滝の千年椿
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お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから探索してください。超強力サーチエンジンをお試し下さい。 場所はずいぶんと説明しにくい所である。道はちゃんとあるので行けないことはない。近くまで車で行けるが、最後の300メートルばかりは歩いてもらわねばならない。 「滝」といっても広い所で、大江山ニッケル鉱山があった所(現在のSL広場や道の駅)も滝で、昔の与謝村の中心地であった所であった。そこの信号から西へ、ここから但馬へ越す峠道(滝峠)があるが、与謝小学校の横手から、そこを入って行く。入ったあたりは口滝というが「七仏薬師」「蕪村寺」として有名な施薬寺がある。 それよりさらに奥へ行けば奥滝という所で、左手の少し奥に『加悦椿文化資料館』(平成8年開館・0772-43-2161)の白い金属光沢の花弁の形をした屋根が見える。写真の右手下の光る円い屋根がそれである。ここからさらに山道を1.5キロばかり入る。写真で言えば右手の山中へ入る。 1.200年の椿にしては、世に知られるのはごく最近のことであった。古文書には何も記録がない(ようである)。全部に目を通したわけではないので見落としがあるかも知れないが、恐らく誰も(ここ大田和の人々を除いて)知る人はなかったようである。 『与謝郡誌』はもとより、昭和49年の『加悦町誌』ですら記載がない(ようである)。現地に入った造林事業者が、たまたま超幸運にも椿愛好家であったので、斬り倒されずに生き延らびれたという。世に知られるのはようやく昭和61年のことであったという。 私は以前に一度行ったことがあったが、花の盛りを過ぎたあとであった。今度は花の盛りにぜひもう一度と思い、出かけてみた。 毎年、椿が見頃の満開になるころに「滝の千年ツバキまつり」が開催されるので、それに合わせれば間違いない。(四月の日曜日でその年によって開催日は異なる)。08年は13日(日)9:30〜15:00であった。人出にしては駐車場は手狭で、あちこち道沿いに臨時の駐車場が設けられる、係員が親切に誘導してくれるのでその指示に従う。その指示に従っていれば、祭りの日はタダで文句なしの所まで送り迎えをしてくれる。 マイクロやミニバンで椿のもとまで送り迎えをしてくれる。 『椿資料館』から千年椿までは山道を1.5キロばかり入る。車がすれ違いできないような狭い道である。 下を小さな川が流れる谷間である。川に沿って上流へ上る。 わざわざ歩いて登る人達もけっこうあるようである。 谷間は両側とも杉が植林してあるが、その下をのぞいて見ればいくつもいくつも石垣が組んであり、どうやら昔はこの谷間は全部棚田でなかったのかと思われのである。 聞いてみれば、その通りのようで、ペイしませんから、杉を植えた、田に杉を植えた場合は一代目はダメだそうで、今あるのは二代目で、それがあれくらいに育っているので、田が放棄されたのはだいたいその時代のことだ、という。 杉の木立ごしに観察してみれば、すごい棚田の連続である。綺麗に石垣を組んで小さな田らしい水平な面がずっとずっとずっとずっと連続している。 人間の努力というものはここまでやるかと、ただただただただ驚嘆したのである。これに比べれば私らの努力奮闘などというものはまことにハナクソみたいな恥ずかしいものである。 上は「滝のツバキ公園」になっている。ここまでは車で登れる。これから先は歩くことになる。ここには駐車場とトイレなどがある。 坂道は少しきついところもあるが普通の体力があれば充分。300メートルばかりある。 このあたりの山はすべて花崗岩である。崩れやすそうな山である。ずっと杉が植林されている。最近植えられたのかツバキもある。 さあもう少し。 これが千年椿。 ちょうどみごろの良い日であった。 もっと近づきたいが根を傷めるおそれありで、紅白幕より中へは入れない。 現地に建てられていた案内板には、 〈 京都府天然記念物 滝のツバキ (平成元年三月指定) この椿の巨木は、ツバキ科ヤブツバキ属のクロツバキで同種のものでは日本最古の古木であり、その原種ではないかと言われている。以前から地元では「ムラサキツバキ」としてその存在が語り伝えられてきたが、品種等詳細については全く不明のままであった。 昭和六十一年、富山興業(株)加茂正三氏によって、日本国内でもまれな巨木であることがわかり、昭和六十三年四月、椿の研究家で著名な(財)京都園芸倶楽部評議員・薬学博士渡辺武氏により他に類を見ない日本一のクロツバキであるとの鑑定を受け、世に知られるようになったものである。 三月から四月まで濃紫紅色の中輪筒芯の花が咲き、満開時には紫紅の花が緑の樹葉の間をうめつくして壮観である。 ●場所 京都府与謝野町加悦町字滝小字深山三一六番地 ●品種 ツバキ科ヤブツバキ属クロツバキ ●推定樹齢 約一.二〇〇年 ●大きさ 樹高 九.七m 枝張り径 約一〇m 幹周 三.二六m 平成元年三月 加悦町 滝の千年ツバキ保全・保護工事について 今回の保全保護工事は、平成七年の春、ツバキ主幹部、根本付近に、地際から幅約二p・長さ約八〇pの縦型クラック(亀裂)が生じているのが発見されたため、樹木医の診断に基づき損傷の拡大を防止する工事として実施しました。 具体的な工法ととしましては、クラックの生じている主幹部の荷重をできるだけ軽減するための支柱工法、ブレーシング工法としてクラック部への薬剤散布、パテ埋めによる治療工事で、特に支柱工事では、東西南北の枝張りに合わせ、その地下部に巨樹を支える根が縦横無尽に張り巡っているため、その根を傷付けないように細心の注意をはらい平成八年三月に完了しました。 今回の保全保護工事では、できる限り周囲の景観に配慮いたしましたが、従来の景観と若干の差異が生じたことにご不満をもたれる方も少なくないと思われます。しかし、この『滝の千年ツバキ』は、世界に一本しかない貴重なツバキの巨樹であり、二度と人工的に作られるものではありません。 今回の工法は、千年ツバキを守り続けていくための最良の方法であり、椿愛好家の皆さんの温かいご理解をお願いするところです。 今後とも、この『滝の千年ツバキ』を末ながく見守っていただきたいとともに、さらに皆さんに親しんでいただきますようご協力をよろしくお願いいたします。 平成八年三月 加悦町 滝区椿保存会 〉 満開に花咲くヤブツバキ、見応えは充分にある。苦労してもやってくる値打ちはある。少しでも美しく撮影しようと皆さん苦労されていた。カッコのいいお姉さんもカッコよく写している。椿よりもこちらの方がだいぶに気になったりした。 椿は照葉樹で日本の古い文化とは深い関係がある樹である。日本の原生林には必ず生えている。しかし葉が照る樹と呼ぶくらいであるから、葉は光に反射してテカルし、原種とかで花は小さい。偏光フィルターがあっても写すのは苦労する。 さらに千年椿は北向き斜面にある。だから谷下側から写すと逆光になる。できたらツバキの裏側(南側)の山腹側からがよいと思う。しかし行けそうにもない。 さらにはどうやらここの椿は上から見る方が花がよく見えるようである。 だから樹の下から見るのではなく、たとえ1メートルでも高い位置から見た方がいいように思われた。 太田与謝野町長もご自身でデジカメを構えられて写されていた。 ここでは写される側であったが、この位置は樹の姿は良いのだが、椿の花を入れるにはあまりよくなかろうと思われる。 できましたならば、こちら側にも高い展望台を作っていただければと願う。 かなりましな位置は、樹の姿かたちは悪くなるが、やはり少しでも高い位置である。 ここで気が付いたのであるが、南側斜面に行けそうなのである。↑手前のご婦人が手にしたデジカメの真上に人影が見える。三脚を構えた本格カメラマン氏が撮影されていた。 何だ行けるではないか。−と道を探すがない。どこかに道はあるだろうから、行ってみられたらいいと思う。 滝の「千年ツバキ公園」のあたりは現在は人家はないが、かつては「大田和」という村があったという。 〈 大田和集落のこと このあたり一帯は、かつては大田和の集落として六世帯が住んでおり、厳しい気象条件や自然条件と闘いながら、農林業を中心に人々の営みがありました。 しかしながらここにも過疎の波がおしよせ昭和三十五年頃から離村がはじまり、昭和四十六年を最後に全世帯が加悦町内に移住し現在に至っています。 今は、残された土蔵や苔むした石垣が、往時をしのぶよすがとなっています。 〃来たときよりも美しく〃を合いことばに、豊かな自然をいつまでも大切に残していくために、一木一草にも心くばりをお願いします。 元大田和住人より 平成三年三月建之 加悦町 〉 わずかにその当時の屋敷跡のような所もある。あの棚田のぬしたちの小さな集落がここにあったのだろうか。決して広い場所ではない。 私の母が大田和の出身でしたという人の話によれば、冬になれば2メートルばかりの雪が積もる。学校は与謝校で、そこに寄宿したと聞いたという。その村趾の公園で、箏の演奏や野点が催されていた。 帰りのマイクロは太田町長と一緒になった。 気さくな方で、この写真は記念に大切にしたいと思います。 「加悦椿文化資料館」やレストラン「ちんざん」のある広場では「第18回滝の千年ツバキまつり」が催されていた。餅の「千本つき」や「神楽」山菜加工品の販売などが行われる。 椿をもっと知りたい方は、 「ツバキはエライ木」など参照 |
資料編の索引
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