをして市民が喜ぶとでももし考えるなら、市さんは舞鶴の町中のすべての木々を伐ればよかろう。
「木を伐ったらあかんのに−」「すぐ木を伐るでしょう。日本人はこんなクセがありましてね、嫌いなんですよ」「また税金の無駄遣いをしくさって、誰が歩くんじゃいや、こんな道を」などとウワサされている。「舞鶴はナンにもない町やけど、自然だけはよろしいな」といわれる町の木を切るなよ。よろしいところがナンにもなくなるぞ。カスみたいな町になるぞ。何か国のモデル事業とかで、全額国のカネでできる、歩道、自転車道、車道が完璧に分けられているモデル道にするのだそう。しかし邪魔になる電柱はまったく移動しない、木陰もないガンガン照りの路を歩けとおっしゃるようである、ロボットかなんぞの町と間違えていないか、木を見て森を見ないあまりに猿知恵的道路ではありませんか。舞鶴市倉谷で。)

 周囲の杉だけでなく、スダジイも人が植えたと考えている者もあるようだが、思い上がりの頂点、そうしたことではない。初めからここに生えていたものである、今は杉林になっている所も自然の温帯樹林であったのだろうが、人が来て伐採しゼニになる杉などをそのあとに植林したのである。




              

 成生岬のスダジイへは年に25名ばかりしか行けません、日本最大です、ここでは神木としては祀られていませんが、どこの神社の神木にも負けない大きさの神様の木。日本の宝物です。もう一度よ〜く見ておきましょう。




巨大スダジイ


巨大スダジイ

巨大スダジイ


スダジイ(舞鶴市成生岬)

 樹もこれくらいにもなると、荒木隊長がおっしゃるように「森の精霊が宿る」ような霊妙さも備わる。しかしそんなやさしいものよりもむしろ言葉悪いが年老いた、どえらいお化けのようにも見える。
このスダジイはまだまだ元気だそうで、まだまだ生きていけるそうである。スダジイの根を踏まないようにしましょう。




              



 元気でやれよ、また来るぞ。
成生岬

巨大スダジイ

成生岬

巨大スダジイ



靴金具
 美女もドロンコ覚悟が必要です、大変です。レインジャー隊がロープなど渡してくれているので、転がり落ちずに下ることが出来た。登りよりも下りの方が滑りやすくて危険、何人も転んでおりました、本格的な登山靴など重装備の方が安全です。
私はこれくらいの所で転ぶなどということはかつてはなかったのである。齢重ねるうちに運動神経も悪くなり、特に背中の方へ転ぶときに対応がにぶい。どえりゃー情けない、偉そうに言っていてもあきゃーせん。aventureがきいつ、きつすぎる。本当は杖を二本ついていくのがよかろうが、そんな心配もせにゃならん事でこんな足元である。これなら氷の上でも転ぶまい。自分で転んでケガするくらいはどういうことでもないが、皆に迷惑がかからぬようせにゃならんわい。

 熱中症にやられました。−体験談−
年配の人でも「こんな熱いことはなかった」という記録的酷暑の夏、2010年。お盆が過ぎれば涼しくなるかと思っていたらかえって熱くなった。お盆以降は連日が猛暑日。冷房機がイカレコレやと電機屋さんには電話が絶えない、行って見てみれば別に故障しているわけではない、クーラーも効かない熱さが原因。この日も37.6度にもなり、全国二位の記録を作った。
ガンガン照りの船の中で、成生岬に上陸直前に、私の場合はまず腰が突然痛くなった。ギックリ腰と同じ痛みであった。何も重い物を持ったわけでもないのに、腰の激痛と重みがきた。
これまでの経験から言って、こういう場合は大変注意が必要、何か重大な体調不調の前兆なのである。弱ったぞ、こんな所で、気をつけるより方法がない。この熱さの熱中症だろう、とは思ったが、そんな病気にこれまでなったこどなく、対処法がわからない。水分を十分に取るように、とかは聞いたことがあるので、ボトルのお茶を多い目に飲み、ボトルを空にした。上陸すれば林の中なので、直射日光に当たらずたぶん少しは涼しいだろう。
重い荷は置いて行きたいが、ここで弁当だという、持って行より方法がない。リックを背負わなければならない、これが重たい。腰痛に重い荷物を負って坂道難路を登らねばならない。キツイが致し方なさそう。
同行者はご老体も多く、別に急がないので、ゆっくりと行こう。
そう思って特別にゆっくり登ったのだが、−
腰をかばいながらの足元が悪い重荷を負っての登山、これが悪かった、精神的ストレスが悪い、何十倍も体力と精神力を使ってしまい、体温が急上昇したのだと思う、急上昇を冷やすにも外気は平均体温よりも高く、空冷装置は働かない。ドンドン汗をかいて冷やす手しかない。
登り切って、そこにスダジイの巨木が見える地点で、目眩がした。
貧血のクラクラか、いやそれよりもキツイ、血圧の高い時のクラクラ、長風呂に入りすぎた時のクラクラが似ている。
とにかくは、荷物を降ろし、腰を下ろそう。どうも体が熱いぞ、シャツのボタンをはずし風通しをよくする、これらは本能的行動、体は楽になるよう自動で何億年の経験プログラムに従って処置をする、アタマはボーでこれで正しいかと頼りなくチェックするだけ。
先に行った者は先に行ってしまったし、後の者はまだ姿が見えない、そのうちに登ってきて、発見し何とかしてくれるだろう、それまでここでぶっ倒れているか。
わずかな時間と思うが、気が付けば荒木隊長がそばに座って私を見守っておられた様子。
そのまま寝ていて下さい。吐き気はありませんか。顔色から見て軽い熱中症です、処置は体を冷やすよりありません。水を頭からぶっかけてもらい、塩飴を貰った。
おかげでそれで何分かして治まった。せいぜい10分くらいで済んだが、腰痛は今も続いている。









              

 (参考)
『丹哥府志』は、
 〈 【倉内】  〉 

 〈 成生村の北に湾あり倉内といふ、湾の広サ十六、七町、懸崖左右に聳える、前に島あり所謂毛島なり風波の侵さざる處なり、航海の者此處に入りて風波を凌ぐ、風を見合て発す是を風待といふ。  〉 

『田辺旧記』は、
 〈 黒地湊 田井村 岸深潮時不構舟懸りよし 田辺湊より八里半  〉 

今では利用価値なしのように完全に忘れられた湾だが、古くは重要な湊であった。田辺旧記の時代には由良湊・浦丹生湊・大波湊・田辺湊と並ぶ田辺藩の5大湊であったようである。外はもう外海でちょっと風が吹けば、恐い海になる。ここなら北風や西風をさけることができる。

『大飯郡誌』は、
「若狭国神名帳」記載の「正五位鞍道明神」について次のように述べている。
 〈 正五位鞍道明神  或は内浦村− 神野浦?− に在りしならむ乎
〔若狭郡県志〕未知其處
〔東寺百合文書〕大治元年二月源某所領−田畠山林等− 譲與−丹生二郎隆清− 公験状−青郷六ヶ所−云々− 海一所字鞍道浦
 仁平元年三月附属状−隆清が嫡子丹生若丸に其継祖父平某祖母小槻氏が−   〉 

 鞍内浦
  (按に鞍道も鞍内もクラノウチにて内浦の名に原づき神野は神社の故地なるに因る名なるべし)
− (〔神社私考〕鞍道鞍内共にクラチと唱ひ車持(クラモチ)の役にし下車持の十六所大明神もしくは此鞍道明神にあらぬかとの説あれぬとの説あれど如何あるべきなほよく尋ね考え可し矣)    〉 

.375( 鞍道浦 鞍内浦
 〈  共に(東寺百合文書)崇徳帝大治元年の公験状と近衛帝仁平元年の附属状に見え、此村内の沿海地にて、内浦の名も或は之に原づきし乎。此浦は青郷に近く、丹生氏−之は丹後加佐郡(西大浦村)大丹生の領主ならむ、三方郡にも丹生浦あれど、余りに遠隔せり。丹後のと誌むるが妥当ならむ− の所領たりしなり。現今丹後に属する田井浦松尾寺等一帯の地が、本郡に属せしは、〔太田文〕此国の内に田井保を裁せ、且抑領の語あるを據とし、全郡誌沿革章に既に考證せり。
  〉 .

若狭の鞍道・鞍内は、当地ではなかろうか。今では神社があったり人が住むような土地には思えないが、江戸期には重要な港湾があったというし、田井や河辺が青郷域にあったというので、ここであっても別に不思議ではない。
「丹後国風土記逸文」には鳴生や河辺の神社の記載がある。加佐郡神名帳には、それらしき社は見当たらない。


海軍も利用していた様子で、何かコンクリート製の岸壁が残されている。電線や碍子が落ちている。↓色が付いている所が海軍ものであった、舞I海軍防備隊成生崎防備衛所があった、ここに砲台があったという記録はないが、昭和20年7月30日の舞I空襲の日、黒地湾には対潜掃討隊の第53播州丸・第1済州丸・第2済州丸・第19掃特が待避していた。10時25分すぎに来襲したF6Fの10数機と交戦、第53播州丸は火災浸水沈没、死者負傷者が出たという。





(参考)
私は実は宮脇昭氏の受け売りをしてきたのであるが、本物があります、引かせてもらいます。
『鎮守の森』(宮脇昭・新潮文庫)に、
 〈 ダイナミックに安定し持続するシステム
一九九二年のブラジル地球環境サミットで、各国が生物多様性保全条約に調印し、それを受けて一九九四年には、パリのユネスコで「都市と生物的な多様性について」の国際シンポジウムが行なわれた。私は「都市や都市近郊における生物的な多様性の回復、再生」というテーマで発表をした。そのときに強く主張し、多くの共感を得たのは、多様性という言葉がしばしば表面的にとられ誤解されているということである。単に種類が多いのが良いというわけではない。人間社会でも、たとえば火事が起こると野次馬も含めてあらゆる階層の多くの人たちが遠巻きにそこに集まる。自然の森の破壊が起こると、本来の森の構成種や林緑群落以外にも、まわりの草原などの構成種がみんな森の中に入ってきていわゆるジャングル状を呈するが、そこでは植物の種類も一時的に非常に多くなる。しかし、それは火事場の群衆に近い混乱した雑多性であって、持続しない。生物的な多様性とは、土地の自然環境に応じた、あるいは一部人間活動も含めたトータルシステムとして、ダイナミックに持続的に維持される集団の多様性を意味すべきである。その多様性が鎮守の森にはある。
鎮守の森とは、実は最もダイナミックに安定した一つの森社会である。そこでは高木、亜高木、低木、下草、土の中のミミズやカビ、バクテリアなど、また林緑にはマント群落、ソデ群落が、その土地の地形、土壌条件の中で、限られた空間や養分の奪い合いをし、せめぎ合い互いに少しずつ我慢して共生している。
鎮守の森こそ、それぞれの地域の多様性のシンボルであり、その最も具体的な姿である。
新幹線などの車窓を流れる住宅団地、農耕地といった風景の中で、ポッカリと開放景観に緑の島のように盛り上がっている鎮守の森。それはその土地の自然環境の総和が具現した植物社会である。もくもくと樹冠が盛り上がって見える鎮守の森は外から見れば高木層の、たとえばシイ林、タブノキ林、カシ林などである。しかし、森も一つのシステムを形成している。基本的には、多分人間世界もそうであるが、その森のトップを占めている高木の種類によって、その森の姿、性格も変わる。高木の種類やあり方によって森のあり方が変わるということは、すなわち高木がその土地の潜在自然植生の許容する土地本来の森の主役になる樹種だからである。
自然状態では、一度自然の森が破壊されたりその土地が撹乱され、その後放置されると、長い時間をかけて裸地から土地本来の森までゆっくりと回復する。最初に一年生の草本植物群落があらわれる。そこが照葉樹林帯であればススキやネザサ、クズが背の高い草原を形成する。そこに陽生のヌルデ、ニワトコ、アカメガシワ、ウツギ類などの低木がはじめ草木で侵入し、次第にコロニーをつくる。そして一五年か二〇年後、やや湿った領域であればミズキが優占し、さらにシイ、カシ林域であればコナラ、エゴノキ、ヤマザクラ、クヌギなどの夏緑広葉樹林に発達する。このような二次的進行遷移過程を経て、土地本来の常緑広葉樹のシイ、タブノキ、カシ林になるのには、早くて一五〇年、恐らく二〇〇〜三〇〇年以上の時間がかかる。
 このように、植物群落の構成種が変化して、他の植物群落におきかわっていくことを遷移という。遷移がおこる原因は、植物群落が発達して根群が母岩の風化を促進したり、落ち葉などの有機物が土壌生物によって分解され、腐植した植物が土壌のなかに混じったりして、土壌条件が改善されるからである。そこに、より競争力の強い植物が侵入して優占種になる。最終的には陽生の群落の樹冠が太陽の光を遮って、陰樹を主とした土地本来の森に遷移する。
 自然界ではこのように長い時間をかけて遷移し、ようやく安定したクライマックスとも言われる極相群落、あるいはヨーロッパ式の植物群落の動態から言えば終局群落(ターミナルな群落)に達する。これがすなわち潜在自然植生の顕在化した森である。
 森のなかでは、森の構成種がそれぞれの種の能力に応じて精いっぱい生きている。そして高木も低木も下草も種の特性に応じた固有の花を咲かせ、実を実らせ、子孫を残して生涯を終える。個体の交代はあっても、このような潜在自然植生が顕在化した多層群落の森自体は、よほど天変地異的な大変動がない限り、常にダイナミックに安定して持続するシステムである。
 たとえばシイ、タブノキ、カシ林などの多層群落の森では、草本層は三〇から八〇センチにしか生育しない。しかしそれぞれの種固有の花を咲かせ、種子や胞子を実らす。ヤブコウジ、テイカカズラ、ヤブラン、ベニシダ、イタチシダを、二五〜三〇メートルになるカシ類などの高木と同じようにしようと思って、肥やしをやり過ぎれば枯れてしまうし、引っ張りあげようとすれば千切れてしまう。草本層、低木層、亜高木層、高木層とそれぞれ植物が種の特性に応じて発芽、生長、開花、結実と、精いっぱいの力を発揮して健全な生活環を繰り返す。お互いに競いあいながら共存している一つのシステムとして維持されていく。これが生物社会学的な平等であることを、私たちは鎮守の森から学びとることができる。
 現実には、単一の種類だけが広い範囲で生育しているところは地球上にはない。ゴルフ場のシバ社会でも、よく調査すると人為管理下に生育しているノシバ、コウライシバも七〇パーセントあればよい方で、三〇パーセントぐらいはシバと同じような生活形を有する草が占めている。いずれも成長点が地際にあるために刈られても地下部は枯死しない。たとえば冬であればスズメノカタビラ、あまり人に踏まれないところであればツメクサ、ハコベ、ホトケノザ、ノミノフスマ、よく踏まれるところではオオバコ、春から夏にかけてはピンクの花が咲くネジバナ、カゼクサ、ニワホコリ、アキメヒシバなどが混生しているのが実はシバ社会である。それをシバ以外のものを全部排除した単層群落にしようとすると、殺虫剤、殺草剤、殺菌剤、いわば農薬の毒物の弾幕の中でしか維持できない。
 単層群落というのは極めて不安定であり、高山、高層湿原、海岸砂丘のような厳しい自然環境下か、きわめて高度で集約的な人為的管理下でない限り、持続できないのである。
 森林においても、好きな植物が好きなところに自生しているのではない。ほとんどの植物は本来の生理的な最適域から少しずれた、少し厳しい条件下で、我慢しながら、嫌なやつとも共生している。これが最も健全な状態であることを地球上の植物社会は具体的に示している。
 植物社会では生理的な最適域と生態的な最適城が違う。そのことから、我々が学びとることはないだろうか。鎮守の森でも、高木が偉くて下草が偉くないのではない。高木のシイ、タブノキ、カシ類も低木のアオキ、ヤツデ、ヒサカキや下草のヤブラン、ヤブコウジ、テイカカズラ、べこシダなども、それぞれ多少の我慢を強要され、そして競争しながら実は限られた空間で共生している。これが健全な生物社会の姿である。
 すべての敵に打ち勝ちすべての欲望が満足できる最高条件というのは、マンモスや恐竜の絶滅の例を見るまでもなくむしろ危険な状態である。生態的な最適条件とは、生理的な欲望をすべて満足できない、少し厳しい、少し我慢を強要される状態であることを、長い命の歴史は教えている。人間社会でも、地位や名誉、金の問題から異性間題まで万事うまくいきすぎている人は、いつドンデン返しを受けるかもしれない。少し厳しい、少し我慢を強いられていると考えている人は、生態学的な最適条件にあることを十分理解し、自信を持って、鎮守の森の中の木や草のごとく精いっぱい明日に向かって力強く生きていってもらいたい。  〉 

『舞鶴の守りたい自然』
 〈 スダジイ
ブナ科シイ属
学名Castanopsis sieboldii

観察時期
通年
形態・分布・生態的特徴等
●日本の暖帯林の最重要樹種の一つ●常緑高木●雌雄同株 ●分布:本州(福島・新潟以西)、四国、九州 ●葉:5〜15cmで先は急に細かくなる。裏には鱗片が密生し、淡茶色を帯びるので、風が吹くと遠くからでもよく分かる
●花:5〜6月頃に新枝の葉の脇に穂状の雌花と雄花をつける
●果実:竪果と殻斗は卵状長楕円形。堅果は殻斗に覆われ翌年の秋に熟す ●樹皮:黒褐色で縦に深く裂ける。

へえ〜、そうなん!〜なるほど豆知掛〜
大浦半島では、海沿いの森が魚付林として大切に保護されており、舞鶴市の天然記念物に指定されている三浜地区(P24)の海蔵寺裏山のスダジイ林をはじめ、スダジイを主木とする自然林が多く残っています。特に成生岬(P26)には平成10年に調査され樹齢300年以上、胸高周囲13.8mもある日本最大クラスの巨木(舞鶴市指定天然記念物)があります。果実(シイの実)は食用になります。子供の頃、シイの実を拾って、母親に炒ってもらい食べた記憶のある人は、もう60歳以上かもしれません。  〉 








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ふるさとの森が残されているという。
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