赤ちゃん「初土俵入り」
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お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから探索してください。超強力サーチエンジンをお試し下さい。 毎年10月の「体育の日」に行われている、式内社・杉末神社の神賑神事。ほかのところでは同様の神事はないと言われる。 参道は大賑わいで、赤ちゃんを抱いたお母さん、孫の応援団のおじいちゃんおばあちゃん等が並んで受付を待っている。 ←この用事に記入して順番を待って下さい。 別に氏子だけというような決まりはなく、誰であろうと、赤ちゃんなら土俵入りをさせてもらえる、男女も問いません。 「赤ちゃん」というのは、首がすわって、オシメをしているくらいの写真にあるくらいの子のようです。案内には0才〜2才くらいの赤ちゃんだそうです。 受付はこの神社の社務所、毎年だいたい200名くらいになるそう、先着250名迄だそうです。申し込み用紙に書き込まれる人達の住所を見ていると、丹後一円だけでなく、どうしてお知りになったか、遠く京阪神方面からの参加者もけっこう多い。 料金というのか費用というのか、化粧回し、着付け費用を含み5000円が必要だそうです。 9時くらいから受け付けで、10時くらいから「初土俵入り」は始まる。詳しくは山王宮の電話0772-22-3356へ問い合わせて下さい。 赤ちゃん「初土俵入り」とは、どんなものかと言えば、神社の案内書に、 〈 見えない神様とすもうをとる・・ 城下町宮津に伝わる可愛らしい神事 赤ちゃん「初土俵入」 赤ちゃんの「初土俵入」は、宮津市宮町にある宮津山王宮日吉神社の境内摂社「杉末神社」の例祭の神賑行事として、体育の日に執り行なわれます相撲神事です。華麗な化粧回しを身につけた幼児が見えない神様を相手に相撲をとることで健康を授かるという、全国でもきわめて珍しく、また可愛らしい神事として広く知られています。 初土俵入りは、江戸時代の中期から行われています。それまで地元力士により執り行われてきた奉納花相撲の影響を受け、氏子中の有力な家々が屋号などを元にした化粧回しをつくりその息子達を土俵に上げたのが始まりです。 神社の文献によりますと延宝九年(1681)より「杉末明神相撲の儀、花相撲仕り・・・」とあり、天保七年(1836)には「当年は世間一統凶年故、子供土俵入ばかりにてすます」と書かれています。相撲の盛んであった江戸時代の宮津で初土俵入りの形が作られていったことが窺えます。 初土俵入りの神事はおおよそ次のように執り行われます。化粧回しに着替えた幼児は母親に抱かれ杉末神社に進んでご祈祷を受けます。これより初土俵入りを行う旨と今後の健康が祈られるわけです。祈願の後、幼児は神社に対面して作られています土俵に進み行司に抱かれます。 行司は土俵中央で神社に向かい、先ず赤ちゃんに四股を踏ませます。相手は見えない杉末神社の神様です。四股の後、行司はシィーと言う声をだしながら赤ちゃんを抱え土俵際まで進んで神様を寄り切る(押し出す)所作を行います。その後、行司は神様に押し返されるように土俵中央まで後退します。そして赤ちゃんに尻餅をつかせて神事は納まり、つまり神様はやはり強くて赤ちゃんは負けてしまうわけですが、神様と相撲をとり神聖な土俵の砂を身体に付けることで健康に育つと伝えられています。 赤ちゃんが着ける化粧回しは近年まで、旧家に伝わっている物を氏子の方々が身につけて参加していましたが、現在では神社で多数制作し、それをお貸しして行われています。多くの方々の要望に応えて女の子の参加も認められ、赤や花柄の可愛らしい化粧回しも作られました。現在、参加者の三分の一が女の子となっています。参加人数は年毎に増え続けており、当日は二百五十名を越える幼児が集まります。そして、その半数が京阪神など当地域以外からの参加者となっています。 初土俵入りの行われる山王宮日吉神社は宮津の総氏神、また歴代宮津藩主の守護神として今日に続く神社で、宮津の街並みを見渡せる丘の上にあります。春の例祭「山王祭」は藩祭であり、宮津祭の別称で城下を挙げて賑やかな祭礼を執り行って来ました。 杉末神社は日吉神社の右隣にあり、日吉神社が近江から勧請される以前からこの地にあった式内社です。式内社とは平安時代初期の延喜年間に醍醐天皇の命により編纂された「延喜式神名帳」にその名が登載されている神社のことで、そのことから既に約一千百年前にはこの地に在ったことが伺えます。当地の宮津という地名は宮(神社)のある津(入り江)という意味で奈良時代初見の地名でありますが、延喜式にはこの宮津の地に杉末神社以外の神社は記載されていません。そのことから杉末神社は宮津の地名の由来といえる当地最古の神社であることがわかります。 トイレの情報・・トイレは境内裏の弓道場前・南下の児童公園、また臨時駐車場奥にあります 〉 山王宮・日吉神社や如願寺のある一帯で、境内は広く、古くからの景勝地。しかし道は狭く、駐車場も狭い。ここまで車で来るのはムリ。 ↓杉末神社 ↑化粧まわしをつけて、ご祈祷を受ける。 ↑ あ−重たい、重たい。さあいくよ。がんばらなぁあかんよ。 右手の小さな方が杉末神社である。小さいがこちらは↓式内社で、来歴は大きい方(日吉神社・山王宮)↓よりも、ずっと古くかつ格式高い神社、ここの神様と赤ちゃんは相撲をとる。 この方向の「かぶりつき」というか、砂かぶりの土俵下は超高性能カメラのブ厚い砲列が何重にも敷かれていて容易には近づけず割り込めない。赤ちゃんの親御さんでも、あつかましく行かないと、近づけず、お子さんの晴れ姿をカメラに収められまいと思う。 しかしちょっと待っていれば、そのうちに空いてくる。三脚は立てづらい。 正面から写せばいいというものでもなかろうが、− 人が多い割にはシャッター音のうなり方がもう一つのような−、メモリーある限り写しまくるべし。 (参考) 『宮津市史』 〈 子供相撲 宮町にある日吉神社の境内社杉末神社では、十月十日の例祭に「赤ちゃんの初土俵入り」と呼ばれる奉納相撲が行われる。 当日、境内に設けられた受付で化粧まわしをつけてもらった赤ちゃんは、母親に抱かれて杉末神社の拝殿でお祓いを受け、神社正面に設けられた土俵に進む。行司に抱えられた赤ちゃんは、土俵中央に進み出て、神前に向かって四股を踏む。次に行司は、シィーという声を発しながら、赤ちゃんを抱えたまま神前に向かって進み、神を土俵際まで追い詰める動作をする。今度は逆に土俵中央に押し戻されるように後退し、土俵中央で赤ちゃんに尻もちをつかせて神事は終わる。このように、見えない神を相手に相撲を取り、神聖な土俵の砂を身体に付けることによって、子供の成長と健康を祈願するのである。たくましく健康に育つことを願って行われており、神社の古文書によると江戸時代中期に始まったと伝えられる。 元来は杉末神社の氏子で、一歳以上の赤ちゃんが対象であった。 なお、赤ちゃんの初土俵入りの後、子供たちの奉納相撲が執り行われる。 〉 |
資料編の索引
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双子なのだろうか、二人が同時に土俵にあがったのは、この組だけだったようである。
二人で挑んでも神様の方が強い、投げ飛ばされてしまったが、神様の土俵の砂が付くことによって、この子たちは元気に育つという。
(髪が長いので女の子かも。強い女に育つだろうね。この子らか成長するころにはそんな女性が支える世の中に成長していることだろう。)
むつかしげな顔ばかりでは世の中は決してよくも明るくもならない。赤ちゃんというのは見てるだけで、笑えてきて楽しくさせてくれるもの、人間の成長の原点なのかも。いつからか笑ったこともない、などと、人間性疎外の社会に閉じ込められたままの方など、ご見物にぜひどうぞ。