本庄祭'12(宇良神社の例祭)
 (伊根町本庄浜)




本庄祭

 丹後の夏祭はなぜか伊根町と舞鶴市ばかりに集中しているように見える。そうしたことでまた伊根町にお邪魔した。この日も超クソ熱い、近くの兵庫県豊岡市は全国二位の高温となり、37.7℃になっている。このあたりも同じくらいだったろうか。宇良神社前の参道や広場には砂利が敷かれているが、その地面に手を置くことはできない、ヤケドする熱さなっている、地面は焼けたフライパン、もし卵を落とせば、ジュジュジュと目玉焼きができるのではなかろうか。
 ご存じと思うが、ここは浦島太郎さんの神社。全国各地に似たような浦島伝説が伝わるが、こここそが本家本元で、最も早く『日本書紀』雄略22年条に記録が残る。

 〈 秋七月、丹波国余佐郡管川の人水江浦島子、舟に乗りて釣りし、遂に大亀を得たり、便ち女と化為る。是に浦島子、感でて婦にし、相逐ひて海に入り、蓬莱山に到り、仙衆に歴り覩る。  〉 
乙姫様とか竜宮城や玉手箱といった話では元々はなかったようだが、島子というのは、『魏志倭人伝』の伊都国や奴国の官名として見えるもののようで、たぶん弥生期にさかのぼる浦や国の大将という意味の名であろうか。そこの三角形の山に向かい、北面して宇良神社があり、筒川はその南を流れている。


むかしむかし浦島は
助けた亀に連れられて
龍宮城へ来て見れば
絵にもかけない美しさ

宇良神社のモニュメント
宇良神社の入口にはこんなモニュメントがある。
この祭礼で踊っているのは、その浦島太郎さんの子孫たちであろうが、浦島神社は丹後丹波にはけっこうあり、ここがそうした神社の本社だろうと思われる、浦島太郎の勢力はけっこう広かったと思われる。


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  本庄祭のアクセス

伊根町本庄浜の浦島伝説の宇良神社(式内社。通称浦島さん)。祭神は浦島子、月読命、祓戸神。「丹哥府志」には浦島太郎、曽布谷次郎、伊満太三郎、島子、亀姫。
縁結神・長寿神・農業神・漁業神・航海神・牛馬神・養蚕神で、五穀豊穣、豊漁祈願、商売繁盛、諸行繁栄、家内安全の祈願を込めて行われる。

3月17日午前9時から「祈年祭・延年祭」があるが、
もともとは8月3日が例大祭のようだが、近くの土日に催される。2012年は、
8月4日(土)午後8時 宵宮
8月5日(日)午前9時 祭礼奉納奉告祭(太刀振り・花の踊りが奉納される)
         午後12時30分 直会
翌日は地下祭で、各地に帰って、そこの氏神に同じ太刀振り・花の踊りが奉納される。
8月7日(火)午前11時 例祭 という日程になっている。
本庄浜、本庄上、本庄宇治の集落の祭礼で、本庄浜と本庄上から太刀振りと花の踊りが奉納される。

今はこれだけになっているが、かつて本庄・筒川・朝妻地区にわたる13ヶ村の郷社であり、大正のころまではそれらの村々から多彩な芸能奉仕があってたいへんなにぎわいをみせたという。各村々から奉納される太刀振りと花の踊りはそれぞれ1時間ばかりはかかるから、蒲入や長延が参加していた戦前までは、それこそ終日、日が昇ると同時にはじまり、日が暮れるまでえんえんと続いたことであろう。今見られるのはそうしたにぎわいが見られた例大祭のほんのカケラである。

宇良神社は、中世の筒川荘鎮守と伝え、室町期の紙本著色浦島明神縁起1巻、桃山期の刺繍針桜土筆肩裾小袖1領が国重文に指定されているが、嘉吉2年・永正3年の浦島社棟札、浦島伝説ゆかりの玉手箱などがある。




  本庄祭・宵宮


 宵宮・ヨミヤと呼ぶが、若連中による宮入りが中心で、それぞれ祭宿に集まった青年たちが、高張提灯などをかかげて提灯行列を行い、「伊勢音頭」で宮に詣でて裸でもみ合ってのち、拝殿において交歓するというものだという。私はまだ見たことはない。


 本庄祭の太刀振り


 最初に社前で神事が行われ、本庄浜と本庄上から太刀振りと花の踊りが奉納される、本庄宇治からも近年まで同様の奉納がなされていた。

宇良神社鳥居
↑宇良神社の鳥居、本殿側から参道側を見る。鳥居の内と外に広場(踊り場)がある、内宮、外宮などとも呼ばれているが、両方の広場では同時並行に奉納行事が行われる。
宇良神社
↑宇良神社本殿。お囃子のフエを吹いているのは、これくらいの女の子たちである。
赤いノボリは猩々緋と呼ばれている。頂に枝垂れ花が付いている。上と宇治と浜の青年、若連中、若中などと書かれている。

猩々緋
↑見事な枝振りの松がはえている。今は海まで遠くて海の香りはないが、こんな松並木を見れば、古くは神社のそのあたりまでは海だったのかなと思えてくる。

↓海面を上昇させれば、古い時代の海岸がほぼ復元できる、これは6メートル上昇させたもの。浦島子の時代はこんなことであったかも−(「カシミール3D」使用)


 太刀振り

↓脇で待機していた本庄浜が太鼓台を引いてトキの声とともに入ってくる。このあたりに据える。先頭に傘鉾が立てられる。太鼓と笛の囃子である。
宮入り
↓「外宮」踊り場中央で、浜の太刀振りたちの激しい「もみあい」。
もみあい

↓なわてふり。チャーハー(露払い)と呼ばれる棒振りの少年を先頭に練り込む。


↓小太刀ふり
小太刀振り



↓大太刀ふり
大太刀



浜も上も同じようなことだが、囃子は、大バチ・小バチとよぶ太鼓打ち2人に笛の女の子が数人である。
見られるように、小太刀・大太刀・はやし方は縞の着物にタッツケをはき、白の飾り襷にハチ巻をしめ、白足袋はだしの太刀装束、小太刀は刀、大太刀は両端を白紙のシデで飾った棒に刀をとりつけた太刀を持ち、いずれも青年の役であるであるが、高校生か中学生くらいもいるよう。
棒振りは晴着を着て、色の襷にハチ巻をして、両端を色紙のシデで飾った棒をもち、6、7歳くらいの少年の役で、楽台に乗って宮入りをする。オトウチャンだろうか、よく肩に乗せてもらっている。
祭の太刀振り全体を指揮指導しているのは、青年会を卒業したその上の年齢集団という。
元気な若者をなんとかけっこうな数を集められていていいと思う、この日の太刀振りにはある程度人数が限定されているのか、出場していない青年たちもまだいるように見えた。そうした若い後輩達を大事にしているのが端々に感じられる。「還暦なら青年」という地域とは違う、還暦青年では後継者とならないし、体力的にもこれは還暦ではきつい、ただ立ってるだけでも熱中症で倒れそう…

 これだけ鳥居の外の広場で奉納し終わると本庄浜は、本庄上にあとをゆずって、鳥居をくぐり本殿前へ入って再び同様に演じる。
ここからは同時進行で、本殿前では浜、鳥居の外では上、その二つの太刀がいっせいに振られる。もう一人では記録できない。気まぐれに写ったもののいくつか、時間的順序はバラバラ…
ダイフリ
塩を入れた壺
↑ダイフリ。
「ダイフリ」は派手な着物を尻からげに着て、襷をかけ、色手拭いで頬かぶりをし、腰に塩を入れた太い竹製の「塩入れ」を下げている。正副の二人がいる。塩は演技前の振り手や間違った者にふりかける清めの塩だそうだが、近くにいるとこの塩が何度も飛んでくる、白色でなく土色をしている、なめてみれば、市販の辛いだけものとちがい、味のあるうまい塩である。
手にしている「ダイ」は先端に五色のシデをつけた竹である。これでサイハイを振り、またこれを持って道化わざをみせたりする。ちぎれ落ちたシデ紙が風に舞い散らかる。

もみあい



↑もみ合い。「おしくらまんじゅう」の行為で振り手たちが集まって背中で押し合い気勢を上げる。何度も何度も行われる。
太刀振りは丹後各地で行われているものと大差はないものと思うが、もみ合いやダイフリはここの特徴ではなかろうか。

社殿前の大太刀振り
社殿前での太刀振りもやがて終わると、その一団は社のまわりを3周して、花の踊りにあとはひきつがれる。
社殿をまわる





  本庄祭・花の踊り

花の踊り

花の踊り


↑本庄浜の花の踊り

 花踊りは拝殿内の狭いスペースで踊られる、本庄浜、上、宇治から奉納される。写真は写しにくい。
古い伝統のものだけあって、たいへん素朴で簡単な踊りで、足を左右交互にふみ出し、ときに扇をひらめかせるだけ、、現代的劇場演出になれさせられた単純な現代人などから見れば、何とも単調で面白くもないつまらぬ田舎くさいもののようにも見えるが、締太鼓の打ち手の動きなどみていると、いろいろと振りがあって、これが中世かと長い歴史のきらめきとも覚えるような美しさが秘められていそうに見える。メロディも御詠歌かお経の声明のような暗い感じ、しかしあるいはこれがはるかのちの演歌や和太鼓や舞台芸能の淵源かも−
中世の風流小唄踊りを淵源に持ち、「花踊り」、「花の踊り」、「太鼓」、あるいは「中踊り」などとも呼ばれる。宇良神社はその本場であるが、伊根町全体で伝えわる踊り歌はおびただしく約190曲とか言われる。新井の花踊りのシンボチが「粗相なる笹ばやし」と口上に述べるように、「笹ばやし」とは元々は同じかと思われる。

花の踊り

花の踊り


↑本庄上の花の踊り

本庄上の花の踊り(片バチ)は次の歌詞という(『伊根町誌』より)

一、イョー花が見たくば都へござれ(返し)
    今は サア都の花ざかり イョーサイサイ
  イョー花の踊りは サア面白や
二、イョー花が見たくぱ清水寺へ(返し)
    今は サア清水の花ざかり イョーサイサイ
  イョー花の踊りは サア面白や
三、イョー花が見たくばお江戸へござれ(返し)
    今は サアお江戸の花ざかり イョーサイサイ
  イョー花の踊りは サア面白や
四、イョー花が見たくば吉野へござれ(返し)
    今は サア吉野の花ざかり イョーサイサイ
  イョー花の踊りは サアこれまでよ イョーホハアヘ


 花の踊りは、本庄浜では太鼓2人(太鼓持ち2人)、音頭出し数人、踊り子(花の踊りとよぶ)12人で構成される。
年齢集団が管掌する太刀振りに対し、花の踊りは「組」という地域組織が担当する。太鼓は太刀振り装束の青年であるが、踊り子は6組に分かれた組から各2人出る大人で、羽織姿で下駄をはき、左手に花、右手に扇を持っている。この花は、竹の先端に麦わらを巻き、それに造花(梅・桜)とタンザクをつけた枝を5本さしたもので、ほぼ身長ぐらいの高さである。祭の前に各組の組長が集まって作製する。
本庄上も踊り子が15人となるほかはほとんど同じである。踊り子には区会議員14人と区長が当たる、持つ花にタンザクがない。

花の踊り

花の踊り
↑本庄宇治の花の踊り

 踊り歌は、本庄浜は「毬の踊り」「笠の踊り」「豊穣踊り」「かくや踊り」「みょうせん踊り」「綾の踊り」「忍び踊り」「さんかい踊り」「松の踊り」「恋の踊り」「商い踊り」「川の踊り」「きりの踊り」の13番が伝わるそうだが、ここでは3番だけ。本庄上は「花の踊り」「船頭踊り」の2番だけ、振り手が主力のよう。宇治は2番だそうである。いずれも片バチ・両バチの曲に分かれる。どれが片バチで両バチかは写真を見てもらえればわかろう。
長い伝統もかなり衰えているような様子のところもみえたりするが、さて次の世代へと引き継いでいくことができるだろうか。



 本庄祭・参考文献

『与謝郡誌』

 〈 郷社宇良神社
 本庄村字賓鎮座、郷杜祭紳は浦島子、天長二年七月始めて祀ると云ひ、神祇志料には本庄濱村字浦島にあり、十三ケ村の氏紳とあり。社殿は宏大壮麗にして、小袖表(乙姫の小袖と云ふ)姫手道具、大手小手箱、大小鼓胴.仮面等の寳物あり、蓋しこの神社の由來は此の浦日量の里に浦島子と云ふものあり、雄略天皇の二十二年七月仙亀にひかれて海神の都に渡り、こゝに在る事三百四十七年淳和天皇の天長二年十一月再ぴ此の渚に帰り來り、海神の女より得たる玉手箱を開けば、紫の雲現れて今迄の紅顔の美少年、忽ち変つて痩せ衰へたる老翁と化し、即時身亡りしと云ふ神仙の伝説にて名高し。明治六年二月十日旧豊岡縣より郷社に列せられ、明治四十年三月壹日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。祭典二月十七日、八月七日
 当社浦島子縁起絵巻一巻を蔵す。社殿巨勢金岡の筆といふも恐らく室町中季の模写ならん。詞書なく絵のみにして浦島子の亀を釣る處より浦島明紳の勧請及び祭礼の圖まで大凡六段に分れ、殊に田樂競馬等は風俗史上有盆の資料たるべし。(圖版参照)旧浦島五社明紳と云ひ、浦島子、乙姫夫妻、父浦島太郎、伯父曾父谷次郎、今田三郎の五柱とし.其の本地佛の如来、菩薩、天部等五体の佛像は当時の別當なりし來迎寺に引き取り今同寺に祭る。  〉 

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