丹後の地名プラス

そら知らなんだ

幻の凡海郷
(そら知らなんだ ふるさと丹後 -34-)


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そら知らなんだ ふるさと丹後
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丹後の古代寺院①






少年易老学難成、一寸光陰不
脳が若い30歳くらいまでに、せめて千冊は読みたい

友を選ばば書を読みて…と与謝野鉄幹様も歌うが、子供の頃から読んでいるヤツでないと友とも思ってはもらえまい。
本を読めば、見える世界が違ってくる。千冊くらい読めば、実感として感じ取れる。人間死ぬまでに1万冊は読めないから、よく見えるようになったとしても、たかが知れたものである。これ以上の読書は人間では脳の能力上、生物の寿命上、言語能力上不可能なことで、コンピュータ脳しかできまい。



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『丹後の地名』は、「FMまいづる」で月一回、「そら知らなんだ、ふるさと丹後」のタイトルで放送をしています。時間が限られていますし、公共の電波ですので、現行の公教育の歴史観の基本から外れることも、一般向けなので、あまり難しいことも取り上げるわけにもいきません。
放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。


遙かなる伝説の凡海郷



『丹後国風土記残欠』によれば、ここは大きな一の島で凡海里があったという。
大宝元年の地震で沈み、一夜にして蒼海になった。わずかに島の高峰2峰と立神岩を残すと…
そう言われても、手掛りはなく、ただ茫然とため息つき途方に暮れるばかり。

そのへんに、沈んでないか?
な~んにも

冠島の一番高いところが170メートルほどだから、この高さの半分ほどの深さで両島は一つの島になり、丹後半島とも繋がる、意外にこのあたりは浅い。それくらいのものなら、あるいは沈下することがあったかも、とも考えられそう。
両島は2.5㎞ほど離れていて、元は一つの島だったといったハナシは、何もない所からは普通は浮かんではきそうには思えない、大ホラフキの天才専門家センセでも考えもつかないようにも思われる。
『丹後国風土記残欠』
凡海郷。凡海郷は、往昔、此田造郷万代浜を去ること四拾三里。□□を去ること三拾五里二歩。四面皆海に属す壱之大島也。其凡海と称する所以は、古老伝えて曰く、往昔、天下治しめしし大穴持命と少彦名命が此地に致り坐せし時に当たり、海中所在之小島を引き集める時に、潮が(おほしく)枯れて以て壱島に成る。故に凡海と云う。ときに大宝元年(701)三月己亥、地震三日やまず、此里一夜にして蒼海と為る。漸くわずかに郷中の高山二峯と立神岩、海上に出たり、今号つけて常世嶋と云う。亦俗に男嶋女嶋と称す。嶋毎に祠有り。祭る所は、天火明神と日子郎女神也。是れは海部直並びに凡海連等が祖神と斎所以也。(以下八行虫食)

律令時代の凡海郷

沈んだはずの郷であるが、平安期の郷名として記録されている。「和名抄」丹後国加佐郡10郷の1つ。高山寺本は「於布之安末」、刊本は「於布之安万」と訓ずる。
この郷名は、他国にもみえず、この時代になっても郷域など不詳だが、名義から推して、一般に大化改新直前の頃に周辺の海人族を統括した有力氏と縁由ある郷名と解せられている。
冠・沓島が凡海郷に属していたので、この近くの海辺であろう。山の方にあったとは考えにくい。
「延喜式」内膳司に丹後国の年料として「生鮭三担十二隻三隻、氷頭一壺、背腸一壷、山薑一斗五升三度、小鯛腊一石二斗」が記され、これが当郷と関係すると考えるならば、由良川筋の内陸鮭漁業とのかかわりも推定される。
郷域は由良川筋にかかわるかもしれない。古くから漁業が発達し海部が活動していたと考えられている大浦半島の野原・小橋・三浜辺りであったかもしれない、という。
『加佐郡誌』の比定地は、


『地名辞書』
凡海郷。和名抄、加佐郡凡海郷訓、於布之安満。○今詳ならず、凡海とは海部の住居ならんと思はれ、延喜式に「丹後国生鮭三捧、十二隻三度、氷頭一壷、背腸一壷」と見ゆるは即此凡海氏の所貢なるべし、本郡にして北海の鮭の泝るは由良川なれば、今の由良村神崎村などにあたるごとし、本郡又大内郷あり、大内又凡の転にして、海部の住郷なれば其名あるか、或人云今の俗由良川辺を大内と総称す、猶考ふべしと。

中世の凡海郷


永享3年(1431)12月27日の室町幕府奉行人連著奉書に「丹後国凡海郷代官職事」とある(御前落居記録)。当郷は建福寺領であり、寺に納められる年貢が減少したとして建福寺雑掌と当郷代官松月庵との間で相論があり、幕府は以後寺家の直務とするよう命じている。
室町期にも存在したことは間違いがないようである。しかしまたしても郷域などはわからない。

『注進丹後国諸荘郷保惣田数帳目録』に、(長禄(1457~60)頃のもの。成相寺藏)
一 □□郷 四十八町九段二百九十二歩内
  □□□四十五歩  和江村 岸九良左衛門
  廿五町三段百廿一歩     建福寺
  十八町八段八段五十九歩  本光院
   二町七段六十七歩     不足可有紀明之
この□□郷の□□部分は虫食で読めないが、これが凡海郷だろうとされている。建福寺が出ているので、ほぼ間違いはないとも思われるが、確定はできない。この田数帳はあちこちに虫食があるので、ほかのどこかの虫食部分がそうであるかも知れない。「和江村 岸九良左衛門」も見えて、和江あたりかも、とも考えられるが、必ずしもそうであるとは限らない。建福寺、本光院も不詳。
この後には凡海郷の記録は見られない。

凡海連氏

「凡海」は「大海」とも書くようである。
『日本書紀』は、朱鳥元年(686)9月9日、天武天皇が亡くなって、「大海宿禰アラ蒲」という人が誄をしたと記されている。
この人は『続日本紀』に、(大宝元年・701)3月 「戊子(15日)、追大肆凡海宿禰麁鎌を陸奥に遣して金を冶たしむ。」とあって、凡海、大海はどちらもオオシアマと読むようである。天武天皇は即位前は「大海人皇子」と呼ばれていて、尾張国の「大海」という氏族に養育されたのであろうか。

丹後海部氏の勘注系図によれば、始祖彦火明命の十九世孫になる丹波国造海部直都比には児が二人あって、兄は丹波国造海部直縣といい、弟が凡海連眞磯という。
凡海連眞磯の注文に「凡海連等祖、雄朝津間稚子宿祢天皇(19代允恭天皇)御宇移于当国加佐郡凡海郷。故改賜姓凡海連矣」とある。
凡海連眞磯-凡海連小橋-凡海連磯住-凡海連磯嶋
と続いている。この氏は、その名から見て今の小橋のあたりにいたのかも知れない。小橋や三浜には、古墳(後期の群集墳)や製塩遺跡、松原神社は元は白浜神社といい祭神不詳。

『姓氏録』の凡海連
「右京神別下。地祇。凡海連。同神男穂高見命之後也。」
「未定雑姓。右京。凡海連。火明命之後也。
「摂津国神別。地祇。凡海連。安曇宿禰同祖。綿積命六世孫小栲梨命之後也。」
凡海氏は元々は安曇氏系の氏族ではなかろうか。

大海氏は海部氏か
『古代海部氏の系図』に、
「闕史時代の最後の天皇に当たる第九代開化天皇は『天孫本紀』の十世孫淡夜別命に比定される。この命は弟彦命の子で、大海部直等祖となっている。すなわち孝元天皇の子ということである。大海部とあるのは海部氏のことでその祖に当るという。」とある。
「部」というものがまだなかった時代だろうから、本当にそうなのかは疑問。しかし丹後海部氏の元が大海部氏というのは、いよいよ幻の凡海の感が強まる。

尚、『元初の最高神と大和朝廷の元初』には、
「加佐郡の国造氏人は、籠名神社祝部氏系図に見える海部直千嶋、及び千足の弟千成の後裔と伝えられる。この氏は、近世、姓を坂根と改めたが、歴世相ついで、今尚存続して、同郡にある。」
坂根氏は舞鶴にも多いが、丹後各地にも見られる、海部氏の支族なのであろうか。
海部直千嶋は注文に、「籠神宮祝部祖也」
海部直千足の注文には「笶原神宮祝部祖也、従養老五年」とある。
海部直千嶋の注文に「熱田大神於三輪社斎奉矣 於是國造氏分爲三氏。」
このあたりから尾張氏の介入が強まったものか。

凡海氏
梅垣西浦文書(『舞鶴市史史料編』に全文収録)
承久元年(1219)9月23日付西願寺(志楽庄春日部村にあった)宛の僧鏡円等連著田畠寄進状案(梅垣西浦文書)に、著名人の一人として「凡海是包」の名がつらなっている。









 音の玉手箱
 精神に翼をあたえ、創造力に高揚を授ける、音の宝石

 Tiko Tiko

(181) Tico Tico, ティコ・ティコ - YouTube
(181) Destiny Tico-Tico - YouTube
(181) Ethel Smith - Tico Tico - YouTube
(181) Company B UK, Tico-Tico no Fubá - YouTube
(181) Metropole Orkest & Maria Mendes - Tico-tico no fubá - Metropole Studio Sessions: World Tour - Brazil - YouTube

TicoTicoはブラジルにいるスズメのような小鳥のことだそう。「えさ箱の中のスズメ」といった意味のよう。しかしスズメと言っても、本物のスズメではなく、この動画に登場するような若い娘のことを言っているのであろうか。
何とも気が軽くなって、肩の重荷から解放されたような、異次元な楽な気分にさせてくれる。

(181) 第三部 ティコティコ/東海大学付属仰星 - YouTube
若者がいないということは、TikoTikoを失うことは文化を失うことだと痛感させられる。どこかの田舎マチに、どこのマチもすべてそうだが、あとに残された道は、いよいよ老いさらばえて、最後は死だけであろうか。そうならないうちに何とかしたいものであるが、何ともしようともしない。脳はすでに腐り、魂は朽ちているのであろうか…

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