丹後の地名プラス

そら知らなんだ

火祭①
(そら知らなんだ ふるさと丹後 -61-)


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そら知らなんだ ふるさと丹後
シリーズ


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仏教伝来①
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国分寺創建②
幻の古代寺院
丹後の古代寺院①







少年易老学難成、一寸光陰不
脳が若い30歳くらいまでに、せめて千冊は読みたい

友を選ばば書を読みて…と与謝野鉄幹様も歌うが、子供の頃から読んでいるヤツでないと友とも思ってはもらえまい。
本を読めば、見える世界が違ってくる。千冊くらい読めば、実感として感じ取れる。人間死ぬまでに1万冊は読めないから、よく見えるようになったとしても、たかが知れたものである。これ以上の読書は人間では脳の能力上、生物の寿命上、言語能力上不可能なことで、コンピュータ脳しかできまい。



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『丹後の地名』は、「FMまいづる」で月一回、「そら知らなんだ、ふるさと丹後」のタイトルで放送をしています。時間が限られていますし、公共の電波ですので、現行の公教育の歴史観の基本から外れることも、一般向けなので、あまり難しいことも取り上げるわけにもいきません。
放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。


舞鶴三大火祭
「舞鶴は祭の大きなものがない」と、チマタではよく言われているが、調査もせずに言うという舞鶴人らしいことで、実際はそうでもない。特に火祭は丹後随一ではなかろうか。

揚松明(あげだいまつ)(城屋・雨引神社)8/14


動画「城屋の揚松明`19



城屋(じょうや)では、揚松明と呼んでいるが、一般的、民俗学的には「柱松(はしらまつ)」と呼ばれている火祭である。地方によっては「松上(まつあ)げ」「()げ松」などとも呼ばれる。
揚松明の起源については、伝説的に語られる資料しかない、しかし実際の起源は、そうしたことではない。当地だけに存在する火祭ではないからである。
「柱松考」(柳田国男)
例へば、
 和泉泉北郡山瀧村大字内畑字宗峯小字柱松
 同 泉南郡山直上村大字積川小字柱松
 伊勢度曾郡七保村大字野原字東柱松
 下総香取郡多古町大字喜多字柱松
 下野上都賀郡日光町大字日光字御柱松
 丹後加佐郡西大浦村大字赤野字柱松
 但馬美方郡温泉村大字春来字柱松
 備中上房郡有漢村字中山ノ端小字ハシラ松
 出雲能義郡比田村大字梶福留字梶小字柱松
 同 飯石郡一宮村大字高窪字西畑小字柱松
 同 八束郡川津村大字西川津字大内谷小字柱松
 同 同  大野村大字魚ノ瀬字魚ノ瀬小字柱松
 同 同  持田村大字東持田字納蔵小字焼柱
 土佐幡多郡伊豆田村大字立石字焼柱
 同 同  橋上村大字野地字松柱
 筑前鞍手郡笠松村大字芹田字柱松
等の如く、東西の諸州にわたって此地名があるのは、此風習が少なくも或時代には全国一般のものであったことを示す上に、更に進んで考へると、柱松を執行ふべき地点が一定して居たことも推測し得られるかと思ふ。若し然らずとすれば、地名と成って後世に遺る筈も無いからである。…

大浦の赤野に柱松の地名が今もある。笹部でも行われた。青葉山の麓・中山、宮崎でも記録がある。
『若狭高浜むかしばなし』
中山の松上げ
 中山に、北ノ坊と若泉坊と呼ばれる山がある。この二つの山では、かつて松上げが行われていた。大きな大きな松明を立て、そこに人々が火のついた小さな松明を投げ上げるのだ。
 松上げの日は、八月の十六日と二十四日。その日が近づくと、中山の人々はそれぞれ小さな松明づくりを始める。高く投げ上げられるように、丁寧に丁寧につくる。
 そして、いよいよ松上げの日。山の峰に夕陽が沈むと、人々は松上げ場に集まる。小さな松明に火をつけ、広場の真ん中に立てられた大きな松明に、まるで玉入れをするように投げ上げるのだ。火の粉を散らしながら、赤い放物線を描くいくつもの松明。やがて大きな松明に火が移って燃え上がり、辺りは赤く照らされる。火の勢いを強くするため、松明が大きく揺すられると、天上からは火の粉が金砂子のように降ってくる。

小浜市や名田庄村の南川沿いの集落。だいたい8/24
小浜市中井(盂蘭盆)、相生、名田庄村のほとんどの集落、堂本(8/24)、虫鹿野、久坂、…
堀越峠を越えて、美山町芦生、鶴ケ岡、森郷
綾部市大唐地
『京都北山を歩く1』
鞍馬の火祭り
…そこには、北山の八桝や広河原などで行われる、盆の松上げの柱松と軌を一つにするものが感じられる。火祭りの淵源を尋ねると、ある人は、北方騎馬民族モンゴルの祭天の古俗といい、また縄文焼畑の名残りなどなど百家争鳴。

起源については、一般的には雨乞いとすることが多い。
『舞鶴市史(各説編)』
雨乞い
日照りが続き旱魃の害が生ずるようになると、どこの村でも雨乞いの神事がおこなわれた。初めは氏神や村内の水神に般若心経をあげ、さらに大旱魃になると、近在の名社や高峰(弥仙山・赤岩山など)に鎮座する諸神に参拝したり、山頂たとえば青葉山(登尾)や丹波との境界山(与保呂)で大火を燃やすなどして、雨乞いを祈願した。
 行永では、村はヒナカ(半日)休みにして、丈夫な男子はオミセソサンにお参りし、この代参者を残った村民はこぞって見月峠(行永)の下まで出迎えに行った。池内や与保呂地区では、池姫神社に雨乞いの願をかけておき、村中総出で大岩を山から境内まで石引きした。
 人びとの祈願がかなえられて待望の降雨があると、村内では雨喜びといって、半日ないし一日の作場止めをして休んだ。
 なお、年中行事としての雨乞いの火祭りは各地でみられた。束神崎・西神崎では、子供たちが七月十七日の祇園さんの日に、海岸で竹の小屋組みを沢山こしらえて、家々から提供された麦藁で屋根をふき、小屋の中へは浜に打ち上がった流木を積みこんでおいて、竹の先につけた藁の松明で小屋に点火して燃やした。このとき子供らは一斉に「雨をくだされ祗園どの」とわめき続けた。

マンドロ・マンドル(吉原)

8/16。伊佐津川の川口。

動画「吉原のマンドロ


『吉原百年誌』
万灯ろう(まんどろ)
 今から約二百六十年前の享保年間(一七一六~一七三六)に大へんなくらげが発生したため、全く漁業ができなくなりました。漁師たちは餓死寸前に追い込まれて、非常に難儀なしたので、これは、「海神のいかり」と恐れ、海神の気持を和らげるため、若衆が大火を海の中で焚いて祈りを捧げたのが、万灯ろうの始まりであると、云い伝えられています。そののち、おかげで、くらげが海流に流されて退散し、やがて漁獲もだんだんよくなったと伝えています。
 それ以来、毎年八月十六日に伊佐津川河口で、くらげ退散、魚(さかな)の供養、海難犠牲者の霊を慰さめるため、この行事を行っています。
 青竹で、高さ約十米、巾四米の灯ろうを形どったものを作り、火の神様である愛宕さんの円隆寺(本堂さん)から、青年に守られて着いた御神火を灯ろうの両端数段に点火します。やがて垂直に立てられた万灯ろうは数十人の青年で、ぐるぐると廻わされます。
 灯ろうの倒れかかった時の青年たちの協力かけ声の力強さ、夜空を焦がす炎の水面に映える美観は、まさに火の祭典といえましょう。

おおい町では、大ガセ(大火勢)と呼ばれるもので、ここから伝わったものか。

←おおい町のイベント「スーパー大火勢」
町のイベントとなって、花火大会と同時に行われている。高さ20メートルという大きなものだが、これは最近できたものである。そのオリジナルは、
『大飯町誌』
大火勢 福谷 県指定
 福谷の大火勢は三〇〇年の伝統があるといわれ、区長や大火勢保存会の人々により今日まで受け継がれてきた迦具土神をお迎えする誠に豪壮な火祭りである。 八月二十三日夜は伊射奈伎神社へ、二十四日夜は熊野神社へ、火災鎮護と五穀豊穣を祈願のため奉納される。二夜とも区の入口に近い火勢山(桟敷山)三、四十メートル頂で上げられる。
 長さ一四メートルくらいの檜の棹に横木を五段輪状に結束、昔は麻がら、今はないので、川土手のアシやススキを刈り取り、日によく乾燥して置いたものを棹の先端と五段の横木に結び山上に用意しておく。
 当夜は区の入口、地蔵前に集まり、愛宕神社でお受けした火の高張提灯を先頭に、笛・鉦・大太鼓ではやしながら、各自松明をかざし、火勢山へ登りそこで素朴な山踊りを踊り終わって、大火勢に点火、力自慢の人が棹に肩を入れると雨笠(今はヘルメット)をかぶった数人が叉のついた突かい棒で支え起こす、と同時に一本のロープを引き、直立させる。
 暗い山の頂に大火勢がパチパチ音をたてて燃え上がる様は遠い佐分利川堤防道からもよく見える。やがて火勢棹を回転させ、また倒し起こしては回す、これを数回繰り返す。火の勢いが衰えれば、結束の縄の一部を切り、重油を注いだりもする。この間、笛・鉦・大太鼓のはやしは止むことなく、火勢棹の動きはすべて大太鼓の合図に従う。乱舞する大火勢の勇壮・豪快・壮厳さには、思わず嘆声を発し身の引き締まる思いがする。
 燃え尽きると、高張提灯を掲げ麓に出迎えている大勢の男女と共に氏神前へ行進、山おろしの踊り・ばんば踊り・民謡踊り等夜の白むまで踊り続ける。

山おろし 鹿野 町指定
おどりナーばんばの
小砂となりテーヨーヨイサッサー
踏れたいわの二十一じヤーヤレコリャスイナノエンヤ
エンヤワエンヤアレワイサーエ娘ノー
かぐ(ご)やの娘よ--組んでみせましょ花かごを(反復)
花かごを-組んでみせましょ花かごを-

 どこにも見られない独特な二つの踊りを持つ「山おろし」は、火祭りということでは福谷の「大火勢」と同じ形式のものであるが、そのルーツについても、歴史的なことについても、定かなものは何も残っていない。踊り歌の素朴な節回しを聞いていると、恐らく鹿野の祖先が生み育ててきたものと考えられる。
 八月十六日の夜、小車田との境いの竹の越地籍の火勢山で火勢を上げた後、山おろしの太鼓を打ちながら降り、平道まで来ると六つの高張の迎えを受けて、大太鼓と中太鼓の打ち合いの行列が続く。
 その後、練り込みの太鼓を打ちながら仏燈寺境内に入り、火勢上げの白装束のまま踊る。「山おろしばんば踊り」と「山おろしかぐや踊り」の二つが五分間ずつの短い時間で打ち切られる。
 これは、全員が戻っているかどうかを確かめ合うための踊りであるとも言われ、五分ずつという短い時間もその意味から定めたもののようである。いわば凱旋の雄叫びのように思われるのである。昔の火勢上げは、それほど過酷なものであったらしいが、今日では規模を縮めてモウソウ竹のさおで行っている。
 どの家からも一人以上の男子が参加するので、踊りは素朴ななかにも勇壮さがある。この踊りを最後に山おろしの行事が締めくくられる。
 山おろしは、今日では仏の供養のためとされており、その昔、今の火勢山より更に高い山の頂上(現在テレビ塔がある)で火勢を上げていたが、小浜城からその火があかあかと見えて山火事かと思われ、小浜の殿様からおしかりを受けたので、今の場所まで下りて行うようになったという逸話が残っている。
 この山の頂上には、その昔愛宕神社が勧請してあったと伝えられているから、山おろしは、火災鎮護を祈った愛宕信仰でなかったかと思われる。それを裏付けするものとして、忌みのかかっている人は山の途中の決められた場所から上へは登れず、そこで、鉦と笛を奏でることになっている。今日、祖先への供養であり、その送り火と考えられているこの火祭りも、昔の信仰の姿が残され、うまく溶け込んでいるのである。
 こうして、素朴に伝統を守り続ける信仰と連帯の力が区の安泰をも守り続けてきたのである。

お松の神事(志楽・布留山神社)11/15


動画「おまつ神事
『舞鶴市史(各説編)』
お松の神事
志楽地区あ阿良須神社域内の富(布)留山社で陰暦の十一月十五日仁行われている「お松の神事」は豊凶を占う火祭り神事として近郷に知られている。
 この日、各字の氏子総代は威儀を正し、麻毅で作ったすり鉢形の大松明三本を二メートルほどの竿先につけて立て、これを早生、中生、晩生に見立てて神火をつける。その燃え方で翌年の豊凶を知る神事である。


城屋の天王社の「お松明」は12/14。↑
隣の女布の金峰神社(祢布神社)では、12/15の皇土(こうど)さん(宮講のこと)、来年の稲作の出来を占う松明の神事が行われる。
他の地域でも同様の神事が行われているのかも知れないが、手元の資料では確認できない。松明の火ではないが、茗荷やタケノコの根によって同様に占う所もある。
早稲・中稲・晩稲に見立てた松明を並べ、その燃え具合によって、翌年の稲のでき具合、豊凶を占う、民俗行事の年占の一種と思われる。
時期的には冬至で、穀霊のよみがえる時、お松の神事は新しい穀霊に新年の収穫の多寡をうかがう行事と見られる。
マツという言葉は、かなり古く、松の木のことではなく、「火と同じ語だろう」と柳田国男が述べていた。古語辞典にもなく、日本語の最初の頃の言葉と思われ、その意味のマツを使った呼び名の神事なので、起源はかなり古くさかのぼるものと推測される。









 音の玉手箱
 精神に翼をあたえ、創造力に高揚を授ける、音の宝石

 El Cumbanchero

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クンバを叩く男、ボンゴを叩く男。
クンバやボンゴは太鼓で、太鼓叩いて笛吹いて、お祭りなので、(日本だけでもないようで)、太鼓男が叩きだしたら、もうどうにも止まらない。

関連情報

放送の合間にこんな曲が流れます(予定)
精霊流し
夏祭り


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