丹後の地名のトップへ

ようこそ、写真館へ  No.43
 

大火勢 '13
 (若狭おおい町うみぴあ大飯)



お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから探索してください。超強力サーチエンジンをお試し下さい。




 大火勢(おおがせ)は、全長20メートルの檜の柱、城屋の揚松明より高い、それに檜の長さ8メートルばかりの横棒が7本付けられている。それぞれの先端部にオガラだろうか、巻き付けてある。重さは1トンになるという。本来は山の頂で行われるというが、ここでは海上である。「スーパー大火勢」と呼ばれている。






 松明行列。虫送りの行列のようだが、人数が多い、800名にもなるという大行列。





 スーパー大火勢


大火勢
寝ていた大火勢を綱を引いて立てていく。
大火勢
立てると回転させる。
大火勢

大火勢

大火勢
最後は倒される。

 

 舞鶴吉原のマンドロと形といい回して倒すといい同じもののよう。マンドロの由来が不明だから、どうつながるものかはわからないが同根の行事ではなかろうか。何をねがうものなのだろう。夏至祭


  夏至祭の一種だろうか。円い形にした火が焚かれたり、恐ろしいのは人形も焼かれるよう、今は人形だが、元は人が焼かれたと思われる。
いずれもWeb上の写真。
















 参考文献


『大飯町誌』(写真も)
  大火勢 福谷福谷の大火勢
県指定
 福谷の大火勢は三〇〇年の伝統があるといわれ、区長や大火勢保存会の人々により今日まで受け継がれてきた迦具土神をお迎えする誠に豪壮な火祭りである。 八月二十三日夜は伊射奈伎神社へ、二十四日夜は熊野神社へ、火災鎮護と五穀豊穣を祈願のため奉納される。二夜とも区の入口に近い火勢山(桟敷山)三、四十メートル頂で上げられる。
 長さ一四メートルくらいの檜の棹に横木を五段輪状に結束、昔は麻がら、今はないので、川土手のアシやススキを刈り取り、日によく乾燥して置いたものを棹の先端と五段の横木に結び山上に用意しておく。
 当夜は区の入口、地蔵前に集まり、愛宕神社でお受けした火の高張提灯を先頭に、笛・鉦・大太鼓ではやしながら、各自松明をかざし、火勢山へ登りそこで素朴な山踊りを踊り終わって、大火勢に点火、力自慢の人が棹に肩を入れると雨笠(今はヘルメット)をかぶった数人が叉のついた突かい棒で支え起こす、と同時に一本のロープを引き、直立させる。
 暗い山の頂に大火勢がパチパチ音をたてて燃え上がる様は遠い佐分利川堤防道からもよく見える。やがて火勢棹を回転させ、また倒し起こしては回す、これを数回繰り返す。火の勢いが衰えれば、結束の縄の一部を切り、重油を注いだりもする。この間、笛・鉦・大太鼓のはやしは止むことなく、火勢棹の動きはすべて大太鼓の合図に従う。乱舞する大火勢の勇壮・豪快・壮厳さには、思わず嘆声を発し身の引き締まる思いがする。
 燃え尽きると、高張提灯を掲げ麓に出迎えている大勢の男女と共に氏神前へ行進、山おろしの踊り・ばんば踊り・民謡踊り等夜の白むまで踊り続ける。


 山おろし 鹿野
町指定
おどりナーばんばの
小砂となりテーヨーヨイサッサー
踏れたいわの二十一じヤーヤレコリャスイナノエンヤ
エンヤワエンヤアレワイサーエ娘ノー
かぐ(ご)やの娘よ−−組んでみせましょ花かごを(反復)
花かごを−組んでみせましょ花かごを−

 どこにも見られない独特な二つの踊りを持つ「山おろし」は、火祭りということでは福谷の「大火勢」と同じ形式のものであるが、そのルーツについても、歴史的なことについても、定かなものは何も残っていない。踊り歌の素朴な節回しを聞いていると、恐らく鹿野の祖先が生み育ててきたものと考えられる。
 八月十六日の夜、小車田との境いの竹の越地籍の火勢山で火勢を上げた後、山おろしの太鼓を打ちながら降り、平道まで来ると六つの高張の迎えを受けて、大太鼓と中太鼓の打ち合いの行列が続く。
 その後、練り込みの太鼓を打ちながら仏燈寺境内に入り、火勢上げの白装束のまま踊る。「山おろしばんば踊り」と「山おろしかぐや踊り」の二つが五分間ずつの短い時間で打ち切られる。
 これは、全員が戻っているかどうかを確かめ合うための踊りであるとも言われ、五分ずつという短い時間もその意味から定めたもののようである。いわば凱旋の雄叫びのように思われるのである。昔の火勢上げは、それほど過酷なものであったらしいが、今日では規模を縮めてモウソウ竹のさおで行っている。
 どの家からも一人以上の男子が参加するので、踊りは素朴ななかにも勇壮さがある。この踊りを最後に山おろしの行事が締めくくられる。
 山おろしは、今日では仏の供養のためとされており、その昔、今の火勢山より更に高い山の頂上(現在テレビ塔がある)で火勢を上げていたが、小浜城からその火があかあかと見えて山火事かと思われ、小浜の殿様からおしかりを受けたので、今の場所まで下りて行うようになったという逸話が残っている。
 この山の頂上には、その昔愛宕神社が勧請してあったと伝えられているから、山おろしは、火災鎮護を祈った愛宕信仰でなかったかと思われる。それを裏付けするものとして、忌みのかかっている人は山の途中の決められた場所から上へは登れず、そこで、鉦と笛を奏でることになっている。今日、祖先への供養であり、その送り火と考えられているこの火祭りも、昔の信仰の姿が残され、うまく溶け込んでいるのである。
 こうして、素朴に伝統を守り続ける信仰と連帯の力が区の安泰をも守り続けてきたのである。






  花火

(おまけ)
花火
町あげてのイベントは多くの出し物がある、小さい子供の手をひいた人が多いから、どちらかと言えば、この花火を見るために人が集まるよう、6001発とか。波がなければ海面に映る。もう少し海に近づければさらによいよう…
花火

花火

花火

花火

 

おおい町はカネもっとりますわ、原発ですなー、派手なもんですわ、あれなら(原発を)止めてくれとは、よういいまへやろ。
いや、それが今年は少ないそうですよ、止まってるのが多いでしょう。
町のスズメたちのうわさ話であって、どうなのか知らないが、何でも原発と結びつけられて見られている。しかし本当は過去最多の打ち上げ数だったという。

6万人余の見物人数という、福井県下最西部の4市町の人口とほぼ同数、舞鶴人口ともそう変わらない、これが一度に帰宅するとなるとどれくらいの交通渋滞が発生するか、それも興味があって出かけたのだが、ベテランの交通整理員がたくさん立っていても、普段の4倍の時間がかかる。いつもなら30分だが、この時は2時間かかった。駐車場から国道へ出るまでに1時間はかかる、1時間もあれば原子雲が上空にやってくる、もしそれが致死量ならそこで全員アウトになる。国道にたどりつくまでにすでにアウトである。国道まで出られればまあボチボチとは動く。
机上の空論を繰り返すだけでなく、全市民避難訓練で舞鶴も実際に一度やってデーターを作ってみればいいだろう。日当・費用などはすべて関電持ちで何万台かの大車列を作って京都南部か兵庫県かへ、最低一月ばかり、長引けば永遠に、大挙して押し寄せて0歳児から寝たきり重病人まで、ゆりかごから墓場まで、とにかく皆が全員世話になろう。原発はどれほど地元に負担をかけるかがよ〜くわかろう。受け入れる側もいかに大変かがよ〜くわかろう。本当に安いかどうかもよ〜くわかろう。愚かな欲ボケ連中の再稼働の話はそれからでよかろう。









丹後の地名

写真館

このページのほかに
城屋の揚松明神事 '06
ロシア艦隊入港 '06
世界の美女たち
丹後にブルー・インパルス
丹後の空、ヘリ同乗記
神崎の湊十二社祭礼(扇踊り)平19年度
神崎の湊十二社祭礼(扇踊り)平20年度
今福の蛇綱(2008)
今福の蛇綱(2010)
浦嶋神社の延年祭
滝の千年椿
新井崎神社の祭礼
上山神社の和唐内
与保呂の虫送り
吉原のマンドロ
姫三社の舞:鈴鹿神社の祭礼(舞鶴市田中町)
筍の神事:篠田神社
籠神社の葵祭
大森神社の大名行列
2009(平21)7月22日の皆既日食
小橋の精霊船
成生岬のスダジイの巨木
赤ちゃん「初土俵入り」
お松明神事(舞鶴市城屋)
ありしその日:卒業生を送る
舞鶴の桜
春の花だより
冠島・沓島
おまつの神事:冨留山神社
菖蒲田植(市野々)
羽衣伝説の山:磯砂山登山
雄島参り '11
地頭太鼓・大俣太鼓'11
才之神の藤 '12
雄島参り '12
出船祭 '12
伊根祭 '12
本庄祭'12
おべっさん '12
日向水中綱引き'13
「鬼は内」の節分祭'13
若狭高浜・7年祭り(このページ)



資料編の索引

50音順
あ い う え お
か き く け こ
さ し す せ そ
た ち つ て と
な に ぬ ね の
は ひ ふ へ ほ
ま み む め も
や ゆ よ
ら り る れ ろ
わ

丹後・丹波
市町別
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市
京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市 

 若狭・越前
市町別
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市

 但馬
市町別
兵庫県豊岡市
兵庫県養父市
兵庫県朝来市
兵庫県美方郡香美町
兵庫県美方郡新温泉町



丹後の地名のページへ



Link Free
Copyright © 2013 Kiichi Saito (tangonotimei@gmail.com)
All Rights Reserved