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日本列島の日本海側には美女が多いことがよく知られている。ほら、たとえば何々県の誰々とかスターや歌手の名を挙げて指摘するむきもあるが、私はそんな人たちには興味もないので挙げようもない。出雲美人とか秋田美人とか名までついているそうである。では何故に日本海側には美女が多いのかといえば、それは大陸に近く、古来渡来人たちの血が幾度となく混じるからだと言われる。
その説の当否はともかくとしても、丹後にも美女は多い。身びいきでもなくそう思う。「丹後七姫」といったような数ではない。
 私はいたって気が弱く、そんな美女には声も出ない。どうしてこんな荒野にこんな花が咲くのかとただ不思議に思うばかりであった。
しかし考えてみれば、こんなにいい材料に恵まれた丹後古代史の分野はないと思う。古墳や遺跡や神社や地名や書物ばかりが材料でもない。そこに生きる人間そのものが古代史を背負った存在であった。



ゴッツイ高そうで重そうなデジカメを首からぶら下げて、うろうろと何ぞ被写体を求めていると、あいつはたぶんプロだろうと見られるのか、そんなによく写りそうなカメラなのに、何をコケの生えたつまらぬものばかり追っているのか、目の前にこんなに美しい私がいるではないか、写させてやるから私を写してみろと、そうまでは言わないまでも、そんな様子にも見える美女に出会うこともある。そうも間違われることもあるようである。生きた古代史が向こうから語りかけてくる。
そのような準備はできていないので、しどもどもろに、写さぬこともないが、何枚か写せば、どこに載せるのか、いつ出版かと問われる。ページを作ってここに載させていただきます。「丹後の美女」のタイトルにしようかと考えたのだが、やはりどう考えても、「世界の美女」がふさわしいように思う。
このページだけでなく、当サイトのあちこちにも「世界の美女」が写っています。ようく見ていただければ、私の言うこと正しいと理解されることと思う。もっとも私は美女に興味がなくて、ホントですよ、というか向こう様が興味がないのだろうが、テキトーにしか写っていないと思う、心込めて写したというものではなく、誠に美女たちには申し訳もない。



三河内のあたりでは神様を呼ぶの場合は「オーイ」である。「オーイ。オーイ」と呼んで、川から神輿に乗り移っていただく。
この子たちが我らを呼ぶ場合も「オーイ」である。
「オーイ」
「ハーイ。美女が集まって何してるの」




「江陽中学校三年生の四美女」だそうである。
もう一人ふえて五人の美女。
本当はこれだけいたのです。
坂根正喜氏よりいただいた写真。下も。

(プリントでもらったものをスキャナーで読み取ったために多少ぼやけてしまった。ごめんなさい))
みんなベッピンちゃん。性格もかわゆい。フンという感じのごうまんちきちきのカボッチャやイモになるなよ。
現在の日本人はそんなのばかりだぞ。(このHPを見てくださる女性は勿論そんなことではありませんが…)
於。三河内曳山祭。07年5月4日。







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