シンデレラ伝説
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『丹後の地名』は、「FMまいづる」で月一回、「そら知らなんだ、ふるさと丹後」のタイトルで放送をしています。時間が限られていますし、公共の電波ですので、現行の公教育の歴史観の基本から外れることも、一般向けなので、あまり難しいことも取り上げるわけにもいきません。 放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。 シンデレラ姫の話を知らない人はなかろうが、子供の頃に聞いた童話として覚えておられるであろう。 この類型の物語は世界的に、超古くから分布していたようで、日本でも、少なくとも千年も昔くから知られていたようである。 当ページは、丹後版のシンデレラ物語を取り上げてみる。 シンデレラの語源=灰娘OEDの精神を引くという英語辞書をひくと、Cinderella
とある。-ellaがわからないが、恐らくラテン語由来の指小辞で、小さい物、転じて小女とか小娘の意味かと思われる。「ellaの意味」cinderの指小辞から、シンデレラ、姉妹に虐げられてかまどの灰かきをしていたが後に王子と結婚するおとぎ話の主人公;かくれた美人;下婢;のけもり; cinder 金糞(=slag);(石炭などの)燃えがら;(pl)灰; エンリコ・マシアスが歌っている「Zingarellaジンガレッラ」(ジプシー娘) フランス語なのかイタリア語なのか、わからないが、ここにもellaが見られる。 ジプシー(gypsy)は、一般にはヨーロッパで生活している移動型民族を呼ぶ英語名なのだが、日本ではそう呼んでいるが、差別語になるらしく、彼らの自称により「ロマ」とこのごろは呼ばれるようである。しかし地方によっていろいろあるようで、ドイツ語では「ツィゴイナー(Zigeuner)」、ツィゴイナー・バイゼンのZigeunerだが、この系統の言葉ではないかと思われる。 柳田国男は「シンドレラ」と呼んでいるが、何語なのかわからない(エスペラントかも)。 シンデレラ(英: Cinderella)は、仏語はサンドリヨン( Cendrillon)。和名は、灰かぶり姫あるいは、灰かぶり。あるいは灰坊、灰坊太郎などと呼ばれている。 毎日毎日の煮炊場の灰やスス、スミなどで顔も身体も被服も汚れた、汚らしい娘の意味である。継子イジメや魔法使いの助け、カボチャの馬車、ガラスの靴、魔法効果の期限とか加わり、一番汚い娘が王子様と結婚するという話だから、子供でなくともたまらない、面白くて一度聞けば忘れられない物語となる。 wikipediaによれば、 グリム兄弟によるアシェンプテル(Aschenputtel)(ドイツ語で「灰かぶり」を意味する) 、シャルル・ペローによるものが知られているが、より古い形態を残していると考れている作品としてジャンバッティスタ・バジーレの『ペンタメローネ(五日物語)』に採録されたチェネレントラ(Cenerentola)が挙げられる。日本の落窪物語や、中国にも唐代の小説「葉限」などの類話があるなど、古くから広い地域に伝わる民間伝承である。オペラ・バレエ・映画・アニメなど様々な二次作品が作られている。とある。 柳田国男は、 「フィンランドの学問」に アンティ・アァルネの民間説話分類 始めてこの通報が世に出たのは、世界大戦の勃發に先だっこと四年、まだ此國が露西亞の支配に屬して居た頃のことである。是に最も多く働いたのは、今は故人になったアンティ・アァルネで、此人は別に謎々の比較研究なども世に公にして居るが、特に心力を傾けたのは昔話の研究であり、且つ其分類であって、北米インヂアナ大學のトムプソン教授が、彼の遺著を補修してF・F・Cで公表したものが、アァルネ・トムプソン分類目録として、今では略々世界的に採用せられて居る。一致した標目が立って居ないと、資料は出揃っでも比較をして見ることが出来ない。さうして又芬蘭人が辛苦して集積した資料でも、昔話以外のものはさう簡単に、すぐに國際比較の用に供するわけにも行かなかった。つまり昔話が格段に大規模の世界的研究を誘導する素質をもって居たのである。グリム兄弟が獨逸の昔話を探集して、始めて是を世に公にしたのが、やはりカレワラなどとほぼ同じ頃で、百年と少しの以前であった。それが次々に隣の國へ紹介せられるまでは、何人も斯うまで著しい類似と一致が、未開半開の諸民族にまでも、及んで居らうとは思はなかった。一國としては夙くから昔話を珍重して居た日本の如き國でも、我々の小児や老雄の口すさびにする色々のハナシが、ちゃんと百年前のグリムの本にも出て居ることは、此頃になる迄心づかなかったのである。英國ではロルフ・コックスといふ婦人が、世界のシンドレラ物語を三百餘種も集めて比較した書物を出したが、其中には極東のものは殆と出て居ない。グリム協會の類話大集成には、日本の例として御伽草子の「鉢かつぎ姫」をたゞ一つ出して居るだけだが、近頃わかったゞけでも北は奥羽の果から、西南九州の島々にかけて、その類話が既に數十あり、多くは粟福米福の名を以て知られて居り、時には又紅皿缺皿などの名にもなって居る。その他美人をうつぽ舟に入れて流す話、手無し娘に手が生えた話とか、藁と炭火と大豆とが川を渡った話とか、互ひに少しも知らずにちゃんと日本にも他の國々にも在る。どうして斯ういふ特色の多い昔話が、世界の全面を蔽ふまでに分布して居るのか。學んだか借りたか誰が運んだにか、是を説明し得る手がゝりもまだ見つからず、しかもこの一致を以て種族の親近を推断しようとすると、忽ちに世界は皆同胞となってしまふので、是には却って他の證據が附いて行けないのである。
アァルネの世を去った頃から、昔話の世界的研究は又一段と盛んになって來たやうである。是には参加しない文明國は無いと言ってよい位だが、何れかといへば自國の資料を豊かに持って居る者が功を擧げ易く、現在の採集は北欧の久しく省みられなかった寒國に最も多く、殊にスカンヂナビヤの三國、バルト海岸の三國などは、共にF・F・Cの事業を支持して居るから、公平なる目から見て、今ではこの學間の一つの中心は茲にある。將來-此方法が擴張して、民間説話以外のあらゆる社會事相を包容するやうになったり、勿論重要性は大いに加はるであらうが、それにはまだ資料がよく整理せられず、諸國の採集もまだ昔話の程度には進んで居ない。 予備知識はこれくらいにして、丹後のシンデレラ物語を見てみよう。 灰娘『丹後伊根町の民話』(1988。立石憲利) 灰娘
お父さんが蛇に呑まれとった蛙を助けたんです。そのうちの娘さんが道に迷うたいうんか、山の奥の方に行ったところが、もう日は暮れて、ひこりひこりと灯が山の中に見えとって、灯が見えるので、あそこへないと行って、泊めてもらおう思って、そこを頼って行ったところが、そこの中には雨蛙が背中あぶりしとって、ああ、こりやあ雨蛙が背中あぶりしとるわ思ったけど、まあ訪ねてみよう思って、そこへ入って、 「一夜の宿を貸いてもらわれんか」 いうて訪ねたところが、そこの雨蛙が言うのには、 「ああ、泊まっておくれえ。わしはあんたのお父さんに助けられた蛙だ」いうて言うたらしいんですわ。 ほれからまあ、そんなことかいうことで泊めてもろうて、 「どこかに宿があったら、わしはもう女中でもしたいんだ」 いう話をしたところが、 「こっから下ぁ降りると、きっと旅館があるはずだで、そこへ行ってみい」 いうことで、ほえからあくる日の朝は、そこへ訪ねて行ったところが、ちょうどおさんどんに、風呂焚きにおってくれえ言われて、その宿屋に風呂焚きにおったんだそうですなあ。はしたところが、みんなきれえにしてお上女中はおいでるだけど、その娘さんは自分の着てきたきれえな着物は、かますの中へつっ込んどいて、悪い悪い着物を着て、顔はすすだらけになって、毎日一生懸命に風呂焚きをしとったそうですなあ。 はしたところが、ある日のこと、その村に狂言があって、 「きょうはみんな狂言見い行くだ」 いうて、そこの若い息子さんも出られるんだいうことで、おおわらわで、もうみんな連れきれえにこしらえて、女中さんらがみな出掛けられたんですわ。 ほいたところが、そのあとで、そろそろと自分もかますの中から着物を出して、風呂い入って、きれえにこしらえて、狂言を見い行ったところが、ちょうどそこの若あ息子さんがきれえにこしらえて、花道へ出られるとこだったらしいですなあ。 ほうしたところが、ちらっと両方から目が止まりようて、ほしてその日はすんだだけど、狂言から帰ってきたところが、もうその晩から床につかれて、その若い息子さんはもうちょっともよう起きならんようになってしまって、みんなで、「困った、困った」いうて、あっちの医者さん、こっちの医者さんに診てもらっても、それがなかなか治らんで、ほれから、こんなことしとってもしようがないし、まあ 「これはもう、このうちにおる女中の中に誰か、この若い息子の目に止まったもんがおるけんだで、ほいで、それをわからすには、庭にうぐいすが梅の枝に止まるはずだで、そのうぐいすの止まった枝をば、この息子の枕元まで持ってきて、それがたたんとった人が、ここの若奥さんになるはずだ。その人が好きな人ださかい、それを、そうして試みてくれえ」いう八卦の言葉でした。 「ほんならそうしよう」 いうことで、上女中から上女中から、きれえに、きれえにこしらえては枝折りに行くだけど、どうもみな逃げてしまあて、ちょっともうぐいすが止まってくれん。 ほれから、もう残ったのは 「まあ、やっぱりお前も行ってくれんか。そうしてみてくれんか」 いうたところが、灰坊は、 「とてもとても、わしはそんなことは及びません」 いうて辞退しとったらしいだけど、 「いや、そうだない。やっぱりお前一人よりないで行ってみてくれえ」 いうことでした。 灰坊が風呂を入って化粧したところが、どこにあった着物を着てきたか知らんが、きれえな、きれえな着物を着て、とても立派な娘さんになったそうですわ。そうてまあ、庭におりてうぐいすの止まった枝をぺしんと折るところが、ちょっともうぐいすは逃げなんだいうことですなあ。それを若い息子さんの枕元へ持って行ってしてもちょっとも逃げん。 「ああ、これはやっぱり灰坊だった」 いうことになって、そこのうちの若奥さんになったいうこってす。 ほいでまあ、これもお父さんが蛙を助けたので、蛙が恩返ししたいう話ですなあ。 (本庄宇治の杉本よしさんに聞く) *注 灰坊=かまどの火焚きや 灰の片付けなど一番下の 仕事をする人。一般的に は男のことをいうが、この場合は女。 灰坊(丹後弁では、ひゃあぼう)灰坊と「坊」となっているが、話の主人公は娘である。「灰坊」とあるが、実は灰娘=Cinderellaである。「灰」は丹後方言で「へわ」とも呼ぶ。『丹後伊根の昔話』(昭47。府立総合資料館)(挿図も) 灰坊 (二) 泊 小西 まり子
昔になあ、親一人。-親一人いうのが、お 「蛇やあ、そんな殺生なことをせんと、その蛙を ほしたところが、まあ娘がなあ、親の顔色が ほたところが、まあ日も暮れたりして。ほしたら、ぼやっとしたぼやけたような明りが、 なってまあ、よう仕事もするし、真面目によう働くし、「 ほて、ある日まあ旦那さんやおかみさんが、 もう、皆があっけにとられとったん。ほからまあ灰坊が、旦那さんの部屋へ ほでまあ式を挙げて、もう、めでたしめでたしで、喜んで喜んでまあ、「旦那さんの病気も治ったし、もうこれで言うことは無ゃあ」言うて喜んでもらって。「そうなら、こんな目出度ゃあことは 灰坊 (一) 立石 増井 よ し
昔ある所に まあ田舎に住んでおる、優しい優しい娘さんがあったんです。その娘がまあ、どうかして、こんな ほしたら、一人行くんだで、 ほうとまあ、ほんまに、 へて、その子さんが、ぶらりとまあ、気分が悪てなあ。へて、あっちのお医者、こっちのお医者いうて、お医者にいろいろとかかるんですけど、なかなか ほてまあ、春んなると花が咲くし、まあ大きな梅の木だそうですな.ーほいで、大勢女中もおるんだで、ほいで、女中に、あのうことだ、綺麗にお風呂い入れて、ちゃんとして、ほってその、梅の木に、鶯が春んなると来るで、ほで、梅の木をこう へて、その婆やだ言うのが、「若ぇ時に、自分の家におる時に、 『京都の昔話』(昭58・京都新聞社) へわの婿入り 丹後・成願寺
『ふるさとの民話』(昭和58。丹後町教育委員会)にも、同じ話がある。むかし、あるところに、成願寺でたとえましたら酒屋のような ほいでまあその家の男衆を呼んで、 「なんとお前に、今日はおりいって頼みがある」言うて。ーーするところが、それは先のお母さんのときからおる男でしてなあ--せからまあ、 「お前におりいって頼みがあるだが、聞いてくれるか」 「ええ奥さん、なんだか知りませんけど、聞かしてもらいますわ。わしの力ででけることならなんでも聞かせてもらいましょう」いうて男衆が言うたら、 「お前にこういうことが頼みたいだが、先の息子をここから 「そうなら、そんに殺すいうたって、そんな切れ物で殺すなんて殺せんしなあ、わしがちょっと思いつきましたが、なぎの日に、まあこの坊っちゃんを舟に乗せて出て、そしてまあ坊っちやんがええかげん沖へ出たころに、うしろからちょっと押して、海にはめて 「お前はまあええ思案した。そういうようにしてくれ」いうことで、それからまあ、なぎのええお天気の日に、 「坊っちゃん、今日は海遊びにいってきましょうか」 「そりゃええこっちや。まあ連れていってもらおう」。 ほいてまあ、海へ遊びにいくんですわな。それからまあ、だいぶ沖へ出たころに、「そうはいうても、先妻の奥さんに対してもすまんし、この坊っちゃんを今この海へどんぶりはめたではなあ、いかにも 「坊っちゃん、実はなあ、こういうことであんたを殺すところだけど、よう聞いておくれえな。先の奥さんの恩があるし、そんな坊っちゃんを海にはめて殺すだなんていう、だいそれたことはわしはとてもでけんので、ほいで、これから坊っちゃん、遠い伊根のほうまで行って、そいて上陸して、あんたはなんとかして、村に 「ああ、そういうことか。そりやあお母さんが自分の子にあとをやりたいのはあたりまえのこった。そうならわしは、まあなんなりとして、どこへなりとたどり着いておる」 「まあ坊っちゃんぬすまんけど、そうしてくれ」言うて、その坊っちゃんに言い渡して、「またいつの日にか迎えにくる日もあるかもわからへんさかい、まあ楽しみして、この村にあがってなあ、どこへなりとたどり着いてくれ」言うて、せえからまあ、その坊っちゃんをそこへ上げてえて、自分はまた元の村へいぬるですわなあ。 「ああ、奥さんなあ、今日はええなぎで、天気もええだし、坊っちゃんをうしろからどんぶりはめてもどってきた。もう坊っちゃんはわしが命あんばい見とどけてきた。殺いてきた」 「あ、そうかそうか、お前はでかいたことしてくれた」言うてまあ、おるんですわな。 そうするところが、坊っちゃんは、何するいうたって、まあ乞食するいうたって、乞食する術わからしまへんしなあ。そうかというて、昼になりやあひもじいしなあ、晩になりやあ寝るところがなやし、まあしゃあない、二、三軒まわって、歩いとりました。そうしたところが酒屋のようなかまえの 「わしはこういうつごうで、この土地に上がって、なんか仕事があったら仕事にありつきたやと思っておるだけど、なんぞええ仕事はこの辺になやだろうか」言うたら、ほいたら、「まあ風呂焚きだ」いうことで、風呂焚きにやとわれておると、昔は木を焚くし、そこらじゅうすすけてなあ、へわ(灰)だらけの顔になりましょうが。へえでみんなが、 「お前は 「まあ、へわでもなんでもかまやせんさかい、置いておくんなれ」。 まあ、へえで置いてもらって、毎日風呂焚きをしとったですわな。そうしたところが、その大けな家の片隅のほうの部屋のあたりに、常には灯が見えんのに、その部屋にいま灯が見えるですな.そのへわさんが毎晩げしまったら風呂にはいって着物を着替えてーおしまいの湯ですわな.ーへわさんはなにしろ太家の坊っちゃんださかい、こうして書物を読んだりしますわな。なんにもむだなことはせん。そうしておるところが、その家のお嬢さんが、 「常に灯はとぼらんところに灯がとぼるな、まあどういうこったろうな」思って、へえからおしっこに行ったついでに、節穴からのぞいてみるところが、なんとええ男ではないですかな。やっぱしええところの坊っちゃんだで、そなわりもあるし、ちゃんとして書物読んどるなるのを見とると、 「ああ、こりゃあまあ」て、ほろりとしてしまってなあ、どうもそれからは恋い病いになってしまって。へえからまあ、 「どうもこのごろは娘の様子がおかしい。どこか悪いのでなゃあだろうか」言うて、親衆が心配しとんなる。女中に、 「お前、心当たりがないか」問うても、 「そんなことは心当たりがなゃあ」言うし、お医者さんにみてもろうたところが、お医者は、「からだはどっこも別に悪なゃあ」いうて言いなるだし、ほんならこんだ 「どっこも悪にゃあけども、こりゃあ心の病気だ」。 「そうなら、心の病気ということならどういう病気だろうな」思って、まあ考えて、親衆が「ひょっとしたら娘ももう年ごろだし、これのでっち番頭にちょっと思い当たるのがあるだろうかなあ、まあ、いっぺんそいつをみんなに言ってみてだな、お嬢さんのとこへ行ってみてどれが気に入るだやら、いっぺんそういうことをしてみよう」思って、、一番頭から二番頭、三番頭、でっちに至るまで、 「今日は家の娘がちょっとここの部屋におるで、ちょっと病気見舞いにいってやってほしい」いうことになって。せえたら、ひょっとするとお嬢さんにわしが気に入るで、行ってこうかしらんだ、まあ、みな野心を持つでずわな。ほんださかい、 「へへへー」言うて行って、ふすまをひょっと開けて、 「お嬢さん、ごめんください。近ごろお嬢さんの気分がすぐれませんそうですが、いかがでございましょう」言うて行くんですわな。それからお母さんはその隣の部屋からそっとその様子を見とりますわな。ところがお嬢さんはひょっと見るなり、 「どっこも悪ない、どうもない」言うて、けんもほろろだな。 「あれまあ、これぁ失格だあ」。 つぎにまた二番頭が、 「今度はわしが気に入るだろうな」思ってからにまたそこの部屋に行って、同じあいさつをするちゅうと、 「どうもない、どっこも悪ない」言うて、またこれもけんもほろろで。こんだひょっとしたら三番目の番頭さんが気に入るかしらんだ思っとると、そうすると、これもまたお嬢さんがことわるですな。 ほいで、もうとにかく番頭さんは全部あかん。へえたら女中が言うことには、 「おかみざん、へわも男ですで、へわも行ってもらいましなれな」言うたら、 「へわなんたら、あんなもんがどうなるじゃいな」 「いいや、あのへわも男だで」。 ほいてまあ、女中が、 「へわやお前もここへ来て、ちゃっと風呂にはいってきれいにして、着物を着替えて、そいてお嬢さんの見舞いにいけ」て、ごうじゃげに言うて命令するですわな。ほいでへわは、「へえ」言うて、へえからまあ、昼風呂にはいってきれいにして、ほいてまあ、その家の衣装を借れて、さあっさあっさっといかにも礼儀正しいかっこうで行きますわな、分限者の息子さんだで、からだに備わりがついて。へえからまあ、さあっと戸を開けて、お嬢さんにちょっとあいさつして。するところが、お嬢さんが、 「へへへへへぇ」言うて、まあ、ええ声で笑うでずわな。お母さんがびっくりしとりました。 それからまあ、お母さんがひょっと見るところが、まあ、「へわや」 「へわや」言うとるそのへわさんの顔が、さあ、あのもんだ、ええ男であって、なかなか落ち着いた人物ですわな。かっこうの悪い、へわの仕事しとるときの顔ばっかし見とるんださかい、お母さんもびっくりしてなあ、 「なんとなあ」と感心して。へからまあ、なにかこの男には由緒があるだろうなあ思って、ほいでひとたび尋ねたんですな。ほいたら、 「実はこうこうこういうことで、この土地へあがって、お宅にお世話になりました」いうてあいさつし、 「まあ風呂焚きもさしてもらいまして、ここに勤めさしてもろうて、ほんとうにわたしは命拾いをしました」言うて、あんばいげに言うて。 するところが、娘がもう気に入ってしまってするもんで、しやってもその人を迎えんなんことになって、まあ、どなたもこなたも「へわどん」「へわどん」言うとったですけど、それこそ今度は娘さんの若旦那になって、一躍若旦那になって、「へわ」どころの騒ぎじゃにゃあ。 ほれからまあ、そういうことになったら、それ相当の仲人さんを頼んでなあ、もらい受けることになって、どちらもええ旦那衆のお家じゃもんださかい、ごつい荷物ができましてなあ、そうして、婿養子もらわれましてな。 語り手・沢田ヒロ 『丹後の民話』(昭和56。関西電力)にも同じ話がある。こんな挿図がある↓ 以上これらの書はすべて、これらの物語が、まぎれもなくシンデレラ物語だということに気が付いていない様子である。そんなことがあるかと、読み返してみるが、シンデレラのシもない。 しかし考えさせられのは、別個に各地で独自に生まれたとも思えぬ、スジの似たハナシで、どこからか伝わってきたものが、丹後に定着して、それが今に伝わるであろう。一体ダレがいつ伝えたものなのだろう? 何でも知っているツモリのワレラが、ツユ知らぬとんでもないワレラの過去がありそうである。何でも知っているツモリなどは認識違いの根拠のない傲慢で愚かな思い上がりでしかないことがわかる、ワレラはこんなことすらも知らない無知な子供のようである。「無知を知る」ことからまずは始めたいものである。 柳田国男「昔話と文学」 シンドレラの継子は日本でも、竈の側で灰によごれて日を送って居るが、是には西洋のやうな灰かつぎといふ類の名は無く、ただ「姥皮」といふ衣裳を身に纏うて、きたない老女に化けて長者の家に働くといふ時ばかり、之を臺所の火焚き婆さんなどと呼んで居る。ところが一方には是を男性に置換へた一話があって、由ある大家の和子樣が戀の爲に、又は親に惜まれて流寓する際に、姿をやつして長者の家に雇はれ、其名を灰坊太郎といふことになって居る。灰坊太郎の出世は必ず聟入であった。他の二人の尋常なる姉聟が、一應は舅姑に賞玩せられた後に、出て来る三人目の灰坊太郎が、きっと恥かくと思はれた豫期に反して、光り燿くやうな若侍となって身元を名のる所は、くはしく叙述せられるなら日本のローヘングリンであったのだが、今では夢の濃かな娘たちにも、既にこの話を知って居ない者が多い。つまりは近世の口承文藝が、笑ひを先途として此前を驅けて通ったのである。
(放送二題)(鳥言葉の昔話 日本の昔話は、もうよほど前から衰頽期に入って居ります。桃太郎とか猿蟹とかカチカチ山とかいふ。子供のよく知って居る五つ六つの改良した童話と、ごく短い愚か聟などの笑ひ話の若干を除けば、田舍に行きましても、昔話を教へてくれる年寄が尠なくなりました。三十そこそこの女の人などで、幾つでも話を覺えて居るといふのは、まづ非凡の部に我々は數へて居ります。ところが此頃になって漸う判って来たことは、斯んな流行おくれの前代の遺り物が、不思議にも世界の諸民族の持って居る民間説話と、非常によく似通うて居るのであります。たとへばグリムの家庭児童説話集だけで見ましても、粟袋米袋、即ち普通シンドレラの名で知られて居る継子話とか、手無し娘とか、猫と鼠とか、藁と豆と炭火の話とかの、九分通りまで同じものが十幾つもあり、一部分だけ似て居るといふのを加へると五十以上、或は六十を超えるときへ謂って居る人があります。世界といっても、多いのは印度から西欧羅巴の諸國が主でありますが、是はこの區域が昔話の最も細かく調査せられて居る土地である爲で、其以外の土地でも、新たに採集した本が出ますと、必ずその中には若干の類例が現はれます。人種が同じだから、又はもと一ところに住んで居たからといふわけでは決してありません。時の順序から申しますと、印度にあるものが最も古く、又證據も色々と殘つて居ますが、それは此國に夙く文化が榮え、書いたものが多く傳はったといふのみで、他にも根元があったといふことを、豫め想定する理由にならぬのであります。たゞ斯ういふ互ひによく似通うた昔話が、偶然に無關係に生れたといふことは、想像し難いだけであります。 (参考) 糠福米福『日本昔話百選』(2003。三省堂) 糠福と米福
むかし、あるところに 「お前ら、今日は風が吹くから、山へ栗拾いに行ってこう。この袋がいっぱいになったらば帰ってこう」 そう言って母親は糠福には底に穴のあいた袋をやり、米福にはいい袋を持たせたと。そうして、米福にそっと、「お前はいつも姉さんの後ばっかり歩け」と言いきかせだ。 二人は山へ行って、糠福が先になり、米福は後になって栗拾いを始めた。糠福が、「おら、栗、拾った」と言いながら袋へ入れると、すぐに抜け落ちてしまう。そこを米福が、「おらも栗、拾った」と袋へしまうから、糠福は、いくら拾ってももってしまってたまらないし、米福の袋はすぐにいっぱいになった。 「糠福、糠福、もう家へ帰ろうや」 妹が言うと姉は困った顔でことわった。 「おらのは、なぜだか少しもたまらぬから、このまま帰ってはお母に叱られる。お前は一足先に帰ってくりょう」。 「ほんじゃあ」と、妹は姉を待たずに山を下ってしまった。 糠福は、ひとり残って山で栗を拾っていたが、やがて日が暮れて、すっかり暗くなってしまった。 ふと向こうを見やると、遠くにあかりが、ちかんちかんと見えたと。そのあかりを頼りに、歩いて行ってみると、それは山ばんばの家で、あばら屋の中に髪をぼうぼう乱した山ばんばがいて、糸車をビンビン回しながら糸をとっていた。糠福が、 「婆ばんば、暗くなって困るん。ぜひ一晩泊めておくんなって」 って頼むと、山ばんばは、 「そうか。泊めてやるにはやるが、おらの家は夜になると鬼が来るから、この中にはいっていろ」 と言うと、糠福を土間にしゃがませ、「どんなことがあっても声をたてるんじゃあねえぞ」と言い 聞かせ、大きな八斗桶をポンと伏せた。 夜なかごろにもなると、ズシン、ズシンと地響きをさせて、鬼が大勢やって来て、 「ばんばあ、しゃばの人臭え。ばんばあ、しゃばのさかな臭え」 と、鼻でそこいらをフスフスかぎ回った。糠福は、おっかなくて桶の中でふるえていたが、いいあんばいに山ばんばが、 「このばかども、何もおりはせんぞ。さあ、帰れ、帰れ」 と鬼どもを追っばらってくれた。 夜があけると、山ばんばは桶から糠福を出してくれた。糠福は、おかげて命拾いをして、「ありがとうごいす」と礼を言うと、山ばんばは、 「なんのなんの。それより、おれん頭のしらみを取ってくりょう」 と、髪の毛のもつれきった頭をさし出した。糠福が、「しらみぐらいなんぼでも取ってやるぞ」と山ばんばの頭をすいてやると、髪の毛の間に蛇やむかでの子がいっばいいた。糠福は竹を削って串をこしらえ、その蛇やむかでを突き通しちや殺し、突き通しちや殺し、みな殺してやった。山ばんばは。 「お前のおかげで今夜ほどええ気持になったことはねえ。このまま死んでもええくらいだわい」 とひどく喜んで、夕飯を食わせてくれて、寝た。あくる朝になると、山ばんばは、袋の底を縫ってくれ、栗をいっばい入れてくれた。その上、しらみを取ったほうびに、叩けば何でもほしいものが出るという福槌を一つくれた。帰る時になると、「さあ、そっちの道を行けばゆんべの鬼がいるから、こっちを行け」と道までよっく教えてくれた。糠福は途中でためしに、 「栗よ一袋出ろ、栗よ一袋出よ」 と言って福槌を叩いてみた。すると栗が一袋、ごろっと出て来た。喜んだ糠福はそれも持って家に帰った。 あくる日は村のお祭で芝居が来ることになっていた。母親と米福は朝からいい着物を着るやらお化粧をするやら大さわぎして仕度をすると、 「糠福、糠福、おれと米福は、ちょっくらお祭に行ってくるから、お前は家で留守番をしていろ。おれたちが帰るまでに、かまどに火を燃しつけて、湯を沸かしておけ。飯も煮ておけ」 と言いつけて出て行った。 糠福が家で炭まみれになって、言いつかったとおりに働いていると、神さまが回って来てこう言った。 「糠福や、お前も芝居見に行きてえが。行きたきゃ行ってこう。その間におれが何でも用をたしてやるからな」。 糠福はうれしくてうれしくて、 「はい、ありがとうごいす。ほんじゃあちょっくら行ってくるから、すまんけどお頼みもうしやす」 と言って神さまにあとを頼み、自分は山ばんばからもらったお宝の福槌をとり出して、 「床屋、出ろ。着物も出ろ。お駕籠も出ろ」 と言って叩くと、床屋も着物もお駕籠も、そっくり出てきた。糠福がその床屋に髪をゆってもらい、いい着物を着てこしらえると、見違えるように美しい娘になった。 それからお駕籠に乗って芝居見物に行くと、向こうの桟敷にお母と妹が座っているのが見えた。 糠福はまんじゅうを買って食べ皮を妹にぶっつけると、妹ははっと糠福の方を見て、 「お母、あれあそこに姉さんが来ている」 とささやいた。けれどもお母は、 「そんなはずはねえ。あれはいまごろ家で炭っころばしになって働いているら」 と気にしなかった。糠福がまた菓子を買って食べ、袋を妹にぶっつけると、妹は、「お母、姉さんがまた袋をぶっつけたぞ」と言ったが、母親は、「ばかを言うもんでねえ。あれはどこかのお屋敷のお嬢さんずら」ととり合わなかった。芝居見物の衆は糠福があんまりきれいだったから、糠福の方ばかり見とれて、どこのお屋敷のお嬢さまかとうわさし合った。 糠福はまだ芝居が終わりきらないうちに帰って来て、元どおりの汚い姿になって家の中で働いていた。そこへお母が米福を連れて帰って来て、 「ほれみろ、やっばり糠福は家にいるしゃあねえが。どうだ福、言いつけた仕事はみなできたか」 と聞いた。神さまが何もかもやっていてくれたから、糠福は、「はい、湯も沸いていやす。飯も煮えていやす」と返事ができた。 そこへ隣村の長者の家から、一人息子が、「今日、芝居を見に行った娘を、ぜひ嫁にもらいたい」 と尋ねて来た。長者の息子は見物衆の中にいて、糠福があんまりきれいなので目をつけて、「あれはどこの家の娘か」と若い衆にあとをつけさしておいたのだ。お母は喜んで、「これがその娘でごいす」と、米福を、うんとしゃれらかして連れて来た。けれども長者の息子はかぶりを振って、 「これは違う。いま一人の娘を出してくれ」 と言った。 「いや、あれは汚い下女で、とても長者さんの嫁になれるような女じゃあねえが」 と、しぶしぶ糠福を連れて来た。息子は炭っころばしの娘を一目見るなり、 「ああ、これだ、これだ。この娘をもらって行く」 と言ったから、糠福は、あわてて「ちょっくら待っておくんなって」と言いながら、ものかげに走りこんで福槌をとり出した。 「床屋、出ろ。着物も出ろ。お駕籠も出ろ」 と言って叩いたらば、みんなぽんぽん出て来たので、床屋で髪をゆってもらい、いい着物を着てお つくりをすると、見ちげえるように美しい娘になった。母親と米福がたまげているうちに、糠福は、 「ではお母さん、お世話になりやした」 と言ったきり、お駕籠に乗って、長者の息子に連れられてさっさと行ってしまった。 さあ、これを見た母親が、くやしかったのなんの、とうとう妹娘を臼で磨りつぶしてしまったそうだ。 それもそれっきりい。 -山梨県西八代郡- *解説 シンデレラの話といえば知らない人かないほど、人類共有の昔話である。日本では平安時代の『住吉物語』、中国では九世紀、ヨーロッパでは一六世紀の記録がある。「糠福米福」「米福粟福」は別名であり、「紅皿欠皿」も同系の継子話である。 音の玉手箱
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