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![]() ![]() 遠くて暗くて動きが速いが最新の高性能カメラなら十分写せます、三脚と300ミリくらいのレンズで写せます、あとはレタッチソフトで仕上げて下さい(本格派なら500ミリ以上が必要か、できるだけ長いいいレンズがよろしい)。 宮津節(当日の録音) ![]() 18:00 文殊会(文殊堂) 19:20 オープニング(出船太鼓・宮津おどりなど) 19:55 採火式(文殊堂)・智恵の輪灯籠点火・読経・流灯籠・渡御 20:00 海上絵巻(海上浮舞台) 万灯会・龍舞・菩薩舞 20:30 打ち上げ花火(約500発) 21:00 龍舞(山門前)。祭り終了 ![]() 『丹哥府志』に、「毎年六月廿五日は文珠の会式なり、其前夜は出船とて通夜参詣の人あり、又往来の人々互に悪口を語る前々の習なり。」と見える悪態祭のような、一年を更新する大晦日であったのかも知れないが、今のような形式の祭りとなったのはいつ頃からなのかわからない。古い文献などには龍が舞うなどはなく、上手な最新の演出なので近いものなのかも知れない。(海上や参道で龍が舞う今の「出船祭」は昭和58(1953)より「文殊会」の一環に加えられたものという) ![]() 九世戸縁起にも語られるが、文珠堂近辺のかなり広い範囲一帯では、文殊菩薩の乗る獅子にちなんだ獅子崎・獅子、文殊奥院と称する戒岩寺、文殊菩薩化現のとき乗っていた雲が化したという岩のある雲岩寺、文殊菩薩が最初の示現地である経ヶ岬から、九世戸に移る途中に一時滞在したという穴文殊の洞穴などなどと、文殊信仰に関する伝承が付近には多い。 ![]() ![]() 鼓ヶ岳上空より天橋立を見る(坂根正喜氏撮影)→ それをのちの坊さんたちが仏教的に合理化し大潤色を加え「九世戸縁起」となったのではなかろうか。失われ忘れられた古代天橋立伝説を今に伝えるもの、その輝くカケラがこの日の舞いではなかろうか。 ![]() ↑まずは文珠堂へ、ますます才長けるかも−。確率高いのでぜひどうぞ。 本当は智恩寺という臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天橋山だが、本尊文殊菩薩にちなみ五台山という山号も通称している。日本三文殊の1つといわれ通称「切戸文殊堂」「九世戸文殊堂」、あるいは単に「九世戸」とも呼ばれるという。お参りすれば、賢くしてもらえるという、しかしやっぱりムリかも…、信心あればそんなことはないでしょう、エラ〜イ仏様だから。 ![]() ↑文珠堂のすぐ隣は海で正面に海上ステージがある。写真写すならこの位置がベスト、しかしこんな様子ですでに一杯のよう。対岸の橋立に渡り、舞台裏から写すことにした。向こう側から見る人もあろうが意識してないかも、ライトが逆光になるか、しかしそれもアジになってかえってよいかも… ここが「切戸の渡し」。古くはこの水道はずっと広く、今見える対岸の天橋立部分はなくて、橋立神社のあたりまでは海であった。このようになったのは幕末期くらいからである。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 〈 ![]() さきほど竜について前述したので天僑立の「竜」をのべよう。この風光明眉な天橋立に竜神がすみ、丹後半島の突端の岬に悪竜伝説を残すなど随所に竜がさん見するゆえである。 この古伝のみなもとは、天の橋立(宮津市文珠)の寺域。天橋山智恩寺に伝わる。「九世戸(くせと)えん起」など一連の文珠信仰が横たわっている。「九世戸智恩寺幹縁疏并序」によると。 天橋山智恩寺、この地は文珠大聖降応の地で、日本の五台山であるという。天神七代をへた地神三代の正哉吾勝々速日天忍穂耳尊のとき悪竜を降伏させそのもとをひらいたとのべる。 九世戸は、天神七代地神二代(九代九世)によって「九世戸」という。つづいて大土威神(天忍穂耳尊)が”如意”を海中になげ成った遺跡が「天の僑立」で、火をともして一夜のうちに千本の松を植え、その火をすてたところが「火置島(日置)であるという。そして大土威神かあん息した地が「獅子のわたり」で諸竜を集めて講経授戒した地か「戒岩寺」であり、千年の浦で説いた地を「経御崎だとのべる(文明十八(一四八六) さらに別伝は 九世戸の有斉日天燈・竜灯の由をのべ、磯清水の橋立明神は「竜宮」だといい、この明神を伊勢では豊受大神だとつげる。また文殊のみ前に月の六斉天女あまくたり給い灯をもちまいらせ、府中の竜神、竜穴よりいで榊をもって立ち、江尻の「江の姫神社」の神は婆竭羅(しゃかつら)竜王の第二の姫、竜王女を祭る。… (九世戸えんぎ) こうして智恩寺を軸とし、天の橋立近傍の地名の由来や、智恩寺のえんぎをえんえんと語りかける。「九世戸」はいうまでもなく文殊堂(智恩寺)から橋立明神へとたどる「よさの海」と「阿蘇の海とか分界する今日の廻旋橋の水道をいう。同えん起にいう五台山は、中国山西省五台県東北の高山で五峰から成り一名「清涼山」ともいい、そこに文殊の浄土かあるという文殊信仰である。(文殊は梵語) わが国の文殊信仰は奈良時代三論宗の祖師と仰がれ、文殊菩薩は普賢とともに「釈迦」の左に智恵をもって獅子にのり仕えた。ことに平安時代天台宗では、釈迦・普賢・文殊を三トリティとし信仰され広く世に伝えられた。 ![]() |
資料編の索引
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