姫三社の舞:鈴鹿神社の祭礼芸能
(舞鶴市田中町)(平20)


(案内)鈴鹿神社の祭礼はだいたい10月下旬の日曜日ですが、伝統芸能奉納は5年に1度だけです。地図の示す位置です。駐車場はありません。舞の奉納は午後1時くらいです。

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鈴鹿神社本殿国道27号線の北側の田んぼの中に新しい市道ができているが、そのもう一つ北側の山裾、旧道の「志楽幼稚園」の西隣の鎮守の森の中に鈴鹿神社が鎮座している。

当社の案内板には、
 〈 鈴鹿神社の由来
当社は、丹後国神名帳によると芝束社(天火明命)と称されて来ましたが、後に鈴鹿明神(金山毘古命)箭取明神(経津主命)の御神体を移し、三社を合祀し産土神と呼びお祀りして来ました。(寛保三年)
ところが明治維新の頃、鈴鹿神社と改められました。
年中行事
●春の例祭 旧暦三月九日(現在は三月九日直近の日曜日)
弓射神事・国土安穏・五穀豊穣祈願
●秋の例祭 十一月三日(都合で変更有)案内板
豊穀感謝神事
五年毎に(平成九年三月十四日登録京都府無形民俗文化財)式三番叟、徳若萬歳、姫三社の舞が奉納されます。
太鼓屋台の巡行は神事奉祀の前に子供たちの先導で賑やかに囃子を伴って町内を練り回り祭を盛り上げています。
特に平成十五年に新調された屋台は、境内にて育った欅の古木で完成された立派なものです。
●豊穀祭 十一月廿三日 豊穀感謝神事
平成十七年五月吉日  敬白  〉 

鈴鹿神社本殿と焼物の狛犬志楽二宮とされた神社で、当神社の案内よりも実はもっと古い由緒がありそうな志楽最古の一つで、志楽発祥と関わるであろう社であり、府登録文化財の伝統芸能が伝わり、5年に1度だけ奉納される。
今年がその年に当たるので出かけてみることにした。日差しのない、時たまパラパラと降ってくる日であった。

丹後国風土記残欠は、志東社と伝えているが、これは志束社の記録間違いと思われる。「室尾山観音寺神名帳」では、正三位志束明神、あるいは正三位斯束明神とおもわれ、これが当社の前身であろう。その志束社は、この本殿の向こう側の脇に今も摂社・志束大明神として祀られている。
祭神・金山毘古命。金山彦神は実は天目一箇神であり(『金屋子神祭文』)、一つ目の鍜冶神、従って鈴鹿神社は鉄の神社ということになる。海部氏の祖とされる天火明命もここでは鉱山神の神格と岡野允氏は見ているが、それはかなり正解かも知れない。しかしあるいは伝承の変化があったものかも知れない、火明命とするよりも天日槍とした方がこの地の古代史全体を正確に反映すると思われるが、その本来の祭神はぼかせて、時の神威あった火明命にかぶせたものかも知れない。後の人にもわかるようにぼかせてあるのが可愛いような悲しいような気もする。天日槍と天火明命はとり替えてもいいほどに近いものなのかも知れない。
鈴鹿といえば鈴鹿山の鬼女を思い浮かべるが、本殿脇の狛犬は備前焼のもので、こんな焼物の犬がいるのも何かそんな深い由緒がありそうな気配もする社である。箭取神社もまた鎌倉権五郎景正を祀ったりしているが、本来は片目の天目一箇神を祀る社のようである。

小さいながらも古木の茂る森の中にある網野町磯に静神社がある。この社はシズカ神社と呼ばれ、ここの志束社と同じである。丹後七姫の一人、静御前を祀るというのだが、…。おおい町父子(ちちし)に式内社の静志(しずし)神社がある。ここは天日槍を祀る。シズ…というような所はまず渡来系と思われるのである。
祭日の11月3日は、今も舞鶴の秋祭はこの日が多く、海軍工廠の職工さんたちが村祭りでバラバラに休まれると困るので、舞鶴各地の秋祭をこの日に統一されたという、そんな話を聞いたことがある。本当かどうかは知らないが、そんなことではなかろうか。本来の祭日とは関係がなかろうと思われる海軍の定めた祭日である。天目一箇神なら9月18日が祭日であるから、それより1月遅れくらいが本来の祭日と思われる。

奉納される伝統芸能は、「一番叟・千歳の舞」「二番叟・翁の舞」「三番叟・扇の舞」「三番叟・鈴の舞」「姫三社の舞」「徳若萬歳」である。



出番を控えて緊張の楽屋裏

出番直前、緊張高まる舞台裏→
これだけ出し物があると大変な準備と思う。氏子あげての大行事になったものと思う。美女たちも「ここずっとね、週三回ほど練習に行きました」ということであった。
舞台は、本殿向かいに作られた臨時のようなカッコウの物である。


一番叟・千歳の舞

鈴鹿神社の伝統芸能:千歳の舞




二番叟・翁の舞

鈴鹿神社の伝統芸能:二番叟「翁の舞」




三番叟・扇の舞

鈴鹿神社の伝統芸能:三番叟「扇の舞」




三番叟・鈴の舞

鈴鹿神社の伝統芸能:三番叟「鈴の舞」






               


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ちょっとさみしいか。

写真を写す者とすれば、これくらいのさみしい方が、有り難いのだが…








鈴鹿神社の伝統芸能:姫三社の舞





おまたせ、おまたせ、ながらくおまたせいたしました。いよいよ「姫三社」が始まります。本日一番人気の出し物。

むさくるしきオッサン(失礼)の舞に続いて、見目うるわしき姫君たちの舞。

見終わったオッサンたちもかなりしびれさせられたような様子でした。

ちとばかり多い目に貼っておきますので、トクとしびれて下されませ。






鈴鹿神社の伝統芸能:姫三社のまい


鈴鹿神社の伝統芸能:姫三社のまい


鈴鹿神社の伝統芸能:姫三社のまい


鈴鹿神社の伝統芸能:姫三社のまい


姫三社の舞

もっと光を!
どこかの文豪のように叫ばねばならない。
これはいろんな意味を込めて叫ぶのだけれども…
小さい意味では、せっかくの舞だから、ステージの左右からだけでもよいので、もし多少ライトアップなどあれば、さらにビリビリしびれさせられて、もっとあやしく美しく写せるかも。床面が光り多少はいいのだけれども、もし太陽が出れば逆光となりやはり補助光は必要と思われる。
背景がかなりにむさ苦しい(失礼)のでかなり工夫がいりそうなかんじ。写真処理だけならば明るい多少望遠系のレンズを持参のこと、背景はぼかそう。


                


徳若萬歳

鈴鹿神社祭礼:徳若萬歳





実は、この後、阿良須神社からも練り込んできて、にぎやかなことになった。それは「阿良須神社」を見て下さい。


ええ神社や。
ええ祭や。
「ふるさとのやしろ」とはこうなんだと教えてくれる。
しびれて言うのではないけれども、郷土の誇り、舞鶴の至宝。
ふかくそう思わされた。

どうか5年後のお越しを、お待ちしております。
氏子一同に勝手に代わりまして、お願い申し上げます。

see you again 5年後にお会いしましょう、とのことて゜した


                 


鈴鹿神社の祭礼'13


 参考文献


《舞鶴の民話3》
 〈 徳若万才 (田中)
泉源寺を通り、旧若狭街道を東へいくこと三分、JRが通っている下をいく東高の現在のテスト場には古墳があったといわれる。こんもりした森のところにいき、鳥居を見上げると額に鈴鹿神社と書いてある。ここには古くからの祭礼行事として、府下にはここしかない徳若万才と姫三社の舞が伝授されている。十一月三日が祭礼の日である。祭礼行事が披露されるのは五年に一度で、前回は昭和五十九年に十年ぶりに復活した。「式三番叟」と「徳若万才」が披露された。しかし、小学生三人の女子児童で演ずる「姫三社」だけは年齢のあう子供が同神社の氏子にいなかったため、昭和三十二年を最後に途絶えていた。祭礼保存会長の山本敏之さんが、三十二年前に行なわれた様子を書き残した梅垣かおるさんらが中心となって長老の記憶をもとに復活された。神事につづいて、神社境内に設けられた特設舞台で「式三番叟」に続いて、かわいい三人の女の子が舞台に上がり、ゆっくりとした動作の舞を披露した。地元の人たちは「これで全ての祭礼行事がそろった」と盛んな拍手が送られた。
 徳若万才とよばれるこの万才がどんな由来をもっているのか明らかではないが、徳若は越前の野大洋万才にみえ、中世の万才唄をしのばせる「千秋万才唄」にも「常磐嘉にご万才と君主は栄へござす」云々とある。
 鼓と扇子を持った素襖烏帽子姿の二人が並び立ち、同音で祝言を述べながら舞うもので、地方二〜三名、三味線が一名つく、以前は子供が行ったという。
 「徳若のご万才と御代栄えます。愛敬ありける親王の年立ち帰る朝より、水も若やき木の芽も咲、栄えけるはまことに日出度候ひける・・」と語り舞って万才のなごりを示している。この寿詞は峰山町金比羅神社の祭りにでた。屋台ばやし「万才」とほぼ同文でうたわれるという。  〉 

『加佐郡誌』
 〈 祭神 金山毘古神
 相殿 天火明神 経津主神  〉 


『丹哥府志』
 〈 【鈴鹿権現】  〉 


『舞鶴市内神社資料集』(渡辺祐次編)所収(神社調査書)
 〈 一、神社所在地 京都府加佐郡志楽村字田中宮ノ上四百五拾参番地鎮座
二、社格神社名 村社 鈴鹿神社
三、祭神 金山彦神 天火明神 経津主神
四、由緒 創建不詳当社元来静社志束社箭取社ノ三社ニシテ古ヘ金山彦神ハ山陰北海ノ辺月ケ浦ニ鎮座シ専ラ海上ヲ守リ玉フ故ニ静明神ト尊称ス 天火明神ハ上古大己貴少彦各?柱ト?志束神社ト称ス貞観年中?箭取社ハ経津主神?彦坐王青葉山ノ妖賊ヲ討玉ヒ後チ村田某社ヲ建テ其ノ矢ヲ納メテ箭取神社ト称ス今其地ヲ下宮ト云フ而シテ永禄年中静社箭取社ヲ志束社ヘ合祀シ爾来鈴鹿神社ト改称シ一社号ヲ表スルニ至リタリ且ツ陰暦二月九日弓射ノ式ヲ今ニ定祭トス古ヘ将軍射賊ノ遺風なる由伝其他由緒不詳  〉 


同書所収(神社旧辞録)
 〈 鈴鹿神社 祭神 金山彦神 天火明命 経津主命  同市字田中
 金山彦命は伊奘諾尊大神火具土神を生み病み給ふ時所生の神とされる、金は火によりて形を成すの神格か。火明命は神統譜では尾張族祀とされているが、この祭神縁由としては木花開耶母神火の誓約で所生の神で金山彦神と共に鉱山に関係する地主神と覩たい。経津主神は威徳霊剣の神格神であるが常陸鹿取鹿嶋両神宮の主神であるが奈良朝初期藤原貴族が己が代神として奈良に春日神社を創建し常陸国からこの大神が白鹿に騎ってはるばる招遷されたと云ふ。志楽は当時春日神社の神領であったのでこの随縁に因って本地の経津主神も祀られたとも愚按する。なお、鹿原が同様ともなろう。土記に志束、寺記に芝束見える。当社と音韻相通ずるが如何か。  〉 


『舞鶴市民新聞』(97.4.1)
 〈 三番叟・姫三社・徳若万歳(田中)とおまつ神事(小倉)の2件を登録
無形文化財として*平成8年度*府指定文化財・府教委がこのほど発表

 府教育委員会はこのほど、平成八年度の府指定文化財を決めた。府文化財保護裏会(樋口隆康会長)の答申を経て、今回は指定十二件や登録三件など計十八件。
 市内からは、小倉のおまつ神事と田中の三番叟・姫三社・徳若万歳の二件か、無形民俗文化財として登録された。
 おまつ神事は小倉の布留山神社で、毎年十一月十五日前後の日曜日に地元の人らによって行われている。
高さ二bの柱の上に麻穀でつくった松明を取り付ける。三本の松明を稲の早生、中生、晩生に見立て、その燃え方で来年の稲の作付けを占う。
 三番叟・姫三社・徳若万歳は、田中の鈴鹿神杜で同神杜祭礼保存会の人たちによって五年に一度奉納される祭礼芸能。三番叟は四人、姫三社は三人、徳若万歳は二人で構成され、いずれも小学生から中学生が演じるが、姫三社のみ女子が務めている。  〉 


 ちょっと考察

 『丹後風土記残欠』には、
 〈 志楽郷 本字領知  〉 
、とあり、本文には、
 〈 志楽と号つくる所以は、往昔、少彦名命大穴持が天下治しめす所を巡覧し、悉く此国を巡行畢、更に高志国に致り坐す時に当たり、天火明神を召して、汝命は此国を領知(しらす)べしと詔りたまう。火明神は大歓喜して、すなわち永母也青雲乃志良久国と曰く。故に志楽と云う也。  〉 
志楽はシラクと読まれているがシラキと読むのが本来と思われる、敦賀半島先端の白木、あるいは白木サンが綾部あたりにもあるが、それと同じであろう。そうすれば、ここは火明命ではなくて、新羅王子・天日槍あたりが登場するべき伝説となり、そうしてこそ筋も通るが、この時代に時の国造や郡司たちの始祖神・天火明命と取り替えた、あるいは変化した、あるいはかぶせたと思われるのである。神仏混淆・神仏習合、神様も仏様も一緒くた、仏教徒のはずがクリスマスパーチイとやらやイルミネーションのチカチカをやる国だから、これくらいの一緒くたは別に驚くにも値しないのだが、あるいは天日槍も火明命ももともとはといえば同じものなのかも知れない。火明命なら海部だと特にこだわりすぎると全体がわからなくなってくる。
お寺の山門もクリスマスイルミネーションで電飾されるたりもするこの頃である。近所では知られていてわざわざのぞきに来られたりもする。「私とこは禅寺ですので、蝋燭くらいでイルミネーションしてます。今年もやりますので、その時は見に来てください」などと申されるどこかのおっさんもおられた。電飾だけにとらわれて全体を見ないと、このお寺はキリスト教の寺院だと誤認識することになろう。

鈴鹿神社の鎮座する山は、今は愛宕山と呼ばれるが本来は笠松山と呼ばれていた。枯木浦の項には、

 〈 枯木浦 本字彼来  〉 

 〈 枯木浦は、往昔、少彦名大神と大己貴大神、この二柱神、国造り坐さなとするの時に当たり、海路の順次に所在する諸島を集合しめんと欲し、便ち笠松山之嶺に登り、息限りに号呼んで曰く、彼々来々と。則ち四嶼自ずから来て列り。故に彼来と曰う也。  〉 
ここでいう笠松山之嶺は、祖母谷の奥にある三国岳と私は考えているが、ここの愛宕山もまた笠松山であったことは違いない、この山の麓にあった泉源寺は笠松山泉源寺といった。この愛宕山もまたもともとは出雲の少彦名大神・大己貴大神の重要拠点であったと思われるのである。
ここへ新羅王子がやってきて、彼らに代わりこの地を支配するようになったのであり、それを祀るのが志束社であったと思われるのである。従って鈴鹿神社と志楽は切り離せない関係となり、志楽は本来は愛宕山の山麓の地ではなかろうかと推測されるのである。一つ目の鎌倉権五郎を祀る社もあり、土蜘蛛伝説の地でもあり、この地もまた金属の地であった。







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