加佐郡鳥瞰図
『丹後の地名』へようこそ!
地名は現代人の盲点の一つ。「丹後の地名」も苦労はしても、意味の説明のできないものが多い。ご先祖がつけた地名なのに、なぜこんなことになったのだろう。私にも特にわかるわけではない、何でもそうだが世の中わからぬ事だらけ、しかし何か手掛りを求めての模索の旅日記です。
地名は民衆が残した口承史料、彼らと呼ぶか我らと呼ぶか、丹後の地名が読み解ければ、丹後の真実の民衆史、我らの郷土史が編めるかも知れない。しかし誰も未だ成功したことはない。
至る所工事中だらけで申し訳もない、難工事の連続で、本当はまだ世に出せるものではありませんが、そこそこに出来るまで草稿を書いていたら、いつになったら公表できるか見当もつきにくい、未完成のままでも暇をみつけて少しずつ書き足しながら、いつの日にか完成させたいと思っています。このやり方がHPではできる、ズボラ者にはもってこいのメディアかも知れない。一人でやっております、追加や更新がまったく思うように進みませんが、どうかよろしく。
当初は5年もあれば出来ると考えていました、やってみればとんでもないことで、いまだに道けわしく旅なかばで、まだまだかかりそう。こんなものでも何もかもを合わせればすでに710万を越すアクセスがあり、そうした大きなありがたい励ましにいよいよ先をめざしてがんばりたいと考えております。
丹後王国の根拠地ばかりでなく、後に丹波国となった王国の旧領の地名なども調べてみたいと思い、丹波国、若狭国へも越境する予定。

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少年易老学難成、一寸光陰不
脳が若い30歳くらいまでに、せめて千冊は読みたい

友を選ばば書を読みて…と与謝野鉄幹様も歌うが、子供の頃から読んでいるヤツでないと友とも思ってはもらえまい。
本を読めば、見える世界が違ってくる。千冊くらい読めば、実感として感じ取れる。人間死ぬまでに1万冊は読めないから、よく見えるようになったとしても、たかが知れたものである。これ以上の読書は人間では脳の能力上、生物の寿命上、言語能力上不可能なことで、コンピュータ脳しかできまい。



いい書籍との出合いを!

  当サイトはどなたからも費用を頂いているわけでもありません、取材費が莫大になりボランティア精神だけではどうにもならなくなり始めました。スポンサーといえばナニですが、世界一の本屋さんの手伝いです。
 いい人との出合いは運次第、思うようには巡り会えないかも知れません、それが人生。
しかしいい本との出合いは、この本屋さんを探せば、テンコモリです。
GOOD LUCK !

そのほかも大盛りすぎ
田舎暮らしの不自由なことは、ショッピングに、特に現れるのでないでしょうか。地元商店で購入したい、地元に多少ともそんなことででも貢献したいとは思って、のぞいてみても、ナニもコレといったモノは売られていない。もうチイとらしいモンはないんかい。と、もしかして思われているならば、バですが、ここで探してみて下さい。
さらに加えて配達は抜群に速い。今日の午前中に注文すれば、明日には到着する(在庫あるものならば)(ネダンは安いし会員なら配達は無料)。



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坂根氏
坂根正喜氏はヘリコプターで、丹後を写している。こんなに夢のある、しかし銭のかかる試みは丹後開闢以来のことではなかろうか。それらの写真は近々HP上に公開されるというが、それまでに貸してくれといって何枚か借りてきた。空から見ると、日常見慣れた風景とは異なる顔を見せてくれる。さすがにヘリだ。地べたから写すのとは違う。次をクリック。9回飛んだそうである。
心のふるさと丹後
坂根正喜GALLERY



古代丹波歴史研究所の公式HP

当ページで紹介していない集会などは
伴とし子さんのFaceBook

第9回研究会(2023.8.26)の様子

クリックで動画へ↑(フルバージョン)


  blog集
「デシタル丹後」丹後の空からの一部がおいてあります)
「デジタル民間伝承の森」
「心のふるさと丹後」坂根正喜氏のブログ)
Town Review」(このHPの姉妹版です)


         
You Tube(当サイトの動画はだいたいここに置いてあります)
'08.7.5以降、807本ばかりをアップしています。これまでに延べ、
1、788、000 回再生されました。
チャンネル登録者もおかげさまで1500名超となりました。
1KCreatoとか。You Tubeからこんな画像を送ってきました。



返事が必要な方はメールしてください(すぐには書けないかも知れませんが…)。
 kiitisaito@gmail.com


50音順 
   い    
         
         
       
         
         
         
         
   り      
         

丹後・丹波
市町別
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市
京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市

若狭・越前
市町別
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市

 
当地由縁の人物。チとホネのあるヤツら。
             人物

芦田均
大江季雄
和泉式部
ガラシャ夫人
陸耳御笠
小式部内侍
沢辺正修
塩見勘左衛門
新庄健吾
波多野鶴吉
平林初之輔
藤原保昌
細井和喜蔵
真下飛泉
松澤初穂
山内一豊
山本文顕
与謝野晶子
与謝野鉄幹
与謝野礼厳
与謝蕪村


その他


舞鶴市は福井県か?
京都府舞鶴市は京都府でなく、福井県大飯郡高浜町舞鶴市か、福井県大飯郡おおい町舞鶴市か、福井県三方郡美浜町舞鶴市と思わざるをえないようなことである。カンジンの市民を置いて何をそうもソンタクするのであろうか。

『京都新聞』(21.4.29)
非常に遺憾」 西脇府知事
 京都府は福井県の原発から5キロ圏内や30キロ圏内に入り、再稼働に対する自治体の同意権の範囲や手続きなどの法的枠組みを以前から国に求めてきた。西脇隆俊知事は28日、記者団の取材に「今回はそういう枠組みがない中での再稼働ということで、非常に遺憾だ」と述べた。
容認できる環境にない」 滋賀県知事
 福井県知事の再稼働同意表明を受け、滋賀県の三日月大造知事は28日、「再稼働を容認できる環境にない、との考えに変わりはない」とするコメントを発表した。


一方舞鶴市長は同紙によれば、
京都府舞鶴市の多々見良三市長は16日、運転開始から40年を超える関西電力高浜原子力発電所1、2号機(福井県)の再稼働について「一定、頼らざるを得ない」と容認した。

原発は原則40年で、もし電力不足などであればその例外として、1回に限り20年延長できるというもので、その「もし」が成立しているかが問われる。「もし」などは無きがごときの「40年越えてもエエんや」式のダーダー再稼働はできないことになっている。
ホンマに電力不足で、どうしても3基再稼働させなければならないほどであるという確かなデーターが欲しい。1基だけというなら本当に不足かとも見られるが、3基ではそれはなかろう、ダーダー再起動と見られよう。これを容認するなどはきわめてヤバイことで、何万何十万、何百万の市民の命を預かる者とすれば、そうしたハイリスクに同意できるものでなく、両知事の姿勢こそが責任ある当り前であろう。

市民の考えは、NHKの世論調査によれば、

上のデータは舞鶴も似たようなことであろうから、舞鶴市の首長や議会はその選出母体の民意を正しく代表していない。従って同意権などを与えたとしても大事の市民全体の総民意が本当に反映されるかは怪しまざるをえない。従来通りなら多数の市民の声が反映はされない、16%だけの声しか反映していないイカサマ「同意」権となり、オソマツなことで、かえって問題解決には役立たないこととなるであろう、市民に背を向けて、原発推進の立場にいるので、同意権もゼニの交付も現在のようなことならば、ない方がよいだろう。

老朽原発再稼働で福井県には計50億円の交付金(買収金?)が出るというが、舞鶴には一銭も出りはしない。出るのは、頭数が多い分、立地町を越える深刻な被害である。
原発に未来はない、必ず滅びるもの、滅ばねばならないものだ。こんなものに何を人間以下様のようにへつらうのか、それはキタナイゼニの出る小槌だからだ、本心では「こんなものは」と思ってはいてもゼニ欲に目もくらみついついに本意でもないことをしてしまう。毒を食わば皿まで、全地球を道連れに死んでやるわいのヤケクソ居直りの福井県側はまだ理解はできるが、しかし舞鶴にはその原発も小槌もない。福井県のような荒んだ生き方をすることはない。まともな人間の生き方をみせてやれ。それでもそうしか生きられないなら、余程に廃れた骨のズイから狂ったオソマツな無責任人間ということになる。市民の安全健康をムシして何をバカなネゴトを言っているのだ、オヤも泣くコも泣くぞ。


舞鶴市議会は正義か?
怒り笑える舞鶴市議会、舞鶴商工会議所。
もしや本気で言っているのならヤバイ話ではある。舞鶴には人間が住んでいるということを忘れたのか、人が居てもその生命安全健康などは考えなくてもいいとでも思っているのか。
オマエらの大概よりも長く舞鶴に住み、オマエらの大概よりも長く税金を納めきた者として、その身の安全などどうでもよいかのように扱われるのは極めて不快である。即刻に取り消せ!
イカレタ連中で、全人類のことや、この前パーム油で思い知ったはずのSDGSなどは毛頭だに考えたりはしないだろうが、地元市民のことすら考えず、ただテメエのモウケしかアタマにないあきれた連中であることを、セイでもよいのに、わざわざ自己申告したようなことである。

それとも小判もらったか、市民や奉行所は当然疑う。アイツら小判でふるさとを売りやがったかと。舞鶴は誰ももらっていないという不思議なことはなかろ、いるに決まっている。賛成した者は全員任意取調のうえ、御用だとなればカッチョ悪いではすまぬゾ。小判もらっていてこうしたことをすれば犯罪、もらってもないのにすればかなりのアホでなかろうか。
コロナ禍に閉店要請を無視して店を開くP店のレベルより落ちる。議会や会議所までもが権威を失ってしまう。誰だって儲けたいにきまっているが、安全あっての商売で、そこは考えねばならないところ、それもできぬつまらぬ者どもを大いに大いに大いに笑い転げてやって、コロナと同様につける薬もない者どもなのでうっかりと感染しないようにしよう。市民の安全確保第一の議会人としても、お客様の安全あっての商売人としても失格である、もちろんまず人として失格。
高浜町や美浜町の議会なども再稼働を決議しているが、まず町経済との繋がりの強さや歴史が違うが、町民の本心は「ノー」。県は独自に原子力研究所なども作り安全には実際に力を入れている、高レベル廃棄物の県内廃棄は認めない方針を示しているなど、京都府や舞鶴市とはちがい、それなりに力をすでに入れている。な〜にもするノーのないくせに同じように思ってはいかんゾ。しかし実際の再稼働にはさらに町長、県議会、県知事の同意が必要。県知事は国や関電に対し、使用済み核燃料の中間貯蔵施設の県外候補地を2020年内に示すこと、原子力発電の必要性を国民に発信することなどを同意の条件として挙げている。こうしたことで実際の再稼働はまず見通せない、というよりも再稼働の同意はムリである。民主主義と言ってもヤシに近いもので、首長と議会の同意だけになってるが、本当は全住民の同意が必要である、少なくとも投票で過半数は必須であろう。原発というものはこうした社会の隅々でのヤシと強権の上でのみ稼働できる、そうした意味からも人類とは共存できそうにもないヤバイものであることがよくわかるはなしである。
原発は止まると止まったきりになる。すでに実質廃炉の運命にある。動かそうとすれば、膨大な安全姿勢を示すシステムの構築とゼニがかかるし、また次のゼニがかってくる、例えば高レベル廃棄物を捨てる場所などはありそうにもない。
原発は「オマエはもう死んでいる」の状態、遙かな過去の超迷惑な遺物。国民の再稼働反対は多数派、裁判所からは再三の差止命令、国政はキミたちと同じでイカサマばかりで超頼りない。いよいよ原発は動かせない。それにもかかわらずの、立地自治体でなく同意権のない舞鶴市議会の決議であり何も法的には意味がない。しかも会議所からの請願だけを取り上げ、反対の請願は無視し、市民の声も聞かずの採決であった、世論調査では再稼働反対が多数派である、議会が本来すべき通りにまともに市民の声を聞いていたならこうした採決はありえない。アホども市議に問う。舞鶴市は舞鶴商工会議所が納める税金だけで運営されているのか、市は舞鶴商工会議所の協力だけで運営されているのか。舞鶴商工会議所の構成員しか舞鶴にはいないのか。それとも今後は舞鶴市の負担はすべて商工会議所が負担するというのか。そんな甲斐性はあるまい、原発ベタベタくらいの知恵しかなく甲斐性もないくせに何を思い上がっているのか。神聖であるべき議会で大きな屁をこいて穢したようなことである。正気か。舞鶴市議会様に原発を蘇らせる力などはあるはずもない。議会としてのまともな機能が果たせない、カカカと笑える愚かな者、かくも情けない見下げ果てた者どもに高い高い税金を払っているのかと思うとまことにアホらしくなってくる。タダでやっているのではなかろうが、もらっている歳費(ゼニ)に恥ずかしくない仕事をしろや!

大通りをまたいで掲げられていたこの大看板を、双葉町は2015年に撤去し隠していたが、県は双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」のテラスに設置する方針を固めたという(2021・1・4)。
このコピーを舞鶴市議会や商工会議所の表に掲げて、全世界から笑われるとよいだろう。
『毎日新聞』舞鶴市議会は25日の12月議会最終日の本会議で、運転開始から40年以上経過した関西電力高浜原発1、2号機(福井県高浜町)の再稼働容認を求める舞鶴商工会議所の請願を採択した。さらに同会議所の要請に応じ、市議会として再稼働容認も決議し、原発立地自治体と同様の扱いを求めた意見書を採択した。全国で唯一、都道府県境をまたいでPAZ(高浜原発から5キロ圏内の予防防護措置区域)を抱えている市の判断に影響を与えそうだ。



CYGANECZKA ZOSIA(シガネチカ ゾシア)
ゾシアというジプシー娘のことのよう。
イナカは文化がなくて困る、日本だけの話かも知れないが…

汚染されていないタンボからこんな曲が聴こえてくる日が来るのをセツに願う。小学生がわらい転げるような不愉快なアホどものとのつきあいはいよいよイヤになってきた。
音楽で口直し、もう一つおつきあいを。つまらぬ事を議決するよりは、こうした文化に力を入れてくれる方が、地方に本当の活力をもたらすだろう


Чардаш :Csardas:チャルダーシュ
ハンガリー語、酒場といった意味とか。バックの名曲の音響がいまいちだが、ステップが何とも結構でおぎなってあまりある。郷土の文化芸術の基本は郷土での大道芸で、ステージの上やTVに出ることではない。しかしこれがむつかしいという。これができれば一人前。


タマシヒが揺すぶられる。このあたりの音楽に刺激された有名な曲
(23) The electric quartet - YouTube
(23) Brahms Hungarian Dance No.5 - YouTube
(23) Zigeunerweisen Op.20 guitar duel The Commander-In-Chief feat. Thomas Valeur (2013) - YouTube


遠い道
Дорогой длинною
   

ダロガ(イ) (ド)リーナユ、ダ ノチカ(イ) ルーナユと聞こえると思うが、題名は「遠い道を」というロシア語。
当サイトのテーマはいずれも、一個人が生きているうちには目的地へはたどり着けそうにもない、遠い道ばかり。ユメは荒れ野を駆け巡るが、人生は短し、2人分3人分あってもムリかも…
まるで妖精のよう、ЛюбАня(リユバニア)の名からしてそうか(愛の妖精?それとも二人の名を合成したものか)、聞いていると、オレもユメを追ってずいぶんと遠い道を来たんだ、の感慨にビビビと包まれる。英語でThose Were the Days(あの日々)、日本では悲しき天使とかの歌になっているが、オリジナルはこのロシアの曲。ユーチューブには、караоке(カラオケ)版やロシア語発音をカタカナで打ってある版もある、дорогой длинною  да ночкой лунною(遠い道を そうだ夜の月とともに)だけでも歌えるようになりたい。lailailai…しか歌えない(泣)。ロシア民謡というよりはジプシー音楽の大道芸人的名曲だろうか。言葉は何もわからなくとも何か心に響いてくるような、テンポが変わるところとか、彼らの味わった悲哀の深さが感じさせられるがどこか底抜けに明るい、わざわざ来てくれた観客を喜ばせたいの超絶技の見世物の演奏とか本物のオモテナシ精神などそんな感じがする。ベートーベンモーツアルト教会宮廷貴族の音楽ではない一般民衆側に地盤のある音楽、これが本来の音楽のルーツであろうか。
高鳴れバイヤン、のバイヤン(баян バヤン)は鍵盤のところが丸いボタンになっているもの、この妖精たちが奏しているのはアコーディオン、同じ手風琴の細部の違いくらいか、大きく言えば鍵盤ハモニカか、オルガンか。
先人たちの道を受け継いで、たどりつこうとしたが、しかしムリか、切ないはるかな道。次の世代へ引き渡すしか何もできそうにもない。できるだけはわかりやすくまとめておいたつもりだが、まとめきれないものはここに置く予定。まだ別に何も書けてはいませんが。
先人の伝えを時代に合わせてアレンジするのはいいが、その基本精神を故意に歪めたりは決してしないようにまずは願う、しかし歴史はこうしたヤシがほとんど100%だからまずは気をつけられるといいかも…道は遠い、たどりつけない可能性はほぼ100%と高い、わずかな「成功」とかで舞い上がってしまわぬようにしたい。



田舎町のDoctor Trump と その太鼓持ども
二人の考えは共通する。自分さえよければいい、市民はクタバレである。障害者とか少数者は此の世にいない方がよい、不幸をもたらすだけである、どこかの殺人者とも当然ながら共通している。
自治体の目的であるはずの「市民の福祉の増進を図る」などはまったく視野にない。そうしたことよりワシはエライモンだ、世界一の外科医だのにそれが評価されていない、こんな田舎町で終わるのはイヤだのヤケクソ半分、情無用の強欲資本のむきだし論理の借用半分であるが、ヤケを起こしてのムチャクチャではどうにもならない、また世の中は皆が弁証法的な繋がりの中にあるので、困った人だけがクタバルのではない、すぐに自分がクタバルことになる。情けは人のためならず。実際の姿かは別で、それはどうでもよく、1舞鶴市民のワタシの目には最初から何やらゾンビのように写っているということで、最初から謙虚さ誠実さまじめさが不足しているし、これという政策もない、何をしたくて市長になったのだろう。まさかこの田舎町の民主主義と平和を破壊してファッショ化を推し進めることか。
歴史は二度繰り返す、過去にこうした問題が生じたことがあった。市民病院問題である。市長の暴走とそれを阻止しようともしなかった議会であった。その延長で議会は定数を自ら減じ、市長も自ら代わったのであったが、その延長の延長が今の市長、市議会である。暴言と暴走、浪費が深刻で止まらず、その分市民を苦しめる、歴史が教える通りに二度目の茶番役者ばかりでやはり何も学んではいないようである、監視役の市議会などは情けなくて書くのも疲れる、月給もろとるんだろが仕事をしろよ!、これは一度目に学びそのように解決されよ。

この問題は『京都新聞』の「2019府北部の10大ニュース」に選ばれた。( 。-_-。)。2019.12.31の同紙より↓

舞鶴の民主主義と平和は危機を迎えた、…といってもご本人、お友達はじめ市当局、政治屋はじめ、多くの有権者、市民にも当事者能力があるのだろうか?と疑うイナカマチであるが、そうしたいわばタヨンナイ姿を装って登壇してくるのが今日の日本ファシズムかも知れない。民主主義は絶えずファシズムの危機にさらされている、裏表の関係のようなもので、甘い態度はとってはなるまい。
舞鶴に正義はあるのか、日本に道理はあるのか、世界中でそれが問題になっているのである、子供達が見ている、グレタさんだけでない、全世界子供達が問うているのは、今を生きる君よ、正義の味方か、それとも大金持ちどもの味方のクソかである。ボーッと生きてんじゃねえよと厳しい目が向けられている。
どこかの国の政府や市民の多くがこうした問題で正義であったことはまずないので、問うまでもなくクソ度は高いが、それでも改めてキミよ正義の者か、それともクソか。舞鶴でも問われている。
その舞鶴市長自身が選んだという「令和元年舞鶴市10大ニュース」(広報誌)なるものは、アホくさの極みで何の意味があるのか、ナンセンスな広報紙も広報紙だが、市長自身は当然にもこうした視点はスコーンと欠けている。ナンセンスな自身の誠の姿がいまだにまったく見えていないようである。広報紙は税金なんで、こんなことで紙面を使うなよ。


市はパーム油発電から即時撤退を!
今頃言い出すのではないが、ワタシは舞鶴市民だが、資料が得られない、新聞と地元市民のHP(立派なもの)、事業者側くらいしかない。「舞鶴に大変重要」と言うその市側のいうメリット度の資料がチト欲しいと思いながらズルズルであった、市長みずからが現地へ赴き説明したこともないという。何だこれは、結局言うだけのカラ念仏でその主張を裏付ける資料も行動も熱意も何もないでないか。エエもんなら市民にそう宣伝すればよかろう、こんなにエエですわ、と。それもできないと言うことはアヤシイと思われて当然というもの。間抜けの市と付き合っているとこちらまでアホになりそなうことである。市には全市民に知らせる努力がない、というか知られたくないのか、知らせるだけのしっかりした内容ははじめからないのかも。知られたくはないのでなかろうか。
国内最大規模のパーム油発電所を当地に建設しようの計画にしては市から出されるべき情報が少な過ぎる。ゼロといってよい。市民をバカにしているのか。国内最大規模の資料を出せよ。ハナシが出てから4年もたっているのに、ほぼゼロ、あきれたものである。
イナカ町の市長が一通親書を書いたくらいで大企業が動くものなのか、何かバックでゼニが動いていないか、市民に隠して何億か積んでいないのか、かつての企業誘致にはこうしたことが実際にあったようで市民全員が知る信用できない当市の企業誘致のヒミツのようなので、今回はどうなのか、表向きだけてなく市民に隠して何か日立側と約束していないか、秘約はないのか、そうしたことを知りたいのだが何もわからない。
言ってる事とやってる事がバランバランである、これでは何を言ってもウワゴトネゴトの類で、もうそれは聞き飽きた、何を言おうが勝手だが、主張を裏付けるデータを出せ、そうでなければ市民は検討のしようがない、オマエさんが決めるのではない決めるのは市民だ。だいたい市民の生活や安全健康を守るのが仕事である市が、何も利益がない、環境悪化するだけと多数市民の反対を押して進めるというのも、今のコロナ禍のなかでアホげな理性の崩壊した異様な話であり、推進すると言いながら市としての独自調査は何もなく、マイナス面の検討もなく、独自の見解も理念もなく、言っている事の説明資料すらなく、事業者の言うがまま、おまかせの崩壊姿勢では理解ども得られるワケもない、しかも市が頼みのその事業者すらも次々と撤退し崩壊していく。市の推進ラッパは足元からも崩れていく、彼らはなぜ撤退したのかの検討もなく対応策もない。今の投資会社(amp本社)は撤退だけでなく今後はパーム油発電にはかかわらない、とまで言っている。日立や市に半分ダマされて進める気になっていたが、地元住民皆さまの声を聞き、当社でも調べ検討したが、市民皆様の考えが正しいと判断したということではなかろうか、なかなか理性と倫理ある会社てないか。地元民が面白半分に反対しているくらいにしか見ていない市やその茶坊主などには遠く及びもしない立派な姿勢である。「パーム油はカーボンニュートラルで悪者ではない」とか言っているそうだが、仮にそうであったとしてもそんな問題ではなかろう、問題の深刻さが認知できていないのでないか、この超楽天超ノーテンキのレベルでは住民は不安で反対するのは当然で、反対している者はしんけんにやっているのだぞ、自分と家族の命と生活と地域と地球を守るために一銭にもならないなか身銭を切ってがんばっているのだ、自分で守らなくて誰が守ってくれる、残念ながらこの市長や茶坊主の皆様がまさか市民や地球を守るなんてことは、考えられないことである。オマエらを守る気は一切ないが、反対はするなはなかろう。市民を守るという自分らの一番の責任が果たせていないということが一番の問題なのだ、甘く見るな、反対派は一歩も引けないのである。
amp日本支社との連絡がとれないとかでイカサマ会社か、こんな者と組むとはさすがブラック企業顔負け舞鶴市だと思ったが、そうではなくリッパな者であったようで、これが経済界全般に共有される理念になって広まっていくことであろう。もう総崩れ状態でないか。今後ampの代わりを探してもその投資会社はゼニにためなら何でもやりまっせ、住民の反対などクソクラエですで式のブラッククソ会社しかなかろう。そんなクソ会社と組むのであろうか舞鶴市は、そんなことをすれば市自体もドクソであることを証明することになる。
どうしようもない全面崩壊でも新幹線駅とか高速を通せとか、上の問題にしてもいまだ撤回も謝罪もない、先の見込みもないのに、いつまでも言い続る上に市の大切なリソースをムダにし続ける、ムダは市職員だけではない、ワタシもこんなことを書かねばならず労力を取られる、迷惑なことである、おいおい迷惑ジイさん大丈夫なんアキラメなよ、のイナカ町の崩壊殿のようだが、イナカ老害市長ではもう明らかにムリである。パーム油を燃やすなどは欧米ではすでに禁止されている事業であり、地球環境を破壊をする天理に反する事業は今の地球上ではムリである。タコが自分の足を喰うような事業である。足だけならいいがそのうち自分のからだ全部を喰わねばならなくなる。もしやサルよりも知恵ある者ならば、市はパーム油から即時撤退し、まともな道理ある市民が歓迎するよい企業を多数誘致することに全力を!


小浜に来る予定で敷地も道路もすでにできているのに、急に舞鶴へ行ってしもた、あれは何だったんだろうな、とか小浜市民に聞かれたことがある、ウワサですけどね、何億か積んだそうですよ、(2億だったか3億だったか忘れてしまった)それで急に変更したんでないですか、そのウラガネつぐりのためでしょうな水道料金上げるとか手数料上げるとか補助金カットとかしてますわ、とか言った覚えがある。今回はまさかそうしたやり方をしていないだろうな。状況が似ているのでなかろうか。くれぐれも市の信頼度は低いということをお忘れなきよう、なぜこの時期に市民の負担を増やすことばかりをしているのか、バカレンガで使いすぎたか、赤レンガの赤を市民に廻しておるまいな、いずれにせよオマエどもの失政のケツ拭きを貧しき市民にさせるなよ、生活苦に悩む市民に向け勝手な値上げについて丁寧に丁重な説明をされよ。
自治体とは名ばかりで、市当局も市議会も市民の声が反映されていない、議会制民主主義が機能していないというのが一番のガンになっている。本来は一般市民が行うことをその市民に代わって代行して業務を行っているのだの自覚を失って、市民から離れた勝手なことをやり、勝手なネゴトをほざいているから、当然もあちこちから反対運動が起きる。自治体を市民の手に取り戻すとするそれは健全な反応なのである。狂っているのは市当局ならび市議会側であるから即刻改められるのがよろし。
さらに哲学上の問題として、行政や政治の理念上の問題として、市などの自治体が事業を進めようとするなら、現地住民の賛成は絶対条件であろう、賛意得られねば、計画は当然撤回すべきものである。百歩譲っても苦情やクレーム、文句がでないことであろう、そうでなければ市民のための市でないことになる。
事業者ですら、地元住民の反対がないことを条件としているくらいであるから、ましてや自治体などは当然その基準でなければならない。
住民に文句ダラダラ言われていて、舞鶴市は一体何を事業推進条件、推進精神とするのか。何をゴーサインの基準と考えるのか。「理解を得る」ことは出資者でさえムリであったのに、地元市民から得られるなどとはユメ考えられない。
それとも市長は市民を自分と同じ人間だと見ていないのか。判断基準もなく好き放題のうえ市民を人とも見ていない、思い上がり呆けきったナニサマのつもりかのバカ者なのか。市長とその茶坊主どもに問う。舞鶴市は市民の税金を使って、地元の反対強いなか、何のために誰のために当計画を推進しようと言うのか。そんな難しい話はわからないかも知れない、何をしようが勝手だが、チミたちは良き舞鶴市民の手本でなければならない立場にある、そのためにたくさんの報酬を市民さまからいただいている、その分舞鶴市民さまのために尽くすのは当たり前、ましてや舞鶴市民さまの迷惑であっては決してならない、の当然のお子様程度の初歩の心得はお持ちかなのか。舞鶴のためどうしても市民様にシンボウ願いたいというならば、まずはチミたちの報酬の大幅返納から始めるべきではないのか、まずはチミたち自身のシンボウを見せて手本を示してもらえないか。

ナニサマのつもりか、まるで暗き時代の亡霊でないか、自分はすでに死んでいるということも気づかないのか。当問題にかかわらず、不断の姿勢が悪すぎる。チミたちは市民への奉仕者であって、社長でも殿殿でも王様でも朕でもない、公僕である、「僕」の意味は、しもべ、めしつかい、下僕である。主人は市民であり、それに仕える下僕がチミたちである。心得違いしているだろ、自分がチンだと思ってるだろ、本当のチンである市民から見れば、かなり甘やかされた幼稚頭のアホな下僕に映る。
市民が望まぬことはするな、ますますますます人口が減るぞ。まずは市民からの要望の強いものから真摯に取り組み実現させろ。チミたちがやっていることはその反対ばかり、何か一つでも市民請願、意に沿わぬ請願であったとしても、その請願に沿って取り組んだことがあるのか。上の姿勢や気に入った市民要望にはアホほどの税金でも使いどぶに捨てるが、意に沿わぬ市民にはことごとくクソクラエであった。しかし舞鶴市民よ舞鶴市の要望は聞いてくれである。よく言えたものである、ヌカセとアタマに来る市民も多かろう、そんな勝手な姿勢でいけるとでも考えているのか。市民に意に沿わぬムリや協力をお願いすることも多いのだから、市民の要望は蹴ったらアカンぞ、日本は民主主義の国だ、専制君主の国とは違うぞ、の心がけくらいはまずは持たれよ。
民主主義自治体では市民要望を聞くこと、それが明るい住みよい自治体を作っていく第一歩だ。

説明会は当然公開で
市・事業者・地元(喜多自治会)の「3者協議」は秘密で(非公開で)行いたいとする市側と、公開せよとする自治会側。当然公開がスジである。なぜ「地元」だけ、しかも非公開なのか、まともな人間には思いもつかぬペテン師顔負けの烏賊様「協議」を市側はしたいのか。パーム油発電建設により何らかの影響を受けざるを得ないのは何も「地元」だけではない。原発を見ればわかる通りのハナシである。市だって原発立地自治体だけとハナシするのは公平でない、隣接自治体も加えろといつも言っているではないか。影響を受け関係する者は何も「地元」だけではない、影響を受ける者は多い、地球上に住んでる者は皆加えろ、これから産まれてくる者も含まれる、それがムリというならせめて会議の内容は残さず公開すべきであろう。当然のリクツと責任で、パーム油も同じである。一般市民その他向けの説明会、説明資料も準備するべきである。それができないなら、そーら見さらせ、自信がないんだろ、ヤシなんだろと推測されよう。
もう一度いうが、パーム油は断念せよ。


退化劣化し続ける人のY遺伝子

まだ何も書けていません(^▽^)。



令和は日本語か
令月は日本語か中国語か、本来の日本語(ウラルアルタイ語)はR音が語頭に立つことはないの特徴がある、もし立っていればそれは外来語である。万葉集や記紀も百済系渡来人の手により編まれたものでなかったか。アイスクリームは日本語だと言うくらいの政治屋やメディアばかりなのか、大ヤシこいても令和も元はヤッパ中国語、それを引いて、書に残したのも渡来人であろう。また元号制度も中国である、皇帝は時空を統治したので、年号も皇帝が定めた。日本はそれを真似たわけで、年号を認めることは天皇の統治を認めることになると、昭和という年号を使うことを嫌がる人もワタシらの若い頃はいた。そうしたラジカルさは今は失われたようである。



高御座は卵の変形
桃から生まれた桃太郎の桃、かぐや姫の竹の節、うぐいす姫のうぐいすの卵、とか世の優れた人物が卵から生まれるハナシはけっこう多い。天皇さんの高御座もその一種かと思われる。高御座といい、真床尾衾といい、原型の卵から日本の天皇さんも生まれると信じられたものだろうか。その天から下った統治者を民衆はバンザイバンザイでお迎えする、それは古代国家のおハナシだけでなく、どこかの前近代的国家では今も4Kテレビで見られる。こうした政教一致、皇族No.2すら疑念を出す進め方をヘっさらの政府と国民、市民的政治センスゼロ丸出しで恥とも心得ない、オイオイこの国の主権在民、民主主義と平和は大丈夫かと心配する向きもある。
高句麗の始祖王・朱蒙は卵から生まれ、新羅の始祖王・赫居世も卵から、駕洛の始祖王・首露も卵から生まれたと伝わり、日本の天皇さんの高御座もこの流れにあるものであろか。

日の子である始祖王の男子孫が万世一系で統治とするとする騎馬民族的な考え方と卵生は南方的だが、卵はアルといい、これはアリランのアリアラ、光輝く日と同じ発音なので、日の子が卵から産まれると考えられ習合したものか。

 
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