『丹後の地名』へようこそ!
地名は現代人の盲点の一つ。「丹後の地名」も苦労はしても、意味の説明のできないものが多い。ご先祖がつけた地名なのに、なぜこんなことになったのだろう。私にも特にわかるわけではない、何でもそうだが世の中わからぬ事だらけ、しかし何か手掛りを求めての模索の旅日記です。
地名は民衆が残した口承史料、彼らと呼ぶか我らと呼ぶか、丹後の地名が読み解ければ、丹後の真実の民衆史、我らの郷土史が編めるかも知れない。しかし誰も未だ成功したことはない。
至る所工事中だらけで申し訳もない、難工事の連続で、本当はまだ世に出せるものではありませんが、そこそこに出来るまで草稿を書いていたら、いつになったら公表できるか見当もつきにくい、未完成のままでも暇をみつけて少しずつ書き足しながら、いつの日にか完成させたいと思っています。このやり方がHPではできる、ズボラ者にはもってこいのメディアかも知れない。一人でやっております、追加や更新がまったく思うように進みませんが、どうかよろしく。
当初は5年もあれば出来ると考えていました、やってみればとんでもないことで、いまだに道けわしく旅なかばで、まだまだかかりそう。こんなものでも何もかもを合わせればすでに740万を越すアクセスがあり、そうした大きなありがたい励ましにいよいよ先をめざしてがんばりたいと考えております。
丹後王国の根拠地ばかりでなく、後に丹波国となった王国の旧領の地名なども調べてみたいと思い、丹波国、若狭国へも越境する予定。


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少年易老学難成、一寸光陰不
脳が若い30歳くらいまでに、せめて千冊は読みたい

友を選ばば書を読みて…と与謝野鉄幹様も歌うが、子供の頃から読んでいるヤツでないと友とも思ってはもらえまい。
本を読めば、見える世界が違ってくる。千冊くらい読めば、実感として感じ取れる。人間死ぬまでに1万冊は読めないから、よく見えるようになったとしても、たかが知れたものである。これ以上の読書は人間では脳の能力上、生物の寿命上、言語能力上不可能なことで、コンピュータ脳しかできまい。



いい書籍との出合いを!

  当サイトはどなたからも費用を頂いているわけでもありません、取材費が莫大になりボランティア精神だけではどうにもならなくなり始めました。スポンサーといえばナニですが、世界一の本屋さんの手伝いです。
 いい人との出合いは運次第、思うようには巡り会えないかも知れません、それが人生。
しかしいい本との出合いは、この本屋さんを探せば、テンコモリです。
GOOD LUCK !

そのほかも大盛りすぎ
田舎暮らしの不自由なことは、ショッピングに、特に現れるのでないでしょうか。地元商店で購入したい、地元に多少ともそんなことででも貢献したいとは思って、のぞいてみても、ナニもコレといったモノは売られていない。もうチイとらしいモンはないんかい。と、もしかして思われているならば、バですが、ここで探してみて下さい。
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たいした歴史遺産もない地だが、戦争に関しては重い貴重な遺産が数多く残されている。しかしキチっと向き合える市民は少ない。
目を向ける方向が、考える方向が、違うだろばかり、どちらを向けばいいのかもわかないよう、成長、成熟に時間がかかる、市民の質の本当の向上がカギか。
引揚遺産
「一九四六」王希奇氏の20m×3mの大作。葫蘆島から引揚船に乗り込もうとする数百の引揚者のムレが描かれている。自称スンバラシイ人がスッカリ忘れてしまった、忘れさせられてしまった、忘れたことも忘れてしまった愚かな歴史をよみがえらせてくれた。


10町歩の土地がもらえるとの国策の宣伝で大陸に渡ったが、帰ってくる時はリック一つだけ、肉親の遺骨だけを抱えて帰ってきた。自称スンバラシイ人だけが悲惨な目に逢ったというなら、まだ自業自得かも知れないが、それに何倍するかも知れない無辜の隣国人も巻き込んでであった。引揚者もまた加害者であったという歴史は当館は一切ふれない、本来は自称スンバラシイ人の画家や芸術家の仕事だが、実際はソンタク屋ばかりなのか、無辜の民側にも拘わらず代わりにやって下さって大感謝。


歴史は人間が作るもの、その人間はよく間違える、よく流される、深くは考えない、加害者であるのにあたかも被害者であったかのように思い込みたがる。マサカとか、私に関係ないでしょう、といった気持ちで、ハードルを下げて、信頼性の薄い政治屋どもやソンタク屋どもと、ウワッといけば、とんでもない世の中、破滅に逆戻りかも。
戦後70年が過ぎた、2000万人のアジア人を犠牲にした戦争を、忘れ始めてはいないか。舞鶴はことのほか貴重な戦争遺跡が数多く残されるが、私たちは超愚か超無責任にもそんないつか来た道を忘れ始めてはいないか、まさか市民を騙して戦争への道を歩もうとする者どもはいないか、残された戦跡遺産を見ながら検討を加えてみよう…。
何のために過去を知ろうとするのかと問う人がたまにあるが、過去を変えることはできないが、現在と未来は変えられるのが人間である。よい未来にするためにこそ過去と真摯に向き合わねばならないからであろう、過去を曲げようとする者は現在と未来もまた曲げてしまうだろう。

32隻の引揚船
引揚船のリスト

−舞鶴引揚記念館−



舞鶴引揚記念館(1):設立の趣旨
舞鶴引揚記念館(2):シベリア抑留
舞鶴引揚記念館(3):満蒙開拓義勇軍
舞鶴引揚記念館(4):満州開拓団
満州天田郷・第二天田郷:舞鶴引揚記念館(5)
舞鶴引揚記念館(6):岸壁の母


−引揚の歴史−
引揚の歴史1:概要
引揚の歴史2:援護局設置までの時期
引揚の歴史3:「上安時代」


民間人の引揚-1-
民間人の引揚-2-
民間人の引揚-3-



浮島丸遺産
三浦日出夫氏の有名な記録写真。昭29年9月撮影。
手前の沈没船が浮島丸。後は引揚船「興安丸」。喜び溢れる日本人引揚者とそれを果たせずにここで無念の死を遂げた朝鮮人殉難者の対比。これを見ただけでもバンザイバンザイなど出来ないと、まともな人間なら悟ることができよう。



浮島丸事件(3):入港から爆沈まで
浮島丸事件(4):爆沈
浮島丸事件(5):触雷か自爆か
浮島丸事件(6):船体引き上げ
浮島丸事件(7):関連略年表&調査報告

−殉難者追悼集会の様子−
2024追悼集会
2023追悼集会
2022追悼集会
2019追悼集会
2018追悼集会
2017追悼集会
2016追悼集会
2015追悼集会
2014追悼集会
2013追悼集会
2012追悼集会
2011追悼集会
2010追悼集会
2009追悼集会
それより以前のもの



−資料・データー−
第二次大戦の犠牲者数
舞鶴と戦争の歴史・略年表


戦争遺産に囲まれて
舞鶴鎮守府。明治34年10月開庁、今はない。軍都舞鶴の基礎を築き、また当地周辺に戦争遺産も数多く残した。

あまりに多くありすぎて、あまりに日常的遺産なので、気がおかしくなる市民も多い。「赤レンガ倉庫」などを「近代化遺産」などと美化する呼び方もあるが、というよりそうした呼び方しか今の舞鶴にはないが、はたしてそうした熟議もないままのカ〜ルイとらえ方のままで、戦争遺産は未来に役立つものしてと正当に受け継がれていくのだろうか。
カンコーカンコーと言う前に。
ゼーキンさえ放り込めばあとは何んとかなるだろう方式、莫大な税金のキチガイじみた投入にしてはそれに釣り合う慎重な計画は見られない親方日の丸の無責任根性だけ、ゼニを放り込みさえすればいくらでも客は来るという甘いものではない、ゼニを放り込んでも客が増えない、カネが落ちない、落ちるのはゴミだけの臨界点が存在する、そこを見極めなければならないが、そうした検討はもちろんなく、放り込んだゼニに見合う何百名の雇用がカンコーで産まれたかなどのバックに対するデーターもなく、右も左もおおかたはそうした量だけを見るシロートさんにも及ばない見識、もともと軍都舞鶴には観光という文化は全体としてはない、事業に対する経験知識やカンの蓄積がない、市民全員が危険を知らないほぼ悲しき盲目である、ワシはシロートくらいの自覚を持ちたい、おいおい大丈夫かと市民意識の間に分け入って検討してみよう。

軍艦地名:舞鶴の戦艦通り(日露戦争)
軍艦地名:日清戦争時代の軍艦通り
舞鶴工廠軍艦85隻の最後 
舞鶴要塞
舞I空襲
明治舞鎮
大正舞鎮

舞I海軍航空隊(宮津市栗田)
宮津空襲・伊根空襲
福知山海軍航空基地
峯山海軍航空隊
敦賀空襲

福知山歩兵第20聯隊
福知山歩兵第120聯隊
福知山歩兵第135聯隊
玉砕の島@ キスカ…
玉砕の島A サイパン・テニアン…


昭和12年。南京陥落を祝う提燈行列(丹後の某村とのこと。全国どこでもこうであり、知識人とかされた者ですらこの有様であった)

何でもカンでもバンザイバンザイ、あとはアタシゃ被害者で押し通す、そんな市民ほどのワルは世の中にないかも、どこがジマンか、どこが誇りか、マコトに情けない手前勝手で無責任なクズである、アさんとかトさんとかとほぼ同類である、これではまたアホな戦争をおっぱじめる。誰でもない、われらの親や祖父、あるいは曾祖父くらいの日本人であって、その子か孫かひ孫くらいが今の日本人なのだから、何も別世界の過去の関係ナシのものではない、親が親なら、子も子で、われらの体内に埋め込まれたもの、組み込まれている精神プログラムであって、すでに感染はしているが今は潜在して潜伏期にあるだけの世界である、それはうっかりボーと生きてれば、またまたまたアトサキ考えることなく軽薄にもバンザイバンザイもやりかねないものと見ておかねばなるまい。これらの写真は今のわれらである可能性が高いかも知れないのである。
国境に壁をつくるとか、世紀の愚策と歴史に汚名を残そう、国境といってもすべてが国有地ではあるまいし、仮にそうだとしても地下トンネルで簡単にスルーされる。壁を作ればいい程度の知恵では未来はない。日本も考えの薄いアトサキ考えぬニセ市民であふれた、本気で戦争に反対した正気の市民は監獄にいた。どこか現在の世相と似てはいないか。われらの政府が始めた戦争で2000万の犠牲者が出た、決してバンザイバンザイや「ホコリです、ジマンです」などとは言わないようにしよう。

−福知山二十連隊と南京事件−
福知山20連隊と南京事件−1−
福知山20連隊と南京事件−2−
福知山20連隊と南京事件−3−
福知山20連隊と南京事件−4−
福知山20連隊と南京事件−5−
福知山20連隊と南京事件−6−
福知山20連隊と南京事件−7−
東史郎氏の「北支戡定戦日誌」
『地獄のDECEMBER−哀しみの南京− 』舞I公演

−福知山二十聯隊玉砕史−
福知山二十聯隊の最後@ラモン湾上陸戦と大江季雄選手の最後
福知山二十聯隊の最後Aバターン攻略戦と二十連隊の全滅
福知山二十聯隊の最後Bレイテ戦と二十聯隊の全滅


−福知山聯隊史−
福知山聯隊の最後Cインパール作戦と15師団


−そのほか−

雄島事件
第三火薬廠 第三火薬廠
長浜火薬廠
第二火薬廠
市民の戦争体験


世界連邦都市
アンネのバラ
振り袖の少女像


自分の落ち度はタナにあげて、誰か他の者が悪かったとしか考えないようでは、アーさんの亜種でしかあるまい、進歩はなかろう。

その慚愧の念から出た言葉が刻まれている。アメリカ大統領も詣でた所である。
バンザイ役人ならびに追従ニセ市民はいつになればこのレベルに到達できるのだろう。小中学生のほうが早いか…


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坂根氏
坂根正喜氏はヘリコプターで、丹後を写している。こんなに夢のある、しかし銭のかかる試みは丹後開闢以来のことではなかろうか。それらの写真は近々HP上に公開されるというが、それまでに貸してくれといって何枚か借りてきた。空から見ると、日常見慣れた風景とは異なる顔を見せてくれる。さすがにヘリだ。地べたから写すのとは違う。次をクリック。9回飛んだそうである。
心のふるさと丹後
坂根正喜GALLERY




古代丹波歴史研究所の公式HP

当ページで紹介していない集会などは
伴とし子さんのFaceBook

第10回研究会(2024.9.7)の様子





  blog集
「デシタル丹後」丹後の空からの一部がおいてあります)
「デジタル民間伝承の森」
「心のふるさと丹後」坂根正喜氏のブログ)
Town Review」(このHPの姉妹版です)


         
You Tube(当サイトの動画はだいたいここに置いてあります)
'08.7.5以降、807本ばかりをアップしています。これまでに延べ、
1、822、000 回再生されました。
チャンネル登録者もおかげさまで1500名超となりました。
1KCreatoとか。You Tubeからこんな画像を送ってきました。



返事が必要な方はメールしてください(すぐには書けないかも知れませんが…)。
 kiitisaito@gmail.com

50音順 
   い    
         
         
       
         
         
         
         
   り      
         

丹後・丹波
市町別
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
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京都府福知山市
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京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市

若狭・越前
市町別
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市
 

米軍基地断固御免

日本は一人前の独立国なのか、主権は日本にあるのかの疑問が突き付けられる。軍事的従属国、軍事的植民地国であることは否定しようがない、アメリカに言われるままにノーベル平和賞推薦など外交的植民地、アメリカソンタクで、国民の声は知らん顔の政治的植民地。日本人は全体としては出来の悪い中学生程度なのかもの情けない疑問も湧いてくる、本人としては一人前のつもりのようだが、ソンタク専門のお子ちゃまでしかないのかも。市民の平和力や知識力や文化力がしっかりしていないと近代社会は成り立ちようもない、江戸以前である。だからこうした独立国とも思えないマンガのようなことが起こる。憲法が禁じている武力をなんで他国が持ち込んでヘイキなのか。
これらの問題に向き合い解決しようとする姿勢がなければ、いつまでたっても平和も自由も民主主義も安全も安心も成長も繁栄もない。国土外交すらままならないことは隣国大統領の発言にも見られる通り。歴史はスコーンと忘れる、米のいいなりの頼りないもののくせにイッチョマエみたいな口をきいても相手にはしてくれまい。
戦争よりも平和を。従属よりも独立を。基地よりも自然を。当然ながら求めたい。


オスプレー基地御免
立憲独立国なら大恥、属国にこそふさわしい話ばかり。品格ゼロの情けないアホな話、少子化老人借金超大国が武力依存でメシ喰って、平和が保てるワケなかろう、これは滅びへの最短コース。
米軍基地「袖志
米軍基地予定地「尾和」
オスプレー基地予定地「碇高原」(ウワサです)
米軍経ヶ岬通信所
 
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